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第四章:自由への解放
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開かれた金庫、その中身
薄暗い倉庫の通路を進み、頑丈そうな鉄扉の並ぶ区画へ。管理人の部下が鍵束を取り出し、一つ一つ照らし合わせながら「××番」の金庫を探す。
やがて扉が開けられると、中には埃をかぶった木箱が見えた。いくつも重ねられた小箱に、先代公爵の名を示す紋章がかすかに残っている。
アスカはランプの明かりをかざし、息を呑むようにして木箱を開けた。中から現れたのは――確かに宝飾品らしきものや金貨の袋。しかし、その量はアスカが想像していた“大逆転”を生むには少々心許ない。
(思ったより……多くはないわね。でも、何もないよりはずっといい。)
金貨の袋を手にし、ざっと重さを確認すると、確かにかなりの枚数が詰まっている。だが、先代公爵が抱えていた莫大な負債に比べれば、ここにある資金はわずかなものでしかない。
それでも、アーヴィング商会との交渉を進めるにあたって“当面の返済金”としては十分な価値があるかもしれない。あるいは、これを担保に新しい融資先を探す道も考えられる。
「(……助かった。本当に何もなかったら終わっていた。多少なりとも、時間と余裕を買えるかもしれない。)」
アスカは心中で安堵の息をつきつつ、さらに木箱の底を探る。すると、風化しかかった書類の束が出てきた。墨が薄れて一部しか読めないが、どうやら「先代公爵が海外商人と交わした輸入取引の権利書」のようだ。
これも時代遅れかもしれないが、もしまだ有効なら、アーヴィング商会と対等の立場で交渉できる材料になる可能性がある。少なくとも、商会が独占している海上貿易ルート以外の選択肢を探る糸口になるかもしれない。
(よし……これを持ち帰って、イーヴァンやカルデール伯にも相談してみよう。)
アスカは手早く箱の中身を整理し、管理人に最小限の保管料を支払い、契約者の“継承者”として中身を引き出す手続きを済ませた。多少の追加費用はかかったが、拒んでいる余裕はない。
---
帰路と不安
貸金庫を後にしたアスカは、いつもより重い手荷物を抱え、馬車に揺られながら王都の中心へ戻る。窓の外には午前の日差しが広がり、街の人々が活気よく行き交っている。しかし、彼女の心は決して晴れやかとはいかない。
先代公爵の隠し財産は予想よりも少なく、これだけで公爵家を救えるとはとても思えない。だが、まったくの無一文よりは数倍マシだ。アスカはこの金貨と古い権利書をどう使うか、必死に頭を巡らせる。
――そうするうちに、馬車の小窓から見える景色が少しずつ変化し、やがて公爵家の屋敷が遠目に見えてきた。屋敷の門前には数台の馬車が止まり、複数の人影が動き回っているようだ。どうやらアーヴィング商会が再び差し押さえの準備に来ているのかもしれない。
「……急いで!」
アスカは御者に声をかけ、馬車を早く門内に通してもらうよう依頼する。すると、門番が心配そうに駆け寄ってきた。
「公爵夫人、ちょうどよかった……! アーヴィング商会の面々が今日の正午に合わせて強制執行の手続きを進めようとしていまして……!」
「わかりました。私が対応します。すぐに応接室へ通してください。」
こうしてアスカは、結局のところ一睡もしていない状態で、再び“戦場”へ向かうこととなる。
---
最後の審判:応接室の激突
応接室の空気は張り詰めていた。アーヴィング商会の手代を中心に、十数名ほどの男たちが机を囲み、そこにセシリアも同席している。さらに、カルデール伯や執事のオーランド、会計係のイーヴァンも応対しているが、どうにも不利な状況にあるようだ。
そこへアスカが入ってきた瞬間、セシリアが待ちかねたように薄く笑みを浮かべる。
