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2巻
2-3
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「メチャクチャ高純度の水晶ね。これ、原型をなくすくらい砕いて宝石商に売りつければ一財産築けるわ。これを高値で買った貴族貴婦人どもが、もとがアレだと気付かずドヤ顔で着飾る様を想像するだけで、特大バゲットが粋で三本はイケるわね!」
発想が鬼畜である。
ちょっとナイわーと言われそうなことを溌剌と宣うナディを見て、レオノールとヴァレリーは――
「見栄全開で高級宝飾を買い漁る貴族から合法的に金銭を得る。ロクデナシの優越感を踏みにじる庶民の味方。さすおね」
「ああ、それは痛快だね。中身じゃなくて、見てくればかりを飾る誇り高そうなバカどもにはお似合いだ。よし、絶対に売り飛ばそう」
ものすごくいい笑顔で全肯定した。元親子で元夫婦なだけあって、息がピッタリだ。
そうして、無数に転がっているクォーツ・ローチをナディは笑いながら二刀の小太刀で切り刻んでいく。
「ああ、イイわー。水晶をゼリーみたいに簡単に切り刻める『凍花』と『灼花』はやっぱりイイわー。それに、ちょうどいい鍛錬になる」
ちょっと危ない感じで悦に入るナディ。
「久し振りの愛剣だし、ボクも勘を取り戻さないとね。……うん。この感覚、とてもいいよ」
ヴァレリーも手伝い、無数に出した影の刃でゴキブリをいろいろな大きさにカッティングした。
ちなみに、このゴキは中身も外身も全部水晶でできているため、余すところなく素材として使える。
どうやってカサカサしていたのだろうとか、精神衛生的によろしくない絵面を考えてはいけない。
「ナディ、もっと『イイわー』って言って。できれば吐息と一緒に囁くように」
「ちょっと止めてよ変態!」
少々危ない発言をして、ナディにやっぱり却下されていた。
しかし、ナディに冷たくされるのは嫌いじゃない、少々アレな趣味のヴァレリーだった。
そうした作業を終えて、戦利品のクォーツ・ローチの素材を残らず回収し、三人は一休みする。
その場で竈を作って軽食をとり、腹拵えをしてからさらに先へ進んだ。
なお、メニューは焼いたロブスターにホワイトソースを和え、千切りした葉物野菜を敷き詰めたパンに挟んだサンドイッチである。アクセントとして、パンにマスタードを塗っておくのがポイントだ。
余談だが、ナディとレオノールが苦手とする焼きカニ味噌と焼きエビ味噌をヴァレリーに食べさせようとしたところ、分かりやすくいやぁな顔をされた。やはり家族は食の好みも似るのだろう。
そしてさらに歩くこと二時間。三人はついに草原の果てに辿り着いた。
地面が途切れ、そこから下は切り立った断崖になっている。雲海が広がっており、地上を見通すことさえできない。高所が苦手な方々は、ちょっと吐きかねないような景観であった。
だが、これは予想の範囲内。高所程度では心が折れない三人である。
ただ、体力が尽きていたレオノールはもちろん、迷宮での戦闘などで魔力枯渇を起こしたナディもまた疲れていた。そこで、今日の探索は打ち切って休むことにする。
もっとも魔力枯渇に関しては、誰かさんが接触行為をして譲渡したため問題ない。別の意味では問題大ありだが。
幸い、食材は『結晶鋼道』でドロップした魚介が大量にあるし、この草原にも可食な野草が結構ある。ここまでの道中でレアな薬草が生えているのを、ナディが見つけていたりもした。
徐々に陽が傾き、あたりが暗い紫紺に染まっていく。
草原に寝転がっていたナディとレオノールは、疲労のためかそのまま眠ってしまった。
その姿を愛おしそうにヴァレリーが見つめ、【収納】から毛布を取り出して彼女たちにかける。
そして彼は『グルーム・ブリンガー』を抜いて地面に突き立てた。
このとき、予想よりも刀身が地面に突き刺さらないのに違和感を覚えたが、それより二人の安眠が優先だ。
「【影の拠点】」
唱えると大量の影が生じ、ナディとレオノールを中心とした簡易的な影の小屋を作り出す。
「うん。まだ全盛期にはほど遠いな。でも、今はこれで十分だろう。誰と戦うわけでもなし。ボクはね、ナディ。キミと大切な妹を守れればそれでいいんだよ。あとは何も――」
いらない。そう続けようとしたがわずかに考え、気を取り直して言い直す。
「……でもナディとえっちしたいなぁ」
深いため息をつき、彼は少し離れたところで横になった。
カッコつけようとしても、結局は思春期じみた衝動が漏れ出るヴァレリーであった。
(ばーか)
微睡みの中で独白を聞いていたナディは、声に出さずにそう呟く。
ナディとレオノールの長い一日は、こうして終わったのである。
❖ ◇ ❖
時は少し遡り、ナディたち三人が、突然草原に放り出されて呆然としていた頃。
『結晶鋼道』の深層。迷宮とは切り離されたところにある場所で、巨大な魔法装置を前にした男は冷や汗をかいていた。
(危なかった……)
複雑怪奇な魔法文字が羅列している装置を操作しながら、独白する。
本日未明、自身が保護する「彼」の魔力が、今までにないほどの高まりを見せた。
これほどの反応は十二年前と十一年前以来三度目だが、今回は過去二回を上回る反応であった。
(ついに目覚めるのか)
そう思った男は装置を操作し、「彼」の魔力排出を手助けした。
ところが、「彼」は目覚めなかった。何かに反応し、一時的に魔力が高まったにすぎなかったらしい。
