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第4章:新たな愛と幸せの道
しおりを挟む婚約破棄という衝撃的な出来事からしばらくの月日が経った。公爵令嬢ミアータ・クラレットは、平民出身のリリー・ハートとの再婚約に踏み切った元婚約者アレン・ヴァーサーをめぐる複雑な噂に胸を痛めつつも、自らの人生を切り開くために前を向いて歩いている。孤児院への支援活動を通じて彼女が得たのは「誰かのために行動したい」という純粋な意志と、そこから芽生える小さな幸福感だった。
一方、リリーの借金問題や、アレンを取り巻くヴァーサー侯爵家の混乱は次第に深刻さを増している。すでに社交界の一部では「リリーの浪費と不正な借金が発覚し、破局は時間の問題ではないか」と囁かれていた。アレンは家と婚約者の間で板挟みになり、かつての堂々たる姿を失っているという。
元婚約者の苦境を耳にしながらも、ミアータは「私には関わる権利も義務もない」と繰り返し自分に言い聞かせてきた。かつて愛した相手の不幸を願わない一方で、必要以上に情をかけても状況を悪化させるだけかもしれないからだ。何より、彼女には新たに意識し始めた相手がいた。若くして侯爵位を継ぎ、領地経営や福祉事業に積極的なカイル・エルネスト侯爵――孤児院支援を共に進める中で、いつしかミアータはその真摯な人柄に惹かれつつあった。
そして、運命はこのすべてをひとつの結末へ向け、加速しはじめる。ヴァーサー侯爵家を揺るがす事態と、ミアータとカイルの関係の行方――それぞれが織りなす糸が、いよいよ交錯するのだ。
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孤児院と商人ギルドの協力
孤児院の老朽化した建物を改修するため、ミアータはカイルの助言を仰ぎながら、支援金を募る仕組みづくりを急いでいた。特に注目したのは、王都で大きな影響力を持つ商人ギルドとの提携である。ギルドは様々な商人や職人を束ねる一大組織であり、慈善事業にも積極的に関わる傾向があると聞いていた。
そこで、ミアータとカイルはギルド長と直接会い、孤児院への継続的な支援を要請することに決める。ギルドの事務所は王都の商業区にある比較的大きな建物で、日々多くの人が出入りしていた。
「クラレット公爵令嬢とエルネスト侯爵が、直々にお越しとは光栄です。わたくし、ギルド長のゼイデンと申します。」
品の良い背広に身を包んだ初老の男性が、にこやかに二人を出迎える。中背ながら堂々とした立ち姿と、微笑の奥に隠しきれない鋭さ――「商人ギルドの長を務めるだけのことはある」とミアータは感じた。
「はじめまして、クラレット公爵家のミアータと申します。こちらは、エルネスト侯爵のカイル様です。今日は孤児院への支援についてお話させていただきたく……」
ミアータが頭を下げると、ゼイデンはすぐに「まずはお掛けください」と応接室へ二人を案内する。商人ギルドらしく、質の良い革張りのソファや大きなテーブルが備えられ、打ち合わせには十分な環境だ。
「拝見しているところ、今回の件はただの“一度きりの慈善”ではないご様子ですな。孤児院の運営体制や、そこに暮らす子供たちの自立支援にまで目を向けていらっしゃる」
ゼイデンは書類に目を通しながら感心したように笑う。
「ええ、金銭的援助はもちろん必要ですが、長期的に見ると教育や職業訓練、あるいは職人との連携による学びがあれば、子供たちが将来的に社会へ出やすくなると思います。そのためには、商人や職人の方々の協力が不可欠かと」
ミアータはぎこちなくならないよう、しかし心を込めて説明をする。隣でカイルも補足を加え、具体的なプランや予算配分の案を示した。
「なるほど、興味深いですね。私どものギルドとしても、若い人材が育つのは好ましい。特に孤児院の子供たちが将来職人を目指してくれるなら、我々にとってもメリットがあるでしょう」
ゼイデンは書類を閉じると、真剣な面持ちで二人を見据える。
「公爵令嬢、侯爵様。我々が協力する条件はただひとつ、“継続性”です。一度お金を投じて終わり、というのでは意味がありません。少なくとも5年、できれば10年スパンでの支援体制と運営計画が必要です。もしそちらの覚悟があるのなら……喜んで協力いたしましょう」
