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第2章 完璧なはずの生活と、夫の変化
13話
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13.完璧だった“契約”のはずが
それから数日が経ったある日のこと。カーテンリンゼは館の執事を通じて、「市中の孤児院へ寄付をしたい」という相談を持ちかけられた。
これは、以前から公爵が行っている社会福祉事業の一環らしい。レオポルドは軍人として前線を支えるだけでなく、国内の復興や恵まれない子供たちの支援にも力を入れていると聞く。
「公爵様は多忙につき、今回の寄付式典には代わりに公爵夫人様に出席いただきたいとのことです」
執事の説明に、カーテンリンゼは頷いた。公爵夫人が公の場に顔を出すことはそう多くないが、こうした慈善事業への参加は貴族の義務とも言える。
「わかりました。公爵様のお志を損なわぬよう、私にできる限りのことをいたします」
そう言うと、執事はほっとしたように微笑み、「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
式典当日。街外れにある孤児院は、そこまで大きな施設ではないが、子供たちの元気な声が飛び交い、活気にあふれている。
バスケットに詰められた寄付物資の数々が運ばれ、カーテンリンゼはそれを確認した。毛布や衣服、食品、薬、そして簡単な教科書など、多岐にわたる。すでにヴァレンシュタイン公爵家が手配をしており、当日は彼女が代表として書類にサインし、施設長や子供たちに贈呈する形を取るということだった。
「公爵夫人様、このたびは誠にありがとうございます。公爵様には日頃から大変お世話になっており、こうして夫人様までご足労いただくとは……」
施設長は感激に声を震わせている。彼女は小さく微笑み、ゆっくりと答える。
「いえ、私が代わりに来ただけです。実際は公爵がすべて手配してくださっていますから」
その言葉に、施設長は「ですが、それだけでも……」と重ねて頭を下げた。
周囲にいた子供たちは興味津々といった面持ちで、カーテンリンゼのドレスの裾を見つめている。孤児院といえば、なかなか豪奢な衣装を見る機会もないだろう。彼女はしゃがみ込み、子供の一人と視線を合わせる。
「あなたたちが元気でいてくれることが、私や公爵にとって一番嬉しいことだわ」
優しい言葉をかけると、子供は少し照れたように笑って、「わぁ、キレイなお姉さん!」と声を上げた。周囲の子供たちも面白がって集まってくる。慣れない人波にやや戸惑いながらも、カーテンリンゼはできる限り穏やかな表情を保ちつつ、子供たちの相手をした。
そんな様子を見て、施設長やスタッフたちからは「さすが公爵夫人」と感嘆の声が上がる。だが、カーテンリンゼ自身は別段大げさに構えているわけではなかった。
(こうして子供たちと触れ合うのは、案外嫌いじゃないかもしれないわね)
普段は冷たいと言われることも多いが、まったく情がないわけではない。むしろ立場が絡まなければ、ある程度人懐っこい部分もある。これは自覚していないだけで、日常の些細な場面で彼女の優しさが垣間見えることがあるのだ。
やがて、式典の中心である寄付贈呈の時間となった。カーテンリンゼは書類に署名をし、スタッフが用意した壇上で子供たちに向かって挨拶をする。
「本来なら、公爵が直接皆さんにお伝えしたかったのですが、今回は多忙のため私が参りました。皆さんが健やかに過ごせるよう、これからも力になれることがあれば何でも協力を惜しみません。安心して学び、遊び、笑ってくださいね」
しんと静まっていた子供たちから、やがて拍手が起こる。彼女たちが知る“公爵夫人”が、こんなに優しい眼差しで語りかけてくれるとは思っていなかったのだろう。
後ろに控えていたスタッフが、「ありがとうございます」と繰り返す。カーテンリンゼは舞台袖に降り、深い息をつきながら軽く胸をなで下ろした。
「ああ、緊張したわ……」
ついそんな本音が口をついて出る。これまで王太子の婚約者だったころも、公の席で挨拶をすることはあったが、どちらかというと形式的なものばかりで、ここまで直接的な言葉を子供たちに向ける機会は少なかった。
(思ったよりも、こういう場は悪くないかもしれない。王太子殿下の隣にいて、形式的に微笑むだけの立場よりは、よほど充実している)
そう感じながら、振り返れば拍手がまだ続いている。人前でのスピーチは苦手だと思っていたが、こうして感謝の意を直接受けるのは心地よさもあった。
そのとき、ふと視界の端に影が映った。
――レオポルド?
