僕の愛した先生

荒北蜜柑

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 横たわる貴方の身体から、赤黒く、ドロドロとした液体が床にじわじわと広がっていく。
 貴方の息遣いが私の耳に届くわ。とっても苦しそうな、途切れ途切れの呼吸。
 自分で自分の身体を傷つけて…怖かったでしょ?とても痛いでしょ?
 あぁ、でも、今の貴方の顔には恐怖の色なんて1つも見えないのね。私に想いを伝えられて、もう思い残すことはない、という感じなのかしら。
 貴方は賢い子だと思っていたのだけれど、そうでもなかったのね。でも、恋は盲目、という言葉があるから貴方はもしかしたら、盲目だったのかもしれないわね。
 貴方の身体から流れ出る血と、貴方が切り落とした指の切断面から流れ出る私の血を見比べるたび、それが距離を縮めて混ざり合おうと踠いていて、身体がゾクゾクと震えたわ。


「先生」

「…あら?早かったのね」

 貴方を見つめ過ぎて気付かなかった、私の邪魔者。
 貴方の唯一のお友だち。
 お友だちは、無言で私の縄をナイフで切り、解放した。指の止血をしようとしてきたので、伸びてきた手を叩き、拒否をした。
 私は、お友だちを無視し、貴方の顔を覗き込んでみる。貴方は、意識を今にも手放しそうな苦痛の表情。

 可哀想な子。自分が兄弟から、お友だちからどれだけ愛されていたか知らず、私なんかを好きになってしまって。兄弟のためとは取り繕っても、結局、私なんかのためにご両親を殺した愚かな子。あぁ、なんて、なんて






可愛い子。





 思わず笑みが零れてしまって、貴方は驚いた顔で私を見ているわ。
 そうよね、そうよね、そうよね!こんな貴方は出血多量で今にも気絶してしまいそうで、死にそうで、私も指から血を垂れ流しているこの状況で!でもね、仕方がないの。興奮が冷めないの。だって、だって今日は!貴方と私がやっと結ばれる大切な日なのよ?喜ばずにはいられないじゃない。
 私は貴方の血沼の真上に私の切られた方の手をもっていき、貴方の血と私の血が混ざり合う瞬間を見届ける。
 貴方の血は、私の血が落ちてくるたびに波紋を作り、量を増していく。
 あぁ、なんて幸せなのでしょう。ずっとこの瞬間を眺めていたい。そう思っていたのに

「先生」

「…何?」

「…早く行かないと、死んでしまいます、そうなったら契約違反ですし、先生も困るんじゃないですか」

 貴方と私の至福の時間を邪魔する人間。貴方を大事に思うのは、私だけじゃないの。なんて憎らしいのかしらね。
 お友だちは、貴方を救う代わりに、今回だけは、私の協力者でいてくれるそうよ。
 気づいたら貴方は、お友だちが何を言っているか分からないという顔でお友だちを見ていた。腹立たしい。
 あぁ、これが嫉妬というものなのね。
 でも、まぁ、早くしないと貴方が死んでしまうのは確かよね。私の指も…勿体無い…勿体無いわ。貴方が私に初めて付けてくれた傷を塞いでしまうなんて。でも、仕方のないことなのよね?貴方と私が正常で生きるためには。
 …正常で生きるのは、もう無理なのだろうけど。

 貴方の身体に触れて、抱き寄せて、抱えあげて。
 
「そんなに震えなくても大丈夫、これからはずっと一緒よ?」

 貴方の唇が震えて、何か言おうとしているのが分かる。けれど、意識が途切れてしまう方が先で、貴方はゆっくりと瞼を閉じた。
 身体に温もりはあるし、心臓も弱々しくはあるけれど、動いている。
 愛しい愛しい貴方。
 大丈夫、私が救ってあげる。良い医者を知っているの。傷も直ぐに治るわ。
 貴方は上手くやったつもりでいるのでしょうけど、アラはやっぱり出てくるものよね。それも全て私が隠してあげる。
 貴方は私無しでは生きられないの。生きられないように私が仕向けて。
 そうしたら私なんかのために貴方は、殺人を犯して。

 可哀想な、可哀想な子。愛されていることを知っていればこんなことにはならなかったのかもしれないわね。
 お兄さんたちを巻き込んで…お友だちを巻き込んでしまう結果にならなかったかもしれないわね。
 貴方に気持ちが伝わらなかったお兄さんたちも、お友だちも、可哀想。憎らしいけど、その分可哀想。そして、その分貴方は酷い人。

 そんな貴方を、私は、貴方をあの日、初めて見た時から好きで好きで堪らなかった。

       「理解することに努めなさい」

 貴方の理解と私の理解。合わさって初めて、貴方と私は完成するのだと思うの。現に、貴方は私の言葉を守ってきた。私を好きで好きで堪らなくて、
「理解することに努めてきた」のでしょう?

 ごめんなさい。こんなに歪んでいて。それでも、貴方を手放す気は、無いの。



 私の呟いた言葉は、私の全てを歪ませる。














「愛してる」

 その時の私の顔も、貴方の顔も。



  私だけが知っていれば良い。
 
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