私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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十八話「偶然と幸運」

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「いやはや、全然進展しませんな。琉歌が日和ひよりんぼとはいえ」
 土曜日のお昼時。私は志穂ちゃんに現状報告と相談を兼ねて遊びに来ていた。
「うん。クッキーは渡せたし、前よりも近づけた気はするんだけど」
 恋人になれるような接近の仕方ができているかと言われれば、そんなことは全然ないんだよね。意識してもらえるように、頑張っているつもりではあるんだけれど。
 どうしても、踏み出さないと始まらない一歩を踏めていない気がする。
「こればっかりは琉歌の自主性頼りだし。助言もなんもないのよん」
 志穂ちゃんをベッドに寝転がると、壁を足で蹴り、仰向けで頭を落としたまま話した。
 いつもの志穂ちゃんなら、お節介って言葉が生温いぐらいの熱量でグイグイ提案してきてくれるのに、今回はおとなしいな。アドバイスらしいアドバイスも、夢国さんの件だったし。
 私の気持ちは、自分でどうにかしろってことかな。
「ま。なんか思いついたら即伝えるぜ」
 別に気を遣っておとなしいわけではなさそう。
 その後も雑談のような軽さで相談は続いたが、妙案が浮かぶわけでもなく難航した。
 買い物、映画、その他様々なレジャーは立場的に難しく、抱き付くのは既に慣れてしまっていそうと、隙がない。
「いっそ、キスショットーー」
「それは無理!」
 ヤケクソ気味の志穂ちゃんの提案に、つい声を荒げてしまった。
 私が初恋で、色恋沙汰にすごく疎いってのも大きいと思うけれど、なんかもう先生側に問題がある気がしてきた。
 意味不明な責任の擦り付けをしてしまうくらいには、脳が疲弊し始めていた。
「考え過ぎも毒だし、明日は息抜きでもしてくれば。夏休み前で焦る気持ちもわかっけどさーあ?」
 志穂ちゃんはポテチを口に放り込みながら、飽きてきたような疲れてきたような適当さで言った。
 息抜き? 最近すごく楽しいし。特に必要ない気がするんだけれど。
「一人ショッピング! 明確に外で一人の時間が足りないのだよ。私の直感信じて行ってこい!」
 そんなわけで翌日。私は一人、近くのショッピングモールまで来ていた。
 改めて振り返ると、こうやって特に目的のない外出をするのはすごい久しぶりかも。どうしよっかなー。服か、小物か。スイーツもペットショップもいいなあ。
 誰のことを考えることもなく。小難しい悩みを全て忘れて、気の赴くままに歩き出した。
 お店を見て休み、また見て休む。その繰り返し。
 誰もいないっていうのは寂しい気もするけれど、気楽なお買い物も楽しいかも。ちょっと心が軽くてスッキリしてる感じ。
 志穂ちゃんの助言に従ってみて正解だなー。
「あ、クレープだ」
 歩き続けて小腹が空き始めると、甘い匂いに誘われてしまった。
 せっかくの息抜きなんだし、クリームとフルーツ盛り盛りの一番高いやつにしちゃおうかな。
 気と一緒に、財布の紐も緩んでしまったようだ。
「溢れやすいので、気をつけて食べてください」
「ありがとうございます」
 近くの椅子に座り、クレープにかぶりついた。クリームの柔らかさと、蕩けそうなほどの甘さが口いっぱいに広がる。
 う~ん、美味しい! 志穂ちゃんはほぼ毎回これ食べてったっけ。リピートしたくなるのも納得だなぁ。重たいから一個でいいし、しばらく他のもの食べられる気しないけれど。
 満腹感に包まれ、そのまましばらく座って休むことにした。
 思った以上に、一人の気ままな買い物旅はリラックスできるかも。
 お出かけに満足していると、少し遠くに見覚えのある人影が見えた。
 黒いワイドパンツに白いシャツ。グレーの上着を羽織り、髪を首元で束ねている男性。ではなく女性。
「八戸波、先生」
 まさか、ね。たまたま一人でお出かけした先で先生に会えるとか、そんな偶然ないない。都合が良すぎるよ。他人の空似ってやつだよ、きっと。
 突然の事態に、なぜかひたすら最善の未来を執拗に否定している。しかし、そんな頭とは裏腹に体は正直だった。欠片ほどの迷いも見せることなく、先生らしき人の後を追う。
 仮に先生だったとして話しかける? それとも見ぬふり?