それは大きな決断だった。5年、10年という長期にわたるプロジェクトとなれば、まとまった資金だけでなく管理・運営の人材も必要になる。一方で、それが実現すれば孤児院の未来は安泰になり、子供たちが自立への道を歩める大きなチャンスとなる。
「もちろん、そのつもりでおります。私が責任をもって続けていきます」
ミアータは迷いなく頷く。その横でカイルも微笑み、彼女の肩を軽く叩いて勇気づける。
「素晴らしい。では、このプロジェクトは私ども商人ギルドも積極的にサポートいたしましょう。ただし、詰めるべき事項は多々ありますから、後ほど詳細な契約書を交わします。よろしいでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします!」
二人は同時に頭を下げる。ゼイデンは「お若いのに大した熱意ですな」と感心しながら、契約のための書類を取りまとめるようギルドの職員へ指示を出した。
こうして、孤児院の支援体制はひとつの大きな節目を迎えた。ミアータは心の底から安堵すると同時に、これから先に待ち受ける困難――資金の継続確保や運営スタッフとの連携――を思い、さらに身が引き締まる思いであった。
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カイルの胸の内
ギルドでの打ち合わせを終え、馬車で公爵邸へ向かう帰路。ミアータは緊張の糸が緩んだのか、ふっと力が抜けた表情を見せた。窓から差し込む夕陽が、その銀色の髪を黄金色に染める。
「大きな一歩だけれど、まだまだやることは山ほどあるわね……」
ミアータが小さく息を吐くと、向かいの座席に座るカイルが柔らかな笑みを浮かべる。
「よくやりましたよ、ミアータ様。あのギルド長は少々厳格な方で知られていますが、あなたの真摯な姿に心を動かされたのでしょう。私も驚きました」
「そうかしら……私、うまく話せていたのか自信がないわ。ほとんどカイル様がフォローしてくださったおかげですよ」
照れ混じりの笑みを浮かべる彼女を見つめながら、カイルはしばし言葉を選ぶような沈黙を挟んだ。そして意を決したように口を開く。
「ミアータ様……いえ、ミアータ。もし……あなたが嫌でなければ、少し私の気持ちを聞いていただけませんか?」
ミアータは一瞬目を見開く。カイルがこうして改まって“気持ち”を打ち明けようとするのは初めてのことだった。胸の奥がどくん、と高鳴る。
「ええ、もちろん。お話を聞かせてください」
静かに頷く彼女に、カイルは安堵の息を漏らし、言葉を続けた。
「あなたと孤児院を訪ね、子供たちに勉強の手ほどきをし、支援の計画を立ててきた日々は、私にとってかけがえのない時間でした。笑顔や喜びを分かち合うたびに、私の心は……あなたに惹かれているのだと気づかされてきたのです」
その言葉に、ミアータの頰がほんのり染まる。だが、彼の瞳は決して熱狂的な欲望や衝動を感じさせるものではなく、真摯で誠実な光を宿していた。
「あなたがアレン殿との婚約を解消したのは大変な苦しみだったと聞いています。だからこそ、私はあまり急ぎすぎず、あなたを尊重したいと思ってきました。けれど、いまははっきりと伝えたいのです――私はあなたのことを……深く慕っています」
静かな馬車の車内に、カイルの低く優しい声が響く。言葉を受け止めたミアータは、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。かつて「完璧さ」に囚われていた自分が、誰かにこんなふうに真剣な思いを向けられる日が来るなんて思いもしなかった。
「私……」
彼女は言葉を詰まらせる。アレンとの婚約破棄から日が経ったとはいえ、恋に踏み出す恐怖や不安がまったくないわけではない。だが、カイルの存在はそれらを優しく溶かしてくれるようだ。
「私も、あなたと過ごす時間がとても心地よくて……。あなたが孤児院の子供たちと接するときの真摯さや、私の夢を応援してくれる優しさに、何度も救われてきました」
そう言いながら、ミアータは視線を下げ、両手を握りしめる。恥ずかしさと嬉しさが入り混じっていた。
