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36話
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夜の公爵家、エドガーの言葉と“告白”の機会
深夜近く。
本来なら貴族の屋敷において、こんな時間に訪問を受けるなど非常識な話だが、私は両親に了解を得て、客室を整えておいた。
遠乗りから戻るエドガーも、さぞ疲れているだろう。
少しだけ茶菓子を出して、無理のない範囲で話を聞こう……。
――そして、時計の針が夜半を回りそうになった頃。
表の扉が小さくノックされ、エドガーが息を切らせて到着した。
「遅い時間に申し訳ありません。……ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「いいえ。むしろ、よく来てくださいました。……お疲れでしょう? 少しでも休んでくださいな」
使用人たちは既に寝静まっている。両親も気を利かせて部屋に篭もってくれた。
こうして私とエドガーは、ほぼ二人きりで静かな談話室に向かい合う。
「改めて……今日は、お招きいただきありがとうございます。
実は、あなたに伝えたいことがあって……」
彼がそう言った時の表情は、少し緊張しているようにも見える。
私は胸の奥がどきりとした。
このタイミングで“彼から”何かを伝えたいというのは、やはり――。
「――私、アンネローゼ様のことを、ずっと気にかけていました。
昔、川で溺れそうになっていたあなたを助けたのは、たまたま通りかかったからにすぎません。
でも、その出来事以来、あなたは私にとって“公爵令嬢”という枠を超えた大切な存在になっていたんです」
彼の言葉に、私の瞳が熱を帯びる。
――やはり。やはりエドガーも、私と同じ気持ちでいてくれた。
「エドガー……」
名前を呼んだだけで、声が震える。
「私は自分の立場をわきまえているつもりでした。
平民の生まれで、騎士団の副団長にはなれたものの、公爵令嬢と結ばれるなど夢物語だ、と。
だから、あなたが何度も婚約を破談にしていると耳にしても、ただ心配することしかできなかった。
“彼女は、自分の幸せを掴むために頑張っているのかもしれない。
でも、いつか本当に愛せる相手に出会って、その人と幸せになってほしい”って……そう思っていました」
声が途切れる。
私は静かに息を呑み込んで、エドガーを見つめる。
「だけど……最近、私は自分自身に嘘をつけなくなってきた。
あなたがもし、本当に“好きな人”を見つけて、その人と結婚する日が来たら……私はそれを祝福できるだろうか、と。
そう考えたとき、胸が張り裂けそうなほどに苦しくなった。
――つまりは、私もあなたを想っている、ということなのでしょう」
エドガーの目が、微かに潤んでいるように見えた。
その言葉は、私がずっと望んでいたものだ。
なのに、私はなぜか躊躇してしまう。
貴族令嬢と平民出身の騎士――形式的には、彼が“叙勲”を受けて爵位を得れば、結婚は不可能ではない。
でも、実際には多くの障壁がある。
「……本当に、いいの? 私と一緒になるのは、とても苦労すると思うわ。
私には、家のしがらみもあるし、世間からは“破談のアンネローゼ”と呼ばれている。
私と結婚するということは、貴族社会の目も厳しくなるし、騎士団だってどう反応するかわからない……」
エドガーは力強く首を横に振る。
「関係ありません。私は、あなたがどんな噂を持っていようと、どんな失敗をしていようと……そこも含めて“アンネローゼ・フォン・グレイシア”が好きなんです。
それに、あなたは自分の意志を通すために必死で戦ってきたのでしょう?
私はそんなあなたを、誰よりも誇りに思います」
温かい言葉が心に染み込む。
四度の破談。奇行と呼ばれた行動。周囲を巻き込んだトラブルの数々。
私自身も傷ついたが、同時に自分で決めた道を貫いてきた。
そして、この人がその全てを肯定してくれるなら――私はもう、迷わない。
「……ありがとう、エドガー。
私も、ずっとあなたに想いを寄せてきたの。
昔、あの川で助けられた時から、あなたの優しさと強さに惹かれて……。
他の誰と婚約してもうまくいかなかったのは、単に私がわがままだったせいもあるけれど……本当は、あなたを忘れられなかったからよ」
こうして、お互いに想いを確認し合う。
それは“告白”というにはあまりに遠回りしすぎたけれど、結果として私たちは同じ気持ちを持っていた。
――そして、エドガーは静かに跪き、私の手をそっと取る。
「アンネローゼ様。
……あなたの貴族としての立場、家名の重み、そして何よりあなたご自身の人生を考えると、私の存在が重荷になるかもしれない。
それでも……それでも、私はあなたと共に歩みたい。
いつか世間の目がどうあれ、あなたを守り、一緒に笑い合える未来を築きたいんです」
私の胸の奥が、温かなもので満ちていく。
「ああ、神様……この時を、どれほど待ち焦がれたことか……」
唇を震わせながら、私ははっきりと答える。
「もちろん、喜んで。
私こそ、あなたが必要なの。
――“真実の婚約”を、私と結んでください、エドガー」
その言葉に、エドガーの瞳が嬉しそうに細められる。
「はい……。私でよければ、命に代えても、あなたと生きていきたい」
夜の静寂の中、私たちは手を重ね合い、そっと抱きしめ合った。
――これが、“本当の婚約”の始まり。
誰から押し付けられたわけでもなく、利害や建前に縛られたわけでもなく、純粋に私たちが選び取った約束。
