白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚

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8話

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 宮廷に滞在してから、すでにひと月ほどが経過した頃。私は、久方ぶりに晴天の空を仰ぎ見ながら、静かに深呼吸をした。
 王家の庭園は広大で、季節ごとに様々な花が咲き競う。今はちょうど初夏にさしかかり、つぼみだった薔薇たちも一斉に花を開かせ始めていた。敷き詰められた芝生に伸びる影を見つめながら、私は「平和だわね……」とつぶやく。

「お嬢様、今日もお天気が良くて何よりですね」

 隣では侍女のシューネが淡々と小声で話しかけてくれる。彼女は私にとって必要不可欠な存在だが、あまり口数は多くない。だからこそ、こうして何気ない会話を交わすだけでも、私は心が落ち着く。
 いま私がいるのは、王宮の一角にある中庭だ。午後から開かれる大規模な「王宮庭園パーティ」の準備をひと通り確認するために、こうして見回りをしている。普段なら面倒この上ないが、今日は気候もいいし、たまには歩き回るのも悪くない気がした。

「殿下もこの庭園パーティには出席なさるそうですし、リナさんも他の侍女たちと一緒に準備を頑張っているでしょうね。私たちもできるだけ協力しないと」

「はい。今日のパーティは貴族や大臣、近隣国からの使節など、多くのお客様がいらっしゃいます。なにかとお忙しくなるかと思われますが、お嬢様はくれぐれもご無理なさいませんよう」

「ええ、ありがとう。そろそろ私も着替えなきゃね……」

 王宮の庭園パーティは、貴族たちにとっていわば一大社交の場だ。華やかなドレスに身を包み、美食や音楽を楽しみながら情報交換をする。表向きは優雅な催しに見えるが、その実はいろんな思惑が渦巻いている。
 私にとっては“第二王子の婚約者”としての立場を示す舞台でもあるが、正直そこまで気合いは入っていない。形式上は夫婦になる予定でも、リオネル殿下にはリナがいる。周囲がどう見ようと、私が悲嘆に暮れることはないと思っていた。

 ところが、このパーティこそが、私たちの関係に大きな波紋を呼ぶ事件の発端となるとは……今はまだ想像もしていなかった。


大きな宴のはじまり

 昼過ぎになると、王宮の中庭は色とりどりの装飾やテーブルで華やかに飾られ、続々と招待客が到着する。風に揺れるパラソルの下には、特製の冷たいフルーツ水や高級なワイン、珍しい輸入菓子がずらりと並んでいた。音楽隊が軽やかに演奏を奏でるなかで、貴族たちは思い思いに談笑し、微笑み合っている。
 私も淡いブルーのドレスをまとい、なるべく張り詰めすぎない優雅な笑みを浮かべて、招待客からの挨拶を丁寧に受けていた。とはいえ、こういう場は慣れたものだ。ずっと作り笑顔を浮かべ続けるのは疲れるけれど、最低限の社交をこなすのは貴族令嬢の嗜みだ。

「ヴィオレット侯爵家のご令嬢、今日は一段と美しいですね」
「殿下とご婚約されたそうで、おめでとうございますわ。わたくし、あなたのドレスのセンスがいつも楽しみなんですよ」

 そんな、型どおりの賛辞をしれっと交わしながら、私は合間にちらりと人々の様子を観察する。
 ——リオネル殿下は、と見ると、少し離れたところで要人たちと会話をしているようだ。金色の髪が陽光を反射して煌めいており、遠目には気品あふれる王子の姿そのもの。しかし、その横には侍女のリナの姿はない。さすがに公的行事で“愛人”を同席させるのは難しいのか、リナは後方の一角で別の侍女とともに控えていた。
 私と視線が合うと、リナは小さく手を振って笑いかけてくる。私は軽く頷き返し、また正面の会話へ集中する。

(退屈だけど、これが“お仕事”みたいなものね……)

 そう思っていた矢先、シューネが私の背後に近づき、小さな声で耳打ちしてきた。

「お嬢様、先ほどからリナさんの周りに、ほかの侍女たちが集まって何やらザワザワしているご様子です。何かトラブルでなければよいのですが……」

「……そう? 目立たないように一度様子を見に行きましょうか」

 私は手短に周囲への挨拶を済ませ、シューネを伴って中庭の端のほうへ足を向ける。華やかなパラソルや人だかりから少し離れた場所で、リナは落ち着かない様子で侍女たちに囲まれていた。彼女たちの表情は、どこか険悪というほどでもないが、好奇や嘲りを含んだようにも見える。

「ああ、ルージュ様……!」

 リナが私を見つけて、ほっとした表情を浮かべる。そのとき、取り巻く侍女たちの中からひとりが声を上げた。

「まあ、ルージュ様……今ちょうど、リナが“信じられない物”を持っているという話をしていたんですの。殿下から受け取ったのかしら? それをちらつかせて自慢しているようにも見えて……私たち、驚いたんですのよ」

「信じられない物、ですって?」

 私は眉をひそめると、侍女たちはヒソヒソと顔を見合わせる。すると、少し意地悪そうな笑みを浮かべた別の侍女が続けた。

「だって、リナったら秘密裏にこんな書類を持っているんですよ。なんでも、王家の執務室で使われていた書類らしいじゃないですか。侍女ごときがこんな物を持ち歩いていいのかしら?」