「まあ、ギリギリの到着ね、公爵夫人。もう少し遅ければ、あなた抜きで手続きを進めるところだったわ。」
「ご心配なく。こちらも用意があるの。」
アスカはケープの下から隠し財産の一部――金貨の入った袋と、先代公爵の権利書の束――を取り出し、テーブルの上へ置く。その瞬間、部屋の空気がわずかに変わった。
「これは……?」
「先代公爵がかつて契約していた海外商人との取引権、それからある程度の金貨です。すべて公爵家の正当な相続資産にあたると考えられます。これを“当面の返済金”として充てる形で、猶予をいただけませんか?」
アスカが静かにそう告げると、アーヴィング商会の男たちは顔を見合わせ、セシリアは目を細めて警戒を強める。
金貨の量は思っていたより多い。だが、すべてを加算しても、今日までの利息と元本全額に届くわけではない。すぐに完済が可能というほどの額ではないが、逆に言えば“一部返済を示せる”のは大きな前進だ。
「なるほど、公爵家がまだ隠し財産を持っていたとは驚きだ。だが、これで全額に及ぶわけではない。利子の再計算を踏まえれば、まだまだ足りないだろう?」
「承知しています。ですが、今ここで“強制執行”するよりも、返済計画を協議したほうがアーヴィング商会にとっても得策ではありませんか? さらに、この取引権を活かせば海外の商人から新たな支援を受けることが可能になるかもしれません。」
アスカの言葉に、男たちはざわつく。セシリアも不快そうに唇を曲げる。
実際、海外の取引権はアーヴィング商会が長らく独占してきた海路とは別のルートに関わるものらしい。これが本当に有効ならば、彼らが独占体制を維持してきた“海上貿易の利益”に対抗する手段となり得るのだ。
(ここが勝負どころ……!)
アスカは一息つき、さらに続ける。
「もし公爵家の権利で海外から融資を取り付けることができれば、アーヴィング商会への返済金は今よりも増えるはず。あなたたちとしても、今すぐ差し押さえであちこちの財産をバラ売りするより、よほど大きな利益が得られる可能性が高いでしょう? ――もちろん、そのためには少し猶予が必要ですわ。」
「……ふん。」
男たちの中でも特にリーダー格の者が、計算高そうに目を伏せ、頭の中で損得をシミュレートしているのがわかる。実際、貸し手としても、いきなり強制執行して公爵家を丸裸にしてしまうと、その後の継続的利益は見込めない。一方、一定の条件で再建を支援すれば、さらに利息が膨らむ可能性もある。
アスカは、そのわずかな利害の隙間をつくことで、“全面的な破綻”だけは回避したいと考えていた。
---
セシリアの猛反発
しかし、そんなアスカの策を阻むように、セシリアが机を叩いて声を上げる。
「ちょっと待って。そんな取引書類、いつの時代のものかもわからないじゃない。ましてや、そのルートが今も機能している保証もないわ。こんな怪しいものを担保にして、商会の判断を曖昧にさせるなんて、お門違いでしょう?」
「怪しいかどうかは、これから正式に確認すればいいのでは? セシリア様、あなたはアーヴィング商会にとって有益な取引しかしないと仰っていたわね。こちらの提案も、十分有益だと思いますが。」
アスカは一歩も退かない。昨夜、セシリアに「新融資契約」への署名を迫られたときとは違う。今はわずかとはいえ、先代の隠し資金と取引権という武器を手にしている。
セシリアは苛立ちを隠さず、商会の男たちに目を向ける。
「今こそ公爵家を抑えてしまえばいいのに。こんな時代遅れの書類に期待して、またズルズルと期限を延ばすなんて愚の骨頂よ。――いいの? もし海外の取引なんて一銭の価値も生まなかったら、商会だって完全に損をするわよ?」
「そのリスクも含めて、我々が判断する。セシリア様が口を挟むことではない。」
リーダー格の男が冷ややかにセシリアを制した。どうやら商会内部でも、“このまま公爵家を叩き潰す”派閥と、“ある程度再建させて利息を搾り取りたい”派閥が存在するらしい。セシリアは明らかに前者を推しているが、すべてを思いどおりにできるわけではない。
