「王妃の座? 要りませんわ。――私が欲しいのは“真実”だけ」

鍛高譚

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2‑1 情報戦の幕開け

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2‑1 情報戦の幕開け

 広報館での“宣戦布告”から三日。王都セレフィオは早春の風を孕んだ不穏な熱気に包まれていた。
 酒場では「悪役令嬢が王家を恫喝した」と面白おかしく語られ、貴族のサロンでは「照合儀式など前例がない」と眉をひそめる者と、「見ものだ」と好奇の炎を燃やす者に二分された。
 一方、街角の瓦版は連日号外を刷り、〈真実のシンデレラは誰だ〉という賭け札が非合法の賭場で高値を付けている――噂と金は、いつだって離れ難い恋人同士だ。

 「――予定通り、火は回り始めたわ」
 エラント侯爵邸の作戦室と化した離れ。セシリアは広げた地図の上で、碧いピンを一つ動かした。シンボルは“支持者”を示す。三日前は二つしかなかった印が、今は十を越えて煌めいている。

 「王都北部商人ギルド、加入率六割強。表向きは匿名投資への謝辞という形ですが、実質はお嬢様への支持表明ですな」
 老執事レオポルドが報告を重ねる。
 「医療公社《銀の鳥》は?」
 「既に無料診療所三カ所を開設。噂によれば『悪役令嬢が出資している』と半ば都市伝説化しておりますが、そこが味噌です」
 セシリアは頷き、グラスのフルーツ水を口に含んだ。
 「善行を隠すほど民は探り、探るほど脚色する。――“悪女がなぜ慈善を?”という疑問は必ず《真実》への通路になるわ」

 机の端には、封筒に収めた極秘書簡が積まれている。送り先は中流以下の準男爵家や騎士家――王政を支えながらも発言権を持たず鬱屈を抱える階層だ。
 《王家が掲げる“血統の正統性”は、貴方がたの努力を軽んじていないか》
 《真の改革は、貴方がたの声から始まる》
 丁寧な筆致と共に、わずかな利子で融資を受けられる金融証書が同封されている。彼らの心を動かすのは高邁な理想ではなく、未来へ続く梯子だ。

      * * *

 翌日。王都中央市場の地下貯蔵室――薄暗い石壁の一角で、セシリアは分厚い外套フードを深く被り、“影の商人”と呼ばれる興行主ヴァシュロンと対面していた。
 「悪名高い令嬢が、わざわざ薄汚い倉庫へ? これは夢かね」
 「あいにく、夢でも悪夢でもないわ。あなたの《舞台》を買いに来ただけ」
 彼女が差し出したのは、正規金貨とは鋳型が異なる“黒貨”。出所を辿れない裏金ながら、王都で通用しない店はない。
 「条件は三つ。第一に、《王家報》が発行する版木をそっくり買い上げること。第二に、あなたの巡業劇団に新作『灰かぶり令嬢の真実』を上演させること。第三に――」
 セシリアは指先でフードをずらし、翡翠の瞳で相手を射抜く。
 「公演初日の主賓席は、王太子とエラに譲って差し上げて」
 ヴァシュロンはごくりと喉を鳴らし、やがて破顔した。
 「劇場の天井が抜けても知らんぞ、令嬢」
 「心配いらないわ。崩れるのは天井じゃなく、偽りの物語よ」

      * * *

 同じ頃、王城。執務室で王太子アルベルトは書類の山を前に苛立ちを隠せなかった。
 「貸借簿の監査? 何故突然、商務院が動き出す!」
 秘書官が冷や汗を拭きながら答える。
 「それが、エラント家と提携する商会が増えたことで、市場流通量が急激に――」
 「悪役令嬢が金で貴族を釣るなど卑劣極まりない!」
 机を叩く音が響き、エラが慌てて袖を引いた。
 「殿下、どうかお心穏やかに。あの方はわたくしたちを挑発しているのですわ」
 「挑発だと? 真実結晶なるものを突然持ち出して――王統に楯突く暴挙だ!」
 アルベルトは拳を握りしめたが、内心の焦りは隠せない。王家が千年以上守ってきた“真実の象徴”に疑義が生じたのだ。照合儀式に応じなければ権威に傷が付き、応じれば結果次第で王統が覆る。退路はどこにもない。

