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第4章:夫が私を気にかけ始めましたが……遅すぎますわ
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夫が愛人よりわたくしを気にし始めたのですが……
そんなふうに、形だけの“夫婦仲良し作戦”を始めて数日が過ぎた。わたくしは公務や社交の場でアルベルト様と行動をともにし、なるべく周囲に「王太子夫妻は円満です」とアピールしている。
ところが、どうしたことだろう。ある日を境に、アルベルト様はますますわたくしに接近してくるようになったのだ。具体的には——
公務の合間にわざわざ声をかけてくる
「ルチアーナ、今日は何をしている?」とか、「体調は大丈夫か?」とか、以前ならまず言われなかったような気遣いの言葉が増えた。わたくしは内心「用がないならそっとしておいてほしい」と思うが、愛想よく返すしかない。
廊下ですれ違うときに“微笑む”ようになった
昔はあまり笑わない人だと思っていたのだが、最近はすれ違うたびに軽く微笑み、会釈をしてくる。それ自体は悪いことではないが、余計な気遣いだと感じることもある。
リリア様と二人きりで過ごす時間が減っている
これはリリア様から“最近、アルベルト様とゆっくり会えないのです”と打ち明けられて知ったのだが、どうやら彼はわたくしと一緒の場に顔を出すことが増えているため、リリア様と過ごす時間が相対的に減っているらしい。もちろん、夜は愛人のもとへ行っているのかもしれないが、少なくとも昼間は頻繁には会えなくなったようだ。
こうした変化は、最初こそ「国王陛下の目をごまかすためだろう」とわたくしは受け止めていた。だが、リリア様や侍女のソフィアが「アルベルト様はルチアーナ様を本当に心配されているように見える」と言い出したあたりから、わたくしも「ひょっとして……」と疑念を抱き始める。
(まさか、本当にわたくしに興味を抱き始めたの……? そんなこと、あるのかしら?)
これまでの彼は、リリア様に一途で、わたくしには申し訳程度の関心しかなかった。白い結婚を提案したのも、わたくしの自由を尊重するというより、自分がリリア様を愛するための都合が大きい。わたくしはそれを快諾し、お互いに干渉しないことを前提に成り立っていたのだ。
ところが、この数日はまるで“わたくしのことをもっと知りたい”とでも言いたげな行動を取ってくる。むろん、言葉にこそ出さないが、視線や態度に微妙な変化が見られる。リリア様も寂しそうにしていて、「アルベルト様、最近はルチアーナ様とご一緒が多くて……」と漏らすほどだ。
そして、その疑念が確信へと変わる決定的な出来事が起きたのは、わたくしが書斎で読書をしていたある夜のこと。
その日は公務や社交行事が重なって疲弊しきっていたので、夜になってようやく書斎へ戻り、自分の趣味である読書に没頭していた。深い時間までページをめくり続け、そろそろ寝室に移ろうかと思った矢先、扉がノックされたのだ。
「……はい、どなた?」
「私だ。……アルベルトだ。少し話してもいいか?」
声の主がアルベルト様だと知り、わたくしは思わず椅子から立ち上がりかけた。こんな時間に、わざわざ書斎に来るだなんて、一体何事だろう?