アスカは胸の奥でほっと息をつきつつ、しかし視線をゆるめない。セシリアは再び机を叩き、今度はアスカに向き直る。
「でも、あなただけではどうしようもないはずよ。肝心のレイヴン公爵はいつ戻ってくるの? 公爵が同意しない限り、勝手な交渉は無効になるんじゃなくて?」
「……レイヴン様は、必ず近いうちに戻ります。私が代理で進めた話は、あとで追認してもらうことも可能です。公爵夫人としての権限を行使しているだけ。」
セシリアは鼻で笑い、椅子から立ち上がる。
「結局、あなたは何もわかっていないのよ。レイヴンがいつ帰ってくるのか、本当に帰ってくるのか。……あの人はもう、ここには戻らないかもしれないわね。」
意味深な言葉。その背後にどんな事実が隠れているのか、アスカにはわからない。もしセシリアがレイヴンの動向を掴んでいるなら、それは大きな問題だ。だが、今ここで問い詰めても、不利になるだけ。アスカは冷静を装い、口をつぐんだ。
---
“猶予”を得る、しかし――
最終的な話し合いの結果、アーヴィング商会のリーダー格は「公爵家が提示する金貨と取引権を一旦受け入れ、一定期間だけ返済を猶予する」方針を示した。
この“一定期間”はごく短いもので、猶予というより「猶予兼、追加の保証締結期限」といった性質のものだ。しかし、今の公爵家としてはこれ以上を望めないのが現実。アスカは苦渋の思いでその条件を了承する。
決定的だったのは、あくまで商会の利害だ。即座に強制執行しても得られる利益は限定的だが、返済計画を立てつつ利子を積み重ねれば、更に大きな収益が見込める。そちらを選んだ形だ。セシリアは露骨に嫌そうな顔をしたが、商会内部の多数意見に押し切られたようだ。
(ほんの少しだけど、時間を稼げた。――この間に、私がもっと強力な手段を掴めば、公爵家の崩壊を防げるかもしれない……。)
アスカはそう自分に言い聞かせる。
商会の使者たちが書類の取り交わしを終え、帰り支度を整える中、セシリアも彼らに連れ立って部屋を出ていく。視線が合ったとき、冷たい瞳が突き刺さるように感じた。
「……やるじゃない、公爵夫人。けれど、あなたが必死にもがいても、最終的に勝者となるのは私よ。」
小声でそう囁き、セシリアは優雅な足取りで去っていった。
---
帰還の報せ:レイヴンの影
日が暮れる直前、ようやく屋敷に一つの知らせが届く。――レイヴン公爵の一行が王都の外れまで戻りつつあり、夜には屋敷に到着するという報せだ。
これまで長期不在のままだった主が、ようやく帰還する。使用人たちには安堵の空気が広がったが、同時にピリついた緊張も走る。あれほど逼迫した状況を主人不在で乗り越えることを強いられたのだから、誰もが“レイヴンの帰宅後にどうなるか”を想像してしまうのだ。
アスカもまた、朝から走り回り、今は疲労困憊の状態にある。それでもレイヴンの帰還を知ると、眠気が吹き飛ぶように意識が冴えた。やっと話せる。彼が何を考えていたのか、自分がこの苦境をどうやってつないできたのか、すべてをぶつけるべきときが来たのだ。
(もし彼が、セシリアと通じて家を捨てるつもりなら……私は本当にどうすればいいのだろう。でも、諦めるわけにはいかないわ。)
気持ちを整理しようと自室で一息ついていると、侍女のリディアが慌てて駆け込んできた。
「アスカ様、レイヴン公爵様のお迎えの準備を……と執事から連絡がありましたが、いかがなさいますか?」
「ええ。今は“完璧な夫人”を演じている余裕もないけれど、最低限の礼儀は尽くします。彼が戻り次第、私も会いたいと思っているの。」
アスカは深く息を吸い込み、鏡を覗いて服装を整える。先代公爵の隠し財産や権利書の存在、商会との危うい猶予契約、セシリアの動向――伝えるべきことは山のようにある。だが、レイヴンがそれをどう受け止めるのか、全く予想がつかない。
