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第3章 嫉妬する旦那様と政略結婚の崩壊
18話
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その瞬間、風が止まり、空気が凍るような感覚があった。気づけば、少し離れた場所にアレクシスが立っている。客間から出てきたのだろうか。その冷たい瞳は、アルヴィンがリゼットの腕を掴んでいる光景をしっかりと捉えていた。
「――手を離せ」
低く、しかしはっきりと響く声。その一言に、アルヴィンは目を見開き、慌ててリゼットの腕を離す。
「お、おや……。これは失敬。侯爵殿はとても嫉妬深いようだね」
からかうように笑うアルヴィンだが、アレクシスの目は笑っていない。
リゼットは事態をまずいと思い、アレクシスに駆け寄って言葉を探す。
「あ、アレクシス様……あの、これはそういうことじゃ……」
だが、アレクシスはリゼットの言い訳を制するように軽く手を挙げ、鋭い視線をアルヴィンに向けたまま言い放った。
「俺の妻に馴れ馴れしく触れたことを詫びろ。さもなくば、ここでの会話は終わりだ」
さきほどまで冷静を装っていたアルヴィンも、さすがに不愉快そうに顔をしかめる。だが、その程度で気圧される男でもない。
「詑びる? それはちょっと大げさじゃないか。僕は昔からリゼットを知っているし、彼女が本当に幸せかどうか気になったから声をかけただけで……」
「……そうか。だが、既婚の女性に無断で触れる行為は、貴族の礼節に反している。貴族を名乗るなら、そのくらい承知しているだろう」
アレクシスが淡々と言葉を放つたび、空気が凍りつく。リゼットは見ていられない思いだった。こんな険悪な雰囲気になるくらいなら、やはり庭へは出るべきではなかったかもしれない――そう後悔が頭をよぎる。
すると、そこへガイウス公爵があわてた様子でやって来た。どうやら客間から二人を探していたらしい。
「やあやあ、シュヴァルツ侯爵殿、アルヴィン殿。何やら盛り上がっているようだが……お茶が冷めてしまうので、そろそろ中へ戻ろうではないか」
いかにも場を取り繕うような調子だが、アレクシスの険しい表情は解けない。アルヴィンも苦笑しながら肩をすくめる。
「ふう、分かりましたよ。じゃあ失礼して中に戻りますか。……リゼット、あとでゆっくり話そうね」
そう言い残して、アルヴィンは先に屋内へ戻っていく。ガイウスも「ささ、リゼットも」と促し、仕方なくリゼットは客間へ向かう。
その背後で、アレクシスの冷やかな気配をひしひしと感じた。彼がどれほど不快感を抱いているかは、容易に想像がつく。
客間に戻ると、母マリアが「あら、皆さんお揃いで……」とぎこちなく笑みを浮かべ、侍女たちが新しい茶葉を入れたポットを運んできた。アルヴィンは相変わらず軽妙な話し方で、場を盛り上げるふりをしているが、先ほどのやり取りのせいでリゼットもアレクシスも気分が沈んでいる。
ガイウスは「これでリゼットも昔を思い出したことだろう」とか、意味深に笑いながらアルヴィンを持ち上げており、どうにも居心地が悪い。結局、そそくさとお茶を飲み終えてから、リゼットとアレクシスはエヴァンティア邸をあとにした。
馬車に乗り込み、出発してしばらくは、二人とも黙ったままだ。アレクシスの横顔からは険が消えない。リゼットはどう言葉をかけてよいか迷ったが、やはりきちんと話すべきだと思い直す。
「アレクシス様、今日はごめんなさい……。あんな空気になってしまって」
すると、アレクシスは一拍置いて息をつき、リゼットを見つめた。
「別に、あれはお前のせいじゃない。だが……あの男は、分かりやすく馴れ馴れしすぎる。夫の前であれほど露骨に触れるとは、何を考えているのか」
「彼は昔からあんな調子なんです。社交的で、距離が近いというか……。でも、私も失礼だと感じました。それに、あなたを冷たいとか言ってきて……許せません」
リゼットがそう言うと、アレクシスはわずかに目を細めて微笑んだ。怒りの熱が少しだけ冷めたようだが、まだ心の奥にわだかまりを抱えていそうな表情ではある。
「お前の気持ちが俺のほうを向いていると分かっていても、やはり良い気分はしないな。……嫉妬というやつかもしれない」
正直な告白に、リゼットは胸がきゅんとした。冷静沈着なアレクシスが、自分の感情をこうして率直に言葉にするのは珍しい。
「……私も同じ立場なら不愉快に思いますし、あんなふうに誰かに絡まれたら嫌です。ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまって」
「いいんだ。お前の責任じゃない。あの軽薄な男が勝手に言い寄っていただけだ。……ただ、ガイウス公爵の狙いが何なのかが気になる。アルヴィンをわざわざ呼び寄せて、一体何をさせたいのか」
そう言われて、リゼットも胸の奥がざわつく。父ガイウスが、ただ「懐かしい知人だから」という理由でアルヴィンを招いているとは思えないのだ。そこにはきっと別の目的がある。それが何なのかは、まだ見えない。
(もしかして、私とアレクシス様の結婚を破談に持ち込みたいとか……? 今さらそんなこと、考えられないけれど……)
