婚約破棄されたので、愛のない契約結婚を選んだはずでした

鍛高譚

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第2章 完璧なはずの生活と、夫の変化

14話

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14.夜の廊下、すれ違い

 そんなある晩のこと。カーテンリンゼは、うたた寝をしてしまったのか、ふと気がつくと窓の外が闇に包まれていた。机の上に置いたままの本は途中でページがめくられたままで、蝋燭がかすかに明かりを灯している。
 「……しまったわ。ずいぶん寝てしまったのね」
 軽く身を伸ばしながら、深夜にしてはまだ眠気が残っている自分に嘆息する。明日も早いわけではないが、あまり遅くまで起きていると翌日に影響が出るかもしれない。彼女は一度水を飲み、部屋の灯りを消してベッドへ向かおうとした。

 ところが――ドアの向こうから、かすかな物音が聞こえてきた。
 「……? こんな夜更けに、誰か廊下を歩いているのかしら」
 夜の公爵邸は警備の兵が巡回こそしているが、屋内を巡回するメイドや使用人は限られているはずだ。何かあったのかと気になり、カーテンリンゼはそっとドアを開けて廊下を覗いた。
 そこにいたのは、月明かりに浮かび上がるレオポルドの姿だった。真夜中にもかかわらず、彼は館の奥から歩いてきたようで、普段のような上着は着ておらず、ゆるやかなシャツとズボン姿である。
 「公爵様……?」
 彼女が声をかけると、レオポルドは驚いたように足を止め、すぐに視線をそらす。まるで何かを隠したいかのように。

 「こんな時間にどうしたの? 外出されていたのかしら」
 問いかけても、彼の返事はどこか曖昧だ。
 「少し、仕事で気になることがあってな。邸内を確認していただけだ」
 だが、その言葉に説得力は薄い。館の外を警備するならともかく、深夜にわざわざ館の奥へ足を運ぶ理由があるのか、カーテンリンゼには想像もつかない。
 それに、廊下の窓から入る月光を受けるレオポルドの横顔は、わずかに赤みを帯びているように見える。酔っているのか、それとも何か思い悩んでいるのか……。彼が言葉を詰まらせているのは珍しいことで、カーテンリンゼはそっと眉をひそめた。

 「……何か、あったのなら話くらいは聞きますが。私たちは契約で結ばれたとはいえ、一応夫婦ですし」
 自分で言っておきながら、“一応夫婦”という言葉に少し切なさを感じる。
 レオポルドは数秒ほど沈黙し、やがて小さく息を吐き出した。
 「いや、大したことではない。……ただ、お前の部屋を通りかかっただけだ。気にするな」
 それだけ言って、彼は「もう休む」とだけ告げて足早に去っていく。

 取り残されたカーテンリンゼは、ほんの小さな違和感を覚えつつも、何もできないまま廊下に立ち尽くす。
 ――本当に“通りかかっただけ”?
 先日、侍女たちが話していた光景が脳裏に蘇る。あのときも、公爵は夜遅くに彼女の部屋の近くをうろついていたという話をしていた。
 「私に用事があるなら、そう言えばいいのに……」
 思わず呟いてしまうが、その声は静かな闇の中に吸い込まれていくばかりだった。

 結局、その夜は彼女もベッドに潜り込みながら、モヤモヤした気持ちを拭い切れずにいた。彼が何を考えているのかはわからない。だが、少なくとも今までよりは“私”に興味を持っている節がある――そう感じずにはいられないのだ。
 契約結婚のルールを破ろうとしているわけではないのに、なぜレオポルドはこんなふうに動揺しているのか。あるいはカーテンリンゼ自身が、思いもしない感情をほんの少し抱き始めているのか――。
 闇の中、柔らかいシーツを握りしめながら、彼女は静かな眠りに落ちていった。胸の奥に小さな違和感を残したまま。
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