語られる事もなき叙事詩(バラッド)

伊東 馨

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第4部 アマランタイン

第1章 首都、再び 5

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 人は言う。
 女神イシリは今も国のどこかに居て、この国と人々を守っているのだと。






「グラディスって……マダム・ペリペっ?」

 トリニティは驚きの声をあげた。
 僅かな記憶しかない傭兵屋兼武器屋の女主の記憶は、それでも印象深かった。
 豊満な胸。円やかで全てが曲線で構成された女性特有の美しい肉体。その美を余すことなく見せる事に情熱を注いだ露な衣装。
 肩から背中にかけて豊かに流れる茶色い髪。煽情的なその瞳。吸い付きたくなるような濡れた唇。そして、ぞくぞくするような艶のある声。
 そのどれをとっても。
 何処からどう見ても──彼女は女だ。それも、下品な表現をすれば……すこぶるつきの。

 トリニティには俄かには信じられなかった。

 天使も悪魔も──元は同じだが──性別は無いはずだ。
 見た目は男のように見えるが、あまりの美しさに女かもしれないと疑う。だが水平線のような胸元が、やはり男なのだと理性を納得なせる──トリニティの知る限り、彼らは一様にそういう外見をしていた。女性の姿をしている天使というのも聞いたことは無い。

 戸惑うトリニティの周囲に、魔王が描き出した魔法円が現れた。俄かに眩暈が彼女を襲う。空間が歪んだような、何処が上で何処が下なのか分らないような。不確かな感じが身体全体を支配した。
「う……」
 吐き気を催す、目もくらむような感触にトリニティは思わず呻り声を上げた。

