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十六、紅
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山を下りて、すぐにお医者さんに小林君を診てもらった。
熱は出ているものの、安静にしていれば良くなるとのことだった。
江戸へは、小林君が回復してから帰ることにした。その間は、お兄ちゃんが元々住んでいた家に厄介になることになった。
お医者さんから処方された薬と、水をお盆に乗せて、廊下を歩く。すれ違った使用人が、私を見て顔をしかめる。
「新一郎様の頼みだから入れてあげているけれど、鬼なんて、普通家に入れるものじゃないわよねぇ」
私に向けた悪口を、聞えよがしに言ってくる。でも私は気にならなかった。
小林君が休んでいる部屋のふすまを、そっと開ける。
起きていたのか、小林君はしょんぼりとした顔をこちらに向けた。
「ごめんね田辺さん。僕のせいで、嫌な思いさせてるよね」
「気にしないで。それよりも、帰ったら一緒に小林君のお母さんに謝りに行こうね」
「田辺さんは謝らなくても……」
「申し訳なく思うなら、次からは嘘、吐かないでね」
フフンと笑って見せると、小林君は目を丸くした。そしてクスクスと笑う。
「田辺さん、そんな顔できるんだね。そっちの方がいいよ」
「そ、そうかな」
なぜか急に体が火照る。でも嫌な感じはしない。
「僕は田辺さんの髪、きれいだと思うけどな。夕焼けの色と同じで」
そんなことを言われたのは初めてだった。ドキドキする。嬉しい。
「ありがとう、小林君」
きっと今の私は、目の前の小林君と同じように赤い顔をして、それでも笑っているのだろう。
▽
赤や茶色の草木を掻き分けて掻き分けていくと、大きく開けた所に出る。
そこにあるのは、ぼろぼろの神社。ずいぶん前から誰もこないせいで、こうなってしまったらしい。
神社につづく石の階段も、木の葉と土に埋もれてしまっている。
その横に、木でできた小さな家が、かつてあった。私としろちゃんの家だった。
その家の前で、白い刀を使って丸太を切っていたしろちゃんの姿が、ぼんやりと思い出される。
「しろちゃん。私、明日、帰ることになったよ。小林君の体調が良くなったから。多分、私は、もうここに来ることはないと思う。だから、言いたいこと、今全部言っちゃうね」
返事はない。でもどこかで聞いていると思って、私は言葉を紡ぐ。
「私を拾ってくれて、育ててくれて、ありがとう。しろちゃんは、殺しておけばよかったって言ったけど、あれが嘘だって、分かってるよ。何年、一緒に暮らしたと思ってるの」
しろちゃんは嘘を吐くとき、相手の目をじっと見る癖があった。しろちゃん自身は、気付いているのだろうか。
「最後にひとつだけ、我が儘言っていいなら、しろちゃん、私のこと、覚えておいて。名前だけでもいいから。しろちゃんがつけてくれたやつ、あるでしょ? そしたら私は、しろちゃんと一緒に、何年でも何百年でも、一緒に生きられる」
しろちゃんがつけてくれた名前は、あまりにも大事すぎて、誰にも知られたくなかった。だから、今の名前にそっと隠した。
これだけは、小林君にもお兄ちゃんにも教えない。しろちゃんと、ふたりだけの宝物。
紅葉がひとひら、目の前に落ちてきた。鮮やかな紅色に染まるそれを手に取ると、袖に仕舞う。
そして私は背を向けて歩き出した。しろちゃんとの思い出の場所から、小林君のいる場所へ。
「達者でな、紅」
しろちゃんの声が聞こえた気がした。私は振り向かず、山を下って行った。
熱は出ているものの、安静にしていれば良くなるとのことだった。
江戸へは、小林君が回復してから帰ることにした。その間は、お兄ちゃんが元々住んでいた家に厄介になることになった。
お医者さんから処方された薬と、水をお盆に乗せて、廊下を歩く。すれ違った使用人が、私を見て顔をしかめる。
「新一郎様の頼みだから入れてあげているけれど、鬼なんて、普通家に入れるものじゃないわよねぇ」
私に向けた悪口を、聞えよがしに言ってくる。でも私は気にならなかった。
小林君が休んでいる部屋のふすまを、そっと開ける。
起きていたのか、小林君はしょんぼりとした顔をこちらに向けた。
「ごめんね田辺さん。僕のせいで、嫌な思いさせてるよね」
「気にしないで。それよりも、帰ったら一緒に小林君のお母さんに謝りに行こうね」
「田辺さんは謝らなくても……」
「申し訳なく思うなら、次からは嘘、吐かないでね」
フフンと笑って見せると、小林君は目を丸くした。そしてクスクスと笑う。
「田辺さん、そんな顔できるんだね。そっちの方がいいよ」
「そ、そうかな」
なぜか急に体が火照る。でも嫌な感じはしない。
「僕は田辺さんの髪、きれいだと思うけどな。夕焼けの色と同じで」
そんなことを言われたのは初めてだった。ドキドキする。嬉しい。
「ありがとう、小林君」
きっと今の私は、目の前の小林君と同じように赤い顔をして、それでも笑っているのだろう。
▽
赤や茶色の草木を掻き分けて掻き分けていくと、大きく開けた所に出る。
そこにあるのは、ぼろぼろの神社。ずいぶん前から誰もこないせいで、こうなってしまったらしい。
神社につづく石の階段も、木の葉と土に埋もれてしまっている。
その横に、木でできた小さな家が、かつてあった。私としろちゃんの家だった。
その家の前で、白い刀を使って丸太を切っていたしろちゃんの姿が、ぼんやりと思い出される。
「しろちゃん。私、明日、帰ることになったよ。小林君の体調が良くなったから。多分、私は、もうここに来ることはないと思う。だから、言いたいこと、今全部言っちゃうね」
返事はない。でもどこかで聞いていると思って、私は言葉を紡ぐ。
「私を拾ってくれて、育ててくれて、ありがとう。しろちゃんは、殺しておけばよかったって言ったけど、あれが嘘だって、分かってるよ。何年、一緒に暮らしたと思ってるの」
しろちゃんは嘘を吐くとき、相手の目をじっと見る癖があった。しろちゃん自身は、気付いているのだろうか。
「最後にひとつだけ、我が儘言っていいなら、しろちゃん、私のこと、覚えておいて。名前だけでもいいから。しろちゃんがつけてくれたやつ、あるでしょ? そしたら私は、しろちゃんと一緒に、何年でも何百年でも、一緒に生きられる」
しろちゃんがつけてくれた名前は、あまりにも大事すぎて、誰にも知られたくなかった。だから、今の名前にそっと隠した。
これだけは、小林君にもお兄ちゃんにも教えない。しろちゃんと、ふたりだけの宝物。
紅葉がひとひら、目の前に落ちてきた。鮮やかな紅色に染まるそれを手に取ると、袖に仕舞う。
そして私は背を向けて歩き出した。しろちゃんとの思い出の場所から、小林君のいる場所へ。
「達者でな、紅」
しろちゃんの声が聞こえた気がした。私は振り向かず、山を下って行った。
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