私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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三十六話『寒風とぬくもり』

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 週明けの月曜日。日に日に冷たく乾いていく風を制服越しに感じながら、落ち葉に塗れた道を歩く。まだ平気だろうと、耳当てを持ってこなかったことを少し後悔した。
「おはようございます、先生」
「おはよう、古町。今日も寒いな」
 校門の前に立つ八戸波先生は、コートを羽織って、両の手をポケットの中に突っ込んでいた。教師としては似つかわしくない行動かもしれないが、寒いのだから仕方がない。むしろ、同じ人なんだと近くに感じられて嬉しかった。
 平静を装っていつものように挨拶したが、今日は普段以上に心臓がバクバクしていた。不意に伝えた気持ちのせいで、八戸波先生がよそよそしくなってしまったらどうしようかと。幸い、先生に変わった様子はなかった。
 一切意識されてないのも、それはそれで傷つくのだけれど。
「耳真っ赤だぞ。さっさと教室で暖かくしとけ」
「はーい。先生も風邪とか気をつけてくださいね」
「俺は中学の頃から風邪をひいてねぇよ」
 どこか得意げな八戸波先生に一礼して、私は昇降口に向かった。八戸波先生が言っていた真っ赤な耳に触れると、ピタリとした冷たさと鈍い痛みが一瞬走る。耳当ての重要さを知るとともに、付けてこなくてよかったと思った。
 付けていたら、先生の声がハッキリと聴こえないもんね。
 靴を履き替えて教室に向かおうと階段を上がる。三階まできたところで、私は上に向かう階段を無視して別棟に進路を変えた。行き先は生徒会室。七津さんの家にお泊まりした日、目覚めた雪菜先輩は私に謝り倒したかと思うと、身なりを整えて朝食を食べることなく帰ってしまった。それから連絡も取れていない。
 雪菜先輩は私に抱きついて寝てしまったのを気にしていたけれど、そんなに変なことかな。志穂ちゃんがお泊まりしにきた時は、いつもあんな風に寝ているのに。
 音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと生徒会室の扉を開けて隙間から中を確認する。
 もしも雪菜先輩が普通に登校しているなら、今日は掃除のために来ているはず。
 中を確認すると、確かに人の姿があった。しかし、限定された視界からだと肩から上があまり見えなかった。体勢からして、何かに寄りかかっているように見える。足元を注意して見ると、雪菜先輩(?)の足の近くに別の足があった。
 あれは、命先輩の足、かな。とりあえず中にはいそうだし、せっかく来たんだから挨拶くらいしていこう。
「おはようございます、雪菜先ぱ……」
「だから~。これくらい普通だって~、控えめすぎんのゆきなんは~」
 生徒会室に一歩踏み込むと、雪菜先輩と命先輩の姿をしっかりと確認できた。しかし、同時にやってしまったと思った。雪菜先輩が命先輩に抱きしめられていた。顔を胸の近くに埋めさせ、少し顔を持ち上げるだけで、額に唇が触れてしまいそうだ。
 志穂ちゃんとか、夢国さんと七津さんのやりとりで慣れているつもりだったけれど。先輩たちのは少し大人っぽいというか、触れちゃいけないというか。邪魔しちゃいけないというか。……見なかったことにしよう。
「あ、琉歌ちゃんおはよ~」
「……!?」
 コッソリ立ち去ろうとすると、命先輩に気づかれてしまった。雪菜先輩も驚いて私の方を振り向いた。あまりの気まずさに苦笑いしかできない。雪菜先輩は日曜日の朝目覚めた時以上に慌てている。何か手振り身振りで説明しようとしているのはわかるのだが、言葉が言葉として繋がらず、破損したカセットテープが再生されているみたいだ。
「えっと。授業には遅れないように気をつけてくださいね?」
 扉を閉めて立ち去ろうとすると、逆に扉は勢いよく開かれた。あまりの衝撃で、扉が壁に当たってバウンドしてガタタンと大きな音を立てた。らしくもなく乱暴に扉を開けた雪菜先輩は、侵入を阻むように大の字で立ち荒い呼吸で耳まで真っ赤にしている。
「お、女の子同士なら普通だって命が言うから。それでくっついていただけで……」
 必死に言い訳しようとしているが、雪菜先輩は言葉を続けられなかった。私から目を背けてやましいことがあるようにも見えるが。恐らく、今口にしたこと以上の内容がないから何も言えないのだろう。
 私も慌てて変なこと言ってしまったけれど。つまり、そういう関係ではないんだよね。
「ごめんね~? 琉歌ちゃん」