 そう言うと同時に、そばにいた侍女のひとりが小さな羊皮紙をひらひらと振ってみせる。それはぱっと見ただけでも、高位の公文書を模しているかのような体裁が整っている。内容までは確認できないが、王家の紋章らしきマークが施された封印痕もついているように見えた。

 リナは慌てて侍女から書類を取り返そうと手を伸ばすが、「おっと」とひらりとよけられ、うまく奪えない。困惑しきったリナの瞳は、すでに半泣き状態だ。

「ち、違うんです……! これは私がうっかり拾ってしまったもので……リオネル様の部屋のお掃除をしたときに、床に落ちていて……。殿下にお返ししようと思ったのです……」

「それならどうして、こんなところに持ってきているのよ? 本当にただの掃除の拾い物? どうせ殿下から“特別な指示”でも受けているんじゃなくて?」

「そんな……! 本当に違います。私、書類の中身は見ていなくて……」

 リナの狼狽ぶりを見れば、何かの誤解か、あるいは不本意な形で手に入れたことは明らかだ。だが、既に周囲の侍女たちが面白がるように集まってきており、「またあの平民が王子の機密を盗み見たのかも」「王子に媚びているんだから、情報を横流しして儲けてるかもしれないわ」と好き勝手な噂を囁き合い始めている。

(まずいわね……ここで放っておけば、リナが危ない立場に追い込まれる)

 私は素早く侍女の手から書類を取り上げ、中身を確認しようとした。すると、その侍女は露骨に不満そうな顔をするが、私が“侯爵令嬢”である以上、強く抗議することはできない。

「これは……」

 開いてみれば、かなり専門的な軍事関連の記述が並んでいた。隣国との境界警備についての報告や、騎士団の配置計画が書かれているようだ。加えて、必要な兵糧や物資のリストなど、かなり重要な情報が載っているらしい。どうやら部外秘の公文書で、しかも草稿段階のものだ。もしこれが悪用されたら大問題になる。

「……なるほど、こりゃ大変な書類だわ。リナ、あなたは本当にこれを拾っただけ?」

「はい、本当です。私、床掃除をしていたら……部屋の片隅に落ちていて……こんな重大な書類とも知らずに、あとで殿下に返そうと思って持ち歩いていたんです。今朝はドタバタしていて、うっかり忘れてしまって……!」

 リナは混乱のあまり、涙目で必死に弁明をする。その様子から嘘をついている感じはない。少なくとも私が見る限り、リナは機密を盗もうとするような人間ではないだろう。彼女は真面目すぎるほど真面目で、ましてや金銭欲や地位欲に執着するタイプでもない。

 とはいえ、この書類が落ちていたという事実だけでも、管理体制に問題があるのは明らかだ。さらに平民の侍女であるリナが持っていた、となれば、王家としても看過できない危険な状況になる。しかもタイミングが悪いことに、ここは多くの貴族たちが集まる庭園パーティの会場。誰かがこの一件を騒ぎ立てれば、あっという間に噂が広がるのは目に見えている。

(急いでリオネル殿下に報告するのが先決かしら。それとも、まずはリナを落ち着かせて周囲を黙らせる?)

 私はひと呼吸おいて、周囲の侍女たちをぐるりと見回した。

「皆さん、これはリオネル殿下の落ち度でもあります。きちんと封印すべき書類が床に落ちていたのなら、そもそも管理が杜撰だったと言わざるを得ません。リナが勝手に盗んだなどという証拠はないのだから、憶測だけで人を責めるのはおやめになって」

「で、ですが……リナが王子から何か指示を受けているかもしれないし……」

「だったら、それは殿下か、あるいは私が正式に確認いたします。あなたたちがここで騒ぎ立てて変な噂を撒き散らすのは、王家にとっても大迷惑ではなくて?」

 私が冷ややかに言い切ると、さすがに侍女たちは口を噤む。そして、さっと散っていくように姿を消した。彼女たちも表立って“王子の婚約者”に反抗するほどの度胸はないのだろう。
 リナはその場にぺたりと膝をつき、「申し訳ありません……私、迂闊でした……」と小さく声を震わせる。私はそっと彼女の肩に手を置き、周囲の視線が届かない場所までリナを促した。

「大丈夫。まずは落ち着いて。とりあえず、この書類は私が預かって殿下に渡すわ。リナがこれを拾ったということも、ちゃんと私が話しておく」

「ごめんなさい……どうしましょう、こんな大事になるだなんて……」

「あなたが謝る必要はないけれど……これは確かにまずいわ。もしも周囲に誤解されたまま話が広がれば、あなたが“国家機密を盗んだ平民”扱いされてしまう可能性だってある」

 リナの肩は小刻みに震えていた。彼女は恐らく、こういった“機密”という言葉だけでもかなりの重圧を感じているのだろう。平民として育った彼女にとって、王族の軍事書類などは雲の上の存在であり、もてあそぶどころか触れることすら畏れ多いものだ。

(でも……何か嫌な予感がするわね。まるで誰かが“わざと”リナに疑いをかけたがっているかのよう。落ちていた書類にしては、あまりにも重大な内容が書かれている……)

 私は胸にざわつきを覚えながらも、「とにかく殿下に報告しよう」とリナを連れて、王子のいる場所へ向かうことにした。
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