政略結婚とはいえ、エヴァンティア家にとってもシュヴァルツ家との縁組は得るものが大きいはず。それなのに、なぜこんな不審な動きをするのか。そもそも、父が本心で何を望んでいるのかがリゼットには分からなくなってきた。
「――手を離せ」
低く、しかしはっきりと響く声。その一言に、アルヴィンは目を見開き、慌ててリゼットの腕を離す。
「お、おや……。これは失敬。侯爵殿はとても嫉妬深いようだね」
からかうように笑うアルヴィンだが、アレクシスの目は笑っていない。
リゼットは事態をまずいと思い、アレクシスに駆け寄って言葉を探す。
「あ、アレクシス様……あの、これはそういうことじゃ……」
だが、アレクシスはリゼットの言い訳を制するように軽く手を挙げ、鋭い視線をアルヴィンに向けたまま言い放った。
「俺の妻に馴れ馴れしく触れたことを詫びろ。さもなくば、ここでの会話は終わりだ」
さきほどまで冷静を装っていたアルヴィンも、さすがに不愉快そうに顔をしかめる。だが、その程度で気圧される男でもない。
「詑びる? それはちょっと大げさじゃないか。僕は昔からリゼットを知っているし、彼女が本当に幸せかどうか気になったから声をかけただけで……」
「……そうか。だが、既婚の女性に無断で触れる行為は、貴族の礼節に反している。貴族を名乗るなら、そのくらい承知しているだろう」
アレクシスが淡々と言葉を放つたび、空気が凍りつく。リゼットは見ていられない思いだった。こんな険悪な雰囲気になるくらいなら、やはり庭へは出るべきではなかったかもしれない――そう後悔が頭をよぎる。
すると、そこへガイウス公爵があわてた様子でやって来た。どうやら客間から二人を探していたらしい。
「やあやあ、シュヴァルツ侯爵殿、アルヴィン殿。何やら盛り上がっているようだが……お茶が冷めてしまうので、そろそろ中へ戻ろうではないか」
いかにも場を取り繕うような調子だが、アレクシスの険しい表情は解けない。アルヴィンも苦笑しながら肩をすくめる。
「ふう、分かりましたよ。じゃあ失礼して中に戻りますか。……リゼット、あとでゆっくり話そうね」
そう言い残して、アルヴィンは先に屋内へ戻っていく。ガイウスも「ささ、リゼットも」と促し、仕方なくリゼットは客間へ向かう。
その背後で、アレクシスの冷やかな気配をひしひしと感じた。彼がどれほど不快感を抱いているかは、容易に想像がつく。
客間に戻ると、母マリアが「あら、皆さんお揃いで……」とぎこちなく笑みを浮かべ、侍女たちが新しい茶葉を入れたポットを運んできた。アルヴィンは相変わらず軽妙な話し方で、場を盛り上げるふりをしているが、先ほどのやり取りのせいでリゼットもアレクシスも気分が沈んでいる。
ガイウスは「これでリゼットも昔を思い出したことだろう」とか、意味深に笑いながらアルヴィンを持ち上げており、どうにも居心地が悪い。結局、そそくさとお茶を飲み終えてから、リゼットとアレクシスはエヴァンティア邸をあとにした。
馬車に乗り込み、出発してしばらくは、二人とも黙ったままだ。アレクシスの横顔からは険が消えない。リゼットはどう言葉をかけてよいか迷ったが、やはりきちんと話すべきだと思い直す。
「アレクシス様、今日はごめんなさい……。あんな空気になってしまって」
すると、アレクシスは一拍置いて息をつき、リゼットを見つめた。
「別に、あれはお前のせいじゃない。だが……あの男は、分かりやすく馴れ馴れしすぎる。夫の前であれほど露骨に触れるとは、何を考えているのか」
「彼は昔からあんな調子なんです。社交的で、距離が近いというか……。でも、私も失礼だと感じました。それに、あなたを冷たいとか言ってきて……許せません」
リゼットがそう言うと、アレクシスはわずかに目を細めて微笑んだ。怒りの熱が少しだけ冷めたようだが、まだ心の奥にわだかまりを抱えていそうな表情ではある。
「お前の気持ちが俺のほうを向いていると分かっていても、やはり良い気分はしないな。……嫉妬というやつかもしれない」
正直な告白に、リゼットは胸がきゅんとした。冷静沈着なアレクシスが、自分の感情をこうして率直に言葉にするのは珍しい。
「……私も同じ立場なら不愉快に思いますし、あんなふうに誰かに絡まれたら嫌です。ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまって」
「いいんだ。お前の責任じゃない。あの軽薄な男が勝手に言い寄っていただけだ。……ただ、ガイウス公爵の狙いが何なのかが気になる。アルヴィンをわざわざ呼び寄せて、一体何をさせたいのか」
そう言われて、リゼットも胸の奥がざわつく。父ガイウスが、ただ「懐かしい知人だから」という理由でアルヴィンを招いているとは思えないのだ。そこにはきっと別の目的がある。それが何なのかは、まだ見えない。
(もしかして、私とアレクシス様の結婚を破談に持ち込みたいとか……? 今さらそんなこと、考えられないけれど……)
政略結婚とはいえ、エヴァンティア家にとってもシュヴァルツ家との縁組は得るものが大きいはず。それなのに、なぜこんな不審な動きをするのか。そもそも、父が本心で何を望んでいるのかがリゼットには分からなくなってきた。
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