---
再会と衝突
夜が更ける頃、屋敷の門から馬車が入ってきた。レイヴン公爵の帰還だ。使用人たちが出迎えに出る中、アスカは廊下で待ち構えていた。
扉が開き、久方ぶりに見るレイヴンの姿は、どこかやつれたような気配をまとっている。それでも引き締まった面差しは変わらず、冷たく整った瞳がアスカに向けられた瞬間、胸がざわつく。
「……戻ったぞ。」
「お帰りなさいませ、レイヴン様。――長く留守にされていましたが、この間にアーヴィング商会が差し押さえを……危機一髪でした。セシリア様はさらに契約を迫ってきて……。私が対処しなくてはならない事態になっていたんです。」
矢継ぎ早に言葉を重ねるアスカに、レイヴンは小さく眉を寄せる。
「商会の動きは、おおよそ想像していた。……だが、お前がどこまで口出ししたのか。余計なことをされては困る。」
「余計? あのままだったら、今日にも屋敷が取り潰されていたかもしれないのに……あなたはどうするつもりだったの!?」
思わず声を張り上げるアスカ。今まで溜め込んできた不安や苛立ちが一気に噴出してしまう。
レイヴンは静かに廊下を歩き出し、彼女を遠ざけるように言う。
「セシリアから何か聞いたかもしれないが、俺の考えは変わらない。――家を守るためには、あの商会やセシリアを利用するしかないんだ。彼女がどんな思惑を持っていようと、今はそれを飲むしかない局面だった。……お前が勝手に動くほど、事態はさらに複雑になる。」
「勝手に動く? 私が何もせずに従っていれば、それこそ公爵家は彼女や商会の手に落ちるだけではないですか! 私は“夫人”として、少しでも家を守ろうと――」
「……俺が求めたのは、事を荒立てず黙っていてくれることだ。」
その冷酷な物言いに、アスカの胸は鋭く刺される。彼は最初からアスカを信用しておらず、“ただの飾り”として扱っていたとでも言わんばかりの態度だ。
しかし、アスカはもう引き下がらない。怒りを噛み締めながら、彼の前へ一歩踏み出す。
「あなたが私を信用しないなら、それでもいいわ。でも、私はもう黙っていても救われないことを知ったの。――先代公爵が交わした闇契約を背負って、どれだけ無理をしてきたのかは多少想像できる。でも、それであなたまで自滅するなら、私やこの屋敷の人たちはどうなるの? セシリアの提案を受け入れて、あなたは本当に守りたいものを守れるの?」
「……。」
レイヴンは答えず、険しい表情のまま沈黙する。もしかすると、彼もまた迷っているのかもしれない。アーヴィング商会との“契約上の逃れられない縛り”と、“セシリアが握る利益”――それに追い詰められているのは彼自身だろう。
そうした中、彼はふっと目を伏せ、言いにくそうに口を開いた。
「俺は……この家を潰したくない。先代公爵が積み上げた債務も、いつか俺自身が完済するつもりだった。だが、想定より早く商会が動き出し、セシリアも俺の計画を横取りする形で暗躍し始めた。……本来なら、その交渉をまとめるための出張だったが、思わぬ妨害が入り、遅くなった。」
「妨害……? 誰かがあなたの動きを阻んでいるってこと?」
「ああ、詳しいことはまだ話せない。だが、お前がここで奮闘していたのはわかったよ。――正直、驚いた。お前がこれほどしぶといとは思わなかった。」
レイヴンの言葉に、アスカは胸の痛みと同時に、かすかな安堵を覚える。せめて彼が自分の努力を認めてくれたのなら、救いがあるかもしれない。だが、問題は山積みだ。セシリアの契約、アーヴィング商会の猶予期限、そして先代公爵の闇契約――それらをどうまとめ上げるのか。
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薄暗い倉庫の通路を進み、頑丈そうな鉄扉の並ぶ区画へ。管理人の部下が鍵束を取り出し、一つ一つ照らし合わせながら「××番」の金庫を探す。
