「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

鍛高譚

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第三章:反撃の序章

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封じられた契約書

 男の示すとおり、書庫のさらに奥まった一角へ回り込むと、埃をかぶった大きな木箱が置かれている。その裏には、小さな棚が隠れるように立てかけられていた。まるで意図的にカムフラージュされたかのような配置だ。
 アスカがランプで照らすと、その棚には何冊かの古い書類が並んでいる。しかし大半は表紙が破れ、中身がバラバラになっているものばかり。焼け焦げた跡や、インクをぶちまけたような黒い染みがひどく、かろうじて読めるものは数ページほどだ。
 その中で、比較的まとまった形の一冊が目に留まる。背表紙には薄い金文字で「――契約書」のような文字列が見えるが、前半が剥がれてしまっており判読できない。
 アスカは慎重にその一冊を取り出し、ランプをかざしてページをめくった。ところどころ破損しているが、読める部分を拾うと、先代公爵の名と、それに続く相手方の名が……。

「これ……“リディクト”……? 違う、“リシュト”…? 文字が消えていて正確にはわからないけど……。」

 何やら異国風の名前にも見えるが、はっきりしない。しかし、「領地の半分を担保にする」「莫大な金銭の貸付を受ける」「返済が滞る場合、債権者が直接的な権利を行使できる」という物騒な条項が並んでいるのは確かだ。
 その上、この契約書には「黒印状(こくいんじょう)」と呼ばれる、闇取引によく用いられる型の封印が押されているのがわかる。正式な王室の承認を得た書類ではなく、裏で取り交わされた危険な契約文書だ。

「先代公爵は、これほど危ない契約を交わしていたの……?」
「噂によれば、先代は病に倒れる前に多額の資金を必要としていたらしい。跡継ぎに残したのは莫大な借金だけ……。そうして今のレイヴン公爵は、当時の負債を一気に解消するために、アーヴィング商会やセシリアを利用してきた。だが、結局は逆に利用されているだけというわけだ。」

 背後から男の声が響く。その内容はまさに、アスカが思い描いていた“公爵家の闇”そのものだった。
 アスカは不意に胸が苦しくなる。レイヴンが冷たい態度を取り続ける理由は、愛情云々以前に、こうした重圧や陰謀の中で生きてきたからなのかもしれない。幼い頃から広大な負債を抱え、誰にも頼れず、己だけで家を守ろうとしてきた結果なのだろうか。


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割り込む第三の足音

 アスカが思考を巡らせていると、再び書庫の扉を開けるかすかな音が聞こえた。先ほどまでの静寂を切り裂くように、金属のきしむ音が響く。
 ランプで照らされていない奥まった場所にいる彼女と男の姿は、入り口からは見えないはず。とはいえ、すぐに近づいてこられればあっさり発見されるかもしれない。アスカは緊張して身をこわばらせる。
 一方、謎の男は少しも慌てる様子を見せず、アスカに目配せをして背後の影へすっと姿を隠した。まるで、こうした場面に慣れているかのような身のこなしだ。
 足音はゆっくりと書棚の間を進んでいる。どうやら複数名いるようで、低い声でひそひそと何かを話しているのが聞こえた。

「セシリア様が言うには、この辺りに“決定的な資料”があるとか……。でも、もしかしたら既に誰かが持ち出しているかもな。」
「公爵様の指示で捨てさせられたって話もあるし。下手に探し回っても出てこないかもしれないぞ。」

 どうやらセシリアの部下なのか、あるいはアーヴィング商会の手の者なのか、ある程度の指示を受けてここを物色しに来たのだろう。それにしても、これだけ人々が密かに動き回る書庫とは、なんとも危険な場所だ。
 アスカは契約書を慌てて抱え込み、懐に隠した。先ほどの男はどこへ消えたのか、視線を送ると、彼は隣の書棚の裏に完全に身を潜めている。目だけがわずかにこちらを見ていて、示し合わせたように“黙れ”という合図を送っている。
 2、3人ほどいるらしい足音は、アスカたちの位置から少し離れた棚を探す気配がした。ガサゴソと紙をかき分ける音が続き、時折ぶつぶつと文句を言う声が混じる。きっとセシリアから「何としても証拠を探し出せ」とでも命じられたのだろう。


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偶発的な衝突

 しかし、数分ほど経ったとき、不意に一人が奥の方へ足を向け始めた。視界にはまだ入ってこないが、このまま動けばアスカの隠れている棚に気づかれるかもしれない。
 アスカの胸は高鳴る。このままでは見つかる――そう思った瞬間、隣に潜んでいた男が意外な行動に出た。
 彼は書棚に手をかけ、わざと大きな音を立てるように倒しそうな素振りを見せたのだ。重心が崩れた書棚が派手に軋み、その音に驚いた男たちが一斉にそちらへ振り向く。

