私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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十五話『届けと伸ばして』

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 応援や声かけの飛び交う球技祭当日。
 練習の日々が実を結び、バレーボールは順調に勝ち進んでいた。
「ナイストス、古町さん」
「ありがとう。練習に付き合ってもらったおかげだよ」
 アタックはできてないけれど、なんとかボールを上げることはできている。ボールに手を掠めることしかできなかった私からは、想像できないほど成長していた。
 次は準決勝か。チームの人も上手い人ばかりだし、もしかしたら決勝まで進んで優勝できるかも。
「次の試合まで時間あるし、あーちゃんのテニス観に行こう?」
「うん、そうだね」
 七津さんに勧められて、夢国さんのいるテニスコートを目指すことにした。他のチームメイトは、それぞれ応援しに行きたい人がいるようで一時解散となった。
 テニスコートに着くと、夢国さんはちょうど試合中だった。
 点数は……相手がマッチポイントだ。二人ともすごい剣幕。夢国さんもあと二点だし、まだ逆転できるかも。
 夢国さんの相手は、ボールを持って狙いを定めている。
「ふー……。っ!」
 弾けるような音と共に、鋭いボールが夢国さん側のコートに飛んでいく。
 負けじと夢国さんもボールに喰らいつく。その場にいる全員がその試合に見入っていた。それほどまでに緊張が走るラリーが続いている。
 七津さんも声をかけることができず、手を握り合わせて夢国さんを見つめていた。その眼差しは真摯で温かいものだった。
 息が詰まるような長いラリーの末に、夢国さんの敗北で試合が終了した。
 健闘を讃えあうように相手と握手をする夢国さん。少し話もしていたようで、夢国さんは途中で首を横に振っていた。
「お疲れさま、あーちゃん」
 話し終えてこちらに歩いてくる夢国さんを迎えに、七津さんが駆けて行った。
 ハグで労いの気持ちを伝えると、くっついたまま戻ってきた。
「お疲れさま、夢国さん。すごい試合だったよ」
「ありがとうござます。負けてしまったのは悔しいですが、全力を出し切った結果だと思えば、スッキリしてますわ」
 そう言って笑っていたが、その後に小さなため息を吐いていた。言葉にしている以上に悔しい思いがあるようだった。
 抱きしめている七津さんが頭を撫でると、瞳の端が光を反射した。
「あーちゃん。さっき、相手のこと何を話してたの?」
「え? ああ、大したことではありませんわ。部活に誘われて、断っただけです」
 ジャージの袖で涙を拭ってから、毅然とした態度で夢国さんは答えた。
「部活? まさか相手テニス部だったの!?」
「ええ。楽しい試合ができたから、ぜひと言われまして」
 テニス部の人と当たって、張り合って誘われる夢国さんって、かなり強くない? プロとか目指した時期あるのかな。
「なんで断ったの?」
「私は、憧れでテニスを少し習っただけですの。本気で取り組んでいる世界に飛び込むには、覚悟不足ですわ」
 本の中のお嬢様に憧れてラケット振っていた夢国さんは、スポーツとして正面から向きあっている部活動とは根本的に違うと言っているようだった。
 私は褒められて乗せられたら、軽い気持ちで部活に入ろうとか考えちゃいそうだけれど、夢国さんって真面目だなあ。
「バレーの方はどうでしたの?」
 つい本音を語ってしまったのが恥ずかしかったのか、話題を逸らすように夢国さんは話題を変えた。
「順調だよ~? 次は準決勝~」
「すごいですわね。次の試合は応援に行きますわ」
 自慢する子供のような七津さんに、優しく聞いてくれる母親のように夢国さんは言った。
 話していると三人とも飲み物が欲しくなり、校舎に設置されている自販機向かった。
「お~、後輩ちゃん。お疲れ~」
 移動した先で、購入した飲み物を三本下に置き、さらに飲み物を買おうとお金を入れている命先輩がいた。
「お疲れ様です、命先輩」
「ありがと。バレー組は準決勝で、亜里沙ちゃんもテニス部相手に張り合うとか、すごいじゃん。うちも励まされたよ~」
