「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

鍛高譚

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第三章:反撃の序章

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反撃の意志

 朝食の時間になり、アスカは少し落ち着いた表情を作って食堂へ向かった。そこには使用人たちが準備した食事が整えられているが、レイヴンの姿はやはり見当たらない。彼が舞踏会の後、どこへ行ったのか詳しく知る者はいないようだ。
 だが、もう彼に振り回されるだけの時間は終わりだ。今のアスカには、自分で掴んだ手掛かりがある。焦る必要はないが、日を追うごとにアーヴィング商会とセシリアが何らかの手を打ってくるのは明白だ。
 一口スープを飲みながら、アスカは決意を新たにする。書庫で掴んだ糸口を頼りに、夜のうちにさらに探索する計画を立てよう。先ほどの“謎の男”が何者なのか――もし再び現れるなら、その動向を探るのも一つの手だ。
 自分がこの結婚を利用して、自由を勝ち取るために――そして周囲を見返すために。アスカの胸には“ざまあ”と笑い返す未来がはっきりと浮かび始めている。

(もう私一人の力でも、できるところまでやってみせる。絶対に、何も知らずにただ従うだけの操り人形にはならない。)

 こうして、アスカは己の意志で“反撃”の第一歩を踏み出す。陰謀が渦巻く公爵家での真実を暴き、あわよくばすべてをひっくり返す――それが彼女の新たな目標となる。
 この先、レイヴンやセシリア、そしてアーヴィング商会の思惑がさらに複雑に絡み合い、アスカを待ち受ける試練は一層過酷なものになるだろう。だが、彼女の瞳にはもはや曇りはない。
 “白い結婚”の冷たく硬い殻を打ち破り、“ざまあ”と笑える結末を手にするための旅路が、今まさに始まろうとしていた――。

 夜の帳が降りる頃、公爵家の敷地は一見静寂に包まれていた。だが、アスカの胸には激しい鼓動が鳴り響いている。
 朝に地下書庫から古文書を持ち出して以降、彼女は一日を通して屋敷の様子を伺い、使用人たちの動向に目を光らせてきた。レイヴン公爵は依然として戻ってこず、セシリアの姿も昼間はあまり見かけなかった。
 しかし、屋敷全体が平穏なわけではない。どこか張り詰めた空気が漂い、使用人たちが落ち着かない動きを見せている。特に、夕刻から夜にかけては、妙に門の警備が厳しくなっているようだ。まるで、何らかの“訪問者”を警戒しているかのごとく。

(あの謎の男は、夜に再び書庫へ来ると言っていたわ。私も今夜こそ、もう少し深く探る必要がある。何としても真実に近づきたい。)

 早めに夕食をとり、侍女のリディアに「今夜は疲れを癒したいから早めに休むわ」と告げて自室へ引きこもった。だが、実際に眠るつもりはない。
 窓の外を覗き見ると、庭の街灯がぽつりぽつりと灯っており、使用人の人影が時折行き来するのがわかる。セシリアの部屋らしき方向にはうっすら明かりが見え、時おり窓辺に人影が映る。あれが彼女本人なのか、部下なのかは判別できない。

「よし……今なら誰にも見られずに地下へ行けるかもしれない。」

 そう判断したアスカは、昼間にこっそり用意しておいた黒いケープを羽織る。煌びやかなドレスではなく、動きやすいシンプルな服装で身を固め、その上からケープをかぶれば、暗がりでも目立ちにくい。
 脇には万が一のために古い懐中短剣を忍ばせた。これは屋敷の物置から見つけたもので、今の時代では儀礼用に近いが、護身には多少役立つだろう。
 部屋の扉をそっと開け、廊下をうかがう。夜の闇が広がる中、やわらかなランプだけが灯されているが、人の気配は感じない。足音を殺しながら、アスカは地下へと続く階段を目指した。


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ふたたび地下書庫へ

 石造りの階段を下りるにつれ、冷たい空気がじわりと肌を包み込む。昼間感じた冷気と同じはずだが、夜というだけで何倍も不気味に思えるから不思議だ。
 暗い通路をランプ片手に進み、あの重厚な鉄扉の前で足を止める。昼に持ち出した控えの鍵はすでに机に戻してあるが、一度開錠した扉は「通常の鍵」で施錠し直されているはず。もっとも、屋敷の人間が鍵をかけ直しているなら、合鍵を持つかぎり再度の侵入は難しくない。
 アスカは懐から取り出した小さな“道具”を、扉の鍵穴に差し込んだ。実は、昼のうちに鍵の刻みをこっそり紙に写し取り、その型を基に簡易的な合鍵を作っていたのだ。もちろん完璧な精度ではないが、幼少期に暇を持て余して細工物を作っていた経験が、こんな形で役立つとは思わなかった。

(うまくいくかしら……。)

 息をのんでひねると、少し引っかかる感触があったが、やがてカチッという音がして錠が外れた。安堵と同時に、心臓が激しく鼓動する。
 ゆっくりと扉を開けると、内部は真っ暗だ。昼間と違って人影も気配も感じられない。もっとも、謎の男が言っていた「また夜に来る」という話が本当なら、彼が既に中に潜んでいる可能性もある。慎重にランプを掲げながら、足元を確認しつつ奥へと進んだ。