「アレン様との過去があって、まだ混乱している部分もあります。でも……そんな私でもいいのなら、カイル様のお気持ちを受け止めたいと思います」
ミアータの返事に、カイルの表情が一気に明るくなる。まるで曇り空に一筋の光が差し込んだかのようだった。
「ありがとう、ミアータ。焦らなくていい。ゆっくりで構わないから、あなたの心に寄り添わせてほしい」
二人の間に満ちる静かな想い――それは、かつてミアータが“完璧な貴族令嬢”として築き上げた虚飾の愛とは違う、互いを尊重し合う温かい関係の始まりを予感させた。
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リリーの暴走とヴァーサー侯爵家の危機
しかし、そんなミアータの内面の変化とは裏腹に、アレンとリリーの関係は一気に危うい局面へ突入していた。リリーが複数の商人や貴族から高利で借金を重ね、ヴァーサー侯爵家の財産を担保にしている事実が明るみに出たのである。さらに、アレンがそれを知ったのはごく最近だった。
ヴァーサー侯爵家では、当主であるアレンの父が激怒し、直ちにリリーとの婚約解消を求めた。だが、リリーは「あなたの家に嫁げばお金が返せると思ったのに! このままでは私が破滅するわ!」と泣き叫び、話し合いはもはや修羅場となっていた。
アレンは混乱し、押し寄せる責任の重圧に耐えきれず、日に日にやつれていく。かつて社交界でも評判の美男だった彼の面影はもはや薄れ、目は焦点を失ったように彷徨っていた。
「どうして、どうしてこんなことに……」
彼は屋敷の一室で頭を抱え、声も出ないほど追い詰められていた。父からは「お前の甘さが招いた結果だ」と罵倒され、リリーからは「見捨てるなんて最低だわ!」と恨まれ、周囲の貴族たちからは「結局、平民令嬢に財産を狙われていただけ」という冷たい視線を向けられている。
そんな折、アレンの脳裏にはかつての婚約者――ミアータの姿がしきりに浮かんでしまう。尊敬すべき家柄と人格、そして常に品格を失わなかった彼女に対して「完璧すぎる」という理由で別れを告げたのは自分だ。今にして思えば、あの完璧さこそが彼女の努力や誇りの証だったのではないか、と気づいても後の祭りである。
「戻りたい……あの頃に戻れたら、こんな悲惨な結果には……」
後悔と自己嫌悪で身をすり減らすアレン。しかし、時は戻せない。まさにこれこそが“ざまあ”という皮肉な結末だが、彼自身がこのまま衰退していくだけで済むならまだしも、ヴァーサー侯爵家の跡継ぎとしての責任を考えれば、黙って座視してはいられない。
やがて、リリーの借金の取り立てが本格化し、ヴァーサー邸にも無遠慮な商人や取り立て屋が押し寄せるようになった。屋敷の使用人たちは混乱し、アレンは激しく動揺しながらも、父の前に進み出て震える声で言う。
「父上……このままでは家が崩壊してしまいます。リリーとは別れるしかない……そうですよね……」
「今さら遅い! お前が招いた破滅だ。だが、私も当主として見過ごせない。すぐにリリーを追い出し、法的にも婚約を破棄する。必要なら賠償も要求するぞ」
父の怒号が轟く中、アレンは自分の愚かさを嘆きながらも、「やはりそれしか道はないのか……」と打ちひしがれるしかなかった。
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リリーの執念と凶行
ヴァーサー邸を追い出されることを知ったリリーは、そこで初めて自分が積み重ねてきた行為の代償の大きさに恐れおののいた。巨大な借金を抱えたまま貴族との婚姻を失えば、彼女は一気に奈落へ突き落とされる。もはや借金は個人では返済不能な額であり、加えて身分も平民。どこにも助けはない。
「こんなはずじゃなかった……。私はただ、お金持ちの奥様になって、贅沢な暮らしを楽しみたかっただけなのに……!」
リリーは錯乱状態で屋敷を逃げ出し、数日の間、行方をくらませる。しかし、その間にも取り立ては迫り、彼女の行き場はなくなる一方だ。そんな極限状態の中、リリーの心には「すべての元凶は、あの完璧な公爵令嬢……」という歪んだ逆恨みが芽生え始める。
