私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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二十五話『夏の残滓と秋の香り』

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 夏休みも終わりを告げ、二学期が始まった。
 別れを拒むように、湿った暑さがまだ残っている。それを押し除けるように乾いた風が吹き去っていく。
 一週間と少ししか経っていないのに、夢国さんや七津さんに会えるのがとても久しぶりに感じる。季節の変わり目だからかな。
 猫ちゃんのキーホルダーを揺らしながら歩き、学校に到着した。
「おはようございます、先生」
 八戸波先生は少し眠そうにしながら、校門の前に立っていた。先ほどあくびをしていたのか、右手で口元を隠している。
「おはよう、古町。新学期早々元気そうだな。ため息まじりも結構いるってのに」
 長期休み明けの学校は憂鬱。私も小学校や中学校では同じことを考えていた。友達に会うのだって、別に学校でなくても問題ない。
「先生に会えますから」
 そのたった一つが、私の憂鬱な気分を全て塗り替えてくれる。
 いいい言っちゃった。すごい大胆に伝えちゃった。いや、伝えられた気がする。これなら志穂ちゃんだって文句言えないってくらいハッキリと。
 あくまで冷静に、平常に。波風一つ立てない笑顔を心がける。外見は取り繕えても、内面。心臓の鼓動は大きくはやく、血液は全身を激流のように激しく巡り。思考はオーバーヒート寸前だ。
「小都垣みたいなこと言いやがって。可愛くねぇな」
 先生は揶揄われたと思ったようで、少し怒ったような呆れたような声で言った。当然、私の真意であることは伝わらなかった。
 これで意識してくれるなら、苦労してないか。
 少し残念。しかし当然という思いを抱いていると、額を小突かれた。先生は片目を閉じて、僅かに口角を上げている。
「あんま教師を揶揄うんじゃねぇよ」
 ほんの僅かなトンっという衝撃。響くような痛みも、頭を撫でられて時のような熱もない。指先の柔らかい感触だけ。その感触を思い出すように、額をなぞった。
「そんな強く小突いてないぞ。早く教室行け」
「はーい」
 返事をして教室に向かう。ほんの少し速い足取りで着いた昇降口で、再度額をなぞる。熱は残っていないが、触れられた感触はしっかり残っている。
 今日はいいことがありそう。もうあったけれど。
 教室に行くと、すでに七津さんと夢国さんがきていた。向かい合って座り、七津さんがシャーペンを動かしているのが見える。
「おはよう。夢国さん、七津さん」
「おはようございます、古町さん」
「おはよ~。なんかご機嫌だね~?」
 普通にしてるつもりだったたけれど、顔に出てたかな。
「そうかな?」
 私は額をさすりながら誤魔化すように言った。誤魔化そうとすればするほど、逆に意識してしまう。
「七津さん。それ、もしかして課題?」
 完全に話題を切り替えようとすると、七津さんが苦い表情をした。図星だったらしい。机に置かれたプリントをよく見ると、見覚えのある問題が書いてあった。
「終わらせたと思ってたら、今日の朝見つけたそうですわ」
 油断してたら夏休みが終わったとかではないんだ。プリント一枚だけなら徹夜でやるもんね。
「英語だから不幸中の幸いだったよ~」
「私に頼るのが前提なのは、どうかと思いますわよ」
 同じ状況だったら、私も夢国さんのことを頼ったと思う。英語じゃなくても頼っていたかもしれない。学年一位の成績なのだから。
「私は力になれないけれど。……そうだ」
 私は鞄の中から小さな袋を二つ取り出した。中には赤と黄色のマカロンが入っている。
「課題が終わったら、あげるね。夢国さんには先に」
「あーちゃん。ここ教えて」
 七津さんは目を輝かせてやる気を出してくれたのかと思うと、気合の入った声で夢国さんを頼った。夢国さんもガクッと肩を落とした。
 全くわからないなら正しい判断、なのかな?
