語られる事もなき叙事詩(バラッド)

伊東 馨

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第3部 天の碧落

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 倒れこんだまま、魂の内側で想像を絶する苦痛と戦い続けているアレクシスの傍で、なすすべもなくトリニティは泣いて泣いて泣き続けた。
 その間、アレクシスの汗を拭き、声を掛け、彼の苦痛が少しでも楽になればと体をさすり続けた。信じられないほど熱い体を少しでも癒そうと苦心し、自分の着ていた防寒着さえも全て彼の体を覆う為に使った。幾夜も重ねた旅の夜の寒空にそうした様にアレクシスの傍に寄り添い、トリニティは己の枯れたような体温さえ分け与えようとした。
 何の力もなく、振るう剣の腕前さえも無く、己の無力さを怨み続けた旅路ばかりだったが、トリニティはこの時ほど己の無力さ、無能さを骨身にしみて感じたことはなかった。
 そう。
 ここでも自分は何の役にも立てていないのだ。
 トリニティのすぐ傍でこれほどアレクシスが苦しみぬいていても、そのたった一人だけの戦いを傍で見ているしか出来ないのだった。
 泣くだけの自分が嫌だと此処まできたはずなのに、結局のところそれしか出来ない自分が堪らなく惨めで憎かった。
 そう。
 自分自身が憎くて堪らなかった。
 食いしばった唇から赤黒い血が滴り落ちても、トリニティが自分を憎む事を止められなかった。



 
 どれ程経ったのか。



 一日だろうか。

 それとも数日も過ぎたのだろうか。

 地下深い迷宮の中では時間の流れさえ分らなくなったが、耐えられない程の苦悩の時間をトリニティはアレクシスの隣で耐えた。




 トリニティはアレクシスの傍の壁に膝を抱えて寄り縋っていた。
 泣きはらした目は腫れ上がり、眼窩は落ち窪んでいた。
 光る筒がもたらす恒久的て無機質な明かりと、まったき闇との境界線のその向こうに、魔王は飽きもせず静かに佇んでいた。
 トリニティが此処へ来て以来、ずっとその場所から動きもせずに何かを待つように立ち尽くし続けている。

 何を──。

 決まっている。トリニティは乾き干からびた唇をひと舐めして、再びアレクシスに視線を落とした。
 何千回。何万回そうしただろう。
 何も見出せない、死体となんら変わることの無いように見えるアレクシスの体に、何を見出そうとしているのか。それさえ忘れかけた。



 やがて。




 微動だにしないアレクシスの表情の中に何かを見出して、トリニティが身を跳ね起こした。死人のように暗く落ち窪んだその目に強い耀きが弾けた。
「──アレクっ──!」
 擦り寄った最初、そこに何の反応も見出せなかった。

 だが。

 やがて。

 小さな苦鳴が一つ、あがった。



 張り詰めたようだったトリニティの表情に、安堵の色が一気に広がった。
「……アレク……!」
 その声に呼応するかのように、アレクシスの頭が僅かに揺れた。
 かなりの時間を要して……その果てに……その瞼がうっすらと開いた。印象的な色の、タンザナイトブルーの瞳が再び地上に戻ってきた。トリニティが歓喜に奮えながらすすり泣いた。
「アレク、アレク、アレク!」
 何度もその名を呼ぶ。
 だが、アレクシスの瞳孔は何処も見つめてはおらず視点は定まらない。意識はまだ混濁としているようだった。
 それでも愛しい男の命息吹きを認めた嬉しさに、トリニティは歓喜に頬を紅潮させた。あまりの嬉しさに頬を涙が零れ落ちる。
 アレクシスが唇が空気を求めるように微かに開き吐息がこぼれた。意識を取り戻そうとしているかのように顔が何度かゆっくりと左右に振られる。
 朦朧とした様子でだったが、その瞳がトリニティと重なった。
「……トリニティ?……」
 苦しげな吐息の中に微かに笑みが零れた。
「アレクっ? 良かった! 気がついたのね!?」
 喜びに湧くトリニティとは裏腹に、アレクシスの意識は完全には戻ってはいないようだった。瞳に力が無かった。トリニティに焦点が合ったように見えても、それはすぐに通り過ぎていく。
 白濁した意識の中でアレクシスがトリニティに語りかけた言葉は、目の前の本人に向けた言葉かどうかも怪しい様子だった。 ──あるいは、意識の中の独白に過ぎなかったのかもしれない。
 いつの間にか魔王が二人のすぐ傍に来ていた。アレクシスを抱きしめるトリニティを──二人の様子を、今までとは違った様子でじっと見つめていた。
 トリニティが険のある目つきで魔王を睨みあげた。
 魔王が満足そうな笑みを浮かべて足元のアレクシスを見つめ返した。
「戻ってきたわ!」トリニティは言い放った。「──アレクは戻ってきた!」
 魔王は深く頷いた。
『そうだな』
「これであなたはアレクのものよね?」
『そうだ』
「じゃあ、答えをっ!」トリニティは魔王に荒々しく命じた。魔王を睨みつけるその目が怒りと憎しみで燃え上がっていた。
 魔王フェリアーはその瞳をじっと覗き込むように見つめたあと、短く答えた。
『イシリが知っている』
「……何処に……」
 アレクシスが喘ぐように尋ねた。魔王はさらに短く答えた。
『首都に』
 答えるようにアレクシスが眉を上げ、トリニティはその答えに息を飲んだ。
 そして。
「……よかった、な。これで──あんたの、呪いも……解ける……」
 何度も息を継ぎながら、アレクシスが途切れ途切れに言った。
「──」
 トリニティは声を詰まらせ、唇をきつく噤むとアレクシスの胸元に頭を垂れて額をこすり付けた。そのパサついた茶色の髪の上に、大きな掌が優しく乗せられた。指が微かに撫ぜる様に動いた。
 トリニティは歯を食いしばって肩を震わせた。
 泣き顔を見せまい、泣く声を聞かせまいと懸命の努力をして歪むような笑みを見せて顔を上げ、アレクシスを見つめた。朦朧とした様子のアレクシスの手がゆっくりと伸びて、トリニティの頬をそっと包み込んだ。
「……アレク……」
 こんなになってまで。
 こんな時にまで。
 やっと目覚めてさえ、一番最初に口にした言葉が自分を案じる言葉を吐き出す。そう思うと胸が詰まった。
 涙が零れ落ちた。
 初めてアレクシスと出会ったあの日。あの日も、倒れたアレクシスの傍にこんな風にして座り込んでいた。あの時も、やはり彼は自分の為に死にかけたのだった。
 トリニティは声を殺して啜り泣きながら、そっとアレクシスの手を握り返した。
 そして、自分も同じように彼の頬に手を当てた。二人の吐息が近かった。
 トリニティがそっと瞬きをしてアレクシスを見つめ、愛しげに頬を撫でた。吸い寄せられるように頬を寄せ、触れあった。重なり合った肌から、アレクシスの温もりが伝わってきた。
 トリニティはそっとアレクシスの名をささやき、その先を呟いた。そして吐息を重ね合わせるかのように……そっとその唇を重ね合わせた……。


