婚約破棄された令嬢ですが、新たな幸せを掴みます!

鍛高譚

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第2章:新たな出会いと再起

2-1

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 侯爵家令嬢シェラの婚約破棄は、一夜のうちに屋敷の中を暗い空気で満たした。シェラ自身も衝撃から完全には立ち直れず、夜を迎えても眠れないまま過ごしていた。思い返すだけで胸が軋む。涙が乾いては湧き出してくる。アレクシスの声、ミレイアの嘲笑、そして両親の取り乱した様子……。それらが脳裏を駆け巡り、瞼を閉じても眠りは遠かった。

 しかし、夜は明ける。翌朝、窓から差し込む陽の光が、彼女の目蓋に重く覆い被さるようにして意識を覚醒させた。まだ寝不足のまま、シェラはベッドの端に腰かける。鏡に映る自分の顔は、目元が赤く腫れ、唇の血色も悪い。しかし、それでもここで塞ぎ込んでいては何も始まらない――夜通し泣き暮らしたわずかな隙間から、そんな声が聞こえてくるような気がした。

 ゆっくりと立ち上がり、ドレッサーの前へ。侍女のメアリーを呼び、いつも通り身支度を整えてもらう。寝乱れた髪を丁寧に梳かしてもらううちに、心も少しずつ落ち着きを取り戻していった。メアリーは気を遣うように口数を少なくしながらも、いつも通りにきちんと仕事をこなしてくれる。そのことにシェラは深く感謝した。今の自分には、当たり前の日常すら息苦しく感じるからこそ、変わらぬ仕草で接してくれるメアリーの存在が温かい。

「お嬢様、今日はいかがお過ごしになりますか?」  髪を結い終えたメアリーが、遠慮がちに尋ねる。シェラは少し考えたあと、意を決したように言った。 「父と母に話があるの。昨夜のうちに心を決めたわ。まずは、私の今後について話し合わないと」

 そう、婚約破棄を言い渡されたからといって、ただ座して落ち込んでいるわけにはいかない。これからの自分の生き方を、自分で決めなければならないのだ。シェラはまだ悲しみも屈辱感も拭いきれないまま、それでも足を前に進める。侍女のメアリーに扉を開けてもらい、廊下を進んでいくと、使用人たちが皆どこか息を潜めているように感じられた。

 階段を下り、昨夜も話し合いが行われた応接室へと入る。すると、そこには朝食後のコーヒーを片手に、重苦しい顔でソファに沈んでいる父と母の姿があった。母は目尻が赤くなっており、昨夜あまり眠れなかったのだろう。父もまた、侯爵としての威厳を保とうとしているのか、表情を険しくしているが、その目はどこか焦点が定まっていない。

「失礼します……おはようございます、父上、母上」  シェラがそう挨拶すると、二人ははっと顔を上げた。母はすぐさま駆け寄り、シェラの両手を握る。 「シェラ、少しは眠れたの? 顔色が悪いわ……大丈夫?」 「ええ……まだ少しぼんやりしているけれど、気をしっかり持っているつもりよ」

 言葉を交わすうちに、母の手の温もりにほっとする。父もシェラに向き合い、低く呻くような声を出した。 「すまない、シェラ……まさか、公爵家がこんな非常識な真似をするとは……。父として、不甲斐ない限りだ」

 どこか自責の念を含んだ言葉に、シェラはかぶりを振った。無理もない。父はアレクシスとの縁組みによって、将来的に両家の利益を強固にする意図があったはずだ。それが、まさかこんな形で破談になるなど、誰も予想していなかっただろう。 「父上、気に病まないで。悪いのはあちらですもの。私たちの落ち度ではありません」 「だが……お前のこれからを考えると、放ってはおけない。貴族の娘が婚約破棄となれば、次の縁談にも支障が出るかもしれん。ましてや、あちらは公爵家。スキャンダルの広がり方も想像以上だろう」