「何だ……!? そっちか……?」
「棚が崩れるぞ、気をつけろ……!」

 その混乱に乗じるようにして、謎の男は猛スピードで通路へ飛び出し、逆方向へ駆け抜けていく。見ると、手には数枚の書類らしきものを抱えている。恐らく先ほどアスカが見つけた契約書とは別の“収穫”を得たのだろう。
 一方、セシリアの部下らしき男たちは棚を抑えながら、突然の衝撃に戸惑い、逃げる男を追うべきか迷っているようだった。
 アスカは絶好の好機と判断し、棚の影を抜けて一気に入り口方向へと走った。ケープを翻しながら闇の中を疾走し、少し距離を置いて扉を目指す。

「待て……! 何者だ……!?」
「くっ、逃がすな……!」

 背後で怒鳴り声が上がるが、書庫の通路は狭い。しかも棚が倒れかけているせいで行く手を阻まれ、彼らも自由に動けないようだ。アスカはとにかく前へ、前へ。
 やがて書庫の扉が見え、懸命に鍵を回して引き開ける。漆黒の空気が流れ込んできたが、すぐに階段へ出て扉をバタンと閉めた。外から鍵をかける余裕はない。
 振り返ると、ちょうど謎の男が別の通路から合流してきた。こちらに気づき、アスカの横をすり抜けるように階段を駆け上がる。

「急げ、見つかるぞ……!」

 あまりにも自然に声をかけてきたので、アスカは一瞬戸惑った。しかし、この状況で彼に従わず一人で逃げようとすれば、背後から迫る男たちに追いつかれる可能性が高い。
 意を決して、アスカも彼の背中を追う。夜の階段を駆け上がり、曲がり角をいくつも曲がった先で、彼は立ち止まった。そこには小さな木製の扉があり、その向こうは屋敷の裏庭へ通じる秘密めいた通路らしい。

「こっちだ。外へ出れば奴らも追ってこられないだろう。屋敷の裏は夜間でも警備が手薄なはずだ。」
「あなた……どうしてこんな抜け道を……?」

 答えを聞く暇もなく、彼は扉を押し開け、夜の冷たい風を受けながら裏庭の茂みへと身を隠す。アスカも急いで続き、恐る恐る屋敷のほうを見やると、裏口のあたりには人影がないのが確認できた。


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夜風の中のやり取り

 ほっと息をつく暇もなく、アスカは振り返って男を見据える。彼も息を切らせながら書類を抱えており、その瞳にはしたたかな光が宿っている。

「助かったわ。ありがとう。でも、どうして私を……一緒に逃げるなんて。」
「勘違いするな。俺はそもそも、自分だけで書庫から抜け出すつもりだった。だが、君が捕まれば厄介なことになりかねない。君がここで退場するのは惜しいと思っただけだ。なかなか度胸があるじゃないか、公爵夫人。」

 言葉尻は軽薄にも感じられるが、どこか誠実さを感じさせる不思議な話し方だ。アスカは一瞬だけ言葉に詰まったが、抱えていた契約書をそっと抑えながら言う。

「……私には、この資料が必要。先代公爵が結んだ闇契約が、公爵家の行く末を左右しているなら、どんな形でも知っておきたいの。私自身がこの“白い結婚”で犠牲になるのはまっぴらだもの。」
「なるほど。その意気やよし。……まあ、今は君と対立する理由もない。ただ、次に会うときは味方かどうかもわからない。俺の目的は、レイヴン公爵を陥れることになるかもしれないし、逆に助けることになるかもしれない。結局、この件に関わる者は皆、腹に何かしら抱えているんだ。」

 男はそう言い放ち、抱えていた書類の一部をアスカに差し出した。彼が書庫からかき集めてきたものの中に、同じく先代公爵に関する記録があり、その一部が重複しているらしい。

「これでも持っていけ。君の持ってる契約書と照らし合わせれば、もう少しは解読が進むかもしれん。……ただし、俺の顔は忘れろ。それが君のためでもある。」
「あなたは……一体……」
「名乗るつもりはない。君も名前なんか聞きたくないだろう?」

