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第1章 望まぬ政略結婚
1話
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冷え込む冬の朝、石畳を敷き詰めた広い中庭に薄い霧が立ちこめている。灰色の空を見上げながら、リゼット・エヴァンティアは溜息をついた。世間ではもうじき冬も明けるというのに、彼女の心はまだ冷え切ったままだ。それどころか、ここ数日でさらに寒さを増しているような気さえする。
エヴァンティア公爵家の令嬢であるリゼットは、幼い頃から優雅な宮廷文化に慣れ親しみ、礼儀作法や文学、音楽などを徹底的に仕込まれてきた。美貌と知性を兼ね備え、周囲からは「才色兼備のお嬢様」と称えられることも多い。だが、彼女にとってはまったく嬉しくない状況が今、目の前に迫っていた。
その最大の理由が「政略結婚」である。
リゼットの父、ガイウス・エヴァンティア公爵は王国でも指折りの影響力を持ち、母マリアも上品で物腰柔らかな女性として社交界の評判が高い。エヴァンティア家の令嬢であるリゼットは、当然ながら王宮の多くの貴族から注目される存在であり、どの家も彼女を自らの嫁に迎えようと画策していた。その結果、リゼットは「将来は自分の意思とは無関係に結婚させられるかもしれない」という漠然とした不安を抱えて育ったのだ。
だが、まさか本当に——しかもこんなにも突然、政略結婚を言い渡されるとは夢にも思わなかった。
結婚相手はアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵。まだ二十代半ばでありながら先代の跡を継ぎ、名門シュヴァルツ侯爵家を立派に切り盛りしているという。王宮の周辺でも「優秀で頭脳明晰。政治的手腕もある冷徹な戦略家」として知られ、近頃では王家に次ぐほどの影響力を持ち始めているという噂まで立っている。
一方で、その冷静沈着さゆえか「感情を表に出さない」「周囲に心を開かない」などの評判もあり、よく言えば隙のない完璧な男、悪く言えば冷酷な男というイメージが定着していた。リゼットは彼と面識がほとんどなく、余計に不安を募らせていた。
ガイウス公爵はこれまでリゼットの結婚にさほど熱心ではなかったように見えたが、今回に限っては妙に積極的だった。いや、積極的というよりも強引と言うべきだろう。アレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵から正式に申し入れがあったとき、リゼットに相談することもなく即答に近い形で受け入れたという。リゼットがそれを知ったのは、すでに両家の間で話がほぼまとまってからだった。
どうして父は、こんなにも性急に婚約を決めてしまったのか。いくら家の政略のためとはいえ、あまりに一方的すぎるではないか。気の強いリゼットは父に抗議し、母にもすがったが、「これはエヴァンティア家とシュヴァルツ家の将来を左右する大切な縁談なのだ」と説かれるばかり。彼女の意思を尊重する気配は微塵も感じられなかった。
その日以来、リゼットは自室に閉じこもりがちになり、結婚式の準備やドレスのフィッティングですら乗り気になれない。使用人たちに勧められるまま、必要最低限のことはこなすものの、気分は暗く沈む一方だった。
今日も早朝から父が何かと催促してくる。馬車で出かける前に挨拶を済ませろだの、婚礼の日取りを早める可能性があるからそのつもりでいろだの——。あまりに一方的な指示ばかり飛んでくるので、リゼットは嫌気が差して中庭に逃げ込んだ。だがそこへ、執事のオスカーが足早にやってくる。
「お嬢様、そろそろ寒くなってまいりましたので、お体を冷やされませんよう。ご用事が済むまでこちらのマントを……」
オスカーはやや年配の落ち着いた男性で、幼い頃からリゼットをよく知る人物だ。その彼の表情にも、どこか憂慮の色が浮かんでいた。
「……ありがとう、オスカー」
リゼットは差し出されたマントを羽織り、ひとまず冷えた空気から身を守る。
と、そのときだった。父のガイウスが大股で中庭へと進み出てくる。そのあとに控えているのは、母のマリアと数人の侍女たち。どうやら馬車でどこかへ行くつもりらしい。
「リゼット、ここにいたか。さっさと支度をしろ。今日はシュヴァルツ侯爵家へご挨拶に伺うのだ」