やがて扉が開けられると、中には埃をかぶった木箱が見えた。いくつも重ねられた小箱に、先代公爵の名を示す紋章がかすかに残っている。
アスカはランプの明かりをかざし、息を呑むようにして木箱を開けた。中から現れたのは――確かに宝飾品らしきものや金貨の袋。しかし、その量はアスカが想像していた“大逆転”を生むには少々心許ない。
(思ったより……多くはないわね。でも、何もないよりはずっといい。)
金貨の袋を手にし、ざっと重さを確認すると、確かにかなりの枚数が詰まっている。だが、先代公爵が抱えていた莫大な負債に比べれば、ここにある資金はわずかなものでしかない。
それでも、アーヴィング商会との交渉を進めるにあたって“当面の返済金”としては十分な価値があるかもしれない。あるいは、これを担保に新しい融資先を探す道も考えられる。
「(……助かった。本当に何もなかったら終わっていた。多少なりとも、時間と余裕を買えるかもしれない。)」
アスカは心中で安堵の息をつきつつ、さらに木箱の底を探る。すると、風化しかかった書類の束が出てきた。墨が薄れて一部しか読めないが、どうやら「先代公爵が海外商人と交わした輸入取引の権利書」のようだ。
これも時代遅れかもしれないが、もしまだ有効なら、アーヴィング商会と対等の立場で交渉できる材料になる可能性がある。少なくとも、商会が独占している海上貿易ルート以外の選択肢を探る糸口になるかもしれない。
(よし……これを持ち帰って、イーヴァンやカルデール伯にも相談してみよう。)
アスカは手早く箱の中身を整理し、管理人に最小限の保管料を支払い、契約者の“継承者”として中身を引き出す手続きを済ませた。多少の追加費用はかかったが、拒んでいる余裕はない。
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帰路と不安
貸金庫を後にしたアスカは、いつもより重い手荷物を抱え、馬車に揺られながら王都の中心へ戻る。窓の外には午前の日差しが広がり、街の人々が活気よく行き交っている。しかし、彼女の心は決して晴れやかとはいかない。
先代公爵の隠し財産は予想よりも少なく、これだけで公爵家を救えるとはとても思えない。だが、まったくの無一文よりは数倍マシだ。アスカはこの金貨と古い権利書をどう使うか、必死に頭を巡らせる。
――そうするうちに、馬車の小窓から見える景色が少しずつ変化し、やがて公爵家の屋敷が遠目に見えてきた。屋敷の門前には数台の馬車が止まり、複数の人影が動き回っているようだ。どうやらアーヴィング商会が再び差し押さえの準備に来ているのかもしれない。
「……急いで!」
アスカは御者に声をかけ、馬車を早く門内に通してもらうよう依頼する。すると、門番が心配そうに駆け寄ってきた。
「公爵夫人、ちょうどよかった……! アーヴィング商会の面々が今日の正午に合わせて強制執行の手続きを進めようとしていまして……!」
「わかりました。私が対応します。すぐに応接室へ通してください。」
こうしてアスカは、結局のところ一睡もしていない状態で、再び“戦場”へ向かうこととなる。
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最後の審判:応接室の激突
応接室の空気は張り詰めていた。アーヴィング商会の手代を中心に、十数名ほどの男たちが机を囲み、そこにセシリアも同席している。さらに、カルデール伯や執事のオーランド、会計係のイーヴァンも応対しているが、どうにも不利な状況にあるようだ。
そこへアスカが入ってきた瞬間、セシリアが待ちかねたように薄く笑みを浮かべる。
「まあ、ギリギリの到着ね、公爵夫人。もう少し遅ければ、あなた抜きで手続きを進めるところだったわ。」
「ご心配なく。こちらも用意があるの。」
アスカはケープの下から隠し財産の一部――金貨の入った袋と、先代公爵の権利書の束――を取り出し、テーブルの上へ置く。その瞬間、部屋の空気がわずかに変わった。