 先の展開を何も考えず動くが、絵面はストーカーそのものだろう。
 どう見たって犯罪者っぽい動きだよね、これ。警備員さんのお世話にならないように気をつけないと。これは、あれだよ。刑事の尾行だと思うようにしておこう。
 言葉だけ変えて後を追いかけると、ターゲットは店の中に入って。私に気づいている様子はない。
 ここ、私も来ようと思ってたペットショップだ。そういえば先生、猫型クッキーを食べるの忍びないって言ってたなぁ。水族館の時も楽しそうだったし、動物が好きなのかな。それとも既に飼ってたりして。
 見失わないように私も店内に入る。ターゲットは餌やおもちゃコーナーを完全にスルーして、犬猫のいるスペースで足を止めた。
 あの横顔は先生で間違いない。
 棚に隠れた至近距離の観察で確証を得た。偶然、幸運、運命。正直どれでもいいくらい私にとって都合が良く、突発的すぎて対応に困る状況でもある。
 先生の様子からして、飼ってるわけじゃなくて見に来てるっぽい。まあ、目的は別になんでもいいか。
 問題は。ここまで追いかけては来たけれど、話しかけるか気付かぬフリで終わらすか。逆に気づいてもらう選択肢、は先生が気を遣うだろうから絶対にない。
 受け身じゃダメ。幸運に恵まれているのに、それを掴みに行かないのは悪手だ。動かなきゃ始まらない。
 言い聞かせるように覚悟を決めて深呼吸。完全なプライベート中に接触するのは、これで二回目だ。
「や、八戸波先生」
 大きくはない声。それでもはっきりとした発音で呼びかける。先生はビクッとしながら振り向いた。
「古ま!? いもうーー」
 先生は焦った表情で言おうとした言葉を止めると、手で顔を覆ってブンブンと振った。
 こんなに焦ってる先生初めて見た。
「奇遇だな。休みに会うなんて」
 先ほどの取り乱しようが嘘かのように、先生はテンションで挨拶を仕切り直した。
「本当、偶然ですね。ははは」
 偶然なのは間違いないけれど、意図的に追いかけてきてるから、ちょっとだけ罪悪感。
 覚悟は決めた。話しかけることもできた。でもこっからどうしよう! 会う会わないの二択で迷いすぎて、その先のこと考えるの完全に忘れてた。
 行き当たりばったりなノープラン。恋は盲目の正しさを身をもって実感する。幾度めかの同じ失敗に計画性と学習能力のなさを痛感しながら、目に映る情報で会話を考える。
「猫ちゃん見てたんですか?」
「ああ、ロシアンブルーの子をな。面白い動きしてた上に、結構美形なんだ」
 先生は私がその子を見られるように、少しズレてくれた。
 そこにいたのは、さっきまでひとしきり暴れて満足したのか、クッションに顔を埋めてフミフミしている猫ちゃんだった。
 可愛い! まるで自分が可愛いことを自覚してるんじゃないかってくらいのあざとさがたまらない。でも、顔が見えないなぁ。
 少し残念に思っていると、突然スイッチを入れられたように、クッションから顔を出してキョロキョロし始めた。
「確かに、すごいイケメンですね」
「だろ? メンかどうかは、って。オスでいいのか」
 この子いいなあ。家族に迎えてあげたいけれど。基本家に居ないとはいえパパもママも猫アレルギーなんだよね。そもそも家に居ないことが良くないけれど。それにーー
 猫ちゃんのプロフィールを見る。そこそこのサイズの文字で書かれた詳細な内容の下に、デカデカと六桁後半の数字が書かれている。
 ーーこの額払うのは無理だなあ。バイトしても一年弱はかかる。でも、少しモフモフしたい。
「よろしければ、抱っこしてみませんか?」