 その葛藤を見透かしたように、執務室の扉が開く。
 「殿下。枢密院からのお達しです」
 王宮警備隊長が差し出した公文書には、王家と貴族院の連名でこう記されていた。
 《照合儀式は一ヶ月後、聖堂にて厳正に執り行う》
 アルベルトの顔から血の気が引く。エラは唇を噛んだ。レオノーラの打った“時間稼ぎ”は、完全に塞がれたのだ。

      * * *

 ――同日、侯爵邸。

 セシリアは書斎で報告書を読んでいた。照合儀式正式決定の報は既に届き、彼女は静かにペンを置く。
 「王家が一ヶ月後を選んだ意味、わかりますか?」
 ソファに座るクロエが頷く。
 「逆転への準備期間よ。彼らは《真実結晶》を無効化する禁忌術の研究を急ピッチで進めるでしょう」
 「ええ。だから私は、その“禁忌術”の研究責任者に抜擢されることになったわ」
 クロエは肩を竦めて笑った。王立魔法院の秘術監査局から、正式に“特別顧問”の辞令が届いたのだ。
 「内部を探るには絶好の席よ。――とはいえ危険も跳ね上がるわ。後ろ盾がなければすぐ失脚させられる」
 「後ろ盾なら用意するわ。明日、王都大学で公開討論会を開くの。“真実の継承と王権”をテーマにね。あなたには研究者として出席してもらう」
 セシリアは笑みを深めた。
 「学究の自由を盾に、王家の干渉を牽制する。学問と商業――二つの舵で世論を動かせば、王家といえど簡単には潰せない」

 部屋の隅で控えていたレオポルドが、小さく咳払いをした。
 「噂の火勢は申し分ありません。しかし、王家は“我らの信仰”という油を被っております。火攻めにするなら覚悟も――」
 「ええ、承知の上よ」
 セシリアは立ち上がり、窓を開け放った。夕映えが紅に染める王都。その中心で王城だけが白亜の塔を輝かせ、正義の象徴を装っている。
 「けれど偽りの塔は、白いほど落魄が映えるもの。夜が明ければ、灰の色こそ真実を示すわ」

 風がペンダントの結晶を揺らし、淡金の光を散らした。その瞬間、遠く鐘の音が響いた。真実の舞踏会――第二幕への合図のように。

      * * *

 夜。侯爵邸を警備する衛兵の影を縫うように、一つの黒影が裏門をくぐった。
 「――失礼。セシリア様にお取り次ぎ願いたい」
 低い声で名乗ったのは、政務院の若き監察官ルイス・ベレナール。
 彼は胸元から封筒を取り出し、老執事に押し込んだ。
 《照合儀式の台座に細工を施す計画あり。詳細、追って報告》
 文字は震え、インクは滲んでいた。命がけで書かれた証言。

 翌朝早く、セシリアはバルコニーから夜明けを眺めつつ、ルイスの報告書を読み終えた。
 「禁忌術の実験台座を偽装するつもりね。――なら、こちらの一手も“王家にとって都合のいい偽装”で返しましょう」
 彼女は羊皮紙を取り、さらさらと新しい計画を書き付けた。

 《灰かぶり作戦:段階的情報開示による世論掌握》
 《王都大学討論会→巡業劇“灰かぶり令嬢の真実”→慈善病院拡張》
 《最終目標:照合儀式当日に王家自身の口で〈真実結晶〉の正統性を宣言させる》

 ペンを置く。夜が明ける。
 「さあ、孤独な悪役令嬢の物語はもう終わり。次は――観客ごと舞台に上げる群像劇よ」
 朝日が侯爵邸の塔を照らし、翡翠の瞳に赤金の光を注ぎ込む。
 “情報戦”という名の幕が、ついに上がった。

                                                            
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