いくつもの破談を乗り越えた果てに、ようやく見つけた互いの想いが、こうして結実したのだ。
深夜近く。
本来なら貴族の屋敷において、こんな時間に訪問を受けるなど非常識な話だが、私は両親に了解を得て、客室を整えておいた。
遠乗りから戻るエドガーも、さぞ疲れているだろう。
少しだけ茶菓子を出して、無理のない範囲で話を聞こう……。
――そして、時計の針が夜半を回りそうになった頃。
表の扉が小さくノックされ、エドガーが息を切らせて到着した。
「遅い時間に申し訳ありません。……ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「いいえ。むしろ、よく来てくださいました。……お疲れでしょう? 少しでも休んでくださいな」
使用人たちは既に寝静まっている。両親も気を利かせて部屋に篭もってくれた。
こうして私とエドガーは、ほぼ二人きりで静かな談話室に向かい合う。
「改めて……今日は、お招きいただきありがとうございます。
実は、あなたに伝えたいことがあって……」
彼がそう言った時の表情は、少し緊張しているようにも見える。
私は胸の奥がどきりとした。
このタイミングで“彼から”何かを伝えたいというのは、やはり――。
「――私、アンネローゼ様のことを、ずっと気にかけていました。
昔、川で溺れそうになっていたあなたを助けたのは、たまたま通りかかったからにすぎません。
でも、その出来事以来、あなたは私にとって“公爵令嬢”という枠を超えた大切な存在になっていたんです」
彼の言葉に、私の瞳が熱を帯びる。
――やはり。やはりエドガーも、私と同じ気持ちでいてくれた。
「エドガー……」
名前を呼んだだけで、声が震える。
「私は自分の立場をわきまえているつもりでした。
平民の生まれで、騎士団の副団長にはなれたものの、公爵令嬢と結ばれるなど夢物語だ、と。
だから、あなたが何度も婚約を破談にしていると耳にしても、ただ心配することしかできなかった。
“彼女は、自分の幸せを掴むために頑張っているのかもしれない。
でも、いつか本当に愛せる相手に出会って、その人と幸せになってほしい”って……そう思っていました」
声が途切れる。
私は静かに息を呑み込んで、エドガーを見つめる。
「だけど……最近、私は自分自身に嘘をつけなくなってきた。
あなたがもし、本当に“好きな人”を見つけて、その人と結婚する日が来たら……私はそれを祝福できるだろうか、と。
そう考えたとき、胸が張り裂けそうなほどに苦しくなった。
――つまりは、私もあなたを想っている、ということなのでしょう」
エドガーの目が、微かに潤んでいるように見えた。
その言葉は、私がずっと望んでいたものだ。
なのに、私はなぜか躊躇してしまう。
貴族令嬢と平民出身の騎士――形式的には、彼が“叙勲”を受けて爵位を得れば、結婚は不可能ではない。
でも、実際には多くの障壁がある。
「……本当に、いいの? 私と一緒になるのは、とても苦労すると思うわ。
私には、家のしがらみもあるし、世間からは“破談のアンネローゼ”と呼ばれている。
私と結婚するということは、貴族社会の目も厳しくなるし、騎士団だってどう反応するかわからない……」
エドガーは力強く首を横に振る。
「関係ありません。私は、あなたがどんな噂を持っていようと、どんな失敗をしていようと……そこも含めて“アンネローゼ・フォン・グレイシア”が好きなんです。
それに、あなたは自分の意志を通すために必死で戦ってきたのでしょう?
私はそんなあなたを、誰よりも誇りに思います」
温かい言葉が心に染み込む。
四度の破談。奇行と呼ばれた行動。周囲を巻き込んだトラブルの数々。
私自身も傷ついたが、同時に自分で決めた道を貫いてきた。
そして、この人がその全てを肯定してくれるなら――私はもう、迷わない。
「……ありがとう、エドガー。
私も、ずっとあなたに想いを寄せてきたの。
昔、あの川で助けられた時から、あなたの優しさと強さに惹かれて……。
他の誰と婚約してもうまくいかなかったのは、単に私がわがままだったせいもあるけれど……本当は、あなたを忘れられなかったからよ」
こうして、お互いに想いを確認し合う。
それは“告白”というにはあまりに遠回りしすぎたけれど、結果として私たちは同じ気持ちを持っていた。
――そして、エドガーは静かに跪き、私の手をそっと取る。
「アンネローゼ様。
……あなたの貴族としての立場、家名の重み、そして何よりあなたご自身の人生を考えると、私の存在が重荷になるかもしれない。
それでも……それでも、私はあなたと共に歩みたい。
いつか世間の目がどうあれ、あなたを守り、一緒に笑い合える未来を築きたいんです」
私の胸の奥が、温かなもので満ちていく。
「ああ、神様……この時を、どれほど待ち焦がれたことか……」
唇を震わせながら、私ははっきりと答える。
「もちろん、喜んで。
私こそ、あなたが必要なの。
――“真実の婚約”を、私と結んでください、エドガー」
その言葉に、エドガーの瞳が嬉しそうに細められる。
「はい……。私でよければ、命に代えても、あなたと生きていきたい」
夜の静寂の中、私たちは手を重ね合い、そっと抱きしめ合った。
――これが、“本当の婚約”の始まり。
誰から押し付けられたわけでもなく、利害や建前に縛られたわけでもなく、純粋に私たちが選び取った約束。
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