「これは……?」
「先代公爵がかつて契約していた海外商人との取引権、それからある程度の金貨です。すべて公爵家の正当な相続資産にあたると考えられます。これを“当面の返済金”として充てる形で、猶予をいただけませんか?」
アスカが静かにそう告げると、アーヴィング商会の男たちは顔を見合わせ、セシリアは目を細めて警戒を強める。
金貨の量は思っていたより多い。だが、すべてを加算しても、今日までの利息と元本全額に届くわけではない。すぐに完済が可能というほどの額ではないが、逆に言えば“一部返済を示せる”のは大きな前進だ。
「なるほど、公爵家がまだ隠し財産を持っていたとは驚きだ。だが、これで全額に及ぶわけではない。利子の再計算を踏まえれば、まだまだ足りないだろう?」
「承知しています。ですが、今ここで“強制執行”するよりも、返済計画を協議したほうがアーヴィング商会にとっても得策ではありませんか? さらに、この取引権を活かせば海外の商人から新たな支援を受けることが可能になるかもしれません。」
アスカの言葉に、男たちはざわつく。セシリアも不快そうに唇を曲げる。
実際、海外の取引権はアーヴィング商会が長らく独占してきた海路とは別のルートに関わるものらしい。これが本当に有効ならば、彼らが独占体制を維持してきた“海上貿易の利益”に対抗する手段となり得るのだ。
(ここが勝負どころ……!)
アスカは一息つき、さらに続ける。
「もし公爵家の権利で海外から融資を取り付けることができれば、アーヴィング商会への返済金は今よりも増えるはず。あなたたちとしても、今すぐ差し押さえであちこちの財産をバラ売りするより、よほど大きな利益が得られる可能性が高いでしょう? ――もちろん、そのためには少し猶予が必要ですわ。」
「……ふん。」
男たちの中でも特にリーダー格の者が、計算高そうに目を伏せ、頭の中で損得をシミュレートしているのがわかる。実際、貸し手としても、いきなり強制執行して公爵家を丸裸にしてしまうと、その後の継続的利益は見込めない。一方、一定の条件で再建を支援すれば、さらに利息が膨らむ可能性もある。
アスカは、そのわずかな利害の隙間をつくことで、“全面的な破綻”だけは回避したいと考えていた。
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セシリアの猛反発
しかし、そんなアスカの策を阻むように、セシリアが机を叩いて声を上げる。
「ちょっと待って。そんな取引書類、いつの時代のものかもわからないじゃない。ましてや、そのルートが今も機能している保証もないわ。こんな怪しいものを担保にして、商会の判断を曖昧にさせるなんて、お門違いでしょう?」
「怪しいかどうかは、これから正式に確認すればいいのでは? セシリア様、あなたはアーヴィング商会にとって有益な取引しかしないと仰っていたわね。こちらの提案も、十分有益だと思いますが。」
アスカは一歩も退かない。昨夜、セシリアに「新融資契約」への署名を迫られたときとは違う。今はわずかとはいえ、先代の隠し資金と取引権という武器を手にしている。
セシリアは苛立ちを隠さず、商会の男たちに目を向ける。
「今こそ公爵家を抑えてしまえばいいのに。こんな時代遅れの書類に期待して、またズルズルと期限を延ばすなんて愚の骨頂よ。――いいの? もし海外の取引なんて一銭の価値も生まなかったら、商会だって完全に損をするわよ?」
「そのリスクも含めて、我々が判断する。セシリア様が口を挟むことではない。」
リーダー格の男が冷ややかにセシリアを制した。どうやら商会内部でも、“このまま公爵家を叩き潰す”派閥と、“ある程度再建させて利息を搾り取りたい”派閥が存在するらしい。セシリアは明らかに前者を推しているが、すべてを思いどおりにできるわけではない。