「マカロンはあーちゃんに食べさせてもらお~」
「ふざけてると教えませんわよ」
 そう言われると、七津さんはアタフタしながら謝っていた。
 朝のホームルームが始まる直前に、七津さんがうっかり忘れた課題は完了してことなきを得た。
 八戸波先生が入ってきてホームルームが始まる。
「夏休み明けで休みなし、結構なことだ。二学期ってことでこのあと始業式がある。大人しくしてれば長いのは校長の話くらいで済む。てことで椅子持って並べ」
 先生は適当に話をまとめると、先に廊下に出ていった。クラスのみんなもゾロゾロと出ていって、出席番号順に並ぶ。
 この間は少し気まずい。近い人と全く話したことがないわけではないが、会話を切り出せるような話題を持っていない。
 いや。静かにしないと行けないんだから、これでいい。うん。
 交流関係の狭さに言い訳しつつ、体育館へと向かった。
 体育館いついて待っていると、他学年他クラスの生徒も続々と集まり始業式が始まった。
 歌う機会少なすぎて、校歌覚えてないんだよね。
 うろ覚えの校歌斉唱。そして生徒会長、雪菜先輩の話。
 壇上に上がる雪菜先輩は、凛とした雰囲気で力強い瞳をしている。整った顔にメイクは施されていない。
 夏祭りの日にしっかりメイクしてる姿を見てるから、逆にノーメイクの綺麗さがわかる。やっぱり、軽めのメイクのが似合いそう。
「今日から、二学期が始まりますーー」
 雪菜先輩が壇上に上がってから、邪魔にならない程度のヒソヒソ声が少し聞こえてくる。
(やっぱり三条会長かっこいいよね)
(ほんと。メイクしてないはずなのに超キレイ)
 改めて、雪菜先輩が人気者であることを実感する。生徒代表の話を雪菜先輩はそつなくこなして、壇上から降りていった。
 その後もつつがなく始業式は進行していった。校長先生の話は珍しいことに短く、予定より早く閉式。各クラスそれぞれ教室へと戻っていった。
 教室に戻り、二時限目からは通常授業。はじめに夏休みの課題を提出し、新しい範囲を学んでいく。
 何事もなく昼休みになった。
「今日は生徒会室で食べない?」
 二人に誘われるより早く訊いてみた。
「構いませんが。どうかしましたの?」
 いつでも遊びに来ていいと許可はもらっているものの、当然の疑問。空調が壊れたあの日以来行っていない。
 雪菜先輩が疲れてそうだから元気づけに、っていうのは伝えてもいいのかな。
「先輩たちに挨拶したいし。マカロンもあるからさ」
 適当な理由をつけると、二人は納得してくれた。
 マカロンを作ってきたのは気まぐれでしかなかったんだけれど、役に立って良かった。残りは私と志穂ちゃんの分だけれど、また作ればいっか。ごめんね、志穂ちゃん。
 親友に心の中で謝りながら、生徒会室に向かった。
「失礼します」
 扉を開けると。雪菜先輩、命先輩。そしてなぜか八戸波先生がいた。先輩たちと話していたみたいだが、真面目な話をしていたわけではなさそうだ。
「どうして、八戸波先生がこちらに?」
 私が疑問を口にするより早く、夢国さんが尋ねた。
「何。ちょっと、生徒会長様を労いにな」
 そういうと、八戸波先生は机に置かれていたココアの缶を小突いた。口ぶりからして、雪菜先輩への差し入れなのだろう。
 先生も雪菜先輩のことを知ってるから、心配になったのかな。
「立ってないでこっちおいでよ~」
 要件を尋ねることもなく、命先輩は私の手を引っ張って中に入れた。そのまま椅子に座らされ、軽めのハグをされーー
「きてくれてありがとう」
ーーと、耳打ちされた。
「俺は戻るから。お前らも時間だけは見とけよ」
 そういうと八戸波先生は出ていってしまった。
 本当は引き止めたいけれど。先生がお昼ご飯を食べる時間をとってしまうし、授業の準備とかもあるから仕方ない。
「いいの~? 古町さん」
 七津さんは両の袖で口元を隠しながら、心配そうに訊いてきた。
「うん。先生も忙しいと思うから」