ドアを開けると、そこには寝巻にガウンを羽織った姿のアルベルト様がいた。普段の凛々しい衣装とは違い、ややリラックスした装いだ。そんな格好の彼が、夜分にわたくしを訪ねてくるなど想定外で、わたくしの胸は少しだけ高鳴った。
何かが起こりそうな気配に、自然と警戒心が芽生える。
「こんな夜更けに……どうしたのですか、殿下?」
「すまない。眠っていたなら起こしてしまったな」
「いえ、読書をしていたところですわ。……お入りになります?」
「う、うん……少しだけ失礼する」
わたくしは彼を部屋に通し、机の前のソファを勧める。アルベルト様は遠慮がちに腰を下ろし、落ち着かない様子であたりを見回す。この書斎はもともと“王太子妃専用”とはいえ、家具や調度品はわたくしが趣味で集めた本やティーセットで埋め尽くされている。目につくのは分厚い専門書や古書ばかりで、華やかさとは無縁だ。
アルベルト様はそんな室内をぐるりと見渡してから、ふっと笑みをこぼした。
「やはり、本が多いな。……ルチアーナ、おまえは本当に読書がお好きなのだな」
「ええ。殿下と違って、わたくしは武術や政治にはあまり興味がありませんから。その分、本の世界でいろいろな知識を得るのですわ」
「なるほど……。その、以前から不思議に思っていたのだが……おまえはどうしてそんなに読書を好むのか? ただの趣味以上に、何か理由があるのか?」
「理由、ですか……。強いて言えば、自分の生きる世界を広げたいから、かもしれません。公爵家の令嬢として、子どもの頃から家や周囲の目に縛られてきましたから。せめて想像の中だけでも、自由に旅をする気分になれるのが嬉しいのです」
あまり誰にも話したことのない本音だったが、ついぽろりと打ち明けてしまった。そもそもアルベルト様に興味を持たれたくないと思っていたはずなのに、夜の静かな雰囲気がそうさせたのか、わたくしも口が滑らかになっている。
アルベルト様は真剣な表情でわたくしの言葉に耳を傾け、うなずいた。
「そうか……。おまえなりに、閉鎖的な環境の中で自分の世界を広げようとしていたのだな。……おまえの考え方、少し理解できた気がする」
「ご理解いただけて何よりですわ。……それで、殿下は夜更けにわたくしの書斎へいらして、いったい何をお話しになりたいのですか?」
「それは……その……」
アルベルト様は口ごもり、視線を彷徨わせる。まるで思春期の少年が、好きな女の子に告白する寸前のようだ。いやいや、そんなはずはない、とわたくしは自分に言い聞かせる。
しかし、次に出てきた言葉はわたくしの予想を裏切った。
「……ルチアーナ、私は最近、おまえのことが気になる。今まではリリアを愛するあまり、おまえとの関係をないがしろにしていたかもしれない。だが、こうして夫婦のフリをして過ごすうちに……おまえの優雅さ、強かさ、そして繊細さも、少しずつわかってきたんだ」
「…………」
「最初はただの政略結婚で、お互いに興味もなく、むしろ邪魔な存在だとさえ思っていた。だが、最近は……おまえをもっと知りたいと思う。いや、この言葉が正しいかはわからないが……おまえを特別に感じるようになったんだ」
息を呑むわたくし。頭の中で何かがぐるぐると回る。「特別に感じるようになった」というのは、要するにわたくしに恋心めいたものを抱きつつある、ということなのだろうか?
しかし、それはあまりにも都合が良すぎる話だ。自分が愛するリリア様を放り出して、わたくしに鞍替えするの? そんなことを今さら言われても、わたくしには何の得もないし、むしろ迷惑では……。
いろいろな感情がせめぎ合う中、わたくしはしばらく言葉を失ってしまう。アルベルト様もまた、気まずそうに俯き、沈黙が落ちる書斎。夜の静寂が、かえって鼓動の高まりを際立たせる。
「……ルチアーナ。おまえはどう思っている? 今からでも、私と真の夫婦になってくれる可能性はあるのか? いや、私が勝手なことを言っているのはわかっている。リリアを……リリアをないがしろにする気はない。だが、おまえとも、もっと近い存在になりたいというのが正直な気持ちなんだ」
「殿下……それは、二股という意味ですか?」
思わず、冷ややかな声音になってしまった。もちろん、彼はそんな下衆な表現を望んではいないだろうが、わたくしからすれば「愛人を捨てる気はなく、本妻とも愛を深めたい」と言っているに等しい。こんな都合のいい話があるだろうか。