 凍える北国の果ての大地。
 誰も知らぬ地下深い迷宮の奥底で。
 ネリスの呪われた王女は愛する男をそっと抱きしめた。



(語られる事もなき叙事詩3 完)



+——————————+
|        「語バラ(裏)」    
+——————————+
『完成記念パーティー』


トリニティ:「今日は『語バラ3』完成記念パーティーにお招きくださって、ありがとうございました! つ、ついにあの恥ずかしいシーンが公開されたのねっ!」

ルイス:「そうそう! 随分前にこの『裏』で撮影現場の裏話を公開したっけね。あの謎がついに解けたって事で、やあ、めでたいな!」

トリニティ:「めでたくないわよっ! 大変だったんだから、あのシーンの撮影!」

ディーバ:「そうは言ったって、この小説は恋愛小説なんだから、恋愛シーンは必須だろ。しかもキスシーンくらい、濡れ場にもならんぞ」

ルイス:「だよなー。って、おい、アレク! お前、何こそこそ逃げ出そうとしてるんだよ! 出てこいって!」

アレクシス:「う……! 俺の事はほっといてくれ!」

ルイス:「なーに言ってんだよ! ちょうど今、お前の恥ずかしいシーンの事を話題にしてたところなんだからさ!」

トリニティ:「……恥ずかしいって……恥ずかしいのはあたしの方よ」

アレクシス:「うるさいっ! ほっておいてくれったら!」

ルイス:「まあまあ、お二人さん。確かにお互いに恥ずかしいシーンだよな~。よりによって、お姫様が気を失ってるアレクシスに迫って唇を奪っちゃうなんてさ! 普通、逆だよな! あ──! まあ、それはそれで、アレクシスがそんなシーン撮影する根性なんてなさそうだけど! ははは! ──って、待て待て、二人ともっ! 振り上げてる拳を下ろしてくれっ……!」

アレクシス:「……クソっ! ハァハァ! 逃げ足の速い奴め!」

ディーバ:「逃げ足が速いのはお前もな!」

アレクシス:「う! クソッ!」

セリス:「ほほほ。恥ずかしがられることなんてありませんわ。アレク様。わたくしだって、あのルイスに唇奪われるシーンを随分前に撮影済みです!」

アレクシス:「顎から上はフレームアウトだったろ! 真似だけだっだじゃないか!」

セリス:「まあそうですが。そのくらいのシーン、撮影に掛ける情熱があればどうって事ありませんわ! 御覧なさいませな! ハリウッド映画を! あの、映画ひとつにつき必ずワンシーンは入る無意味な濡れ場をっ! なぜ其処でその場面でそんな場所で無意味にそんな事してますの? そこでいちゃついてたら倒されるでしょって、ツッコミを入れたくなってしまうあのアメリカ映画のお約束をっ! それを思えばもう、先ほどのシーンくらいどうってことありませんわよ!」

ディーバ:「やー、だからいいんだろ? アメリカ映画は! 日本の時代劇のお約束と同じだろ! 時代劇には印籠、アメリカ映画には濡れ場、インド映画には歌と踊り!」

アレクシス:「や、その比べ方はちょっと……それぞれのファンからブーイングが来そうな……」

ルイス:「ま、とにかく。無事終わったんだからいいじゃないか!」

アレクシス:「ま、まぁ、そうだな」

ルイス:「うんうん。いよいよ次は最終話だな!」

アレクシス:「すぐ続いて話が始まるのか?」

ルイス:「いや。ちょっと『裏』や外伝で繋ぐ予定だそうだ」

アレクシス:「へー。けど「4」ももう話が出来てるだろ? この間ぶあついシナリオを渡されたぞ?」

ルイス:「だよな。なんていうか、むりやり「4」に収めようとすると「3」みたく長くなりそうな……」

アレクシス:「それはしたくないだろう! 作者としては!」

ルイス:「だな。まあ、あとは引っ張ってた伏線を順次出していくだけだしな」

アレクシス:「ピー」

ルイス:「なんだよそれ、ピーっての」

アレクシス:「それ、ネタばれ。それ以上言うな」

ルイス:「あ、そうか。……それでは、「4」連載開始をお待ちください!(そしてスマイル)──こんな感じでいいかな?」

アレクシス:「お前、相変わらずそういう時棒読みだな」






という事で。次回更新は、外伝『空鳴り』よ予定です。
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