――アレンがミアータを捨ててくれなければ、私はここまで追い詰められなかったはずだ。もともと私をアレンのもとへ引き寄せたのは、あの娘の“完璧さ”に彼が息苦しさを感じていたからじゃないか。私の人生を狂わせた責任があの娘にあるとしたら……。
その妄執は急速に膨れ上がり、リリーを正常な判断から遠ざける。彼女はついにある夜、短剣を片手にクラレット公爵家の屋敷へ忍び込むのだった。
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暗夜の騒乱
クラレット公爵家は公爵邸らしく厳重な警備が敷かれている。だが、リリーは有り金をはたいて雇った下卑たる男たちを連れており、裏手の高い塀を巧妙に乗り越えて侵入することに成功してしまった。庭師や使用人たちが寝静まった深夜、彼女は屋敷内を探し回り、ついにミアータの部屋へと辿り着いた。
「ここね……ミアータ・クラレット。あなたさえいなければ、私の人生はもっと楽だったのに……」
リリーは恨みがましい言葉を吐きながらドアをこじ開け、薄暗い部屋の中へ足を踏み入れる。しかし、そこにミアータの姿はなかった。彼女はまだ書斎で書類を整理しており、自室へ戻ってきていなかったのだ。
「いない……いないじゃない……! どこにいるのよ!」
焦燥に駆られたリリーが廊下に引き返そうとした矢先、背後から複数の足音と怒声が響いた。
「そこまでだ! 侵入者がいるぞ!」
巡回していた護衛兵たちが、ドアの壊れた異変に気づいて駆けつけたのだ。男たちも引き連れていたリリーは、一瞬逃げようとするが、狭い廊下であっという間に包囲され、混乱の中で乱闘が起こった。
悲鳴や怒号が響く中、屋敷内は一気に騒然となる。下卑た男たちは護衛兵に取り押さえられ、リリーは必死に抵抗しながらも自分の短剣を落とす。あっという間に腕を捻じ上げられ、床に押さえつけられた。
その物音を聞きつけて、ミアータも慌てて書斎から飛び出してきた。何事かと駆け寄ると、床には荒い息を吐くリリーの姿があり、使用人や護衛が周囲を固めている。
「リリー様……どうして、こんな……」
ミアータは目を見開く。婚約破棄で袂を分かったはずの平民令嬢が、よりにもよって夜中に武器を持って屋敷へ侵入するなど想像を絶していた。
「あなた……あなたが私を破滅させたのよ……」
リリーは憎悪に染まった瞳を向け、泣き喚くように叫ぶ。
「あなたが完璧なんかだから、アレン様が息苦しくなって、私を選んだのに……結局あの人は私を捨てるのよ……。私から全て奪って……! あなたなんか、あなたなんかいなくなればよかったのに……!!」
震える声と言葉に、ミアータは胸を締め付けられるような痛みを覚えた。リリーの言い分は一方的で、筋が通らない八つ当たりだ。しかし、その底にあるのは破滅寸前まで追い詰められた人間の悲壮な叫びでもある。
「リリー様……あなたは、自分を救おうとしただけかもしれない。でも、こんなやり方では……」
言葉を詰まらせるミアータ。彼女自身もリリーを激しく罵りたいわけではない。なぜなら、リリーが自分の欲望に溺れた結果、人生を台無しにしてしまったことを、目の当たりにしてしまったからだ。
一方、屋敷の護衛兵や侍女たちはリリーを危険人物として厳しく見張る。すでに警吏を呼ぶ手配をしており、リリーは逮捕されるのも時間の問題だった。
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破局と逮捕、そして幕引き
こうしてリリーは公爵家侵入の重罪を犯してしまった以上、いかなる弁解も通じない。ほどなくしてやってきた警吏たちは彼女を拘束し、共犯の男たちもまとめて連行されていく。取り調べでリリーが抱える多額の借金や詐欺まがいの行為が次々と明るみに出て、完全に言い逃れはできなくなった。
まもなく、ヴァーサー侯爵家は婚約を正式に解消したと公に声明を出し、リリーとの一切の縁を断ち切る。この時点で、リリー・ハートが夢見た「贅沢な貴族生活」は完全に崩壊し、彼女には破滅への道しか残されていなかった。
その知らせを受けたミアータは、複雑な胸中を抱えながらも、ほっと胸を撫で下ろした。これで少なくとも公爵家にリリーが再び侵入する危険はなくなったし、リリー自身の悪事は法によって裁かれることになる。
