紅葉かつ散る

月並

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十、怒り

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 昨日寺子屋へ通ったのだから今日はいいだろう、という持論をぶら下げ、家の書庫でのんびりと時間をつぶしていた。
 本を取り出して読んでは仕舞い、また取り出して読んでは仕舞い、を繰り返す。

 53冊目の本を取り出したところで、私を呼ぶ声が聞こえた。大急ぎで、お兄ちゃんのもとへ向かう。
 お兄ちゃんは玄関にいた。辿り着くと、丁度小林君が履物を揃えているところだった。

「えっ、なんで」

 思わず目を丸くした。

「おじゃまします、田辺さん」

 小林君はにこりと笑った。慌てて視線を逸らす。

「昨日寺子屋に本を忘れたそうじゃありませんか。小林君はそれを届けにきてくれたのですよ」

 そういえば昨日、本を受け取るのを忘れていた。
 お兄ちゃんは、小林君を座敷へ上げる。私もしぶしぶお兄ちゃんに続く。

「新菜、棚に饅頭があります。お茶と一緒に持ってきなさい」

 「はい」と返事をして、急いで台所へ向かった。
 お茶を火にかけ、棚のお饅頭を取り出す。お茶が沸いたところで湯のみに注ぐ。お饅頭と一緒にお盆に乗せて、お兄ちゃんと小林君の元へ向かう。
 私が静かにお茶とお饅頭を置くと、小林君は「ありがとう」と言った。

 しばらく、お兄ちゃんと小林君は他愛もない話を続けていた。寺子屋のこと、江戸の町のこと、私のこと。
 私はといえば、気配を殺そうと努めていた。
 そんな私に、お兄ちゃんが声を掛ける。

「さて、私はこの辺でお暇しましょうかね。級友同士、水入らずお話してくださいね」

 私は口をぱくぱくさせた。お兄ちゃんを引き留めたいのに、上手く言葉が出ない。
 そうこうしているうちに、お兄ちゃんは部屋から出て行ってしまった。

 部屋には、私と小林君2人。しんと静まりかえっている。

「本、どうぞ」

 本が差し出された。細々とした声でお礼を言った。声が上手く出なかった。顔が熱くなっていく。ここから逃げ出したい衝動に駆られた。

「李賀も読むんだね。僕も読んだよ」

 私は手元の本に視線を落とした。本には「李賀」と書かれている。中国の詩人の詩集だ。
 好きというわけではなく、ただ書庫にあったから手に取っただけだ。

「李賀の詩には、妖怪がたくさん出てくるでしょ? 龍とか、蛟とか、鬼とか、妖怪のような魚とか。それだけじゃなくって、中国の伝説も詩に盛り込んでいたりして。僕、そういうの、好きなんだ」

 嬉々とした声色で、小林君は語る。声色と知識量で、彼がそういうものを本当に好きなんだということが分かる。
 胸の中に、モヤモヤとしたものが溜まってくる。
 知らないくせに。見たことないくせに。会ったことないくせに。鬼だなんて

「言われたこと、ないくせに」
「田辺さん?」

 小林君が、目をぱちくりとさせて私の顔を覗き込もうとした。
 近づいてきた小林君の肩を突き飛ばす。その肩は、はっとするほどに軽かった。

 小林君は倒れた。ごほごほと苦しそうに咳込み始めた。
 どうすればいいのか分からない。焦りで、頭が真っ白になる。

 音に驚いたのか、お兄ちゃんが部屋に駆け込んできた。小林君の様子を見て、目の色を変える。

「医者に連れて行きます。新菜はここで待っていなさい」

 私は頷くしかなかった。
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