 そして……。

 次に目を開けるとそこは……。


「──姫さん!!」

 懐かしい声が彼女の耳に届いた。
「ル……ルイス……」
 トリニティはうろたえながらルイスの顔を見上げその名を呼んだ。  
 ルイスは親愛の情をたっぷり──相変わらず大げさに──あらわしながら、懐かしそうにトリニティをひょいと抱え上げると、幼子によくするように目線よりも上の高さまで持ち上げた。
 そして、気さくで人好きのする満面の笑みを浮かべ、彼女を上から下までたっぷりと検分した。
「相変わらず小さいなぁ──大きくなったような様子が無いぜ」
 それはそうだろう。ダンジョンまで行ったが、そこでは彼女の呪いを解く方法は見つからなかったのだから。
「そして前以上に死にかけてるように見える」
 その言葉はトリニティに対してだろうか。それとも、言いながら目を向けるアレクシスに対してだろうか。目線の先のアレクシスが苦々しく顔を顰めた。
「……で、二人だけの旅の結果はどうだったんだよ? それと、この超がつくような美形の兄さんは?」
 ルイスの質問に対してトリニティはなんと答えたものかと戸惑った。だが結局、いい言葉が見つからなかったので、事実をそのまま告げた。
「魔王よ」
 その言葉にルイスが目を剥いた。だが──その驚きの瞳の中に、驚愕以外のものは何も見えなかった。──恐怖も、疑念も。真実を欲する問いさえも。……ルイスにとっては、そんなことは取るに足らないような些細な事なのだとでも言うように。
 ……そんなルイスだからこそ、アレクシスのような型にはまらない男の相棒が長く務まるのだという事実に今更ながらに気付いて、トリニティは苦笑した。
「……結局、ダンジョンでは呪いを解く方法は分らなかったの」
 トリニティは手短に事情を説明して、ルイスに床におろしてもらった。ルイスが残念そうに肩を竦めた。
「あ……でも──首都にその方法を知ってる人が居るって事だけは分って……それで急いで戻ってきたのだけど」
 トリニティは言いながら室内を見渡した。いま自分が居る場所と……そして目指す人物が居るのかどうかを確認しようとして。
 トリニティの様子に気付いたルイスが、室内を見渡せるように一方後ろに下がってくれた。
「ああ──ここ? マダムの店の中だぜ」
 以前彼女が治療を受けた、あの部屋だった。
「……マダムはどこ? それから、ええと……どうしてあなたがここに?」
「それは、どうして俺がアイゼンメルドに居ないのかって意味か?」
 ルイスが意味ありげな笑みを浮かべてトリニティを見下ろした。トリニティが慌てて頷くと、ルイスは軽く指先で顎をつまんだ。
「そいつを一言で説明するには骨が折れるな……」
 そう言いながらもルイスは出来る限り簡潔にトリニティに説明してくれた。
 ベルダ司祭は今はアイゼンメルドにいること。自分達はマダムの協力で向こうと首都を行き来しては物資を手に入れるようになったこと。仲間を増やす為の活動を始めている事など。
「『魔王軍』もそれなりに所帯が大きくなったんだぜ? ──実のところ、たかが知れてる程度以上にな。それだけ、前王や新王のやりようがあんまりだってことだ」
「新王──?」
 トリニティはルイスの言った言葉の欠片に耳を止めた。
「ああ……。新王ってのは、セリス王女だ……今はもう王女じゃないけど……王が急逝して、彼女がその地位を継いだんだ」
「嘘っ──!?」
 トリニティは絶句した。頭を強く殴られたような衝撃を受けて、しばらく言葉を発する事ができなかった。
 何度も息を吸い込んでは吐き出して、それを繰り返した後、ようやく震える声を搾り出した。
「……お父様が……お亡くなりに?」
「ああ……」ルイスは気遣うようにトリニティを見つめた。「理由は分らないけどな」
「そしてセリスが王位を継いだ……?」
「ああ」
 短く、再びルイスが答えた。
 トリニティは胸が締め付けられるように痛んだ。
 父王を討ち、民を守るため叛旗を翻す決意をして首都に戻ってきたが──すべては手遅れだったのだ……。自分がしようとしたこと、してきた事は、ただ時間を無為に使い込んでしまっただけの事だったのだ……。そんな言葉がトリニティの頭の中を繰り返し渦巻いた。
 トリニティの胸に砂を噛むような、重苦しい塊が生まれたような気がした。身体が重い。体中から力が抜けていく様でもある。もう立っていることさえ辛い……。
 よろめくトリニティの背を、アレクシスが受け止めた。
「じゃあ、もうアイゼンメルドの民は安全なのか? 事態は終わったのか?」
 アレクシスが厳しい口調でルイスに尋ねた。
 ……もともとは、トリニティの暗殺事件がことの発端だったはずだ。
 国王がセリス王女に嫡子の資格を移すため、トリニティを暗殺しようとした。生き延びたトリニティが逃げたのがアイゼンメルドだ。
 王はアイゼンメルドの人々も含めて、事情を知る者達全員の口封じをしようと、町の殲滅命令を出した。
 結果は辛くもこちら側の勝利。……とはいえ、生き残った僅かな住民が血の雨で滅んだ町で冬を越す事は難しく、続く国軍の派兵にも備えなければならない。始めの理由はどうあれ、もはや彼らは国に逆らった反乱者なのだ。王がその存在を今後も許すはずが無い。早急に次の手を打ってくるはずだった。
 ──だからトリニティはアレクシスと共にアイゼンメルドを出たのだ。
 トリニティの呪いを解く方法を探しに。アイゼンメルドの人々と共に生き、彼らの傍で、彼らを今後も守り続ける事が出来るように。


 だが……。

 その、そもそもの原因であった父王が死んだ……。
そして、亡き王が望んだとおりに、妹王女が王位を継いだ──。もはや、トリニティの命が狙われる理由も、アイゼンメルドの人々が討伐される理由も、無くなったようにトリニティには思えた。

