「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

鍛高譚

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第二章:揺れる思惑

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突如として現れた“夫”

 どこからか再び華やかな演奏が始まり、ダンスが再開される。それに合わせるようにして人々が動き出し、先ほどの人だかりは散っていった。セシリアと商人風の男も、どこかへ消えていく。
 アスカは何としても彼らの動きを追いたかったが、周囲には社交辞令を交わそうと近づいてくる貴族たちが何人もいるため、そう簡単には動けない。ここで無礼を働けば“公爵夫人”の印象が悪くなる。一瞬でも気を抜けば、スキャンダルの餌食にされるだろう。
 そんなもどかしさを抱えつつも、次々に話しかけてくる相手に微笑みながら挨拶を交わしていると――目の前に、またしても黒髪の高身長の人影が立ちはだかった。

「……おや、ずいぶんと社交界に溶け込んでいるようだな、アスカ。」

 低く冷たい声。しかし、アスカにとっては覚えのある響きだ。ゆっくりと顔を上げれば、そこに立っていたのは――やはりレイヴン公爵本人。漆黒の礼装に身を包み、表情には相変わらずの無愛想さが漂っているが、確かに本人である。
「レ、レイヴン様……いつの間に会場へ……?」

 驚きと戸惑いで、アスカは思わず声を詰まらせる。レイヴンは淡々とした様子で周囲を見回し、まるで先ほどまでいなかったことを当然のように受け流している。
「こちらには少し用事があった。だが、表立って動くわけにはいかない。……お前こそ、よくこんなに堂々と出席したものだな。」
「公爵夫人として、招かれた以上は務めを果たさなくては。あなたがいらっしゃらないなら、なおさら私が場を保たないといけないと思いましたから。」

 レイヴンはわずかに唇を歪め、嘲笑とも取れる表情を浮かべる。
「ふん……。まあ、お前の自由だ。俺がどうこう言うつもりはない。ただ……。」

 そこで言葉を切り、レイヴンは視線を周囲に走らせる。すぐに、遠巻きにこちらを見ているセシリアの姿を捉えたのだろう。彼の瞳が鋭く光り、まるで状況を一瞬にして把握したかのように見えた。
「セシリアは……そうか、やはりここに来ているのか。あの男も一緒のようだな。」
「レイヴン様、いったい何が……」

 思わず問いかけるアスカに、レイヴンは冷たく言い放つ。
「お前は関わるな。余計なことをする必要はない。」
「関わるな、ですって? 公爵家の問題なら、私は“夫人”として――」

 しかし、レイヴンはそれを遮るようにアスカの腕を掴み、もう一段声を低くする。
「お前はただ、公の場で体裁を取り繕っていればいい。聞き分けのない真似をするな。あれは俺の問題だ。」

 まるで警告するような厳しい口調。アスカはその冷酷さに胸が痛むが、同時にレイヴンが何か大きな秘密を抱えていることを確信する。自分に何も話さないのは、“夫人”と呼びながら本当に利用価値のある存在だと思っていないからなのか、それとも危険な目に遭わせないためなのか――判断がつかない。
 だが、アスカは引き下がるつもりはなかった。

(私はもう人形のままでいるわけにはいかない。あなたが何を隠していようと、このまま黙って言いなりになるつもりはないの……!)

 心の内で強くそう叫びながら、アスカはレイヴンの手を振りほどこうとする。しかし、その瞬間、会場の向こうでまた人々のどよめきが起こった。

崩れゆくダンスフロア

 何事かと目を向けると、ダンスフロアの中心でセシリアと先ほどの商人風の男が口論を始めているようだ。人々が驚きの声を上げながら距離を置き、あっという間に円を描くような形になった。
 セシリアは必死に男を制止しているが、男は興奮状態なのか、激しい口調でセシリアを責め立てている。断片的に聞こえてくるのは「約束が違う」「早く会わせろ」といった言葉だ。
 そして男は、セシリアの腕を振り払うと、フロアの中央から周囲を見渡した。その視線がレイヴンを捉えたようだ。

「そこにいるのがレイヴン公爵か!? いい加減にしてくれ……俺たちはこんなところで待ちぼうけを食うために来たんじゃない! 大損させられたまま、逃げられるとでも思ったか……!?」