まさかと思って振り返ってみると、人混みに紛れるようにして、確かにレオポルド公爵がこちらを見ているではないか。多忙で式典には来られないと聞いていたはずだが……。
「公爵様……?」
呟くと同時に、彼は少し慌てたように視線を逸らし、子供たちの列に近づいて何か声をかけている。カーテンリンゼは驚きながらも、そっと彼のもとへ歩み寄った。
「公爵様、どうしてこちらに? 本日は北方領地からの使者が来られると……」
思わず問いかけると、レオポルドは少し気まずそうに言葉を探した。
「予定よりも早く会議が終わったから、顔を出すだけでもと思ってな。お前がどうやって場をまとめているのか、確かめたい気持ちもあった」
なるほど、というより、そんな体裁を整えた言葉が返ってくるあたり、彼らしいと言えるかもしれない。わざわざ足を運んでくれたのなら一言連絡があってもいい気がするが、そこはわざと黙っていたのだろうか。
「そうでしたか。……少しは、あなたの期待に沿うような振る舞いができたのでしょうか」
皮肉のつもりはなかったが、自然と言葉が出る。すると、レオポルドはわずかに表情を緩め、真っ直ぐにこちらを見た。
「子供たちがとても喜んでいた。お前がいい仕事をしてくれたのは確かだ。……ありがとう」
その“ありがとう”という言葉に、カーテンリンゼの胸が微かに高鳴った。もちろん表情には出さない。だが、レオポルドのような男が感謝を口にするとは珍しいという思いと、称賛を受けた喜びがないまぜになって、不思議な気持ちになる。
「いえ、私はあなたの代わりを務めただけです」
そっけなく答えると、レオポルドは口元にわずかな笑みを宿した。彼が人前で笑うことは少ないし、そういう表情を間近で見るのも初めてかもしれない。
――これが夫婦の何気ない会話、というやつなのかしら。
カーテンリンゼは頭の片隅でそんなことを考える。契約結婚の形を取りながらも、まるで本物の夫婦のようにちょっとしたやりとりを交わす。それだけで、奇妙な満足感が生まれてしまいそうになるのは、どうしてなのだろう。
子供たちが「公爵様だー!」と騒ぎ始め、駆け寄ってくる。レオポルドは少し戸惑いながら、手を軽く振って応じた。その姿は、カーテンリンゼの知る“冷静沈着な公爵”というよりも、どこか親しみやすさを含んだ人間らしさがにじみ出ているように感じられる。
「あれ、意外だわ」
「何がだ?」
「子供たちがあなたに怯えることもなく、むしろ懐いている。普段のあなたはもう少し近寄りがたい印象があるから」
何の気なしに言った言葉に、レオポルドは「そう見えるか?」と少し困惑した表情を浮かべる。
「私は戦場で兵を率いてきた人間だ。子供たちにどう接すればいいかなど、実のところよくわからない。しかし、こうして実際に会うと……笑顔を向けられるのは、悪くない気分だな」
自嘲気味に続ける彼に、カーテンリンゼはほんの少しの安堵を覚えた。自分以上に、彼のほうが不器用かもしれないと感じたのだ。
その後、二人は並んで孤児院を一周し、施設長の案内で部屋の様子などを見て回った。スタッフたちも驚いたような面持ちで、「公爵様が来られるなんて!」と多少の混乱はあったが、レオポルドは淡々と施設を見学し、時折施設長に質問を投げかける。
「冬場は暖房設備が脆弱になるようだが、もし費用不足があるなら、また折を見て支援を行おう。子供たちが凍えることのないように」
「ありがとうございます……! 公爵様、何度助けられたかわかりません……」
心からの礼に、レオポルドはただ短く「そうか」と頷くだけだった。それでも、その一言に本気で救われたと思う人がいるのだろう。ここにいる人々の目はまるでヒーローを見るかのように公爵を慕っている。
横に立つカーテンリンゼは、その光景をじっと見つめながら、先ほどの拍手を思い出した。
――人に必要とされるというのは、悪くない。彼は戦場でもここでも、人々のために行動している。だからこそ支持され、尊敬を集めているのだ。
こうして見ると、レオポルド・ヴァレンシュタインという男が、ただ冷酷なだけの軍人ではなく、思った以上に“人間らしい”面を持っていることを痛感させられる。