よって魔力を「彼」に戻そうとしたが、一度出たものは戻せない。
仕方なく魔力に指向性を与え、男が管理する迷宮内――『結晶鋼道』へ放出するしかなかった。まあ、それが原因で迷宮氾濫が起きたわけだが、それもようやく抑え込めたらしい。
男がこの地に来て、複雑怪奇な装置を発見して、五十年ではきかないほどの年月が経過していた。
それほどの時間をかけてなお、いまだにこれがどういう仕組みなのか理解できない。
だが理解はできなくとも、目的は予想できる。
この装置が接続されている先。そこには直径二メートルはある、滑らかなクリスタルガラスのような素材でできた球状の水槽があった。
水槽の中には、男が看病する「彼」――漆黒の髪を持つ魔族の青年が、己の身を抱えるようにして浮いている。
どんな構造なのか不明な水槽には、出入口もない。完全に密閉された中で、青年は保存されるかのように浮いている。
微動だにしない様子は死体じみているが、実際はそうではない。「彼」は呼吸の代わりに魔力を吸収し、また放出しているのだ。
その反応で分かる。「彼」は、明らかに生きている。
長い年月をかけて装置を観察した男は、これはきっと「彼」になんらかの治療を施すためか、もしくは「彼」を生きたまま未来へ残すためのものだと結論づけた。
何より、「彼」の髪色。
魔族の多くは暗色系の髪色と、濃淡の差こそあれ金の瞳を持つ。
そんな中、魔族の王族は全員が漆黒の髪だ。今は亡き魔王ヴァレリアは、藍色の髪であったらしいが。
装置に浮かぶ「彼」は夜闇のような漆黒の髪をしていた。
間違いなく「彼」は王族、またはそれに連なる者だ。
そう考える男もまた、暗灰色の髪と赤混じりの金色――赤金色の瞳を持つ魔族である。
強靭な身体能力と高い魔力親和性を誇る魔族。しかし男は戦闘能力に乏しく、その反面、魔力の運用や装置の開発といったことに特化していた。
男が得意とする力はどちらも、脳筋率が驚異の九割九分を占める魔族の中では評価されない。
時代が時代なら、あるいは魔王ヴァレリアの寵姫が存命であったなら、きっと正しく評価されていたであろうが。
だから居場所を失って、男は魔族領を飛び出した。
そうして放浪しても、世の脳筋率は意外と高く、遭遇率も高い。
たちの悪いことに、脳筋は世話好きないいヤツが多かった。男にとっては大迷惑であったが。
人目を避けるようにして放浪の旅を続け、男はやがて廃坑跡にある無人の廃村に辿り着いた。
迷わず、すべてから逃げるように廃坑へ潜った。人との関わりに疲れ、知らず、死を望んでいたのかもしれない。
そう望んでいても、魔族の強靭な肉体は簡単には壊れない。
抵抗力が凄まじいためヒト種に比べれば状態異常になりづらいし、魔族特有の疾患でなければ病気にも罹患しづらい。
それに魔力さえあれば、水だけで生存可能なのだ。
魔族はチートな種族だった。
自身の種族を恨めども、彼もやはり魔族。死ねるはずもなく、ただ廃坑を彷徨う日々が続いた。
そうして廃坑に潜り、年月を忘れ去るくらいの時間を一人で過ごした果てに、ついに見つけたのだ。
「彼」が眠る魔法装置を。
発見したときにはこの魔法装置は停止寸前で、本来「彼」に供給されるべき魔力が外部に漏れ出していた。
そのせいで、人を避けるように潜った廃坑も迷宮化しかけていたらしい。
男は無作為に放出され周囲を侵食する魔力に、自身の持つ知識の限りを注ぎ込んで指向性を与えようとした。
当初はうまくいかなかった。
しかし、各地を放浪していたときにたまたま立ち寄った、ガラクタじみた謎の物品を展示している小さな民家……そこで目にしたとある覚書を思い出し、藁をも掴む思いで魔術に転用して装置の効果を上書きする。
結果的にその判断が功を奏した。完全とはいかないまでも、装置が正常稼働を始めたのである。
なお、不思議な民家の所在地は、四方を山脈に囲まれた広大な盆地の中心。農耕が主産業である辺境の村――グレンカダム。
寂れた民家を、高位の森妖精らしき男が維持・管理していたのだ。
「愛しい愛しい宵闇の空のごとく美しい髪の君へ……愛を愛を愛を――」と笑みを浮かべて言いながら何かを書き綴っている、怪しく、危なく、気持ち悪い人物であったが。
それはともかく。
装置が安定稼働し始めたことで安堵した男は、そこに使われている高度な技術を目の当たりにした。そして、己の知識と技術をさらに高めたいという欲求を抱いた。
すべてを諦めて死を選ぼうとしていた男が、唯一捨て切れなかった願い。
(この装置を使って、『世界』を創ってみたい)
放浪の日々は、何も辛いことばかりではなかった。脳筋との関わりは苦痛でしかなかったが、それはさておき。
旅で目にした美しいもの。楽しかったこと。嬉しかったこと。
そうしたすべてを、ここに満ちる魔力があれば創造できるのではないか。
「僕は自分の『世界』を作りたかったんだ」
何も言わない、答えない、動くことすらしない「彼」に語りかける。
「その願いが叶った果てを、目覚めたあなたと見てみたい」
水槽に浮かぶ魔族を親愛の表情で見つめながら、男はそう呟いた。
そしてふと、思い出す。
(それにしても、あの少女たちはなんだったんだ? ヒト種だよね? 迷宮が氾濫しているんだよ、普通は逃げ一択でしょ)
男は迷宮を維持・管理する装置に組み込まれている、迷宮内を把握する魔術陣に触れることで、『結晶鋼道』の状況をつぶさに観測することができた。