アスカは胸の奥でほっと息をつきつつ、しかし視線をゆるめない。セシリアは再び机を叩き、今度はアスカに向き直る。
「でも、あなただけではどうしようもないはずよ。肝心のレイヴン公爵はいつ戻ってくるの? 公爵が同意しない限り、勝手な交渉は無効になるんじゃなくて?」
「……レイヴン様は、必ず近いうちに戻ります。私が代理で進めた話は、あとで追認してもらうことも可能です。公爵夫人としての権限を行使しているだけ。」
セシリアは鼻で笑い、椅子から立ち上がる。
「結局、あなたは何もわかっていないのよ。レイヴンがいつ帰ってくるのか、本当に帰ってくるのか。……あの人はもう、ここには戻らないかもしれないわね。」
意味深な言葉。その背後にどんな事実が隠れているのか、アスカにはわからない。もしセシリアがレイヴンの動向を掴んでいるなら、それは大きな問題だ。だが、今ここで問い詰めても、不利になるだけ。アスカは冷静を装い、口をつぐんだ。
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“猶予”を得る、しかし――
最終的な話し合いの結果、アーヴィング商会のリーダー格は「公爵家が提示する金貨と取引権を一旦受け入れ、一定期間だけ返済を猶予する」方針を示した。
この“一定期間”はごく短いもので、猶予というより「猶予兼、追加の保証締結期限」といった性質のものだ。しかし、今の公爵家としてはこれ以上を望めないのが現実。アスカは苦渋の思いでその条件を了承する。
決定的だったのは、あくまで商会の利害だ。即座に強制執行しても得られる利益は限定的だが、返済計画を立てつつ利子を積み重ねれば、更に大きな収益が見込める。そちらを選んだ形だ。セシリアは露骨に嫌そうな顔をしたが、商会内部の多数意見に押し切られたようだ。
(ほんの少しだけど、時間を稼げた。――この間に、私がもっと強力な手段を掴めば、公爵家の崩壊を防げるかもしれない……。)
アスカはそう自分に言い聞かせる。
商会の使者たちが書類の取り交わしを終え、帰り支度を整える中、セシリアも彼らに連れ立って部屋を出ていく。視線が合ったとき、冷たい瞳が突き刺さるように感じた。
「……やるじゃない、公爵夫人。けれど、あなたが必死にもがいても、最終的に勝者となるのは私よ。」
小声でそう囁き、セシリアは優雅な足取りで去っていった。
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帰還の報せ:レイヴンの影
日が暮れる直前、ようやく屋敷に一つの知らせが届く。――レイヴン公爵の一行が王都の外れまで戻りつつあり、夜には屋敷に到着するという報せだ。
これまで長期不在のままだった主が、ようやく帰還する。使用人たちには安堵の空気が広がったが、同時にピリついた緊張も走る。あれほど逼迫した状況を主人不在で乗り越えることを強いられたのだから、誰もが“レイヴンの帰宅後にどうなるか”を想像してしまうのだ。
アスカもまた、朝から走り回り、今は疲労困憊の状態にある。それでもレイヴンの帰還を知ると、眠気が吹き飛ぶように意識が冴えた。やっと話せる。彼が何を考えていたのか、自分がこの苦境をどうやってつないできたのか、すべてをぶつけるべきときが来たのだ。
(もし彼が、セシリアと通じて家を捨てるつもりなら……私は本当にどうすればいいのだろう。でも、諦めるわけにはいかないわ。)
気持ちを整理しようと自室で一息ついていると、侍女のリディアが慌てて駆け込んできた。
「アスカ様、レイヴン公爵様のお迎えの準備を……と執事から連絡がありましたが、いかがなさいますか?」
「ええ。今は“完璧な夫人”を演じている余裕もないけれど、最低限の礼儀は尽くします。彼が戻り次第、私も会いたいと思っているの。」
アスカは深く息を吸い込み、鏡を覗いて服装を整える。先代公爵の隠し財産や権利書の存在、商会との危うい猶予契約、セシリアの動向――伝えるべきことは山のようにある。だが、レイヴンがそれをどう受け止めるのか、全く予想がつかない。