やがて見学を終え、孤児院を後にするころには、昼をだいぶ過ぎていた。式典での贈呈も無事に終わり、必要な手続きも全て整った。
「帰りはお前と一緒の馬車でいいか? どうせ同じ邸に戻るのだし」
レオポルドの言葉に、カーテンリンゼは頷く。これまであまり二人で行動する機会がなかっただけに、いざ馬車の中で向かい合うのは少々気まずい。
しかし、窓の外を流れる景色を見ながら、彼がぽつりと問いかけてきた。
「今日は、いい働きをしてくれたと思う。……お前はどうだった? 子供たちを前に挨拶をするのは、初めてだったんだろう?」
まるで父親が娘を気遣うような、そんな穏やかな口調だ。カーテンリンゼはほんの一瞬だけ違和感を覚えるが、すぐに言葉を返す。
「ええ。少し緊張しましたが、周りの方々が優しく迎えてくださったので、うまく乗り切れた気がします。……あと、子供たちは、想像以上に無邪気で明るかったわ。こちらまで楽しい気分になりました」
控えめに微笑みながら言う彼女に、レオポルドは少し満足げにうなずいた。
「そうか。それなら良かった。この先も、私が手の届かない場所に、公爵夫人として出向いてもらうことがあるかもしれない。お前のそういう面は、とても助かるだろうな」
その言葉に、カーテンリンゼは「あくまでも利害関係」と自分の心に言い聞かせる。だが、妙に気恥ずかしさを感じるのは、先ほどまで子供たちの笑顔を見ていたからだろうか。まるで本当の夫婦のように、相手を支え合う関係を想像してしまう。
契約結婚――愛はない。干渉も少ない。カーテンリンゼが望んだ理想の形。なのに、こうやってほんの少し会話を交わすだけで、彼女の胸には小さな波紋が広がっていく。
(これは、何かの始まりなのか、それとも単なる錯覚なのか)
答えはまだ見えず、馬車は王都の街道を静かに走っていった。
それから数日が経ったある日のこと。カーテンリンゼは館の執事を通じて、「市中の孤児院へ寄付をしたい」という相談を持ちかけられた。
これは、以前から公爵が行っている社会福祉事業の一環らしい。レオポルドは軍人として前線を支えるだけでなく、国内の復興や恵まれない子供たちの支援にも力を入れていると聞く。
「公爵様は多忙につき、今回の寄付式典には代わりに公爵夫人様に出席いただきたいとのことです」
執事の説明に、カーテンリンゼは頷いた。公爵夫人が公の場に顔を出すことはそう多くないが、こうした慈善事業への参加は貴族の義務とも言える。
「わかりました。公爵様のお志を損なわぬよう、私にできる限りのことをいたします」
そう言うと、執事はほっとしたように微笑み、「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
式典当日。街外れにある孤児院は、そこまで大きな施設ではないが、子供たちの元気な声が飛び交い、活気にあふれている。
バスケットに詰められた寄付物資の数々が運ばれ、カーテンリンゼはそれを確認した。毛布や衣服、食品、薬、そして簡単な教科書など、多岐にわたる。すでにヴァレンシュタイン公爵家が手配をしており、当日は彼女が代表として書類にサインし、施設長や子供たちに贈呈する形を取るということだった。
「公爵夫人様、このたびは誠にありがとうございます。公爵様には日頃から大変お世話になっており、こうして夫人様までご足労いただくとは……」
施設長は感激に声を震わせている。彼女は小さく微笑み、ゆっくりと答える。
「いえ、私が代わりに来ただけです。実際は公爵がすべて手配してくださっていますから」
その言葉に、施設長は「ですが、それだけでも……」と重ねて頭を下げた。
周囲にいた子供たちは興味津々といった面持ちで、カーテンリンゼのドレスの裾を見つめている。孤児院といえば、なかなか豪奢な衣装を見る機会もないだろう。彼女はしゃがみ込み、子供の一人と視線を合わせる。
「あなたたちが元気でいてくれることが、私や公爵にとって一番嬉しいことだわ」