 長い時間その猫ちゃんに釘付けだったからか、店員のお姉さんが声をかけてくれた。
「い、いいんですか? そしたら、はい。お願いします」
 迷うことなくお願いした。この瞬間の私の頭は、猫ちゃん一色で染まりきって先生のことを忘れていた。
 しっかりと手を消毒して、店員さんから猫ちゃんを受け取る。ゲージ内で暴れていたという子とは思えないほどおとなしい。
 怖がらせてしまっているのでは不安になったが、顔を見ると「?」と首を傾げていた。
「あー、首傾げてる。首傾げてますよ~。それに、ふわふわモフモフのサラサラで」
「わかったから押し付け。キャラが違いすぎるだろ。七津か」
 先生の適切なツッコミで我にかえる。直前の自分を思い出すと恥ずかしい。ただ、それでも猫ちゃんを見ると表情筋が緩むのは止められなかった。
「お兄さんもどうですか? 妹さんの後に」
 え? なんて? 妹さん?
 猫の一文字しか処理できていなかった私の脳が、店員さんの一言に強く反応した。生徒と先生ではなく、先輩後輩ではなく、親子でも恋人でもない。兄妹だと。
 まあ、生徒と先生ってうのは想像できないだろうし。親子にしては年齢が近すぎるし。恋人は間違えたときに気まずい。……実は一番現実的だったり?
 先生はうまく誤魔化す方法が思いつかないのか、首筋に手を当てて唸っている。
「せっかくだから、いいじゃないですか。お、お兄ちゃん」
 柄にもなくテンションが上がっていた私は、その状況につい悪ノリしてしまった。なんとなく、存在を意識させられる気がしたから。
 びっくりしてるかな。それとも怒ってるかな。
 期待半分不安半分で視線を上げると、先生は予想通りの困った顔をしていた。しかしーー
 先生。なんで寂しそうにしてるんだろう。
 ーー表情の中で瞳だけがとても寂しそうだった。その視線は私に向けられているようで、違うところに向けられているような。乾いた瞳。
「ま、せっかくだしな」
 先生は手を消毒すると、促されるまま猫ちゃんを受け取った。その時には詳細不明の寂しい瞳はなかった。
 先生の顔がすごい緩んでる。こんなに気が抜けてる先生は初めて見たかも。今日は初めてばかりだな。……さっきの反応のことは聞く勇気がないや。
 先生に対する気遣いなどではなく、この時間が崩れてしまうかもしれないという直感。そんな身勝手な理由で、私は目を瞑った。
「確かに、ずっと抱っこしてたり撫でたくなるな。無理なことだが」
 そういうと、先生は猫ちゃんを優しく店員さんに渡した。
 戻ったらすぐに暴れ出すんじゃないかと思っていたが、そんなことはなくこちらをじっと見つめている。
 私、というより先生のことを見て固まって。あ、前足でちょいちょい手招きしてる。すごい可愛い。
「お兄さん、気に入られちゃったみたいですね」
 店員さんは笑顔で先生にそう言った。理想的な家族に先生がなってくれると思ったのだろうか。
「俺も迎え入れはしたい。ただ、仕事で家を空けることが多いから厳しいな。適正な環境かと考えると、手が出ない」
 先生が先ほどの猫ちゃんを見ると、疲れてしまったのか完全に眠っていた。
「そうですか。残念ですけれど、仕方ないですね」
 店員さんはゲージの中の猫ちゃんを潤んだ瞳で見つめると「あの子の幸せを考えてくれてありがとうございます」と言った。
 その言葉を聞いた私と先生は店を後にした。
 あの店員さん、表裏のなさそうな優しくて誠実な人だったなぁ。あの子だけじゃなくて、他の子たちのこともしっかり考えている感じ。
「優しい店員さんでしたね」
 きっと、動物のことが大好きなんだろうな。