 父は苦渋に満ちた表情を浮かべながら、再びソファに沈んだ。母も同様に言葉少なだ。シェラは二人を前にして、今こそ自分がしっかりしなければと思う。この親子三人が同じ方向を向かなければ、侯爵家は混乱する一方だ。

「私は……」  シェラが言いかけたところで、急に扉がノックされ、執事が静かに姿を見せる。 「侯爵様、少々お耳に入れたいことがございます。公爵家からの使いが早朝に参りまして、こちらに書簡を預かっております」 「なに? こんなにも早く?」

 父は執事から差し出された書簡を受け取ると、慌てて中身に目を通す。母とシェラは息を呑み、その反応を待ちわびるように見つめる。父の表情は一読しただけで険しく歪んだ。 「……ふざけている……っ!」  父は震える手で紙を握りしめ、再びソファに投げ出す。

「なんて書いてあるの?」  母が恐る恐る問いかけると、父は低い声で書簡の内容を要約する。 「要するに『公爵家の嫡男アレクシスは、正当な恋愛感情に基づき従妹のミレイア嬢を選んだ。よって、シェラ嬢との婚約は無効とする。もしも何か異議申し立てがあるのであれば、しかるべき手続きをとり、法廷にでも持ち込めばいい』……だと」

 あまりに一方的で傲慢な宣言だった。大きな家柄であることを盾に、婚約破棄を押し付けてきたのみならず、まるで「抗うなら抗ってみろ」と言わんばかりの挑発までもが含まれている。母は言葉を失い、シェラもまた怒りよりも呆れが先に立つ。

 ――本当に、ここまであからさまに破談を突きつけてくるとは。

 思い返せば、アレクシスはそれほど冷酷な人物ではなかったはずだ。それが今や、飼い犬が手の平を返すかのごとく豹変している。この背後には、ミレイアが関わっているのは間違いないだろう。しかし、その真意を突き止める術は今のところない。

「父上、母上……」  シェラは声を落ち着かせて言った。 「私は、もうこの婚約破棄を受け入れて構いません。抗議したところで、向こうが聞く耳を持つとは思えませんし、これ以上、醜い争いに巻き込まれても仕方がないわ」 「し、しかし……シェラ。お前がそれでいいのか? お前はあの男を――」 「……好きだったのかもしれない。でも、彼の本心が私ではないというなら、仕方がないと思います。無理やり継続したところで、不幸が続くだけですもの」

 そう口にすると、シェラの中に僅かな寂しさと、確かな決意が生まれた。思えば、結婚を機に領地をしっかり守り抜く夢や、アレクシスとともに未来を築いていくという希望があった。だが、そのすべてが崩れ去った今、彼女にはもう未練すら重荷になりつつあった。

「ただし……一つだけ願いがあります」 「願い……?」  父が訝しげに眉をひそめる。シェラは、まっすぐ父の目を見据えた。 「侯爵家に生まれた私にも、領地経営に参加する権利を与えてほしいのです。これまでは政略結婚が前提だったから、深く関わる機会はなかったけれど、父上や母上を少しでもお助けしたい」

 この言葉に、母は驚いたように目を瞬かせる。父も想定外だったのか、少し考えてから口を開いた。 「……なるほど。確かに今後は、公爵家との縁が途絶えることを考えれば、我が家だけで自立していく必要がある。しかし、お前にその覚悟はあるのか?」 「はい。幸い、私は子供の頃から領地を回って住民の方々と触れ合うのが好きでした。あの頃はただの遊びに近い感覚だったけれど、こうなった今、自分に何ができるか探したいんです」

 シェラの瞳に揺るぎない意志が宿っているのを見て、父はしばらく黙考した末、ひとつ息をついた。 「わかった。お前の気持ち、受け入れよう。……だが、何かあった時はすぐに相談しなさい。何があっても、お前は私たちの大切な娘だ。いいな?」 「ありがとう、父上」

 こうして、シェラは婚約破棄のスキャンダルの只中にいながら、早速自分の足で立ち上がるための第一歩を踏み出すことにした。


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