そちらを一瞥し、数時間前まで嬉々として魔物を狩りまくっていた少女二人組を思い起こす。
最後は、数千匹のセレストアントの大群にたった二人で立ち向かうという無謀をしでかした。
当然追い詰められていたが、突然現れた黒衣の男が、氾濫で強化され数も膨大だった魔物を瞬殺するという非常識をやってのけたのである。
(いや、ありえないでしょ)
このままでは、あの三人が自分たちがいる隠し場所まで到達してしまう。
男だけであれば逃げようがあるが、もし「彼」を見つけてしまったらどうなるか。
ヒト種と魔族は、現在では確執がないとされている。だが、一部のヒト種は相変わらず魔族を廃絶しようと企んでいると聞く。
(もし、彼女たちがそうだったら……)
そう考え、決断した。
なぜか装置に最初から組み込まれていた力を使い、現在もここと繋がっている座標不明の彼方へと三人を追いやる。
本当は繋がりを断ち切りたかったのだが、どうすればそれができるのかが分からない。だから【転移門】を隠し、破壊困難な迷宮の壁で塞いで道を閉ざした。
(これで、「彼」に危険が及ぶことはない)
そう考える。だが慎重というか臆病というか、彼の性質がそれで終わることを許さなかった。「……そうだ、守護竜を創ろう」
放浪先で聞いた、赤金色のハンターと災厄級魔竜『燃え爆ぜる皇帝竜』との戦いの伝承。
災厄竜に匹敵する竜種の創造は無理でも、似たものなら生み出せるはず。
男は静かに、だが激しく心を震わせて構想を固め、創造を始めた。
――家族を守るために。
二章 地平線を越えて
ヴァレリーが作り上げた【影の拠点】で目覚めたナディは、影という材質ゆえかいまだ薄暗い室内を寝ぼけ眼で見回した。
隣ではレオノールが毛布にくるまって寝息を立てている。
「はひゅふぅ~」
その愛らしい寝顔を見たナディは、ちょっと言語化しにくい吐息を漏らし、だらしない笑みを浮かべた。
(ウチの妹、マジ天使!)
目覚めた直後からシスコン全開である。
レオノールを見てひとしきりクネクネしていた彼女だが、息を整えて外に出る。
小屋の外にはすでに起きていたヴァレリーがいた。
昨夜のうちに作っておいた竈に火を入れて、真剣な表情で何か調理しているようだ。
「おはよう、ヴァル。ずいぶん早いのね」
背伸びをしながら声をかけ、ナディは朝靄が立ち込める草原へ目を向けて首を傾げる。
(標高が高いところって、空気が乾燥しがちだから朝靄ってそうそう出ないわよね? 夜のうちに雨が降ったわけでもないのに。やっぱりここって、なんかおかしいな)
そんな疑問が浮かぶ。
しかし、突然転移させられた謎の場所に一般的な気象の常識が通用するはずがないと判断し、考えるのを止めた。
そうして一人で納得しているナディに気付き、ヴァレリーがこちらを一瞥して微笑みを浮かべた。逆光で確認しにくいが、彼はなぜかピンクのフリルをあしらったエプロンを身につけ、四角いフライパンを振っている。
今すぐにでも駆け寄りたそうだが、調理中なので動けずにいるらしい。尾骶骨のあたりから生える尾が激しく振られている幻覚が見えた。
「……何を作ってるの?」
真剣な表情に興味をそそられたナディは彼に近づき、その手元を覗き込む。
ヴァレリーが作っていたもの、それは玉子焼きだった。
「アデリーが作ってくれたのを思い出してね。記憶を頼りに焼いてみたんだけど……意外と難しいね」
そりゃそうだろう。
そう思うも口には出さず、ナディはところどころ焦げていて形も歪なそれとヴァレリーを交互に見る。
だが、記憶を頼りに多分初めて作ったにしては、なかなかの出来だ。
玉子焼きを皿に移し、手早く切り分けていくヴァレリーに言う。
「初めてなんでしょ。上出来だと思うけど」
満更でもない表情で口元を押さえる彼をよそに、ナディは屈んで玉子焼きを摘み食いし、首を傾げる。
「あ……まぁ、いいか。どうかな?」
それに気付き、ヴァレリーが感想を求めてきた。
咀嚼して呑み込んだナディは、傾げた首をそのままに彼を見上げる。まっすぐに見つめられてときめく魔王様。
「ねぇ、これって入れたのは塩だけ?」
ナディは摘まんだ指を舐めながら聞いた。
ヴァレリーが若干戸惑いながらも答える。
「え? そうだけど」
すると、ナディは小さくため息をついた。腰を伸ばして立ち上がり、正面からヴァレリーを見上げる。
「さっきも言ったけど、初めて作ったにしては上出来だわ。むしろどうしてこんなに美味いんだろうってくらい。だけどね……、玉子焼きなら味付けはお砂糖でしょ。分かってないわね」
魔王妃は、甘い玉子焼きをご所望だった。
なるほどと頷くヴァレリーである。だが、彼にも理由がある。
「何を言っているんだい、ナディ。玉子料理といったら塩味だろう。甘くしたらデザートになってしまうよ。プリンじゃないんだから」
「そんなことないでしょ。あのねぇ、料理ってのは塩味だけで成立するわけじゃないわ。他の味もあって初めて『美味しい』になるのよ。それに、食卓には甘味も必要だわ。だから玉子焼きは、お砂糖を入れて甘く作るべきなの」
頬を膨らませて力説するナディ。
ガチムチなギルマスがいたら「美味けりゃどっちでもいいわ」と言いそうだ。
「はぅ! 可愛い……じゃなくて……」
ナディにツッコむという概念がないヴァレリーは、自覚なくあざとい仕草をしているナディに滅茶苦茶ときめいた。
しかし、こればかりは反論を決意する。ただし四回くらい深呼吸をして、気持ちを整えてからだったが。
彼は言った。