アルベルト様は悔恨の色を浮かべ、必死に言葉を探しているようだった。
「そう……なのかもしれない。だが、おまえは最初から私に興味を持たなかっただろう? 私もリリアとの愛を優先して、おまえを放置してきた。お互い様だと思っていた。……だが、最近になって気づいたんだ。おまえという存在が、あまりにも……あまりにも自分にとって特別に思える瞬間があると」
「……それは勝手ですわ。殿下はリリア様のために白い結婚を提案して、わたくしはそれを了承しただけです。お互い干渉しないでいましょう、というのがわたくしの望みでした。なのに、今になって『もっと近くなりたい』と言われましても、わたくしはどう応じればいいのやら……」
苦い想いを滲ませながら、わたくしは彼に背を向けた。書斎の窓辺へと歩み寄り、外の闇を見つめる。街の灯が遠くにきらめいているが、その光はどこか遠い世界のようだ。
背後から、アルベルト様の小さな声が聞こえる。
「……すまない、ルチアーナ。おまえの言うとおり、私は勝手だ。リリアを愛しながら、おまえに興味を持つなど、一番最悪な態度だとわかっている。だが、国王としての責務や後継者の問題がある以上、私がリリアと結ばれるわけにもいかない。……それなら、いっそ正妃であるおまえを本当に愛する努力をしてみようと思ったんだ」
「愛する努力……。殿下、わたくしは努力の対象ではありませんよ?」
「……っ」
彼が息を呑む気配がした。わたくしはゆっくりと振り返り、冷静な眼差しで彼を見つめる。
そう、わたくしはあくまで自分自身が“わたくしの意志”で生きたいだけなのだ。白い結婚を受け入れたのも、自由を得るためだった。今さら“真の夫婦”になりたいなどと言われても、「悪いけれどお断りです」というのが正直な気持ちだ。わたくしはもともと彼に恋愛感情など抱いていないし、後継者問題などわたくしの知ったことではない。
「殿下がお辛い状況なのはわかります。でも、だからといってわたくしを“愛する努力”の対象にするのは筋違いではないかしら。わたくしは白い結婚のままで構いませんし、リリア様とも仲良くしたい。そこに“夫婦の絆”など入り込む余地はないんです」
「ルチアーナ……。おまえはそれで本当にいいのか? おまえも政略的に結婚させられた被害者だろう? 本当は孤独を抱えているのではないのか?」
「被害者かもしれませんが、わたくしはそれを受け入れたの。わたくしは孤独を嫌ってもいないし、自由を犠牲にするくらいなら孤独でいたほうがマシですわ」
「……っ……」
沈黙が重くのしかかる。アルベルト様は何度か言葉を発しようとしてやめ、苦しそうに眉を寄せている。わたくしも胸の奥に小さな痛みを覚えるが、ここで情にほだされてはいけない。
最初に“白い結婚”を選んだのは彼だ。わたくしが望む形で生活できるようになったのも、リリア様という存在を差し出してくれたからにほかならない。わたくしは今の関係に十分満足している。だからこそ、彼がどんなに「おまえを愛する努力をしたい」などと口にしても、わたくしの心を揺さぶることはできないのだ。
「殿下、遅いですわ。わたくしはこのまま白い結婚を続けたいと考えていますし、今さら殿下に愛されても困るだけです。リリア様はどうなるのですか? あなたが本当に愛しているのは彼女でしょう?」
「……リリアのことは、大切に思っている。だが、おまえも大切だと感じ始めてしまったんだ。どうすればいいのか、自分でもわからない」
「では、そのまま迷ってくださいませ。わたくしはわたくしの人生を楽しみますから。殿下がわたくしを愛そうが愛すまいが、わたくしには関係ありません。わたくしは『形だけの夫婦』であることに不満などないのです」
わたくしの言葉は冷酷に聞こえただろう。けれど、これは彼が選んだ道。わたくしも割り切っていたはずだ。今になって、都合よく心を入れ替えたからといって、「はい、わかりました」と受け入れる義理などどこにもない。
アルベルト様は座ったまま動かず、しばし沈黙を続けた。部屋の中は重苦しい空気に包まれ、わたくしはもう会話を終わらせたい一心で、扉のほうへ歩を進める。
「もう夜も遅いです。殿下も寝室へお戻りになってくださいませ。リリア様がお待ちになっているのではないですか? わたくしは明日も早いので、これで失礼します」