 男の怒号が会場に響き渡る。華やかな舞踏会の空気が凍りつき、人々は息を呑んで事態を見守る。
 レイヴンは一瞬だけ表情を固くし、すぐに無表情に戻って、男を睨みつける。

「……そちらこそ、勝手に会場へ乗り込んできて何のつもりだ。場所を弁えろ。ここは社交の場だ。」
「関係ないね! お前が金を引っ張るだけ引っ張って、その後は知らん顔なんて許さないぞ……!」

 どうやらこの男はアーヴィング商会の手代に違いない。先に話に出た“強引な手段”の片鱗が、こんな形で露わになるとはアスカも予想していなかった。
 セシリアは必死に男の腕を掴もうとしているが、暴れ回る男を抑えられず、悲鳴のような声を上げる。周囲の貴族たちはショックで硬直し、一部の者はこの“醜態”から距離を取ろうと後ずさりする。

「レイヴン公爵……! いつまで私たちを利用するつもりだ……!? お前はあの件を早急に処理すると言ったじゃないか……!!」

 男の叫ぶ「あの件」とは何なのか。アスカには見当がつかないが、少なくとも大金や利権が絡む話のようだ。
 レイヴンはやや険しい表情のまま、ゆっくりと歩み寄り、相手を睨み据える。
「警備兵を呼べ。騒ぎを収めろ。」
 彼が短く命じると、会場を管理する侯爵家の使用人たちが数名、急いでフロアに入ってきた。男はなおも暴れようとするが、逡巡ののちに引きずり出されていく。セシリアも気まずそうにその後を追って会場から姿を消した。

静まり返る会場、渦巻く疑念

 騒ぎが収まると同時に、会場には重苦しい沈黙が落ちた。先ほどまで華やかなダンスを楽しんでいた貴族たちは、まるで災害に遭遇したかのように青ざめ、互いに不安げな目を交わす。レイヴンはそんな視線を一身に浴びながら、まったく悪びれた様子は見せない。
 アスカも混乱を抱えたまま、どう対処すべきかを考えあぐねていた。だが、ここで動揺した姿を見せれば、“公爵家が問題を抱えている”と広めることになる。彼女は必死で平静を装い、周囲の目に“公爵夫人としての冷静さ”を示さなければならないと思い至る。
 果たして、王都の社交界はすでに騒ぎを起こしたレイヴンとアーヴィング商会の関係を面白おかしく噂にするだろう。今夜の騒動だけでなく、これまでに囁かれてきた“レイヴン公爵の裏取引”が一気に加熱する可能性もある。

(私が公爵夫人として、どう振る舞えばいいの……!?)

 苛立ちと不安を胸に、アスカは視界の端にレイヴンを捉える。彼はまるで興味を失ったかのように踵を返し、会場の出口へ足早に向かい始めた。追いかけたくても、大勢の視線が自分を捉えている状況では、迂闊に動けない。
 そのとき、不意にカルデール伯がそっと近寄り、小声で囁く。

「アスカ公爵夫人、いったんここはお引きになったほうがよいでしょう。今の状況では、これ以上ここに留まるのは逆効果かと。誰の耳にもいろいろと都合の悪い噂が入る前に……。」
「……ええ、そうですね。」

 アスカは微かにうなずき、伯爵と共に場を離れることにする。幸いにも、出入り口付近ではまだ騒ぎの余韻が続いており、目立たずに会場を抜け出すのは難しくない。
 こうして彼女の“公爵夫人としての初めての舞踏会”は、あまりにも不穏な余韻を残したまま幕を下ろすこととなった。

帰路につく決断

 馬車の中、揺れる車輪の音を聞きながら、アスカは放心したように外を見つめていた。どんな言葉でこの夜をまとめればいいのか、まったく見当がつかない。
 セシリアとアーヴィング商会の手代が引き起こした騒動、姿を消したレイヴン公爵、そして人々の疑惑の眼差し――どれもが“白い結婚”の虚しさと、その裏に潜む巨大な謎を浮き彫りにしている。
 ようやく落ち着き始めたアスカの隣で、リディアがしきりに心配そうな声をかけてきた。

