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1章
妖怪のいる街②
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「あさだよー、起きなって」
七海の声がする。
朝田陽という名前をいじられるのも、もう慣れた。七海と知り合って最初の内は、顔を合わせるたびに、フルネームを連呼してきた。顔を上げるとすでに講堂の中は明るくなっている。朝田は眩しさに顔をしかめる。
「あんなに楽しみにしていたのに、良く眠れるよね」
七海は呆れながらも、朝田が席を立つのを待っている。聴衆たちは我先にと出口を目指して、結果的に長い行列を作っていた。
「昨日あんまり寝れてなかったからな」
「それはいつものことでしょ? いつか本当に倒れちゃうよ」
七海は心配そうに眉を歪めた。久しぶりにぐっすりと眠れた、朝田はまだぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。
確かに疲れていたが、寝つきが悪い自分が居眠りをしてしまったこと自体が朝田には驚きだった。
「堂森先生の声にはα波が含まれていたんだよ」
真面目な顔をして言う朝田に七海はなにそれ、と笑った。
朝田は七海に今日の講演会の話を聞こうと思ったが、それは叶わなかった。講堂を出たところで七海は急に「僕を呼ぶ声がする」と言い残し、どこかへ消えてしまった。
普段から唐突な言動が多い男ではあるが、何が起きたか分からずに朝田は七海が去っていった方向を見続けるほかなかった。
まだ眠気は残っている。中途半端に寝てしまったからだろう、どこかで休もうと思い立ち朝田は中庭のベンチを目指した。
大学の中庭は閑散としていた。土曜日なので講義もなく、お目当ての講演会が終わったことで帰宅した者も多いのだろう。適当にベンチを選び、腰を掛けた朝田はそんなことを考える。秋が近づき、幾分か過ごしやすくなった。
朝田は先ほどの講演会のことを思い出していた。あれだけの聴衆の中でも寝ていたのは自分だけだろう。目立つことは極力避けたいというのに不覚だった。目立つと言えば、七海はかなり大きな声で朝田の名前を呼んでいた。
朝田は苦々しい顔をする。朝田陽という名前は自分には不釣り合いのように感じる。陽という字を名前につけた両親のことを少しだけ恨む、陽なんて名前は自分には似合わないと思っていた。
「どちらかと言えば、陰の者だろう」
思わず声に出てしまう。
「陰の者?」
声がして思わずそちらに振り替える。ベンチの後ろには先ほどまで200名以上の聴衆を前に講演会を行っていた堂森が立っていた。
「堂森、先生……?」
朝田は思わず声に出してしまう。気配なく現れた堂森の姿に、朝田はまだ自分が夢の中にいるのかと疑う。
「君は確か、さっき私の講演会で居眠りをしていた子だね」
堂森は夜目は利くほうなんだ、と付け加える。
「いや、あの」
どうしてあの暗闇で見えるんだと朝田は返しそうになるがこらえる。寝てしまっていたのは事実なのだから、こちらには反論する権利がないような気がした。
「私の話はそんなにつまらなかったかな」
堂森は残念そうな顔をする。朝田は焦って否定しようとしたが言葉が出てこず、口をパクパクさせる。堂森はそんな朝田を見て、くくくと笑いをこらえる。
「冗談だよ、若い子をからかうのは楽しいなぁ」
朝田はそんな堂森を見て確信する。
この人は変だ。そして、性格が悪い。
「でも、いくら若くたって夜遊びばかりは良くないぞ」
堂森には自分が夜遊びをする若者代表のように見えるのだろうか。朝田のそんな気持ちを察したかのように、堂森は続ける。
「ま、これも冗談なんだけどね」
「実は昨日、通り魔に襲われて」
口に出してから、朝田は自分に驚く。相手が作家だとはいえ、初対面の人間にそんなことを言っても信じてもらえるわけないだろう。一笑に付されるのが関の山だろう。
朝田の予想に反して、堂森は急に真面目な顔になり隣に座ってきた。詳しく聞かせて欲しいという堂森に負け、朝田は一部始終を話す。七海にも言っていないが、影に縫い付けられたように動けなくなったということも伝える。
作家の堂森ならば信じないまでも、面白いと感じてくれるかもしれないという期待があった。
「影が、ねぇ」
堂森は顎に手を当てながら、何かを考えるような動作をする。話し終えてから朝田は、堂森も様子を観察していた。ほら話だと思われるだろうか、もしかしたら話しかける相手を間違えたと思われたかも知れない。
「学生さん、そういえば名前は――」
堂森の質問に、朝田は慌てて名乗る。
「朝田くん、妖怪は本当にいると思うかい?」
「妖怪? それは、どういう」
朝田はその言葉に少し戸惑ってしまう、もしかして自身の秘密がバレているのかと身構える。
「影踏み、猫又、豊前坊、天邪鬼、ひだる神、双子屋、塗壁、濡女、全部この街に住んでいる妖怪だよ。君が出会ったのは影踏みで間違いないだろう。姿を見ていないのであれば、出会ったとは言えないか。朝田くんは影踏みに魅入られちゃったのかもねぇ」
朝田は何も言えないまま、固まってしまう。
「この街は、妖怪のいる街なんだよ」
朝田には堂森の言っていることが冗談には聞こえなかった。現に自分が今、ここにいる。見透かされているようで、なんとも居心地が悪い。