 命先輩は二人の頭を、少し荒っぽくウリウリと撫で、最後に私の頭を撫でた。
 先生の手とはまた違う感触。
「命先輩はなんの競技を?」
「琉歌ちゃんと同じバレーだよ。ゆきなんも一緒」
 話している途中、お金を入れたまま自販機が待機していることに気がついた命先輩は先にボタンを押した。よく見ると、置いてある三本も追加の一本も同じスポーツドリンクだった。
 ついジュースとか買っちゃいそうだけれど、運動後の水分補給ってことちゃんと考えてるんだ。私もそうしよっかな。
「今日のゆきなん、やたらと張り切ってんだよね。いやま、いつも行事には全力なんだけどさ。十割からの二割増しみたいな、なんか知ってるー?」
 クッキーのことは命先輩に話してないのかな。いや、それが理由と思うとか流石に自惚れすぎだよね。でも、知ってたら揶揄ってくるのが命先輩だと思うんだけど。
 前回食べられたの根にもって伝えてないのかな。
「特に、何も」
 揶揄われるのが嫌で伝えてなかったとしたら、私が伝えてしまうのも申し訳ないので、取り敢えず誤魔化すことにした。
「私たちも知りませんわ」
「最後だからかな~?」
「それもそっか。ま、楽しそうだから別にいいか」
 命先輩はさらにスポーツドリンクを一本購入して、ペンライトを指に挟むようにして五本のペットボトルを持った。
 その持ち方して指痛くないのかな。
「よかったら応援来て? ゆきなんも絶対喜ぶからさ」
「はい」
「じゃねー。ポケットマネー少なくて奢ってあげらんなくてごめんねー」
「お、お気遣いなくー」
 命先輩は走りとスキップの中間のような軽い足取りで階段の方に駆けていった。雪菜先輩が見たら注意していそうだ。
「以前お話しした時にも思いましたが、絶妙に掴みどころがわからない方ですわね」
「楽しくて優しい先輩だからいいじゃ~ん。古町さん何飲む~?」
 手を振って命先輩を見送っていると、二人は先に飲み物を購入していた。それぞれ紅茶と緑茶。
 紅茶は夢国さんらしいけれど、七津さんが緑茶ってちょっと意外かも。もっと甘い飲み物のが好みだと思ってた。
「麦茶にしようかな」
 それぞれ飲み物を買い終えて体育館に戻る。私と七津さん以外のメンバーはすでに戻ってきていた。
 試合の時間まで予定ではあと十分ほど。残った時間でちょっとした作戦会議と気合の入れ直しをした。

 球技祭一年生バレー準決勝。ここまで順調に勝ち進んでいた私たちは、ここにきて盛大な待ったをかけられた。
「痛っ……!」
 さっきまでの試合のボールと全然違う! 練習と同じようにやってるはずなのに、ボールの勢いを殺しきれてない。
 ボールが直撃した手は、骨に響くようにジンジンと痛む。相手の次の一投も痛みが走る手で受ける。
「う~ん。相手絶対かなりの経験者だよ。初心者相手に容赦ないな~。古町さん大丈夫?」
「大丈夫! なんとかボール上げてみせるから」
 ここまで来たんだから、完全試合なんてさせない。一点。一点だけでもいいから相手に返したい。
 自分でもおかしいと思えるほど、今日の私はやる気に。スポーツ精神に溢れていた。少し前までの私からはとても考えられない。
 今日までの努力を、七津さんと夢国さんとの練習を無駄にしたくない。
 次に全てを賭けるくらいの気概で構える。
 バンっと、銃撃にも似た凄まじい音と共に、こちらにボールが向かってきた。何回も打ち込まれているが、ずっと怖い。
 怖くても痛くても関係ない。練習通り。腰を落として、腕だけに頼らないで、そのまま返さない。少し上向きに!
 前腕に走る殴られたような衝撃を耐えて、前方のネット手前にボールを打ち上げた。
(ナイス古町さん)
 打ち上がったボールは、さらにトスで打ち上げられ、七津さん渾身のスパイクで相手コートに叩きつけられた。
「よーし、一点!」
 いつもゆるふわな声の七津さんが、芯の太い体育会系の声で叫んだ。
 奇跡のような反撃に緩みそうになった気を、もう一度引き締める。勝ったわけではないのだから、まだ試合は継続している。
 相手も、ちょっと怖いくらい真剣な眼差しでこちらを見据えていた。
 こちらのサーブは軽々と受けられ、攻撃の姿勢が整えられていく。
 サーブの時よりも鈍く重い音と共にボールが飛んできた。その射角は先ほど返したボールより角度が浅かった。
 あれ? この角度は危ないんじゃーー

 ドンっ!