「……結果として、これが“ざまあ”ということなのかもしれない。でも、なぜか胸が痛いわ……」
ミアータは一人きりの部屋で呟く。かつて自分を捨てたアレンに復讐心を抱くわけでもなく、リリーの破滅を喜ぶわけでもない。ただ、悲しい運命だったとしか言いようがない。
一方のアレンは、家名を守るために必死に奔走し、父とともに借金の清算や諸々の後処理に明け暮れている。リリーの罪が明確になったことで、ヴァーサー侯爵家には多少の同情も集まったが、やはりアレンの見る目のなさという致命的な評価は免れない。
やがて落ち着きを取り戻したアレンは、思い切って公爵家を訪れ、ミアータの両親へ深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べたという。だが、ミアータ本人とは一切会わなかった。彼女が望んでいないと察したからかもしれない。
かくして、婚約破棄から始まったアレンとリリーの騒動は、泥沼の形で最終的な幕引きを迎えたのだった。
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カイルとの正式な婚約
リリーの一件が決着してから半月ほど経った頃、ミアータは公爵夫妻に呼び出され、応接室へと足を運んだ。すると、そこには両親だけでなく、カイルの姿もあった。彼は少し緊張した面持ちで立ち上がり、ミアータを出迎える。
「お嬢様、お話があります。どうぞ、こちらへ」
公爵が椅子を勧め、夫人が隣に座るように促す。ミアータは胸の高鳴りを抑えきれないまま席に着き、視線をカイルに向けた。
「実は――」と、カイルが静かに口を開く。「ミアータとの交際について、公爵ご夫妻に正式な許可を頂戴したいと思い、お伺いした次第です。もしミアータが受け入れてくれるなら、いずれ婚約という形を進められたらと考えております」
ミアータは思わず息を飲む。もちろん、二人はすでに互いを特別な相手だと認め合っている。けれど、こうして公の場で婚約の話が出るのは、やはり一大事だ。公爵夫妻にしてみれば、先の婚約破棄の件もあるだけに慎重になるだろう――彼女はそんな不安を抱えていた。
だが、公爵は頷きながら柔らかな笑みを向ける。
「カイル侯爵殿、あなたの真剣な想いは十分に伝わっております。ミアータのことを尊重してくれる姿勢を、私たちも日頃から感じておりました。以前の婚約破棄は確かにつらい経験だったが、それを乗り越えて娘は成長した。そして、あなたもまた、いろいろと助けてくださっているようだね」
カイルは微かに頰を赤らめながら、「はい。私などまだまだ未熟者ですが、ミアータと二人三脚で歩んでいけたらと思います」と頭を下げる。
続いて、夫人が娘の手をとり、優しく微笑む。
「ミアータ、あなたの気持ちはどうなの? 私たちはあなたの幸せを願うだけよ。無理に答えを急ぐことはないわ」
すると、ミアータは一瞬だけ瞳を揺らし、そしてはっきりと目を上げた。
「母様、父様……私はカイル様との未来を考えたい。もちろん、結婚というものには覚悟も必要だとわかっています。でも、カイル様の隣で孤児院支援や新たな慈善事業に取り組むことが、私にとって本当に幸せだと思えるんです」
言葉を重ねるほどに、ミアータの表情は晴れやかになり、頬には淡いバラ色が差している。
公爵夫妻は顔を見合わせて頷き、カイルに微笑みかける。
「わかった。では、改めて婚約を許可しよう。正式な手続きは後日、両家の間で整えるとして……まずは二人の気持ちを大事にするのが何よりだ」
「ありがとうございます……!」
カイルは深々と頭を下げ、ミアータと視線を交わす。その瞬間、ふたりの間に言葉にならない想いが流れ、ミアータはもう何も迷わなかった。「完璧な公爵令嬢」を演じようと無理をする必要などなく、ただ自分自身の意志で幸せを求めることを許されたのだ。
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孤児院での祝福
婚約が仮決定して数日後、ミアータとカイルは孤児院を訪れた。正式な行事としての婚約発表はまだ先だが、日頃お世話になっている院長や子供たちには、いち早く報告したかったのだ。