「ああ、そういえば最近は羊男という妖怪も現れるみたいだけどね」
堂森は真っすぐと朝田を見つめたまま言った。
七海の声がする。
朝田陽という名前をいじられるのも、もう慣れた。七海と知り合って最初の内は、顔を合わせるたびに、フルネームを連呼してきた。顔を上げるとすでに講堂の中は明るくなっている。朝田は眩しさに顔をしかめる。
「あんなに楽しみにしていたのに、良く眠れるよね」
七海は呆れながらも、朝田が席を立つのを待っている。聴衆たちは我先にと出口を目指して、結果的に長い行列を作っていた。
「昨日あんまり寝れてなかったからな」
「それはいつものことでしょ? いつか本当に倒れちゃうよ」
七海は心配そうに眉を歪めた。久しぶりにぐっすりと眠れた、朝田はまだぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。
確かに疲れていたが、寝つきが悪い自分が居眠りをしてしまったこと自体が朝田には驚きだった。
「堂森先生の声にはα波が含まれていたんだよ」
真面目な顔をして言う朝田に七海はなにそれ、と笑った。
朝田は七海に今日の講演会の話を聞こうと思ったが、それは叶わなかった。講堂を出たところで七海は急に「僕を呼ぶ声がする」と言い残し、どこかへ消えてしまった。
普段から唐突な言動が多い男ではあるが、何が起きたか分からずに朝田は七海が去っていった方向を見続けるほかなかった。
まだ眠気は残っている。中途半端に寝てしまったからだろう、どこかで休もうと思い立ち朝田は中庭のベンチを目指した。
大学の中庭は閑散としていた。土曜日なので講義もなく、お目当ての講演会が終わったことで帰宅した者も多いのだろう。適当にベンチを選び、腰を掛けた朝田はそんなことを考える。秋が近づき、幾分か過ごしやすくなった。
朝田は先ほどの講演会のことを思い出していた。あれだけの聴衆の中でも寝ていたのは自分だけだろう。目立つことは極力避けたいというのに不覚だった。目立つと言えば、七海はかなり大きな声で朝田の名前を呼んでいた。
朝田は苦々しい顔をする。朝田陽という名前は自分には不釣り合いのように感じる。陽という字を名前につけた両親のことを少しだけ恨む、陽なんて名前は自分には似合わないと思っていた。
「どちらかと言えば、陰の者だろう」
思わず声に出てしまう。
「陰の者?」
声がして思わずそちらに振り替える。ベンチの後ろには先ほどまで200名以上の聴衆を前に講演会を行っていた堂森が立っていた。
「堂森、先生……?」
朝田は思わず声に出してしまう。気配なく現れた堂森の姿に、朝田はまだ自分が夢の中にいるのかと疑う。
「君は確か、さっき私の講演会で居眠りをしていた子だね」
堂森は夜目は利くほうなんだ、と付け加える。
「いや、あの」
どうしてあの暗闇で見えるんだと朝田は返しそうになるがこらえる。寝てしまっていたのは事実なのだから、こちらには反論する権利がないような気がした。
「私の話はそんなにつまらなかったかな」
堂森は残念そうな顔をする。朝田は焦って否定しようとしたが言葉が出てこず、口をパクパクさせる。堂森はそんな朝田を見て、くくくと笑いをこらえる。
「冗談だよ、若い子をからかうのは楽しいなぁ」
朝田はそんな堂森を見て確信する。
この人は変だ。そして、性格が悪い。
「でも、いくら若くたって夜遊びばかりは良くないぞ」
堂森には自分が夜遊びをする若者代表のように見えるのだろうか。朝田のそんな気持ちを察したかのように、堂森は続ける。
「ま、これも冗談なんだけどね」
「実は昨日、通り魔に襲われて」
口に出してから、朝田は自分に驚く。相手が作家だとはいえ、初対面の人間にそんなことを言っても信じてもらえるわけないだろう。一笑に付されるのが関の山だろう。
朝田の予想に反して、堂森は急に真面目な顔になり隣に座ってきた。詳しく聞かせて欲しいという堂森に負け、朝田は一部始終を話す。七海にも言っていないが、影に縫い付けられたように動けなくなったということも伝える。
作家の堂森ならば信じないまでも、面白いと感じてくれるかもしれないという期待があった。
「影が、ねぇ」
堂森は顎に手を当てながら、何かを考えるような動作をする。話し終えてから朝田は、堂森も様子を観察していた。ほら話だと思われるだろうか、もしかしたら話しかける相手を間違えたと思われたかも知れない。
「学生さん、そういえば名前は――」
堂森の質問に、朝田は慌てて名乗る。
「朝田くん、妖怪は本当にいると思うかい?」
「妖怪? それは、どういう」
朝田はその言葉に少し戸惑ってしまう、もしかして自身の秘密がバレているのかと身構える。
「影踏み、猫又、豊前坊、天邪鬼、ひだる神、双子屋、塗壁、濡女、全部この街に住んでいる妖怪だよ。君が出会ったのは影踏みで間違いないだろう。姿を見ていないのであれば、出会ったとは言えないか。朝田くんは影踏みに魅入られちゃったのかもねぇ」
朝田は何も言えないまま、固まってしまう。
「この街は、妖怪のいる街なんだよ」
朝田には堂森の言っていることが冗談には聞こえなかった。現に自分が今、ここにいる。見透かされているようで、なんとも居心地が悪い。
「ああ、そういえば最近は羊男という妖怪も現れるみたいだけどね」
堂森は真っすぐと朝田を見つめたまま言った。
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