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再会と衝突
夜が更ける頃、屋敷の門から馬車が入ってきた。レイヴン公爵の帰還だ。使用人たちが出迎えに出る中、アスカは廊下で待ち構えていた。
扉が開き、久方ぶりに見るレイヴンの姿は、どこかやつれたような気配をまとっている。それでも引き締まった面差しは変わらず、冷たく整った瞳がアスカに向けられた瞬間、胸がざわつく。
「……戻ったぞ。」
「お帰りなさいませ、レイヴン様。――長く留守にされていましたが、この間にアーヴィング商会が差し押さえを……危機一髪でした。セシリア様はさらに契約を迫ってきて……。私が対処しなくてはならない事態になっていたんです。」
矢継ぎ早に言葉を重ねるアスカに、レイヴンは小さく眉を寄せる。
「商会の動きは、おおよそ想像していた。……だが、お前がどこまで口出ししたのか。余計なことをされては困る。」
「余計? あのままだったら、今日にも屋敷が取り潰されていたかもしれないのに……あなたはどうするつもりだったの!?」
思わず声を張り上げるアスカ。今まで溜め込んできた不安や苛立ちが一気に噴出してしまう。
レイヴンは静かに廊下を歩き出し、彼女を遠ざけるように言う。
「セシリアから何か聞いたかもしれないが、俺の考えは変わらない。――家を守るためには、あの商会やセシリアを利用するしかないんだ。彼女がどんな思惑を持っていようと、今はそれを飲むしかない局面だった。……お前が勝手に動くほど、事態はさらに複雑になる。」
「勝手に動く? 私が何もせずに従っていれば、それこそ公爵家は彼女や商会の手に落ちるだけではないですか! 私は“夫人”として、少しでも家を守ろうと――」
「……俺が求めたのは、事を荒立てず黙っていてくれることだ。」
その冷酷な物言いに、アスカの胸は鋭く刺される。彼は最初からアスカを信用しておらず、“ただの飾り”として扱っていたとでも言わんばかりの態度だ。
しかし、アスカはもう引き下がらない。怒りを噛み締めながら、彼の前へ一歩踏み出す。
「あなたが私を信用しないなら、それでもいいわ。でも、私はもう黙っていても救われないことを知ったの。――先代公爵が交わした闇契約を背負って、どれだけ無理をしてきたのかは多少想像できる。でも、それであなたまで自滅するなら、私やこの屋敷の人たちはどうなるの? セシリアの提案を受け入れて、あなたは本当に守りたいものを守れるの?」
「……。」
レイヴンは答えず、険しい表情のまま沈黙する。もしかすると、彼もまた迷っているのかもしれない。アーヴィング商会との“契約上の逃れられない縛り”と、“セシリアが握る利益”――それに追い詰められているのは彼自身だろう。
そうした中、彼はふっと目を伏せ、言いにくそうに口を開いた。
「俺は……この家を潰したくない。先代公爵が積み上げた債務も、いつか俺自身が完済するつもりだった。だが、想定より早く商会が動き出し、セシリアも俺の計画を横取りする形で暗躍し始めた。……本来なら、その交渉をまとめるための出張だったが、思わぬ妨害が入り、遅くなった。」
「妨害……? 誰かがあなたの動きを阻んでいるってこと?」
「ああ、詳しいことはまだ話せない。だが、お前がここで奮闘していたのはわかったよ。――正直、驚いた。お前がこれほどしぶといとは思わなかった。」
レイヴンの言葉に、アスカは胸の痛みと同時に、かすかな安堵を覚える。せめて彼が自分の努力を認めてくれたのなら、救いがあるかもしれない。だが、問題は山積みだ。セシリアの契約、アーヴィング商会の猶予期限、そして先代公爵の闇契約――それらをどうまとめ上げるのか。
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