 危険を察知した次の瞬間には、ボールが私の顔。主に額のあたりを捉えて直撃していた。
 手も足も力が入らず、体が勝手に倒れ込んでいく。
「ーーちさん! 古……ち……!」
 あ、ボール。返さ、ない……と…………。





 あれ、私、どうしたんだっけ。
 大きな四角が繋がった白い天井。体には、柔らかいがしっかりと重みのあるものが乗っかっている。
 なんでベットで寝てるんだろ。
「起きたか、古町。頭痛むか?」
「先生? いえ、大丈夫……です……。保健室、ですか?」
 こ、これは。先生に思いっきり寝顔見られたのでは。
「ああ。ボールが顔面に直撃して、ぶっ倒れたんだぞ」
 そうだった。ボールが飛んできて危ないって思ったけれど、反応できなくてそのまま。結構痛かったな、あのボール。
「私どのくらい寝てました?」
「三十分てところだ。試合の方は夢国が代打で入ったが……ま、相手が相手だからな。善戦したよ」
 そっか、あとでチームのみんなに謝らないと。私がいたからって勝てたとは思ってないけれど、心配も迷惑もかけちゃったし。
 布団の中で手を握ったり開いたりする。痺れや吐き気、眩暈といった症状はないので、問題はなさそうだ。
 あ。命先輩に試合観にきてほしいって言われてたんだ。
「よいっしょ」
 上半身を起こしても、フラつくことはなかった。
「おい、まだ無理すんな」
「大丈夫です。みんなにも謝りたいですし、命先輩に試合観にくるように言われているので」
 先生は眉間にシワを寄せて、心配そうな表情をすると、両手で口を覆った。私の判断に賛成はしてくれなさそうだ。
「……はぁ。少しでも体調が変だと思ったら言えよ」
「ありがとうございます、先生」
 よかった。ダメって言われても仕方ないと思ってたけれど、認めてくれて。絶対に行かなきゃってことではないんだけれど。
 それはそれとして、心配されると嬉しくなっちゃう。
 かかっていた布団を避けて、ベッドの横に揃えられて上履きを履く。立ち上がっても問題はなく、先生は胸を撫で下ろしていた。
「お世話になりました」
 保健室の先生にお礼を言ってから保健室から退室した。
 体育館に行けばみんないるかな。
「倒れそうになったら支えてやる」
 そう言って先生は私の隣に立って歩き始めた。その距離は、ほんの少し腕を広げるだけで触れられるほどに近かった。
 す、水族館の時と同じくらい距離が近い。私が倒れても対応できるようにってことなんだと思うけれど、それにしても近すぎますよ先生。
 頭が沸騰してまた倒れちゃいそう。
 若干の気恥ずかしさと歩きづらさを感じながら、会話をすることができないまま体育館に着いた。
「あ、古町さん。もう大丈夫なの? 頭痛くない? 吐き気とか眩暈とか~」
 試合を観戦していた七津さんが私に気がつくと、心配そうな顔で駆け寄ってきた。それに気づいた他のチームメイトもわざわざ集まってきてくれた。
 夢国さんはお手洗いかな。
「うん。平気だよ、七津さん。みんなもごめんね」
「気にしないでよ、古町さん」
「そうそう。古町さんのおかげで一点返す起点ができたんだから」
 チームの誰も怒っている様子はなく、動いて大丈夫なのかと余計に心配させてしまった。
 話しているうちに夢国さんも戻ってきて、また心配されてしまった。小さい頃に転んで怪我をした時を思い出す。
 昔はちょっとの怪我でも騒がれたっけ。
「今、三年バレー決勝だよ。三条会長とみこみこ先輩、結構面白い試合になってるんだ~」
 七津さんに手招きされて、夢国さんに支えられながら観戦列の前の方に入れてもらった。先生はひとまず大丈夫だと判断したのか、入り口のところに立っていた。
「夢国さん、普通に歩けるから大丈夫だよ?」
「万に一が怖いんですの」
 ムスッと怒ったような顔をした夢国さんの手に力が入ったが、圧迫してはいけないと思ったのか、すぐに腕を掴む力が弱くなった。
 雪菜先輩たちの試合は激戦。お互いに一歩も譲らない点の取り合いが続いているようだった。
 クラスを応援する声と、雪菜先輩を応援する声。割合としては三対七といったところ。相手チームはアウェイで、雪菜先輩は個人的に応援されすぎて辛そうな顔をしていた。
 チームじゃなくて個人であんなに応援されたら、チームメイトから嫉妬とか反感買いそうだけれど、雪菜先輩の人望ならその心配はいらないのかな。
 大合唱のごとく響く応援に気圧されて、私はただ先輩たちの試合を観て祈ることしかできなかった。 
 そんな私の存在に気がついたのか、雪菜先輩と一瞬目があった気がした。
 先輩、今確かに笑って。
「命ぉ!」
 相手の攻撃を受けて反撃のターン。雪菜先輩の声に応えるように、命先輩はボールを高く。高く打ち上げた。
 雪菜先輩と相手のブロックが僅かにタイミングをずらして、ボール目掛けて飛び上がった。
(絶対決めてやる!)
