語られる事もなき叙事詩(バラッド)

伊東 馨

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第1部

5 呪われしネリスの姫(2)

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(2020.5.8修正)


 食事といっても、夕食は昼の残りの僅かな干し肉と木の実だけだ。

「これ、本当に食べ物なのっ?」

 干し肉を噛み切ることが出来ず、悪戦苦闘しながら毒づく王女は、生まれて初めて危険な屋外で夜を過ごす事への恐怖と、昼間の疲れからか、青白い顔をしていた。
 だが、初めて会った時程の傲慢さは、今は薄らいでいる。
 ──あくまでも薄らいでいるだけであって、瞳の奥に宿る、常に何かに対して怒っているかのような、苛立ちめいた光は相変わらず灯っていたが。

「携帯食ですよ。王女様はこういったものを食べるのは──まあ、初めてでしょうね」
 アレクシスは軽く息をついて、王女に説明した。
「噛みながら、少しずつ唾液で柔らかくしていくんです。……まあ、日持ち重視なので」
「贅沢は言えねえよな。パンは嵩張るし」
「そうだな」
 横から会話に割り込んで来るルイスにぞんざいに答える。
「姫、こちらをどうぞ」
 魔術師が水筒を手渡す。彼もまた、王女と同じように疲労を顔に貼り付け、干し肉を力なくんでいた。


 辺りはまだ明るさが残っていたが、徐々に薄暗くなり始め、最初は勢いのよかった王女も、それにつれて落ち着かない様子を見せ始めていた。
「……火は炊かないの?」
 アレクシスの作った狭い結界の中で膝を抱え込むように座って、王女が不安そうに呟いた。
「ええ。残念ながら」
短いアレクシスの答えに、勇者ワーナーが補足する。
「姫……今夜は我慢して下さい。火を炊くとかえって妖獣を引きつけるのです」
「……逃げるんじゃ、ないの?」
「残念ながら」勇者は首を振った。「ただの獣ならそうかもしれませんが、妖獣には効果はありません。それどころか、かえって引き寄せる事になってしまいます」
 その言葉に王女の顔が青くなった。
「そ……そうなんだ」
「夜は物音を立てない様にして、じっとやり過ごすしかありません。──とはいえ、まだもう少しの間は、こうして会話をしても構いませんよ」
 ルイスは少し苦笑しながら、気さくに話しかけた。
「ところで、話は変わりますが、なぜ俺達のような傭兵を雇って、秘密裏にアイゼンメルドまで行くんです? 本来なら騎士を護衛に連れて、もっと大掛かりな旅をするはずでしょう?」
 この辺の、柔和な顔立ちを利用した対応は、彼が得意とする分野だ。アレクシスの場合、相手の神経を逆撫でする方がうまかった。
 ルイスの言葉を聞いた途端、王女は妙にソワソワし始めた。視線を左右に揺らし、落ち着かない様子を見せる。何か言いづらい理由でもありそうだ。
「──まあ、内密なことなら、別におっしゃらなくて結構ですがね……」
 ルイスは、どうやら聞かない方がよさそうだと判断して、そう口にした。だが、彼が最後まで言い終わる前に、王女が答えてしまった。

「──家出だからよ」

 王女は、憮然としながらもあっさりと言う。やはり、聞かない方がよい言葉だった。
「聞こえなかったの? 家出なの! だから、城を出るのに手間取ってしまって、落ち合う時間に遅れちゃったのよ!」
 アレクシスとルイスは互いに顔を見合わせた。


 王女の家出。

 
 それはまた、何と不穏な単語だろう。出来れば理由は聞きたくないが、聞かない訳にはいかない。自分達の進退にも関わってくる重要事項だ。
 悪くすれば、自分達は王女を誘拐した犯罪者という立場になってしまうのでは──その可能性を、二人は即座に思い描いた。

「なぜ家出をしたか聞いても?」
 アレクシスに聞かれたトリニティは、口ごもりながら顔を赤くした。
「……アイゼンメルドに有名な癒しの技を行う司祭が誕生したという噂を聞いたからよ……」
「ベルダ司祭の事? ──有名ですもんね。でも、いったい何を治して貰いたいんです?」
 ルイスがそう聞いた途端、王女の顔に深い悲しみとも絶望とも取れるような表情が浮かんだ。
 この国の民ならば誰でも慣れ親しみ、染み付いたようなその表情だが、王宮の奥深くで大切に育てられてきた王女がするような表情かおではないはずだ。
 だがトリニティの表情は、絶望することに馴れ切った者が見せるだった。

「──あたしを見て、どう思う?」

 ポツリ、とトリニティが言う。
 その言葉に咄嗟に反応できず、アレクシスは戸惑った。トリニティは自嘲気味に笑って面をあげた。
「あたしは今年で十八よ」
「──?」
 目の前の少女はどう見ても十歳くらいに見えた。

 だが──。

「……おかしいとは思ってました。確か、第二王女は十六歳だったはず。──それが王女の『呪い』?」
 王女はこくりと頷いた。
 だが、果たしてそれが呪いといえるのか。人間の悲願は、常に、不老不死ではなかったか。