優しい言葉をかけると、子供は少し照れたように笑って、「わぁ、キレイなお姉さん!」と声を上げた。周囲の子供たちも面白がって集まってくる。慣れない人波にやや戸惑いながらも、カーテンリンゼはできる限り穏やかな表情を保ちつつ、子供たちの相手をした。
そんな様子を見て、施設長やスタッフたちからは「さすが公爵夫人」と感嘆の声が上がる。だが、カーテンリンゼ自身は別段大げさに構えているわけではなかった。
(こうして子供たちと触れ合うのは、案外嫌いじゃないかもしれないわね)
普段は冷たいと言われることも多いが、まったく情がないわけではない。むしろ立場が絡まなければ、ある程度人懐っこい部分もある。これは自覚していないだけで、日常の些細な場面で彼女の優しさが垣間見えることがあるのだ。
やがて、式典の中心である寄付贈呈の時間となった。カーテンリンゼは書類に署名をし、スタッフが用意した壇上で子供たちに向かって挨拶をする。
「本来なら、公爵が直接皆さんにお伝えしたかったのですが、今回は多忙のため私が参りました。皆さんが健やかに過ごせるよう、これからも力になれることがあれば何でも協力を惜しみません。安心して学び、遊び、笑ってくださいね」
しんと静まっていた子供たちから、やがて拍手が起こる。彼女たちが知る“公爵夫人”が、こんなに優しい眼差しで語りかけてくれるとは思っていなかったのだろう。
後ろに控えていたスタッフが、「ありがとうございます」と繰り返す。カーテンリンゼは舞台袖に降り、深い息をつきながら軽く胸をなで下ろした。
「ああ、緊張したわ……」
ついそんな本音が口をついて出る。これまで王太子の婚約者だったころも、公の席で挨拶をすることはあったが、どちらかというと形式的なものばかりで、ここまで直接的な言葉を子供たちに向ける機会は少なかった。
(思ったよりも、こういう場は悪くないかもしれない。王太子殿下の隣にいて、形式的に微笑むだけの立場よりは、よほど充実している)
そう感じながら、振り返れば拍手がまだ続いている。人前でのスピーチは苦手だと思っていたが、こうして感謝の意を直接受けるのは心地よさもあった。
そのとき、ふと視界の端に影が映った。
――レオポルド?
まさかと思って振り返ってみると、人混みに紛れるようにして、確かにレオポルド公爵がこちらを見ているではないか。多忙で式典には来られないと聞いていたはずだが……。
「公爵様……?」
呟くと同時に、彼は少し慌てたように視線を逸らし、子供たちの列に近づいて何か声をかけている。カーテンリンゼは驚きながらも、そっと彼のもとへ歩み寄った。
「公爵様、どうしてこちらに? 本日は北方領地からの使者が来られると……」
思わず問いかけると、レオポルドは少し気まずそうに言葉を探した。
「予定よりも早く会議が終わったから、顔を出すだけでもと思ってな。お前がどうやって場をまとめているのか、確かめたい気持ちもあった」
なるほど、というより、そんな体裁を整えた言葉が返ってくるあたり、彼らしいと言えるかもしれない。わざわざ足を運んでくれたのなら一言連絡があってもいい気がするが、そこはわざと黙っていたのだろうか。
「そうでしたか。……少しは、あなたの期待に沿うような振る舞いができたのでしょうか」
皮肉のつもりはなかったが、自然と言葉が出る。すると、レオポルドはわずかに表情を緩め、真っ直ぐにこちらを見た。
「子供たちがとても喜んでいた。お前がいい仕事をしてくれたのは確かだ。……ありがとう」
その“ありがとう”という言葉に、カーテンリンゼの胸が微かに高鳴った。もちろん表情には出さない。だが、レオポルドのような男が感謝を口にするとは珍しいという思いと、称賛を受けた喜びがないまぜになって、不思議な気持ちになる。
「いえ、私はあなたの代わりを務めただけです」
そっけなく答えると、レオポルドは口元にわずかな笑みを宿した。彼が人前で笑うことは少ないし、そういう表情を間近で見るのも初めてかもしれない。
――これが夫婦の何気ない会話、というやつなのかしら。
カーテンリンゼは頭の片隅でそんなことを考える。契約結婚の形を取りながらも、まるで本物の夫婦のようにちょっとしたやりとりを交わす。それだけで、奇妙な満足感が生まれてしまいそうになるのは、どうしてなのだろう。