 雪菜先輩渾身のスパイクはブロックを突破し、相手のコートにボールを叩きつけた。
 体育館全体が歓声で盛り上がる。
「よし! あと二点取るよ!」
 最高潮の熱気に包まれて試合は続いたが、雪菜先輩の攻撃で相手に逆に火がついてしまったのか、徐々に押され始め、先輩たちのチームは準優勝という形で終わった。


【翌日】
「おはようございます。あ、雪菜先輩も命先輩もいた」
 掃除の日ではなかったが、やや呆れ顔の命先輩と、項垂れてこちらに気が付かない雪菜先輩が生徒会室にいた。
「おはよ~、琉歌ちゃん。ねぇ、助けて~。ゆきなんったらさ、昨日からずっとこんな調子なんだよね」
「あああああああああ…………」
 もしかしたら眠っているだけかもしれないと思っていた雪菜先輩は、完全に心ここに在らず。かつて見たことのないレベルで放心状態だった。
 昨日の球技祭で負けちゃったこと、そんなにショックだったのかな。
「ゆきなん、球技祭で負けるのは初めてじゃないんだけどね~。最後だから引きずってんのか。それとも前回や前々回より、スポ根漫画みたいなこと考えて恥ずかしくなったのか。命ちゃんわかんな~い」
 そう言うと、命先輩はわざとらしく物音を立てながら私を抱きしめた。普段の雪菜先輩ならすぐに反応してくれるが、ピクリとも動かなかった。
「これは、本格的に重症だな。外面も保ててない」
 命先輩は私から離れると、腕組みをして難しい顔で考え始めた。
 三年生の心境。中学で最後の行事って思うと、ちょっと寂しい気もしたけれど、まだ先があるって思ってた。
 でも、高校から先にはもうない。学生らしい行事は三年生にはもう全部一回しかないんだ。
 私は鞄から小さな袋を取り出して、項垂れる雪菜先輩の横に置いた。
 甘い匂いに反応してくれたのか、先輩は僅かに顔を横に向けた。
「えっと、頑張った先輩へのご褒美、です」
 頼まれていたドライフルーツ入りのクッキー。優勝した時にって話だったけれど、あんなに一生懸命だったからいいよね。
「クッキー……。クッキー!?」
 この世の終わりを悟ったような声しか漏れ出ていなかった先輩は、かなり驚いたのか、椅子を弾き飛ばしながら立ち上がった。
「おはようございます。雪菜先輩」
「あぇ? あ。ふ、古町さん。おはよう。じゃなくて、いや、じゃなくないんだけど。クッキー、どうして」
「ですから、その。ご褒美、です。それに、すごいかっこよかったですよ、試合」
 改めてご褒美とか言うのすっごく恥ずかしい。なんか年上相手に大人ぶってるみたいで。
「ありがとう、古町さん」
 雪菜先輩は机の袋に視線を向けると、嬉しそうに笑って手に取った。
「ゆっきな~ん、一枚食べさせて~」
 元気を取り戻した雪菜先輩を見て、命先輩は飛びかかるように雪菜先輩に抱きついた。右手はさりげなく袋に伸ばされている。
「絶対にやらん! これは古町さんが私のために作ってくれたんだ」
 拒否されると、命先輩は珍しくあっさり手を引いた。
「うちはお願いしてないからしょうがないか。じゃ、教室に行ってるよ、ゆきなん。琉歌ちゃんまたね~」
 雪菜先輩が元気になったことで満足したのか、命先輩はそのまま退室し、二人残されてしまった。
 私も用事は済んだし、教室に行こうかな。夢国さんと七津さんも来てるだろうし。
「あの、古町さん」
 雪菜先輩の呼びかけに視線を向けると、先輩は髪を触りながら、頬を赤くしていた。
「クッキー、ありがとう。それでさ、お礼をしたいんだけど」
「え? いいですよ。そのクッキーが私からのお礼と謝罪みたいなものですから」
 ここでお礼を受け取っちゃったら、なんかエンドレスで終わらなくなる予感がする。それは先輩に申し訳ない。
「いや、でもーー」
「気にしないでください。感想をいただければ十分なので、それでは」
 話を続けていると押し負けてしまう気がして、私は逃げ出すように生徒会室を後にした。
(一緒にお出かけする言い訳。欲しかったんだけどな)
 この態度は失礼だったかな。素直に受け取るべきだったかな。いやでも、先輩からのお返し過剰そうで受け取るの申し訳なくなりそうなんだよね。
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