 そう言って小さく笑い、男は闇の中へ溶け込むように裏庭の塀を乗り越え、消えていった。その姿は一瞬の幻のようで、アスカの脳裏には何者ともつかない謎だけが残る。


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緊迫の帰還

 残されたアスカは、しばし裏庭の薄暗がりに佇んだまま、追っ手が来ないかを用心深く確認した。どうやら屋敷の中では書庫の騒ぎを警戒しているのか、正面側に集中しているようで、裏庭側は見回りすら来ない。
 心臓がまだ痛いほどに鼓動しているが、今が戻る好機だろう。あくまで「自室で寝ていた」はずなのだから、誰にも見つからずに部屋へ戻る必要がある。
 ケープをなびかせながら茂みを迂回し、屋敷の外壁に添うようにして勝手口へ向かう。ここには簡易な鍵がかかっているが、昼間にリディアが買い物に出かける際に使用するドアで、それほど厳重な造りではない。
 扉を押し開けて廊下へ足を踏み入れると、そこに人影はない。誰もいないうちに素早く二階へ駆け上がり、目立たぬよう息を潜めて自室へ飛び込んだ。扉を閉め、鍵をかける。
 まるで長い冒険を終えたかのような脱力感が押し寄せる。だが、手に抱えた資料の手応えは確かなものだ。これで少なくとも、先代公爵が結んだ危険な契約や、アーヴィング商会との繋がりをさらに深く追求できる。

(私は、やっぱり動くしかない。レイヴン様は何も話してくれないし、セシリアは間違いなく公爵家を手中に収めようとしている。私が主導権を握らなければ、ただの“人形”で終わる……!)


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帰らぬ夫と揺れる決意

 夜も更け、使用人たちのざわめきが廊下を満たすようになった。おそらく書庫で起きた騒ぎを受けて、捜索が続いているのだろう。だが、今のところアスカの部屋へ押しかけてくる様子はない。
 ベッドに腰を下ろし、息を整えながらアスカは契約書と複数の紙片を確認する。読める箇所を丹念に繋ぎ合わせると、見えてきたのはやはり「莫大な融資」と「担保としての領地譲渡」を巡る文章。しかも、返済が滞った場合、債権者は公爵の地位そのものをも脅かせるほどの強大な権利を得られるという、驚くべき内容だ。

「こんなものを父から受け継いだレイヴン様は……どれだけ苦しんできたのかしら。」

 政略結婚として嫁がされた自分とは、また違った意味で“無理やり”背負わされた人生なのかもしれない。いつしか、アスカの胸に単なる敵意や不信感だけでなく、奇妙な共感や憐憫の念が芽生え始めていた。
 とはいえ、このまま手をこまねいていては、自分も共倒れになる可能性が高い。レイヴンがアーヴィング商会に対して抱える負債は、まさに“時限爆弾”のようにいつ破裂してもおかしくない。セシリアはその爆発を利用し、公爵家を乗っ取る計画を進めているのだろう。
 一方で、謎の男が何を企んでいるのかも依然不明だ。あの態度からすると、単なる盗賊や情報屋ではなく、もっと深い因縁を持っている可能性がある。下手をすれば、レイヴィンを潰そうと画策するライバル貴族の手先かもしれない。

(でも、もう戻れない。私はこれらの情報を武器にして、どうにか打開策を探し出さないと。リディアやリュミエール家のためだけでなく、私自身の未来のために……!)

 枯れ葉が風に舞うように、外からかすかな物音が聞こえた。夜半の風か、それとも戻ってきた誰かの足音か。
 思わず窓に近づき、外を見下ろす。月明かりに照らされた庭には、警備の男性がひとり歩いているのみ。レイヴンの馬車は影も形もない。
 まだ帰らないのか、それともこの騒ぎを知っていて敢えて帰らないのか……。どちらにせよ、アスカの中で一つの決意が固まっている。


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“白い結婚”の空を見上げて

 わずかに開けた窓から、夜の冷気が部屋に入り込む。アスカはその冷たい風を感じながら、白い月を見上げた。
 華やかに見えた結婚生活の実態は、まるで光のない氷の城。その中心にはレイヴン公爵という得体の知れない存在が立ち、セシリアやアーヴィング商会、さらには謎の第三者までが取り巻いている。だが、もはやアスカは昔のように震えているだけの娘ではない。
 自分が踏み込んだこの世界で、周囲に流されるのではなく、むしろ自分の手で主導権を握るために動く――それが今の彼女を突き動かすすべてだ。
 “白い結婚”という名の虚飾に閉じ込められた状態から抜け出すため、そしていつか“ざまあ”と笑ってみせるために、アスカの反撃はここからさらに加速していくのだろう。

 夜はまだ長い。扉の外では、書庫の騒ぎを受けて何人もの使用人たちが行き来する足音が絶えない。しかし、アスカは静かに目を閉じ、契約書を抱きしめた。
 未来を切り開くための糸口は、この胸の中にある。いつか真実を暴き、レイヴンにも世界にも、はっきりと認めさせてみせる。自分がただの“公爵家の飾り嫁”ではなく、誇りと意志を持った人間なのだということを――。

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