子供たちが「公爵様だー!」と騒ぎ始め、駆け寄ってくる。レオポルドは少し戸惑いながら、手を軽く振って応じた。その姿は、カーテンリンゼの知る“冷静沈着な公爵”というよりも、どこか親しみやすさを含んだ人間らしさがにじみ出ているように感じられる。
「あれ、意外だわ」
「何がだ?」
「子供たちがあなたに怯えることもなく、むしろ懐いている。普段のあなたはもう少し近寄りがたい印象があるから」
何の気なしに言った言葉に、レオポルドは「そう見えるか?」と少し困惑した表情を浮かべる。
「私は戦場で兵を率いてきた人間だ。子供たちにどう接すればいいかなど、実のところよくわからない。しかし、こうして実際に会うと……笑顔を向けられるのは、悪くない気分だな」
自嘲気味に続ける彼に、カーテンリンゼはほんの少しの安堵を覚えた。自分以上に、彼のほうが不器用かもしれないと感じたのだ。
その後、二人は並んで孤児院を一周し、施設長の案内で部屋の様子などを見て回った。スタッフたちも驚いたような面持ちで、「公爵様が来られるなんて!」と多少の混乱はあったが、レオポルドは淡々と施設を見学し、時折施設長に質問を投げかける。
「冬場は暖房設備が脆弱になるようだが、もし費用不足があるなら、また折を見て支援を行おう。子供たちが凍えることのないように」
「ありがとうございます……! 公爵様、何度助けられたかわかりません……」
心からの礼に、レオポルドはただ短く「そうか」と頷くだけだった。それでも、その一言に本気で救われたと思う人がいるのだろう。ここにいる人々の目はまるでヒーローを見るかのように公爵を慕っている。
横に立つカーテンリンゼは、その光景をじっと見つめながら、先ほどの拍手を思い出した。
――人に必要とされるというのは、悪くない。彼は戦場でもここでも、人々のために行動している。だからこそ支持され、尊敬を集めているのだ。
こうして見ると、レオポルド・ヴァレンシュタインという男が、ただ冷酷なだけの軍人ではなく、思った以上に“人間らしい”面を持っていることを痛感させられる。
やがて見学を終え、孤児院を後にするころには、昼をだいぶ過ぎていた。式典での贈呈も無事に終わり、必要な手続きも全て整った。
「帰りはお前と一緒の馬車でいいか? どうせ同じ邸に戻るのだし」
レオポルドの言葉に、カーテンリンゼは頷く。これまであまり二人で行動する機会がなかっただけに、いざ馬車の中で向かい合うのは少々気まずい。
しかし、窓の外を流れる景色を見ながら、彼がぽつりと問いかけてきた。
「今日は、いい働きをしてくれたと思う。……お前はどうだった? 子供たちを前に挨拶をするのは、初めてだったんだろう?」
まるで父親が娘を気遣うような、そんな穏やかな口調だ。カーテンリンゼはほんの一瞬だけ違和感を覚えるが、すぐに言葉を返す。
「ええ。少し緊張しましたが、周りの方々が優しく迎えてくださったので、うまく乗り切れた気がします。……あと、子供たちは、想像以上に無邪気で明るかったわ。こちらまで楽しい気分になりました」
控えめに微笑みながら言う彼女に、レオポルドは少し満足げにうなずいた。
「そうか。それなら良かった。この先も、私が手の届かない場所に、公爵夫人として出向いてもらうことがあるかもしれない。お前のそういう面は、とても助かるだろうな」
その言葉に、カーテンリンゼは「あくまでも利害関係」と自分の心に言い聞かせる。だが、妙に気恥ずかしさを感じるのは、先ほどまで子供たちの笑顔を見ていたからだろうか。まるで本当の夫婦のように、相手を支え合う関係を想像してしまう。
契約結婚――愛はない。干渉も少ない。カーテンリンゼが望んだ理想の形。なのに、こうやってほんの少し会話を交わすだけで、彼女の胸には小さな波紋が広がっていく。
(これは、何かの始まりなのか、それとも単なる錯覚なのか)
答えはまだ見えず、馬車は王都の街道を静かに走っていった。
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