 そんな思いを見透かしたかのように、トリニティは卑屈そうな笑みを漏らした。
「ただ年をとらないだけじゃないの。──確かに、外見だけなら歳をとっていないけれど。だけど、実際よりも速いスピードで老いている……。見て──」
 王女は自分の袖をまくり腕を見せた。針金のように細い少女の腕は不健康な色合いで、萎びた老人のようだった。
「あたしは今年で十八になるけど、見た目は十歳のまま。……そして、肉体の年齢は六十歳の老婆──これがあたしの『呪い』よ」
 トリニティは、深い哀しみを湛えて言った。
「このままでは、あたしは後二年もすれば老衰で死ぬと言われたわ」
 隣で宮廷魔術師は気遣わしげに王女を見やった。
「国中の、癒しの技を使える白魔術師や司祭達には診て貰いました。でも、誰も王女の『呪い』は癒せませんでした。……それどころか、彼らは一様に、これは『呪い』などではない、と言うんです」
 トリニティは両手で顔を覆った。
「でもあたしは、まだ死にたくない。──諦めたくない。きっとどこかに、あたしの『呪い』を治せる人はいるはずだと信じてるわ」
「アイゼンメルドのベルダ司祭の噂を聞いたのは最近ですが、試せるだけ試してみようと思って、私が──」
 魔術師の言葉をアレクシスが引き継いだ。
「──王女を連れ出した? 罪人として処分されるのを、覚悟の上で?」
 ベルクトスカは青い顔で唇を噛んで俯いた。「そうです」硬い声を返す。

 では、宮廷魔術師は充分に思慮した上でこの無謀な行動に及んだというわけだ。

 それ程までの忠義をこの『呪われた』王女にいだいているというのか。
「処分っ?」
 魔術師の言葉を聞いたトリニティは弾かれたように顔を上げた。
「処分って、何?」
 心底驚くその様子に、アレクシスは思わず唇の端を持ち上げた。
「──何だ? そんな事も考えなかったのか?」皮肉を込めてそう言う。「普通、王女を城から無断で連れ出せば、そいつは誘拐犯として処罰を受けるもんだ」
「そんなっ──!」
 それまで思いも寄らなかったあたりは、いかにも世間知らずの王女らしい浅薄さだが、人の上に立つ者としての自覚が足りなさ過ぎるのではないか。
 アレクシスは目前の王女を、少々の呆れを持って見た。
「そんな……ウェリスが無理やり城を連れ出したんじゃないわ! 噂を教えてくれたウェリスに、あたしが連れて行って欲しいって頼んだのよっ?」
「どっちが率先して城を出たかは問題じゃありません。客観的に見て、普通は魔術師殿が犯罪者として処刑される。 ──もちろん、俺達も含めてね」
「俺達?」
「そう。この場合、俺達も王女誘拐犯一行とみなされるでしょう」
「そ、そんな……!」
 トリニティはようやく自分の分別のなさに思い至ったらしかった。考えをめぐらせるように、震える声を絞り出す。
「だ……大丈夫。あたし、普段は塔に閉じ込められていて殆ど誰とも会わないの。だから、往復八日くらい城を空けても、誰も気付かないわ……そう思って、家出してきたんだもの」
「塔に、る……?」
 アレクシスが繰り返したが、『処分』の言葉に衝撃を受けているトリニティは気づかなかったようだ。両膝を抱えるような座り込み、青い顔で震えている。
 その様子は、昼間初めて会った時のような、威圧的で傲慢な様子ではない。アレクシスの言葉に簡単に衝撃を受けるような、若い娘、そのままの姿だった。
 おそらく、こちらが本来の彼女なのだろう。

「……大丈夫ですよ」

 勇者ワーナーが、深みのある落ち着いたバリトンを響かせて、王女に告げた。
「王はご存知です」
 顔を上げた王女に、穏やかな笑みを返して、ワーナーが頷いた。
「……本当……?」
「ええ──私が王に申し伝えました。……だからこそ、私が同行したのです」
「──じゃあ!」
 トリニティが身を乗り出した。その顔に喜びが広がる。
「ウェリスは処分されないのねっ!?」
「──ええ」
「お父様、何て? 何かおっしゃったの!?」
 それまでとは打って変わったように頬を紅潮させて言うトリニティに、ワーナーは落ち着いた優美なその風貌をやや曇らせ、躊躇いがちに告げた。
「……気の済むようにするがよかろうと」


 瞬間。


 王女の顔から、表情の一切が、刷毛で掃いたかのように消えた。
 仮面でもつけたかのように、童女の萎びた顔に無表情が貼り付けられる。

「──そう……」

 ゆっくりと目線が落ち、両の手を胸の前で握り締める。瞳の中に、澱のように濁った、怒りとも絶望ともつかぬ光が揺らいだが、それもすぐに拭ったように消えた。

 トリニティはそれきり黙り込み、一行の頭上に沈黙のとばりが落ちた。

「──姫……」
 ベルクトスカは王女を気遣いながら、そっと自分のマントを肩に掛けた。

 この呪われた王女が城でどのような立場にあり、どのような扱いを受けてきたのかを垣間見たアレクシスとルイスは、お互いに掛けるべき言葉を失って無言で顔を見合わせた。
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