「その意見には全面的に賛成したいよ。でも、それはそれ。玉子料理の味付けは塩。これだけは譲れない」
「だから、そうじゃないでしょ。まったくもう……あなたはどうして昔からなんでもかんでも塩味にしたがるのよ。味にバリエーションがあったほうが食事を楽しめるでしょ」
「いや、違うよナディ。ボク、なんでも塩味じゃなかったよね。ボクが言いたいのは、あくまで玉子料理は塩味がいいってだけだよ」
「そうね、そうだったわ。でも、私はやっぱり塩味の玉子焼きは許容できない。それならプレーンなものに魚醤を付ける形でいいじゃない。調味料で味変するのも食事の楽しみ方でしょう」
「うん。そのとおりだね。だけど、ボクもやっぱり甘い玉子料理は納得できない」
魔王様は、塩味の玉子焼きをご所望だった。
傍から見ればすごくどうでもいいディベートを朝っぱらからする二人。
ナディたちの声で目覚めたレオノールは【影の拠点】から顔を覗かせ、まだ眠気が差してポヤポヤする頭で呆れていた。
(また犬のご飯にもならないことをしてる……)
あくびをした彼女は、まだ時間がかかりそうだと判断し二度寝することにした。
二人の議論はしばらく続き、お互いに好みの味付けの玉子焼きを作り、味見をして決着をつけることになった。
結果、どちらもそれぞれよさがあると判明し……
「ごめんなさい、言いすぎたわ」
「ボクのほうこそごめん。むきになったよ」
ナディとヴァレリーはめでたく和解した。客観的に見て、すごくどうでもいい勝負だった。
議論を終えた二人はそれぞれ朝食の準備に移る。
ナディはヴァレリーから水色のフリル付きエプロンを借り、圧力鍋でスープを作り始めた。
その間、もう一つの竈でフライパンを熱し、パンの表面を焼いていく。
「エプロン姿のナディ……いい!」
「うるさいわね」
エプロン姿のナディを見て、顔を押さえてうずくまるヴァレリー。
すげなく返すナディだが、ちょっと照れているのか耳が赤い。
なお、どうしてヴァレリーが可愛らしいエプロンを持っているのか聞いてみると、彼は遠い目をした。
「ギャスパルが謎に買い揃えたんだよ……」
彼は【収納】から黄色、緑色、朱色、青色の色違いのエプロンを取り出してみせる。
ヴァレリーの従僕は、主が求めているものとは違うベクトルで優秀だった。
「……そう……」
思わず同情するナディ。
会ったこともない従僕だが、いったいどこを目指しているのだろう。
目的が不明であるためフォローもできず、それ以上何も言えなかった。
なお、そのほかに買い揃えられた物。
一般家庭で使うには場所をとる、大型で多機能な魔術具コンロ。
フードプロセッサーやミンサー、パスタマシーン、スライサーといった魔術具各種。
一グラム単位で計量可能な計量器と調理用温度計。
明らかに素人向きではない、プロ仕様な包丁セットなどなど。
彼はヴァレリーに何を望んでいるのだろうか。
おまけに、よく見れば鍋やトング、お玉やフライ返しといった基本的な調理器具がない。もちろんカトラリーも。完璧に取り揃えているようで、まったくなっちゃいなかった。
「苦労しているのね……」
ナディの呟きは、サラダを盛りつけているヴァレリーには届かなかった。
そうこうしているうちに、レオノールが二度寝から起きてきた。
ひととおり調理が終わっているのを確認した彼女は、「二度寝の誘惑は侮れない。不覚」と呟き、魔法で木材からテーブルセットを作り出す。
椅子の背もたれには蔓をイメージした装飾が施されている。材料が丈夫で高級品なトレントの木材ということもあり、高級感がある仕上がりだ。
そんなテーブルセットを見たナディとヴァレリーが、親バカ全開で賞賛しまくりレオノールを照れさせる一コマがありつつ、三人は朝食を食べながら今後の方針を話し合った。
そして、手当たり次第に探索をするしかないという結論に達する。
そうはいっても、どれほど時間がかかるか分からないくらい、この平原は広大だ。
(シルヴィ、心配しているんだろうなぁ。心配がすぎて余計なことをしていなきゃいいけど)
探索、その後の帰還にかかるであろう時間を考えながら、最初に思い浮かんだのがギルマスのことだ。
ナディの発想はさながら父親を思う娘のようなのだが、本人にその自覚はない。
(考えても仕方ないわね)
よってスパッと切り替え、ナディは思考を今後のことへ向ける。
サバイバルをするために必要な、基本的なこと。それは「衣食住」の確保だ。
「衣」は魔法でいつでもどこでも服を清潔にできるから問題ない。防寒着もそれなりに持っている。
ついで「食」。龍人族や魔族のように、最悪魔力さえあれば生きていける種族と異なり、ヒト種であるナディたちは食べなければ生きていけない。
ただ、『結晶鋼道』の海鮮階層で、市場に流したら確実に値崩れを起こすほど大量の魚介類を入手している。
この草原には可食な野草もあり、ヴァレリーが在庫不明なほど新鮮野菜を持っているので食材の心配は不要だろう。彼の従僕は野菜の目利きに関しては優秀らしい。目利きに関しては、だが。
そして最後の「住」だが……
(いつまでも【影の拠点】に頼るわけにもいかないよね。いくらヴァルでも、いつかは魔力に限界がくる。この状況で魔力枯渇は絶対に避けたいわ)
そう考え腕を組み、しばらく悩むナディ。
首を捻ったり、空を見上げたり、人差し指を額に突き立てたりする。
その仕草を見守るヴァレリーは「悩んでいるナディも無敵で素敵」と言って、寡黙でクールな彼に憧れる貴族令嬢には見せられない、だらしない表情をしていた。