「え……今日ですの?」
「そうだ。先方から正式に『顔合わせを兼ねた夕食会』のお誘いがあった。お前が渋っている暇などない。すぐに支度をしろ」
あまりに急な話に、リゼットは困惑する。まだ心の準備もできていないのに、当の父は「とにかく行け」という態度を崩さない。
エヴァンティア公爵家の令嬢であるリゼットは、幼い頃から優雅な宮廷文化に慣れ親しみ、礼儀作法や文学、音楽などを徹底的に仕込まれてきた。美貌と知性を兼ね備え、周囲からは「才色兼備のお嬢様」と称えられることも多い。だが、彼女にとってはまったく嬉しくない状況が今、目の前に迫っていた。
その最大の理由が「政略結婚」である。
リゼットの父、ガイウス・エヴァンティア公爵は王国でも指折りの影響力を持ち、母マリアも上品で物腰柔らかな女性として社交界の評判が高い。エヴァンティア家の令嬢であるリゼットは、当然ながら王宮の多くの貴族から注目される存在であり、どの家も彼女を自らの嫁に迎えようと画策していた。その結果、リゼットは「将来は自分の意思とは無関係に結婚させられるかもしれない」という漠然とした不安を抱えて育ったのだ。
だが、まさか本当に——しかもこんなにも突然、政略結婚を言い渡されるとは夢にも思わなかった。
結婚相手はアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵。まだ二十代半ばでありながら先代の跡を継ぎ、名門シュヴァルツ侯爵家を立派に切り盛りしているという。王宮の周辺でも「優秀で頭脳明晰。政治的手腕もある冷徹な戦略家」として知られ、近頃では王家に次ぐほどの影響力を持ち始めているという噂まで立っている。
一方で、その冷静沈着さゆえか「感情を表に出さない」「周囲に心を開かない」などの評判もあり、よく言えば隙のない完璧な男、悪く言えば冷酷な男というイメージが定着していた。リゼットは彼と面識がほとんどなく、余計に不安を募らせていた。
ガイウス公爵はこれまでリゼットの結婚にさほど熱心ではなかったように見えたが、今回に限っては妙に積極的だった。いや、積極的というよりも強引と言うべきだろう。アレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵から正式に申し入れがあったとき、リゼットに相談することもなく即答に近い形で受け入れたという。リゼットがそれを知ったのは、すでに両家の間で話がほぼまとまってからだった。
どうして父は、こんなにも性急に婚約を決めてしまったのか。いくら家の政略のためとはいえ、あまりに一方的すぎるではないか。気の強いリゼットは父に抗議し、母にもすがったが、「これはエヴァンティア家とシュヴァルツ家の将来を左右する大切な縁談なのだ」と説かれるばかり。彼女の意思を尊重する気配は微塵も感じられなかった。
その日以来、リゼットは自室に閉じこもりがちになり、結婚式の準備やドレスのフィッティングですら乗り気になれない。使用人たちに勧められるまま、必要最低限のことはこなすものの、気分は暗く沈む一方だった。
今日も早朝から父が何かと催促してくる。馬車で出かける前に挨拶を済ませろだの、婚礼の日取りを早める可能性があるからそのつもりでいろだの——。あまりに一方的な指示ばかり飛んでくるので、リゼットは嫌気が差して中庭に逃げ込んだ。だがそこへ、執事のオスカーが足早にやってくる。
「お嬢様、そろそろ寒くなってまいりましたので、お体を冷やされませんよう。ご用事が済むまでこちらのマントを……」
オスカーはやや年配の落ち着いた男性で、幼い頃からリゼットをよく知る人物だ。その彼の表情にも、どこか憂慮の色が浮かんでいた。
「……ありがとう、オスカー」
リゼットは差し出されたマントを羽織り、ひとまず冷えた空気から身を守る。
と、そのときだった。父のガイウスが大股で中庭へと進み出てくる。そのあとに控えているのは、母のマリアと数人の侍女たち。どうやら馬車でどこかへ行くつもりらしい。
「リゼット、ここにいたか。さっさと支度をしろ。今日はシュヴァルツ侯爵家へご挨拶に伺うのだ」
「え……今日ですの?」
「そうだ。先方から正式に『顔合わせを兼ねた夕食会』のお誘いがあった。お前が渋っている暇などない。すぐに支度をしろ」
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