BloodyHeart

真代 衣織

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消化の出来ない記憶

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「あっ、羽月さん帰ってます」
 頭の小羽から、リリアは羽月の部屋を見た。
「そうですか。では、ここで失礼します」
 マンションの前に車を停め、那智は一礼する。
「那智さん、今日はありがとうございました。稽古の方、宜しくお願いします」
「はい。こちらこそ、ありがとうございました」
 リリアと那智は、礼儀正しくお辞儀をし、別れた。
 大した御方やな。
 ロビーに入っていくリリアを見送り、那智は胸中で呟いた。
 ふと、那智は眼鏡を外す。
 甘く整った顔が露わになる。
 眼鏡を掛けていても、綺麗な顔立ちだと分かるが、外すと更に綺麗な顔だ。左目の下に二つある小さな泣き黒子が、甘めな顔立ちを引き立たせている。引き締まった体つきといい、長い手足といい、清潔感溢れる爽やかな美形俳優の様な容姿だ。
 刀を突き付けた時に見た、リリアの真っ直ぐな目を思い返す。
 幼くても弱くても、王の器は備わっている。
 那智は感心していた。
 車の中にある眼鏡ケースから、眼鏡拭きを取る。
 眼鏡を掛け、一層クリアになった視界で車に乗り込み、夜道を走り出した。
 部下は上司を選べない。人選も評価も上がしている。
 理不尽な現実に、那智の心は蟠りが解けない。
 消化の出来ない記憶が押し寄せる。
 那智が羽月を知った日だった。
 その出来事をきっかけに、那智の正義は脆くも剥がれ落ちてしまった。
 二千三十三年、南アメリカ戦線——。
 ドラキュラ帝国と南アメリカ政府により、白人ではない人種が差別を受けていた。
 ドラキュラ兵に略取された女性達を、那智が所属する陸軍特殊遊撃部隊の分隊は解放した。
 収容所にいる女性達は、子供を含めて全員が首輪を付けられている。収容所から離れれば爆発する首輪だ。
 点滴スタンドと採血台に、ベッドが置かれた二畳だけのスペースが一人分。薄い壁が設置されて仕切られている。
 点滴だけで栄養を補っている収容者は、青白い顔で虚ろな瞳をし、全員が痩せ細っていた。
 女性達は、黒いバスローブ風の収容服一枚だけを身に纏っている。男だけの隊員は、女性達を脅かさないように、収容所の外で待機していた。
 当時の隊長は、警視庁特殊部隊から引き抜きを受けた、四十代の比較的若い隊長だった。
「後は、後方に任せますか?」
 隊長に問い掛けた那智は、ウェアラブル端末から連絡を入れようとする。
「待て、結城——」
 手を向け、止めた隊長は分隊長と顔を見合わせる。タチ悪くニヤついた。
「せっかくだ。他に見ている連中はいない。楽しまないか?」
 性犯罪を示唆した隊長の発案に、那智は露骨に顔を顰める。
「御断り致します。日本兵の品位を損ねる、犯罪行為ですから」
「あぁ⁉︎ 生意気ほざくなよ」
「強くても、お前は部下だろっ⁉︎ 刃向かっていいと思ってんのかっ」
 心からの軽蔑を込めた那智の発言に、隊長と分隊長は露骨に怒った。
「っじ、自分達も御断りします」
「ゆっ、結城中尉殿の言う通りです」
 臆しながらも他の隊員、五人全員が那智に味方する。
「何だと、てめぇら——」
 隊長は全員に鋭い視線を向け、凄んだ。
 さすがに、厳しく上下関係を叩き込まれている隊員達は怖気づく。
「優等生で品行方正は童貞かぁ? 最強剣士の雄はなまくらかぁ?」
 分隊長は那智に近付き、那智の腰に嫌らしく触れる。顔を寄せ、見下す様に身体を視線でなぞった。
 ずっと前から那智は、この分隊長が大嫌いだった。
 那智より十歳年上の分隊長は、常日頃から那智を妬み、嫌がらせをしていた。部隊外でも、エリート部隊に所属している事を自慢に、他を見下して侮辱の言葉を吐く。部隊内でも、自分より立場が下だと横暴を働く。那智だけじゃなく部下全員が忌み嫌う上官だった。
「やめて下さい!」
 那智は分隊長の胸を押して退ける。少しは体を離せたが、分隊長は視線で挑発を続ける。
 この時点では、那智が同性愛者である事に、同部隊員どころか軍内の誰も気付いていなかった。
 現在でも知っているのは、名糖和左を含めた三〇一隊の四人のみだ。
「最強のエリートが童貞じゃ、格好が付かない——。見下されてもいいのか?」
 隊長は、那智に味方している隊員を煽った。
「エリートとして男として、下衆野郎には堕ちたくありません」
 鋭い目付きで言い切る那智が、隊長と分隊長を刺激する。
「調子に乗んなっ!」
 分隊長は那智の腹に強烈な蹴りを入れた。……様に見えるが違っていた。
 蹴り飛ばされ、地面に尻を突いたと那智は見せかけていた。タイミングを合わせ避けている。
「いくら強くても、上官には逆らえないが軍規だろっ⁉︎」
 那智の顔を分隊長は蹴り飛ばす。それも躱しているが、眼鏡は落ちてしまう。
「他の連中はいないしな。まぁ、知られたところで、最強のエリートに逆らえる奴らもいない」
 悪意を含めた言い方で隊長は断言する。
 隊長と分隊長は収容所に歩を進め、那智達、部下に背を向けた。
「——ゆっ、結城中尉‼︎」
 驚愕の事態が起きた。
「何の真似だ、結城——」
 驚きよりも、部下に侮辱されたと怒りが湧く。隊長は那智に凄んだ。
「っ上官殺害は死刑だぞっ⁉︎」
 頚動脈に当たる刀身に、分隊長は怯えながら怒鳴る。
 那智は二人の間、後ろから抜刀していた。
「お二人の為ですよ。生き恥より先に、名誉の戦死にさせてあげましょう」
 葛藤はするが、那智の正義が許せない。真剣よりも冷たくなった視線で、那智は言い放つ。
「お二人が仰る通り、誰も見ていない。自分達は結城中尉殿に味方します」
 隠蔽する。他の隊員達は意見を固めた。
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