「……ルチアーナ……」
低く呼び止められたが、わたくしは振り返らずに扉を開ける。
そのまま、アルベルト様は何も言わず立ち上がり、わたくしの横を通り過ぎて部屋を出ていった。扉が閉まると、書斎は再びしんと静まり返る。先ほどまで感じていた彼の体温と呼吸の気配が、嘘のように消え失せていた。
わたくしは深く息を吐き、椅子に戻ってドサリと腰を下ろす。胸の奥が妙にざわついているが、それが怒りなのか悲しみなのか、自分でもはっきりしない。
(何を今さら……。殿下がわたくしを気にし始めた、だからどうだというの? わたくしはリリア様と仲良くして、好きなことをして、自由に生きるために“白い結婚”を選んだんですもの。そこに恋愛感情など持ち込まないでほしいわ……)
そう自分に言い聞かせるが、なぜか心にぽっかり穴が開いたような寂寥感を覚えてしまう。
しかし、わたくしはこの道を選んだのだ。今さら感傷に浸っても仕方がない。次々に押し寄せる公務や貴族社会の政治に翻弄されながらも、わたくしが守りたいのは“自分の自由”である。アルベルト様がわたくしを“特別”と感じようが、リリア様が傷つこうが、それはわたくしの望んだ話ではない。
そう……わたくしは、誰も望んでいない。この歪な三角関係は、いずれ限界が来るのかもしれない。でも、そのときが来ても、わたくしは自分の心を貫くだけだ。
そんなふうに、形だけの“夫婦仲良し作戦”を始めて数日が過ぎた。わたくしは公務や社交の場でアルベルト様と行動をともにし、なるべく周囲に「王太子夫妻は円満です」とアピールしている。
ところが、どうしたことだろう。ある日を境に、アルベルト様はますますわたくしに接近してくるようになったのだ。具体的には——
公務の合間にわざわざ声をかけてくる
「ルチアーナ、今日は何をしている?」とか、「体調は大丈夫か?」とか、以前ならまず言われなかったような気遣いの言葉が増えた。わたくしは内心「用がないならそっとしておいてほしい」と思うが、愛想よく返すしかない。
廊下ですれ違うときに“微笑む”ようになった
昔はあまり笑わない人だと思っていたのだが、最近はすれ違うたびに軽く微笑み、会釈をしてくる。それ自体は悪いことではないが、余計な気遣いだと感じることもある。
リリア様と二人きりで過ごす時間が減っている
これはリリア様から“最近、アルベルト様とゆっくり会えないのです”と打ち明けられて知ったのだが、どうやら彼はわたくしと一緒の場に顔を出すことが増えているため、リリア様と過ごす時間が相対的に減っているらしい。もちろん、夜は愛人のもとへ行っているのかもしれないが、少なくとも昼間は頻繁には会えなくなったようだ。
こうした変化は、最初こそ「国王陛下の目をごまかすためだろう」とわたくしは受け止めていた。だが、リリア様や侍女のソフィアが「アルベルト様はルチアーナ様を本当に心配されているように見える」と言い出したあたりから、わたくしも「ひょっとして……」と疑念を抱き始める。
(まさか、本当にわたくしに興味を抱き始めたの……? そんなこと、あるのかしら?)
これまでの彼は、リリア様に一途で、わたくしには申し訳程度の関心しかなかった。白い結婚を提案したのも、わたくしの自由を尊重するというより、自分がリリア様を愛するための都合が大きい。わたくしはそれを快諾し、お互いに干渉しないことを前提に成り立っていたのだ。
ところが、この数日はまるで“わたくしのことをもっと知りたい”とでも言いたげな行動を取ってくる。むろん、言葉にこそ出さないが、視線や態度に微妙な変化が見られる。リリア様も寂しそうにしていて、「アルベルト様、最近はルチアーナ様とご一緒が多くて……」と漏らすほどだ。
そして、その疑念が確信へと変わる決定的な出来事が起きたのは、わたくしが書斎で読書をしていたある夜のこと。
その日は公務や社交行事が重なって疲弊しきっていたので、夜になってようやく書斎へ戻り、自分の趣味である読書に没頭していた。深い時間までページをめくり続け、そろそろ寝室に移ろうかと思った矢先、扉がノックされたのだ。
「……はい、どなた?」
「私だ。……アルベルトだ。少し話してもいいか?」
声の主がアルベルト様だと知り、わたくしは思わず椅子から立ち上がりかけた。こんな時間に、わざわざ書斎に来るだなんて、一体何事だろう?