(前世では優しくてカッコいいお父様だったんだけどな)
想像以上にナディへの愛が深いヴァレリーを見て、レオノールはちょっと引いた。
そうしてひとしきり悩んだナディは、一つの決断を下す。
発想が鬼畜である。
ちょっとナイわーと言われそうなことを溌剌と宣うナディを見て、レオノールとヴァレリーは――
「見栄全開で高級宝飾を買い漁る貴族から合法的に金銭を得る。ロクデナシの優越感を踏みにじる庶民の味方。さすおね」
「ああ、それは痛快だね。中身じゃなくて、見てくればかりを飾る誇り高そうなバカどもにはお似合いだ。よし、絶対に売り飛ばそう」
ものすごくいい笑顔で全肯定した。元親子で元夫婦なだけあって、息がピッタリだ。
そうして、無数に転がっているクォーツ・ローチをナディは笑いながら二刀の小太刀で切り刻んでいく。
「ああ、イイわー。水晶をゼリーみたいに簡単に切り刻める『凍花』と『灼花』はやっぱりイイわー。それに、ちょうどいい鍛錬になる」
ちょっと危ない感じで悦に入るナディ。
「久し振りの愛剣だし、ボクも勘を取り戻さないとね。……うん。この感覚、とてもいいよ」
ヴァレリーも手伝い、無数に出した影の刃でゴキブリをいろいろな大きさにカッティングした。
ちなみに、このゴキは中身も外身も全部水晶でできているため、余すところなく素材として使える。
どうやってカサカサしていたのだろうとか、精神衛生的によろしくない絵面を考えてはいけない。
「ナディ、もっと『イイわー』って言って。できれば吐息と一緒に囁くように」
「ちょっと止めてよ変態!」
少々危ない発言をして、ナディにやっぱり却下されていた。
しかし、ナディに冷たくされるのは嫌いじゃない、少々アレな趣味のヴァレリーだった。
そうした作業を終えて、戦利品のクォーツ・ローチの素材を残らず回収し、三人は一休みする。
その場で竈を作って軽食をとり、腹拵えをしてからさらに先へ進んだ。
なお、メニューは焼いたロブスターにホワイトソースを和え、千切りした葉物野菜を敷き詰めたパンに挟んだサンドイッチである。アクセントとして、パンにマスタードを塗っておくのがポイントだ。
余談だが、ナディとレオノールが苦手とする焼きカニ味噌と焼きエビ味噌をヴァレリーに食べさせようとしたところ、分かりやすくいやぁな顔をされた。やはり家族は食の好みも似るのだろう。
そしてさらに歩くこと二時間。三人はついに草原の果てに辿り着いた。
地面が途切れ、そこから下は切り立った断崖になっている。雲海が広がっており、地上を見通すことさえできない。高所が苦手な方々は、ちょっと吐きかねないような景観であった。
だが、これは予想の範囲内。高所程度では心が折れない三人である。
ただ、体力が尽きていたレオノールはもちろん、迷宮での戦闘などで魔力枯渇を起こしたナディもまた疲れていた。そこで、今日の探索は打ち切って休むことにする。
もっとも魔力枯渇に関しては、誰かさんが接触行為をして譲渡したため問題ない。別の意味では問題大ありだが。
幸い、食材は『結晶鋼道』でドロップした魚介が大量にあるし、この草原にも可食な野草が結構ある。ここまでの道中でレアな薬草が生えているのを、ナディが見つけていたりもした。
徐々に陽が傾き、あたりが暗い紫紺に染まっていく。
草原に寝転がっていたナディとレオノールは、疲労のためかそのまま眠ってしまった。
その姿を愛おしそうにヴァレリーが見つめ、【収納】から毛布を取り出して彼女たちにかける。
そして彼は『グルーム・ブリンガー』を抜いて地面に突き立てた。
このとき、予想よりも刀身が地面に突き刺さらないのに違和感を覚えたが、それより二人の安眠が優先だ。
「【影の拠点】」
唱えると大量の影が生じ、ナディとレオノールを中心とした簡易的な影の小屋を作り出す。
「うん。まだ全盛期にはほど遠いな。でも、今はこれで十分だろう。誰と戦うわけでもなし。ボクはね、ナディ。キミと大切な妹を守れればそれでいいんだよ。あとは何も――」
いらない。そう続けようとしたがわずかに考え、気を取り直して言い直す。
「……でもナディとえっちしたいなぁ」
深いため息をつき、彼は少し離れたところで横になった。
カッコつけようとしても、結局は思春期じみた衝動が漏れ出るヴァレリーであった。
(ばーか)
微睡みの中で独白を聞いていたナディは、声に出さずにそう呟く。
ナディとレオノールの長い一日は、こうして終わったのである。
❖ ◇ ❖
時は少し遡り、ナディたち三人が、突然草原に放り出されて呆然としていた頃。
『結晶鋼道』の深層。迷宮とは切り離されたところにある場所で、巨大な魔法装置を前にした男は冷や汗をかいていた。
(危なかった……)
複雑怪奇な魔法文字が羅列している装置を操作しながら、独白する。
本日未明、自身が保護する「彼」の魔力が、今までにないほどの高まりを見せた。
これほどの反応は十二年前と十一年前以来三度目だが、今回は過去二回を上回る反応であった。
(ついに目覚めるのか)
そう思った男は装置を操作し、「彼」の魔力排出を手助けした。
ところが、「彼」は目覚めなかった。何かに反応し、一時的に魔力が高まったにすぎなかったらしい。
よって魔力を「彼」に戻そうとしたが、一度出たものは戻せない。
仕方なく魔力に指向性を与え、男が管理する迷宮内――『結晶鋼道』へ放出するしかなかった。まあ、それが原因で迷宮氾濫が起きたわけだが、それもようやく抑え込めたらしい。