 膠着状態になっていると、大の字の腕と足の隙間から命先輩が顔を出し、雪菜先輩の腰に手を回した。
「なんかね、琉歌ちゃんをギュッとして寝てたのが超恥ずかったらしくて~。うちで状況再現してたの~」
 雪菜先輩は全力で肯定するように首を縦に何回も振った。
「寝る時はぬいぬい抱きしめてるくせにね~」
 命先輩はポロッと、雪菜先輩が隠して起きたそうなこと口にすると、ヘッドロックを仕掛けられてバタバタしていた。
「普通だと思いますよ? 志穂ちゃんとか七津さんも、ぬいぐるみを抱いて寝るそうなので」
 知り合いにも同じ行動をする人がいることが意外だったのか、雪菜先輩はポゥっとした。ヘッドロックの力も弱まったようで、脱出した命先輩は、おんぶをせがむ子供のように雪菜先輩に体重をかけた。重たいのか鬱陶しいのか、剥がそうとしても、命先輩が振り払われる兆候は見えない。
「それでは、私は教室に戻りますね。連絡が取れなくて心配だっただけなので。元気そうで安心しました」
「う、うん。ごめんね引き止めて」
「いえ。気にしないでください」
 笑顔で別れの挨拶をし、会釈してから歩き出そうとすると、制服の裾が弱い力で引っ張られていることに気がついて足を止めた。振り向くと、雪菜先輩が不安そうな顔で言葉を何度も飲み込んでいた。
 見かねた命先輩は、雪菜先輩から一度離れて背中をポンポンと押した。
「起きた時、さ。嫌じゃなかった? 怖く、なかった?」
「むしろ、安心して眠れていた気がします」
 素直な気持ちを伝えると、雪菜先輩は「そっか」と、安心した様子で小さく言って笑った。私も笑顔でその場を去ろうとすると、命先輩が手を振っているのに気がつき、手を振り返して教室に向かった。
「二人ともおはよう」
「おはようございます、古町さん」
「おはよ~。今日は一段と寒いね~」
 七津さんは夢国さんを膝の上に乗せ、湯たんぽ代わりに抱きしめながらブルブル震えていた。抱きしめられている夢国さんは、缶のお汁粉を二つ、七津さんの頬にくっつけている。
 まだ秋なんだけれど。心配になるくらい寒さへの耐性がない。
「夏の元気が嘘みたい」
「理屈は同じなので、十二月には元気だと思いますわ。昨今は異常気象なので、絶対とは言えませんが」
 見ていて心配になるレベルだったので、私が着てきたコートを七津さんのコートの上からさらに被せてあげた。
「ありがと~。でも、古町さんも耳真っ赤だよ?」
「七津さんのが寒そうだから。それに、風邪引いたら夢国さん泣いちゃうよ?」
「泣きませんわよ。……心配はしますけれど」
 照れ隠しだけでは誤解を招くと思ったのか、夢国さんは本音を付け加えた。小声ではあったが、しっかりと七津さんの耳に届いて嬉しそうに強く抱きしめていた。嬉しくても寒いのは寒いようで、ブルブル震えていた。
「お前ら、席に着けー。どうした、七津。風邪か?」
「引かないための重装備で~す」
「そうか。じゃあ、ホームルーム始めるぞ」
 七津さんが体調不良でないことを確認した八戸波先生は、そのままホームルームを始めた。
「ほら、七津」
 ホームルームが終わると、八戸波先生はポケットからカイロを一つ取り出して七津さんに向けて投げた。夢国さんで暖まるのに精一杯で両手が塞がっている七津さんの代わりに、夢国さんがキャッチした。
「あっつ!」
「俺秘蔵の溶岩カイロだ。ポケットに仕込んでおけば、一日熱いぞ」
 既製品を渡した先生は、誇らしげだ。先ほどまでカイロが入っていたポケットの中が暖かいのか、また手を突っ込んでいた。
「ポカポカ~。ありがと~、先生~」
 夢国さんは受け取ったカイロを自分の背中と七津さんのお腹で挟んだ。体の中心から暖まっていっているようで、七津さんのブルブルが少し改善された。
 先生の使ってたカイロ。羨ましいな。
 カイロが挟まっているであろう二人の体の中心をジッと見てしまった。「それが欲しい」なんて酷い我儘を口にできるわけがなく、ただ見ていると、熱の籠った指が私の耳に触れた。
「悪いな。今日はカイロを一つしか持ってきてないんだ」
 触れた指を確かめるように視線を上げると、その熱が離れていった。しかし、先ほどポケットに仕舞われていた八戸波先生の手が外に出ていた。
「せめて切らないように気をつけろよ」
 そう言って先生は、また手をポケットにしまうと教務員室に戻ってしまった。触れられた耳は破裂しそうなほどに熱く、血がギュルギュルと巡っているかのようにジンジンと収縮するような感覚が走る。
 また触れてもらえるなら、耳当て、もういらないかも。だって、ずっとずっと暖かい。
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