「そうだな。ただ、あの仕事が向いてるとは言い切れなさそうだったが」
「それって、どういう」
 抱いたのは同じ好印象。しかし、着地点は大きくズレた。
 趣味や嗜好、考え方が違うのはとても自然なことだけれど、今回の先生の意見は引っ掛かってしまった。ネガティブな意味での「否定」とがとても珍しかった。
「情が深すぎるって話だ。あの仕事はある程度わりきらないといけない側面がある。一匹一匹に入れ込みすぎると、駄目だった時に精神に大きな負担がかかる。本人が罪悪感で潰されないかどうかってだけだ」
 先生は最後に「悪いことって言ってるわけじゃない。優秀な店員さんだよ」と付け加えた。
 言い方が棘っぽいっていうか、良い印象を抱かないけれど。よするに先生はあの店員さんを心配してるってことだよね。
 なんだ。いつもと違って怖い先生になっちゃったのかと思っちゃったけれど、何も変わらない。私の大好きな優しい先生だ。
 口調が荒っぽいだけなことを再認識して安堵する。
「さて、俺は帰るかな」
「え!?」
 安堵したのも束の間。二人きりの時間が終了しようとしていた。現段階で思い出と呼べるほどのイベントがペットショップしかない。しかも、その思い出の主役は「私と先生」ではなく「猫ちゃん」だろう。
 ここで帰られてしまうのはだめだ。こんな宝くじ当たったみたいな幸運は早々巡ってこないだろうし、なんとか食いつかないと。
「どうした古町? 急に大声なんか出して。虫でもいたか?」
「いえ、その。せっかくなのでもう少し一緒に行動したいなぁ、なんて。何かご予定ありますか?」
「いや、暇だけど。休日に教師といるのもつまらんだろ」
 それはそれで面白そうなイベントな気がするけれど。でも、私が一緒にいたいのはあくまで八戸波先生。
「と、とにかく。私は先生と買い物とかしてみたいです」
 建前。言い訳。口八丁手八丁。理由づけを何も思いつかなかった私は、ストレートな言葉で伝えた。無理矢理でもこじつけられた水族館とは違った状況に覚悟を決めた。
 口走った感は否めないけれど、もう引き下がれない。
「ダメ、ですか?」
 先生は頭を掻きながら、どうしたものかと唸っている。当然の反応ではあるが、水族館の時より明らかに渋っている。私は聞いてもらえるように精一杯見つめて訴える。
 これ私の頭が沸騰する方が早いかも!
 クッキーを渡すときに夢国さんがしていた(と言うより自然とそうなった)ことを真似た諸刃の剣。恐ろしいくらいに私には不向きなようで、自滅しそうだ。
「はぁ。わかったから、そんなに睨むな」
「いいんですか?! 私、そんな目つき悪かったですかね?」
「反応が忙しいな」
 やったやった。自分でも疑問に思うくらい強引なやり方だったけれど、うまくいった。
 許可してもらえたことが嬉しすぎて、心の中がお祭りの如く騒いでいる。スタートからクライマックスの花火が上がりそうだ。
「俺のことはしゅうって呼べよ」
 八戸波先生の架空のお兄さん。というか男装した先生そのもの。先生ではないという意識で行動するのは、受験帰りのあの日以来だ。抱き寄せられたことを思い出すと、少し恥ずかしかった。
「はい、習さん」
 偽名とはいえ、先生ではなく名前呼び。水族館の時と違って、完全なプライベートだと言える。私の理想の光景。
 こうやって普通に隣で歩けるように、なりたいな。
 私の中だけで起こる恋人になれたかのような独りよがりな錯覚。その中でも、隣で揺れる左手を握る勇気は出せなかった。
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