 八戸波先生を見送って、そのまま昼食をとった。先生のことを少し残念に思っていると、雪菜先輩がお弁当を見せてくれた。その中には、以前にも見た卵焼きが入っている。
「前は一方的にもらっちゃったから。お返し」
 雪菜先輩は卵焼きを一つお箸で取ると、私に差し出した。食べさせるという行為が照れ臭いのか、雪菜先輩の耳が少し赤くなっている。
 照れられてしまうと、私も少し恥ずかしくなる。でも、味は気になるし、せっかくだからいただこうかな。
「いただきます」
 一言断りを入れて、雪菜先輩の卵焼きをいただいた。しっとりと柔らかく、甘い味が口の中に広がる。お菓子と言えるほどは甘くないが、食事としては十分に甘い。絶妙なライン。
 やっぱり、先輩の家の卵焼きは甘い系かぁ。
「とっても美味しいです」
 正直な感想を伝えると、雪菜先輩はとても嬉しそうに笑った。
 自分が美味しいって思ってるものに共感してもらえると、嬉しくなるの、わかるなぁ。私は自分で作ったものだから尚更。
「これ、先輩に」
 私はポケットからマカロンの入った袋を取り出し、雪菜先輩に手渡す。先輩は笑顔で受け取ってくれた。それを見つめる瞳は、壇上で見た力強いものではなく、年相応の可愛い瞳だった。
「雪菜先輩。もしかしたら今日疲れてるかもって。命先輩の分もあるんですけれど」
 もとは自分用。なんて言ったら、雪菜先輩は受け取ってくれないだろうと、私は嘘を吐いた。
「ありがとう、古町さん。私、マカロン好きなんだ。ちょっと高いから、あまり買えないんだけど」
 そう言ってはにかむ雪菜先輩。かと思うと、自然な表情から取り繕った笑顔になって、私から体を背けた。瞳の奥に不安が映る。
「二年と半年務めた生徒会長も、終わる。ヤエちゃん先生、柄にもなく私のこと労いにきてくれたんだ」
 私を視界にとらえず、不安を隠しきれない表情。不安を隠せない声で雪菜先輩は話し始めた。
「でも。本当に終わるのかな。私は、私になれるのかな」
 三条雪菜生徒会長という、高校での共通認識。働き者で、優しくて、気さくで、平等で、。誰からでも好かれるような人物像。そのしがらみは、雪菜先輩の本音を隠してしまう。
 きっと、会長じゃなくなっても、イメージが変わることはない。
 私は言葉より先に気づいて欲しくて、私を見ていない雪菜先輩の肩によりかかった。
「頼ってくれますか?」
 そう言って雪菜先輩に視線を向けると、先輩は私のことを見てくれた。
「疲れたら。いえ、疲れてなくても。頼りたくなったら」
 これまでのイメージは簡単には消えないだろうし、雪菜先輩もそれを崩すような行動は怖くてできないと思う。だからせめてーー
「私はを知っています」
ーー心の拠り所くらいは。
「八戸波先生も命先輩も。夢国さんや七津さんも。雪菜先輩を見ています」
 雪菜先輩の瞳から、不安が薄まった。空いた場所に、今は私が映っている。
 安心した私は雪菜先輩から体を離し、固まって何かを熱心に見ている三人に話しかけた。一人じゃないと気づいて欲しくて。
「何見てるの? 夢国さん」
「夏祭りの三条先輩を。メイクの参考にしようと思いまして」
「なっ!?」
 それを聞いた雪菜先輩は顔を真っ赤にしてソワソワし始めた。夢国さんが手に持っているのは、命先輩のスマホだ。遠目だが、雪菜先輩の顔がアップで写っているのが見える。
「ね? ちゃんと見てますよ?」
 雪菜先輩は「それは違う」と言いたげに可愛い声で唸ると、椅子を弾き飛ばして三人の元に走った。それに気づいた命先輩は、嬉しそうに笑いながらスマホを回収した。
「こら命! 思い出の写真はともかく。ソロ写真は消すように言っただろ!」
「これも思い出だからセーフです~」
 いつか。何も気にしないで、こんなふうに雪菜先輩が振る舞える日が訪れますように。先輩二人の思い出の一幕を見ながらそんなことも思った。
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