ドアを開けると、そこには寝巻にガウンを羽織った姿のアルベルト様がいた。普段の凛々しい衣装とは違い、ややリラックスした装いだ。そんな格好の彼が、夜分にわたくしを訪ねてくるなど想定外で、わたくしの胸は少しだけ高鳴った。
何かが起こりそうな気配に、自然と警戒心が芽生える。
「こんな夜更けに……どうしたのですか、殿下?」
「すまない。眠っていたなら起こしてしまったな」
「いえ、読書をしていたところですわ。……お入りになります?」
「う、うん……少しだけ失礼する」
わたくしは彼を部屋に通し、机の前のソファを勧める。アルベルト様は遠慮がちに腰を下ろし、落ち着かない様子であたりを見回す。この書斎はもともと“王太子妃専用”とはいえ、家具や調度品はわたくしが趣味で集めた本やティーセットで埋め尽くされている。目につくのは分厚い専門書や古書ばかりで、華やかさとは無縁だ。
アルベルト様はそんな室内をぐるりと見渡してから、ふっと笑みをこぼした。
「やはり、本が多いな。……ルチアーナ、おまえは本当に読書がお好きなのだな」
「ええ。殿下と違って、わたくしは武術や政治にはあまり興味がありませんから。その分、本の世界でいろいろな知識を得るのですわ」
「なるほど……。その、以前から不思議に思っていたのだが……おまえはどうしてそんなに読書を好むのか? ただの趣味以上に、何か理由があるのか?」
「理由、ですか……。強いて言えば、自分の生きる世界を広げたいから、かもしれません。公爵家の令嬢として、子どもの頃から家や周囲の目に縛られてきましたから。せめて想像の中だけでも、自由に旅をする気分になれるのが嬉しいのです」
あまり誰にも話したことのない本音だったが、ついぽろりと打ち明けてしまった。そもそもアルベルト様に興味を持たれたくないと思っていたはずなのに、夜の静かな雰囲気がそうさせたのか、わたくしも口が滑らかになっている。
アルベルト様は真剣な表情でわたくしの言葉に耳を傾け、うなずいた。
「そうか……。おまえなりに、閉鎖的な環境の中で自分の世界を広げようとしていたのだな。……おまえの考え方、少し理解できた気がする」
「ご理解いただけて何よりですわ。……それで、殿下は夜更けにわたくしの書斎へいらして、いったい何をお話しになりたいのですか?」
「それは……その……」
アルベルト様は口ごもり、視線を彷徨わせる。まるで思春期の少年が、好きな女の子に告白する寸前のようだ。いやいや、そんなはずはない、とわたくしは自分に言い聞かせる。
しかし、次に出てきた言葉はわたくしの予想を裏切った。
「……ルチアーナ、私は最近、おまえのことが気になる。今まではリリアを愛するあまり、おまえとの関係をないがしろにしていたかもしれない。だが、こうして夫婦のフリをして過ごすうちに……おまえの優雅さ、強かさ、そして繊細さも、少しずつわかってきたんだ」
「…………」
「最初はただの政略結婚で、お互いに興味もなく、むしろ邪魔な存在だとさえ思っていた。だが、最近は……おまえをもっと知りたいと思う。いや、この言葉が正しいかはわからないが……おまえを特別に感じるようになったんだ」
息を呑むわたくし。頭の中で何かがぐるぐると回る。「特別に感じるようになった」というのは、要するにわたくしに恋心めいたものを抱きつつある、ということなのだろうか?
しかし、それはあまりにも都合が良すぎる話だ。自分が愛するリリア様を放り出して、わたくしに鞍替えするの? そんなことを今さら言われても、わたくしには何の得もないし、むしろ迷惑では……。
いろいろな感情がせめぎ合う中、わたくしはしばらく言葉を失ってしまう。アルベルト様もまた、気まずそうに俯き、沈黙が落ちる書斎。夜の静寂が、かえって鼓動の高まりを際立たせる。
「……ルチアーナ。おまえはどう思っている? 今からでも、私と真の夫婦になってくれる可能性はあるのか? いや、私が勝手なことを言っているのはわかっている。リリアを……リリアをないがしろにする気はない。だが、おまえとも、もっと近い存在になりたいというのが正直な気持ちなんだ」
「殿下……それは、二股という意味ですか?」
思わず、冷ややかな声音になってしまった。もちろん、彼はそんな下衆な表現を望んではいないだろうが、わたくしからすれば「愛人を捨てる気はなく、本妻とも愛を深めたい」と言っているに等しい。こんな都合のいい話があるだろうか。
アルベルト様は悔恨の色を浮かべ、必死に言葉を探しているようだった。
「そう……なのかもしれない。だが、おまえは最初から私に興味を持たなかっただろう? 私もリリアとの愛を優先して、おまえを放置してきた。お互い様だと思っていた。……だが、最近になって気づいたんだ。おまえという存在が、あまりにも……あまりにも自分にとって特別に思える瞬間があると」
「……それは勝手ですわ。殿下はリリア様のために白い結婚を提案して、わたくしはそれを了承しただけです。お互い干渉しないでいましょう、というのがわたくしの望みでした。なのに、今になって『もっと近くなりたい』と言われましても、わたくしはどう応じればいいのやら……」