 だが。

「いやー。新王は前よりもっと凄いぜぇ。あの外見からは想像できないような残虐さだ。父親よりよっぽど酷い王になっちまったぜ?」
 ルイスの言葉に、トリニティはのろのろと顔を上げた。父の死を告げられた衝撃に、まだ思考が上手く廻らない。ルイスの言葉も、始めのうちはどういう意味なのか上手く理解できなかった。
「オヤジさんよりもセリス王女の方が何枚も上手だ──。残虐ぶりがって、意味だぜ? どういうことだか聞きたいか?」
 アレクシスがルイスに先を促した。
「首都の、子供という子供がみんな家から引きずり出されて、その場で殺されるんだ。逆らった奴も同様、言い分がありそうな面ぁした奴も同様、誰一人、言い逃れも反抗も許さない」
「──!」
 ルイスの言葉にトリニティは耳を疑った。あまりの衝撃に、喉の奥に塊が出来たように上手く息が出来ない。激しい眩暈もした。
「理由は分らない。……だが……これは、クリスター卿の考えなんだけど──何か、ある目的があって、そのためにそんな行動をとっているようだって事だった」
「クリスター卿?」
 その言葉を耳に留めたアレクシスが言葉を遮った。応じて、ルイスがいたずらっぽい笑顔を見せて瞳を輝かせた。
「──そう! クリスター卿だ! あの、ザルツラントの! お前の天敵の!」
 アレクシスが盛大に顔を顰めた。目が険を含んだが、怒りを……というよりも辟易として……というような様子でだった。まさに、苦手とする人物に対峙するときに人が誰しも見せるその様子に、ルイスは笑いを抑えるようにして何度も頷いて見せた。
「卿がいま俺達の仲間になっていて──なんとお前を追ってきたんだとさ、『勇者様』──その卿が、お得意の情報操作と煽動力を駆使して、王に不満を持つ人々や追われた人々を一つにまとめあげ、組織化して──ザルツラントでやったように──くれたのさ! で、いまじゃ俺達は立派に、一大反乱組織を作り出したって寸法だ!」
 ルイスが身振り手振りを交えながらそう説明した。
「……あとは姫さんとお前が帰ってくるのを待つばかりだったって、ワケ! なんつったって、姫さんはこの『反乱軍』……いや、『魔王軍』? ……実はちゃんとした呼び名は未だに無いんだが……の旗頭だからな! あんたが居なきゃ、本当の反乱の旗は揚げられないからさ!」
 後ろからも声がした。
「謁見の間に出入りできる有力な諸侯の中にも、こちら側に就く人たちが出始めたのよ? その彼らの話によると──トリニティ王女、セリス王女がこんな畜生道のようなことを始めたのは、あなた──あなたを手っ取り早く首都に呼び寄せる為なのだそうよ? こうすれば、あなたは必ず自分から首都にやってくるだろうからと。そうすれば派兵の手間が省けるでしょ」
 部屋の扉から、マダム・ペリペが入ってきたのだった。
 トリニティはぎょっとして後ろを振り返った。その扉の向こうから、天使と悪魔も入ってきたが、トリニティ達の隣に立つ魔王の姿を見るなり硬直した。
 マダム・ペリペは腰に手を当て、不遜な態度で魔王の姿をねめつけた。
「──フン」マダム・ペリペが馬鹿にした口調で口を開いた。「……ようやく、あの石の中からでてきたのね」


(続く)


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|        「語バラ(裏)」    
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 『悪魔ディーバの呟き』


ディーバ:「フゥ──ッ。……遂にこの時が来たか」
アブリエル:「何ため息をついたりしてるんですか?」
ディーバ:「今回の本編の事だよ」
アブリエル:「ああ……。そうか、そうですね」
ディーバ:「おっ! 遂にお前でも分るときが来たのか! 場の雰囲気と言うものを察するときが!」
アブリエル:「むっ。……失礼ですね、その物言い。……勿論ですとも! 下界のことにとかく疎く、皆様にご迷惑をかけてきた私ですが、最近はそんなでもないんですよ!」
ディーバ:「何嬉しそうに胸張ってんだよ! そうか、分ったか! 俺の言いたい事が!」
アブリエル:「もちろんです! ──今回、遂にトリニティ王女が無事お戻りになりましたね!」
ディーバ:「──ガクっ! なんだ、ちっとも分ってねぇじゃないか!」
アブリエル:「えええっ? 何か、おかしな所がありましたか?」
ディーバ:「アリもアリ、大有りだろ!?」
アブリエル:「……何処がですか?」
ディーバ:「……お前……それ、本当に真剣に言ってるか……? わざと狙って言ってたりしないか?」
アブルエル:「だから、なにがですか」
ディーバ:「……そうだよな……。お前にそんな器用な真似が出来るはず無いか」
アブリエル:「ムッ」
ディーバ:「いや、感心した俺が馬鹿だったよ」
アブリエル:「ムムッ。何だか酷く馬鹿にされている気がするのですが、気のせいですか」
ディーバ:「いいや。気のせいじゃねぇ。気のせいじゃねぇが、このままだと台本が先へすすまねぇんで、先に進めるぜ」
アブリエル:「釈然としませんが、どうぞ」
ディーバ:「つまりだな、ついに、魔王二人が出揃ったってこった!!」
アブリエル:「ああ、そこですか!」
ディーバ:「……なんかお前ってズレてるよな……」


ディーバ:「あ」
アブリエル:「なんですか?」
ディーバ:「そろそろ紙面が一杯一杯だ」
アブリエル:「紙面? ……メルマガですよ、これ? 紙面容量なんてありましたか?」
ディーバ:「いや。送信限度容量だがな…・・・」
アブリエル::「??? そんなもの、本当にありましたっけ???」
ディーバ:「うるさい、こういうトコだけ妙に勘を働かせるな! とにかくだな! 次号に続くって事だ!」


(笑)

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