「アスカ様……。大丈夫ですか? お身体は……。」
「ごめんなさい、リディア。私は平気よ。ただ……頭の中が混乱してる。」

 そう言いながらも、アスカの声にはわずかな力がこもっていた。失意や不安を抱えながらも、どこか腹をくくったような落ち着きがある。
 今回の舞踏会でアスカが得たものは、決して少なくない。社交界からの印象は一長一短かもしれないが、少なくとも“公爵夫人”がいることを世間に広く知らしめたと言える。さらに、アーヴィング商会の動向やセシリアの動き、レイヴン公爵の不可解な態度についても、確かな手応えを感じた。
 そして彼女は、今日の出来事を糸口として、より大胆に行動していく決意を固めつつある。いつまでも“白い結婚”の被害者でいるつもりはない。夫が何を隠していようと、自分の幸せを勝ち取るために踏み込むべきところには踏み込んでいく――。

(もう、逃げるわけにはいかない。私は公爵夫人として、私自身として、この家とこの結婚の真相を暴き、利用し尽くしてでも自分の未来を掴んでやる……!)

 馬車が夜の街道を進むにつれ、暗い路面に月明かりが淡く射している。まるで、長い迷路の向こう側に微かな光があるかのように。アスカはその光を頼りに進むしかないのだ。
 屋敷へ帰還すると、正門を入ったあたりで彼女は馬車を降り、どこかにいるはずのレイヴンの姿を探そうとする。しかし、すでに彼の姿はどこにもなく、使用人も「公爵様はお戻りになっていない」と口を揃えて言う。
 おそらく彼は、あの騒ぎが起きた後、舞踏会の裏手からひっそりと退場したのだろう。あるいは、まだ別の場所に向かったのかもしれない。アスカに事情を説明するつもりなど毛頭ないということだ。

白い結婚の奥底へ

 自室へ戻ったアスカは、夜着に着替え、ドレスから解放された身体をベッドの端に投げ出した。ぐったりと疲れが全身にのしかかるが、瞼を閉じても眠りが訪れる気配はない。
 脳裏には、フロアで怒鳴り声を上げていた商人風の男の姿と、あの冷たい表情で「関わるな」と言い放ったレイヴンの言葉が繰り返し浮かんでくる。

(何を隠しているの、レイヴン……。あなたは、私を本当に“ただの人形”としか思っていないの? それとも……)

 悶々とした思いを抱えるアスカの耳に、廊下のほうからかすかな足音が聞こえてきた。ドアを開けてみると、そこにはリディアが立っている。どこか緊張した面持ちで、手には小さな紙片を持っていた。
「アスカ様、遅い時間に申し訳ありません。先ほど、こちらの紙を秘書官の一人から預かりました。『公爵夫人に渡してほしい』とだけ言われて……。」

 リディアが手渡してきたのは、折りたたまれたメモ用紙のようなもの。アスカが開いてみると、中には短い一文が走り書きされていた。

> “公爵の動きを探るなら、地下の書庫を見ろ。そこに全てが隠されている。”



 誰が書いたのかはわからない。文字から見ても筆跡に特徴はなく、意図的に崩してあるようにも思える。だが、地下の書庫といえば、レイヴンが管理している秘密の文書や公的な記録を保管する場所だと耳にしたことがある。普段は施錠されており、関係者しか立ち入れないと聞くが……。

(これが罠なのか、本物の情報なのか……。でも、何かが隠されているのは間違いないはず。)

 これまでは屋敷の主要な部屋しか使ってこなかったアスカだが、“公爵夫人”という立場を持つ以上、書庫への出入りを禁止される筋合いはないはずだ。問題は、レイヴンがこの動きを許容するかどうか。だが、そもそも何も話してくれない彼を待っていても埒が明かない。
 アスカはメモ用紙を静かに握りしめ、固い決意を胸に抱く。外から見ると豪奢で美しい結婚生活は、実際には冷たくて真実が見えない“白い結婚”にすぎない。それを覆して、この手に自分の未来を掴むためには、危険を承知で足を踏み入れるしかないのだ。

(わかったわ。これ以上、黙ってあなたに振り回されるつもりはない。私がこの結婚の真相を暴いて、好き勝手されないようにしてみせる……!)

 疲れを感じながらも、アスカの心は燃え上がるような緊張感に包まれていた。いつか、周囲を“ざまあ”と言わしめる逆転劇を成し遂げるために――彼女はここで立ち止まるわけにはいかない。
 
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