男がこの地に来て、複雑怪奇な装置を発見して、五十年ではきかないほどの年月が経過していた。
それほどの時間をかけてなお、いまだにこれがどういう仕組みなのか理解できない。
だが理解はできなくとも、目的は予想できる。
この装置が接続されている先。そこには直径二メートルはある、滑らかなクリスタルガラスのような素材でできた球状の水槽があった。
水槽の中には、男が看病する「彼」――漆黒の髪を持つ魔族の青年が、己の身を抱えるようにして浮いている。
どんな構造なのか不明な水槽には、出入口もない。完全に密閉された中で、青年は保存されるかのように浮いている。
微動だにしない様子は死体じみているが、実際はそうではない。「彼」は呼吸の代わりに魔力を吸収し、また放出しているのだ。
その反応で分かる。「彼」は、明らかに生きている。
長い年月をかけて装置を観察した男は、これはきっと「彼」になんらかの治療を施すためか、もしくは「彼」を生きたまま未来へ残すためのものだと結論づけた。
何より、「彼」の髪色。
魔族の多くは暗色系の髪色と、濃淡の差こそあれ金の瞳を持つ。
そんな中、魔族の王族は全員が漆黒の髪だ。今は亡き魔王ヴァレリアは、藍色の髪であったらしいが。
装置に浮かぶ「彼」は夜闇のような漆黒の髪をしていた。
間違いなく「彼」は王族、またはそれに連なる者だ。
そう考える男もまた、暗灰色の髪と赤混じりの金色――赤金色の瞳を持つ魔族である。
強靭な身体能力と高い魔力親和性を誇る魔族。しかし男は戦闘能力に乏しく、その反面、魔力の運用や装置の開発といったことに特化していた。
男が得意とする力はどちらも、脳筋率が驚異の九割九分を占める魔族の中では評価されない。
時代が時代なら、あるいは魔王ヴァレリアの寵姫が存命であったなら、きっと正しく評価されていたであろうが。
だから居場所を失って、男は魔族領を飛び出した。
そうして放浪しても、世の脳筋率は意外と高く、遭遇率も高い。
たちの悪いことに、脳筋は世話好きないいヤツが多かった。男にとっては大迷惑であったが。
人目を避けるようにして放浪の旅を続け、男はやがて廃坑跡にある無人の廃村に辿り着いた。
迷わず、すべてから逃げるように廃坑へ潜った。人との関わりに疲れ、知らず、死を望んでいたのかもしれない。
そう望んでいても、魔族の強靭な肉体は簡単には壊れない。
抵抗力が凄まじいためヒト種に比べれば状態異常になりづらいし、魔族特有の疾患でなければ病気にも罹患しづらい。
それに魔力さえあれば、水だけで生存可能なのだ。
魔族はチートな種族だった。
自身の種族を恨めども、彼もやはり魔族。死ねるはずもなく、ただ廃坑を彷徨う日々が続いた。
そうして廃坑に潜り、年月を忘れ去るくらいの時間を一人で過ごした果てに、ついに見つけたのだ。
「彼」が眠る魔法装置を。
発見したときにはこの魔法装置は停止寸前で、本来「彼」に供給されるべき魔力が外部に漏れ出していた。
そのせいで、人を避けるように潜った廃坑も迷宮化しかけていたらしい。
男は無作為に放出され周囲を侵食する魔力に、自身の持つ知識の限りを注ぎ込んで指向性を与えようとした。
当初はうまくいかなかった。
しかし、各地を放浪していたときにたまたま立ち寄った、ガラクタじみた謎の物品を展示している小さな民家……そこで目にしたとある覚書を思い出し、藁をも掴む思いで魔術に転用して装置の効果を上書きする。
結果的にその判断が功を奏した。完全とはいかないまでも、装置が正常稼働を始めたのである。
なお、不思議な民家の所在地は、四方を山脈に囲まれた広大な盆地の中心。農耕が主産業である辺境の村――グレンカダム。
寂れた民家を、高位の森妖精らしき男が維持・管理していたのだ。
「愛しい愛しい宵闇の空のごとく美しい髪の君へ……愛を愛を愛を――」と笑みを浮かべて言いながら何かを書き綴っている、怪しく、危なく、気持ち悪い人物であったが。
それはともかく。
装置が安定稼働し始めたことで安堵した男は、そこに使われている高度な技術を目の当たりにした。そして、己の知識と技術をさらに高めたいという欲求を抱いた。
すべてを諦めて死を選ぼうとしていた男が、唯一捨て切れなかった願い。
(この装置を使って、『世界』を創ってみたい)
放浪の日々は、何も辛いことばかりではなかった。脳筋との関わりは苦痛でしかなかったが、それはさておき。
旅で目にした美しいもの。楽しかったこと。嬉しかったこと。
そうしたすべてを、ここに満ちる魔力があれば創造できるのではないか。
「僕は自分の『世界』を作りたかったんだ」
何も言わない、答えない、動くことすらしない「彼」に語りかける。
「その願いが叶った果てを、目覚めたあなたと見てみたい」
水槽に浮かぶ魔族を親愛の表情で見つめながら、男はそう呟いた。
そしてふと、思い出す。
(それにしても、あの少女たちはなんだったんだ? ヒト種だよね? 迷宮が氾濫しているんだよ、普通は逃げ一択でしょ)
男は迷宮を維持・管理する装置に組み込まれている、迷宮内を把握する魔術陣に触れることで、『結晶鋼道』の状況をつぶさに観測することができた。
そちらを一瞥し、数時間前まで嬉々として魔物を狩りまくっていた少女二人組を思い起こす。
最後は、数千匹のセレストアントの大群にたった二人で立ち向かうという無謀をしでかした。
当然追い詰められていたが、突然現れた黒衣の男が、氾濫で強化され数も膨大だった魔物を瞬殺するという非常識をやってのけたのである。
(いや、ありえないでしょ)