「まあ、なんて素敵なお話でしょう!」
院長が手を叩いて喜び、子供たちも「お姉ちゃん、おめでとー!」「あのカイルお兄ちゃんと結婚するの?」と興奮気味に声を上げる。子供たちにとっても、いつも優しくしてくれる二人が結ばれるのは嬉しいニュースらしい。
カイルは照れながら「まあ、まだ正式な婚約を結ぶ段階です」と言葉を濁すが、周囲からは「もう結婚確定でしょ」「お幸せに!」という声が飛び交う。ミアータも真っ赤になりながら微笑む。
やがて、子供たちが小さな花束を手渡しながら「お姉ちゃんの幸せ、祈ってるよ!」と口々に言う。その無邪気な言葉に、ミアータの胸は温かい気持ちで満たされていく。
「あなたたちがいてくれて、本当に良かったわ……。私もあなたたちの幸せを心から願っているの」
そう言って子供たちを抱きしめるミアータの後ろ姿を見て、カイルは改めて「この人を守り、支えていきたい」と強く誓うのだった。
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未来への旅立ち
孤児院を巡る支援計画は着実に進み、商人ギルドとの契約も問題なく締結された。早速、施設の改修が一部始まり、子供たちが安全で快適に暮らせるよう壁や屋根の修理が進められている。
ミアータは公爵令嬢としての務めをこなしながらも、週に何度か孤児院へ足を運び、子供たちの学習を手伝ったり、改修工事の進捗を確認したりと忙しくも充実した日々を送っていた。カイルも領地との往復の合間を縫って協力し、二人が並び立つ姿はまるで未来の夫婦のようだと周囲に評判になり始めている。
かつて、“完璧であること”だけが自分の存在意義だと思い込んでいたミアータ。だが、今の彼女は少し崩れた笑顔すら自然に受け入れ、子供たちと一緒に泥だらけの作業をすることさえも「楽しい」と感じるようになった。
――そして何より、カイルと共に悩みや課題を乗り越える喜びを知った。誰かに「完璧」を求められるのではなく、「ともに歩むパートナー」として互いを支え合う関係。それはミアータにとって、新しい愛の形だった。
エピローグ:舞踏会にて
数ヶ月後、孤児院の改修がほぼ完了した頃、王宮で開かれる大規模な舞踏会に二人はそろって招かれた。かつてはアレンと共に“完璧な公爵令嬢”として登場していた場所。今度はカイルのパートナーとして、優雅にドレスを身にまとって足を踏み入れる。
ミアータは、深いグリーンのドレスを選んだ。派手さは抑えつつも、上質な生地が落ち着いた気品を醸し出し、彼女の銀髪と青い瞳をより際立たせる。カイルは彼女と色を合わせるように、差し色にグリーンをあしらった礼服を着こなし、腕を添えて共にフロアを歩いた。
周囲の貴族たちは一斉に二人へ視線を向けるが、その反応はかつてのような「完璧すぎる微笑みの薔薇」とは違う温かみを孕んでいる。いつしか社交界には「ミアータ嬢は孤児院や慈善事業に熱心で、人柄も柔らかくなった」と好感を抱く声が増えていたのだ。
舞踏曲が流れると、カイルは「一曲踊っていただけますか?」と手を差し伸べる。ミアータがそれを受け取ると、二人は舞台の中心へと進んだ。
「あなたが以前、婚約破棄を告げられた場所もこんな広いフロアだったのでしょう? 今夜は、違う思い出に塗り替えましょう」
カイルが囁く。ミアータは微笑みながら頷き、音楽に合わせて軽やかにステップを踏む。
かつてのアレンと踊っていたときはどこか息苦しさを感じていたが、今は違う。カイルのリードは優しく、彼女の呼吸や動きに合わせるように、ふわりと舞台を舞う。一歩ずつ、互いの足音がシンクロし、周囲の景色さえ忘れそうなほど心地よい。
観客たちが拍手を贈り、曲が終わりを迎えたとき、ミアータは不意に胸が熱くなるのを感じた。これが、新しい幸せの形なのだ――誰もが期待する“完璧”ではなく、自分の意思で選んだ道の先にある、穏やかな充実。
彼女はカイルの手をぎゅっと握り返し、小さく微笑む。視線を交わすだけで、お互いの気持ちが通い合っているのがわかった。
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