苦い想いを滲ませながら、わたくしは彼に背を向けた。書斎の窓辺へと歩み寄り、外の闇を見つめる。街の灯が遠くにきらめいているが、その光はどこか遠い世界のようだ。
背後から、アルベルト様の小さな声が聞こえる。
「……すまない、ルチアーナ。おまえの言うとおり、私は勝手だ。リリアを愛しながら、おまえに興味を持つなど、一番最悪な態度だとわかっている。だが、国王としての責務や後継者の問題がある以上、私がリリアと結ばれるわけにもいかない。……それなら、いっそ正妃であるおまえを本当に愛する努力をしてみようと思ったんだ」
「愛する努力……。殿下、わたくしは努力の対象ではありませんよ?」
「……っ」
彼が息を呑む気配がした。わたくしはゆっくりと振り返り、冷静な眼差しで彼を見つめる。
そう、わたくしはあくまで自分自身が“わたくしの意志”で生きたいだけなのだ。白い結婚を受け入れたのも、自由を得るためだった。今さら“真の夫婦”になりたいなどと言われても、「悪いけれどお断りです」というのが正直な気持ちだ。わたくしはもともと彼に恋愛感情など抱いていないし、後継者問題などわたくしの知ったことではない。
「殿下がお辛い状況なのはわかります。でも、だからといってわたくしを“愛する努力”の対象にするのは筋違いではないかしら。わたくしは白い結婚のままで構いませんし、リリア様とも仲良くしたい。そこに“夫婦の絆”など入り込む余地はないんです」
「ルチアーナ……。おまえはそれで本当にいいのか? おまえも政略的に結婚させられた被害者だろう? 本当は孤独を抱えているのではないのか?」
「被害者かもしれませんが、わたくしはそれを受け入れたの。わたくしは孤独を嫌ってもいないし、自由を犠牲にするくらいなら孤独でいたほうがマシですわ」
「……っ……」
沈黙が重くのしかかる。アルベルト様は何度か言葉を発しようとしてやめ、苦しそうに眉を寄せている。わたくしも胸の奥に小さな痛みを覚えるが、ここで情にほだされてはいけない。
最初に“白い結婚”を選んだのは彼だ。わたくしが望む形で生活できるようになったのも、リリア様という存在を差し出してくれたからにほかならない。わたくしは今の関係に十分満足している。だからこそ、彼がどんなに「おまえを愛する努力をしたい」などと口にしても、わたくしの心を揺さぶることはできないのだ。
「殿下、遅いですわ。わたくしはこのまま白い結婚を続けたいと考えていますし、今さら殿下に愛されても困るだけです。リリア様はどうなるのですか? あなたが本当に愛しているのは彼女でしょう?」
「……リリアのことは、大切に思っている。だが、おまえも大切だと感じ始めてしまったんだ。どうすればいいのか、自分でもわからない」
「では、そのまま迷ってくださいませ。わたくしはわたくしの人生を楽しみますから。殿下がわたくしを愛そうが愛すまいが、わたくしには関係ありません。わたくしは『形だけの夫婦』であることに不満などないのです」
わたくしの言葉は冷酷に聞こえただろう。けれど、これは彼が選んだ道。わたくしも割り切っていたはずだ。今になって、都合よく心を入れ替えたからといって、「はい、わかりました」と受け入れる義理などどこにもない。
アルベルト様は座ったまま動かず、しばし沈黙を続けた。部屋の中は重苦しい空気に包まれ、わたくしはもう会話を終わらせたい一心で、扉のほうへ歩を進める。
「もう夜も遅いです。殿下も寝室へお戻りになってくださいませ。リリア様がお待ちになっているのではないですか? わたくしは明日も早いので、これで失礼します」
「……ルチアーナ……」
低く呼び止められたが、わたくしは振り返らずに扉を開ける。
そのまま、アルベルト様は何も言わず立ち上がり、わたくしの横を通り過ぎて部屋を出ていった。扉が閉まると、書斎は再びしんと静まり返る。先ほどまで感じていた彼の体温と呼吸の気配が、嘘のように消え失せていた。
わたくしは深く息を吐き、椅子に戻ってドサリと腰を下ろす。胸の奥が妙にざわついているが、それが怒りなのか悲しみなのか、自分でもはっきりしない。
(何を今さら……。殿下がわたくしを気にし始めた、だからどうだというの? わたくしはリリア様と仲良くして、好きなことをして、自由に生きるために“白い結婚”を選んだんですもの。そこに恋愛感情など持ち込まないでほしいわ……)
そう自分に言い聞かせるが、なぜか心にぽっかり穴が開いたような寂寥感を覚えてしまう。
しかし、わたくしはこの道を選んだのだ。今さら感傷に浸っても仕方がない。次々に押し寄せる公務や貴族社会の政治に翻弄されながらも、わたくしが守りたいのは“自分の自由”である。アルベルト様がわたくしを“特別”と感じようが、リリア様が傷つこうが、それはわたくしの望んだ話ではない。
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