このままでは、あの三人が自分たちがいる隠し場所まで到達してしまう。
男だけであれば逃げようがあるが、もし「彼」を見つけてしまったらどうなるか。
ヒト種と魔族は、現在では確執がないとされている。だが、一部のヒト種は相変わらず魔族を廃絶しようと企んでいると聞く。
(もし、彼女たちがそうだったら……)
そう考え、決断した。
なぜか装置に最初から組み込まれていた力を使い、現在もここと繋がっている座標不明の彼方へと三人を追いやる。
本当は繋がりを断ち切りたかったのだが、どうすればそれができるのかが分からない。だから【転移門】を隠し、破壊困難な迷宮の壁で塞いで道を閉ざした。
(これで、「彼」に危険が及ぶことはない)
そう考える。だが慎重というか臆病というか、彼の性質がそれで終わることを許さなかった。「……そうだ、守護竜を創ろう」
放浪先で聞いた、赤金色のハンターと災厄級魔竜『燃え爆ぜる皇帝竜』との戦いの伝承。
災厄竜に匹敵する竜種の創造は無理でも、似たものなら生み出せるはず。
男は静かに、だが激しく心を震わせて構想を固め、創造を始めた。
――家族を守るために。
二章 地平線を越えて
ヴァレリーが作り上げた【影の拠点】で目覚めたナディは、影という材質ゆえかいまだ薄暗い室内を寝ぼけ眼で見回した。
隣ではレオノールが毛布にくるまって寝息を立てている。
「はひゅふぅ~」
その愛らしい寝顔を見たナディは、ちょっと言語化しにくい吐息を漏らし、だらしない笑みを浮かべた。
(ウチの妹、マジ天使!)
目覚めた直後からシスコン全開である。
レオノールを見てひとしきりクネクネしていた彼女だが、息を整えて外に出る。
小屋の外にはすでに起きていたヴァレリーがいた。
昨夜のうちに作っておいた竈に火を入れて、真剣な表情で何か調理しているようだ。
「おはよう、ヴァル。ずいぶん早いのね」
背伸びをしながら声をかけ、ナディは朝靄が立ち込める草原へ目を向けて首を傾げる。
(標高が高いところって、空気が乾燥しがちだから朝靄ってそうそう出ないわよね? 夜のうちに雨が降ったわけでもないのに。やっぱりここって、なんかおかしいな)
そんな疑問が浮かぶ。
しかし、突然転移させられた謎の場所に一般的な気象の常識が通用するはずがないと判断し、考えるのを止めた。
そうして一人で納得しているナディに気付き、ヴァレリーがこちらを一瞥して微笑みを浮かべた。逆光で確認しにくいが、彼はなぜかピンクのフリルをあしらったエプロンを身につけ、四角いフライパンを振っている。
今すぐにでも駆け寄りたそうだが、調理中なので動けずにいるらしい。尾骶骨のあたりから生える尾が激しく振られている幻覚が見えた。
「……何を作ってるの?」
真剣な表情に興味をそそられたナディは彼に近づき、その手元を覗き込む。
ヴァレリーが作っていたもの、それは玉子焼きだった。
「アデリーが作ってくれたのを思い出してね。記憶を頼りに焼いてみたんだけど……意外と難しいね」
そりゃそうだろう。
そう思うも口には出さず、ナディはところどころ焦げていて形も歪なそれとヴァレリーを交互に見る。
だが、記憶を頼りに多分初めて作ったにしては、なかなかの出来だ。
玉子焼きを皿に移し、手早く切り分けていくヴァレリーに言う。
「初めてなんでしょ。上出来だと思うけど」
満更でもない表情で口元を押さえる彼をよそに、ナディは屈んで玉子焼きを摘み食いし、首を傾げる。
「あ……まぁ、いいか。どうかな?」
それに気付き、ヴァレリーが感想を求めてきた。
咀嚼して呑み込んだナディは、傾げた首をそのままに彼を見上げる。まっすぐに見つめられてときめく魔王様。
「ねぇ、これって入れたのは塩だけ?」
ナディは摘まんだ指を舐めながら聞いた。
ヴァレリーが若干戸惑いながらも答える。
「え? そうだけど」
すると、ナディは小さくため息をついた。腰を伸ばして立ち上がり、正面からヴァレリーを見上げる。
「さっきも言ったけど、初めて作ったにしては上出来だわ。むしろどうしてこんなに美味いんだろうってくらい。だけどね……、玉子焼きなら味付けはお砂糖でしょ。分かってないわね」
魔王妃は、甘い玉子焼きをご所望だった。
なるほどと頷くヴァレリーである。だが、彼にも理由がある。
「何を言っているんだい、ナディ。玉子料理といったら塩味だろう。甘くしたらデザートになってしまうよ。プリンじゃないんだから」
「そんなことないでしょ。あのねぇ、料理ってのは塩味だけで成立するわけじゃないわ。他の味もあって初めて『美味しい』になるのよ。それに、食卓には甘味も必要だわ。だから玉子焼きは、お砂糖を入れて甘く作るべきなの」
頬を膨らませて力説するナディ。
ガチムチなギルマスがいたら「美味けりゃどっちでもいいわ」と言いそうだ。
「はぅ! 可愛い……じゃなくて……」
ナディにツッコむという概念がないヴァレリーは、自覚なくあざとい仕草をしているナディに滅茶苦茶ときめいた。
しかし、こればかりは反論を決意する。ただし四回くらい深呼吸をして、気持ちを整えてからだったが。
彼は言った。
「その意見には全面的に賛成したいよ。でも、それはそれ。玉子料理の味付けは塩。これだけは譲れない」
「だから、そうじゃないでしょ。まったくもう……あなたはどうして昔からなんでもかんでも塩味にしたがるのよ。味にバリエーションがあったほうが食事を楽しめるでしょ」
「いや、違うよナディ。ボク、なんでも塩味じゃなかったよね。ボクが言いたいのは、あくまで玉子料理は塩味がいいってだけだよ」