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暗がりでの探索

 昼に来たときと同様、書棚が無数に並び、古い書類が雑然と積まれている。ただ、不思議なことに、一部の棚は昼にはなかった乱れが見受けられる。誰かが先ほどまで探し回っていたのか、本が抜き去られた形跡が生々しい。
 アスカは低く息を吐き、急いで奥の方へ進んだ。昼間発見した焼け焦げた保管簿の周辺には、まだほかにも関連資料があるかもしれない。あの不気味な男が探していたのも、もしかすると同じあたりかもしれない。
 ランプの光が狭い通路を照らし、埃っぽい空気が鼻をつく。ぎし、と床板がきしむ音に、神経が一気に高ぶる。棚の向こうから誰かが飛び出してきてもおかしくない――そう思うと、自然と手が短剣に伸びていた。

(落ち着いて。ここで怯んでは何も始まらない。)

 自分を奮い立たせながら、アスカは先日の棚の隙間――あの謎の男が冊子を投げ出した場所へ足を運ぶ。周囲を注意深く見回すと、床には何枚かの書類の切れ端が散らばっていた。暗闇の中でもわかるほど、新しい裂け目が残っている。誰かが力任せに書類を破ったのだろうか。
 その破片を拾い上げ、ランプの光を当てる。文字が一部しか読めないが、「アーヴィング」「融資」などの単語が目に入る。どうやらアーヴィング商会が公爵家へ融資した際の覚書の一部らしい。ということは、やはりここには“危険な契約書類”が存在したということだ。誰かが証拠を隠滅しようとしているのか、それとも自分で握り、脅しの材料にしようとしているのか――いずれにせよ、これが重大な手がかりになるのは間違いない。

「……やっぱり、アーヴィング商会はこの屋敷と何らかの形で深く繋がっている。レイヴン様が抱える巨額の負債か、あるいは先代の問題か……。」

 小声で呟きながら、破片を慎重に手提げ袋へしまう。わずかながらインクの文字が読み取れるので、後でつなぎ合わせれば契約内容の一端がわかるかもしれない。
 さらに棚を調べようと手を伸ばした、そのとき――突如として背後から気配を感じた。


闇に潜む第三者

「――そっちを探しても無駄じゃないかい?」

 低く響く声が、書庫内に静かに広がる。アスカは慌てて振り返るが、ランプの光が届く範囲には人影がない。だが、確かに誰かが話しかけている。
 息をのむと、暗がりの棚と棚の間から、すっと一人の男が姿を現した。朝方にちらりと見かけた“謎の男”だ。灰色がかった髪を肩にかかるほど伸ばし、貴族らしくはないが上質な衣装を纏っている。どこか余裕を感じさせる姿勢で、アスカを見つめていた。

「……あなたは、だれ?」
「その台詞、こちらが聞きたいね。まさか公爵夫人が夜中にこんな場所に忍び込むとは思っていなかった。」

 男はくつくつと笑い声を漏らし、ランプの明かりを避けるように棚の影へと移動する。アスカは警戒を解かず、短剣の柄に軽く手を添えたまま、じりじりと距離を取った。
 彼は続ける。

「昼間もここで探し物をしていたらしいね。少しは足音を殺す練習をしたほうがいい。すぐに気づいてしまったよ。……もっとも、君がここに来た理由は、だいたい検討がつくけれど。」
「検討……?」
「先代公爵の時代から続く、“闇の契約”を暴こうとしているんだろう。あるいは、それをネタにレイヴン公爵を揺さぶろうとしているのかもしれない。今のままじゃ、公爵家もそう長くはもたない。あのアーヴィング商会が黙っているはずもないからな。」

 その言葉にアスカの胸は大きく揺さぶられる。やはりレイヴンは、先代の遺した借金や闇取引を抱え、それをアーヴィング商会の融資で無理やり回しているのか。しかも、今やその商会から搾取されている状況なのかもしれない。
 アスカはあえて強気に口を開いた。

「そういうあなたこそ、何者なの? ここで同じように記録を探している理由を聞かせてほしいわ。私をどうするつもり?」
「脅す気はない。俺はただ、レイヴン公爵に関する“ある事実”を探っているだけだ。……とはいえ、公爵夫人にこれ以上深入りされると、少々やりにくくなる。君がこれを何に使うのかわからないからね。」

 男の瞳は鋭く、だが敵意というよりは計算高さがにじみ出ている。彼はゆったりと一歩踏み出し、アスカに目線を合わせる。

「俺としては、君がどんな行動を取るか見極めたい。セシリアの走狗ではないだろうし……かといって公爵の忠実な妻とも思えない。となれば、“第三の勢力”ということになるのか?」
「勢力、だなんて大げさな……。私はただ、公爵夫人として、自分が利用されるだけの人形で終わりたくないだけ。」

 そう答えたアスカの表情は険しい。が、男は少し興味深そうに笑みを浮かべる。

「ほう、それはまた面白い。ならば教えてやろう。この奥の棚の裏には、先代公爵がある人物と交わした“秘密契約”の写しが保管されているはずだ。もっとも、大半は破棄されたか破損しているかもしれないが……そこに手がかりが残っていれば、君が探している真相に近づけるかもしれない。俺はそれを確認しに来たんだ。」
「先代公爵の、秘密契約……?」

 思わず問い返すアスカに、男は軽く頷く。

「“アーヴィング”の名前がその当時から登場しているかどうかはわからん。ただ、当時の公爵家が大きな負債を抱えた原因の一端がそこにある。君と利害が一致するなら、情報を共有してもいいが……俺もすべてを話すつもりはない。今はまだ、互いの目的が完全に一致しているとは限らないからな。」

 言っていることは都合が良すぎるようにも思える。しかし、ここまで来て指をくわえて見ているわけにもいかない。アスカは迷いながらも、男から示唆された棚の裏側へと足を進めた。


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