「そうね、そうだったわ。でも、私はやっぱり塩味の玉子焼きは許容できない。それならプレーンなものに魚醤を付ける形でいいじゃない。調味料で味変するのも食事の楽しみ方でしょう」
「うん。そのとおりだね。だけど、ボクもやっぱり甘い玉子料理は納得できない」
魔王様は、塩味の玉子焼きをご所望だった。
傍から見ればすごくどうでもいいディベートを朝っぱらからする二人。
ナディたちの声で目覚めたレオノールは【影の拠点】から顔を覗かせ、まだ眠気が差してポヤポヤする頭で呆れていた。
(また犬のご飯にもならないことをしてる……)
あくびをした彼女は、まだ時間がかかりそうだと判断し二度寝することにした。
二人の議論はしばらく続き、お互いに好みの味付けの玉子焼きを作り、味見をして決着をつけることになった。
結果、どちらもそれぞれよさがあると判明し……
「ごめんなさい、言いすぎたわ」
「ボクのほうこそごめん。むきになったよ」
ナディとヴァレリーはめでたく和解した。客観的に見て、すごくどうでもいい勝負だった。
議論を終えた二人はそれぞれ朝食の準備に移る。
ナディはヴァレリーから水色のフリル付きエプロンを借り、圧力鍋でスープを作り始めた。
その間、もう一つの竈でフライパンを熱し、パンの表面を焼いていく。
「エプロン姿のナディ……いい!」
「うるさいわね」
エプロン姿のナディを見て、顔を押さえてうずくまるヴァレリー。
すげなく返すナディだが、ちょっと照れているのか耳が赤い。
なお、どうしてヴァレリーが可愛らしいエプロンを持っているのか聞いてみると、彼は遠い目をした。
「ギャスパルが謎に買い揃えたんだよ……」
彼は【収納】から黄色、緑色、朱色、青色の色違いのエプロンを取り出してみせる。
ヴァレリーの従僕は、主が求めているものとは違うベクトルで優秀だった。
「……そう……」
思わず同情するナディ。
会ったこともない従僕だが、いったいどこを目指しているのだろう。
目的が不明であるためフォローもできず、それ以上何も言えなかった。
なお、そのほかに買い揃えられた物。
一般家庭で使うには場所をとる、大型で多機能な魔術具コンロ。
フードプロセッサーやミンサー、パスタマシーン、スライサーといった魔術具各種。
一グラム単位で計量可能な計量器と調理用温度計。
明らかに素人向きではない、プロ仕様な包丁セットなどなど。
彼はヴァレリーに何を望んでいるのだろうか。
おまけに、よく見れば鍋やトング、お玉やフライ返しといった基本的な調理器具がない。もちろんカトラリーも。完璧に取り揃えているようで、まったくなっちゃいなかった。
「苦労しているのね……」
ナディの呟きは、サラダを盛りつけているヴァレリーには届かなかった。
そうこうしているうちに、レオノールが二度寝から起きてきた。
ひととおり調理が終わっているのを確認した彼女は、「二度寝の誘惑は侮れない。不覚」と呟き、魔法で木材からテーブルセットを作り出す。
椅子の背もたれには蔓をイメージした装飾が施されている。材料が丈夫で高級品なトレントの木材ということもあり、高級感がある仕上がりだ。
そんなテーブルセットを見たナディとヴァレリーが、親バカ全開で賞賛しまくりレオノールを照れさせる一コマがありつつ、三人は朝食を食べながら今後の方針を話し合った。
そして、手当たり次第に探索をするしかないという結論に達する。
そうはいっても、どれほど時間がかかるか分からないくらい、この平原は広大だ。
(シルヴィ、心配しているんだろうなぁ。心配がすぎて余計なことをしていなきゃいいけど)
探索、その後の帰還にかかるであろう時間を考えながら、最初に思い浮かんだのがギルマスのことだ。
ナディの発想はさながら父親を思う娘のようなのだが、本人にその自覚はない。
(考えても仕方ないわね)
よってスパッと切り替え、ナディは思考を今後のことへ向ける。
サバイバルをするために必要な、基本的なこと。それは「衣食住」の確保だ。
「衣」は魔法でいつでもどこでも服を清潔にできるから問題ない。防寒着もそれなりに持っている。
ついで「食」。龍人族や魔族のように、最悪魔力さえあれば生きていける種族と異なり、ヒト種であるナディたちは食べなければ生きていけない。
ただ、『結晶鋼道』の海鮮階層で、市場に流したら確実に値崩れを起こすほど大量の魚介類を入手している。
この草原には可食な野草もあり、ヴァレリーが在庫不明なほど新鮮野菜を持っているので食材の心配は不要だろう。彼の従僕は野菜の目利きに関しては優秀らしい。目利きに関しては、だが。
そして最後の「住」だが……
(いつまでも【影の拠点】に頼るわけにもいかないよね。いくらヴァルでも、いつかは魔力に限界がくる。この状況で魔力枯渇は絶対に避けたいわ)
そう考え腕を組み、しばらく悩むナディ。
首を捻ったり、空を見上げたり、人差し指を額に突き立てたりする。
その仕草を見守るヴァレリーは「悩んでいるナディも無敵で素敵」と言って、寡黙でクールな彼に憧れる貴族令嬢には見せられない、だらしない表情をしていた。
(前世では優しくてカッコいいお父様だったんだけどな)
想像以上にナディへの愛が深いヴァレリーを見て、レオノールはちょっと引いた。
そうしてひとしきり悩んだナディは、一つの決断を下す。
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