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第四章:自由への解放
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手掛かりを求めて
セシリアの部屋を出たアスカは、廊下を歩きながら息苦しさを覚えた。差し押さえの危機はひとまず先延ばしにできたが、根本的な解決策が見えていない。セシリアの提案を蹴った以上、今後はさらに苛烈な圧力を受けるだろう。
それでも、絶望に屈するわけにはいかない。アスカは再び執務室へ足を運び、机上に並ぶ書類を眺める。
そこには先日の地下書庫で得た契約の写しや、謎の男から提供された紙片がある。中には先代公爵の名で土地を手放した記録や、アーヴィング商会との裏取引の兆候が記されているものもあった。
セシリアやアーヴィング商会が握る“本当の契約書”と矛盾する点がもし見つかれば、それを盾に交渉を有利に進められるかもしれない。先代公爵が本当にどんな条件で闇契約を結んだのか、その整合性を崩せれば、こちらが一方的に負けることはないはず。
(レイヴン様はいつ戻ってくるの……。もし彼がいれば、何か情報を持っているかもしれないのに。)
だが、不在の夫を当てにしても仕方ない。アスカはイーヴァンやオーランドにも協力を仰ぎ、少しでも矛盾点を探そうと決意する。王都の法律や貴族の慣例を熟知した人材を呼び寄せるのも一案だ。
セシリアとの“第二ラウンド”に備え、できる限りの準備をしておく必要がある。
---
思わぬ訪問者、そして一筋の光
夕闇が迫るころ、屋敷の裏口からひっそりと入ってきた人影があった。アスカは廊下で侍女のリディアに呼び止められ、その人物と面会することになる。
そこに立っていたのは――またしてもあの“謎の男”だった。少し埃まみれの服装で、疲労の色が濃い。彼は周囲を警戒するように辺りを見回してから、アスカに低く声をかける。
「どうやら随分と騒ぎになっているようだな。アーヴィング商会が強硬手段を取り始めたか。……お前の顔を見れば、結果はだいたい想像がつく。」
「あなた……また勝手に屋敷に入ってきたの? そう何度も無事に済むと思わないで。」
怒りと警戒が入り混じったアスカの言葉に、男は肩をすくめる。
「俺としても危険は承知だ。だが、お前に伝えておきたい情報がある。――どうやらアーヴィング商会は“追加の締め付け”を早めるようだ。近々、公爵家の領地に直接手を突っ込み、収益源を抑えようとしているらしい。そっちが抵抗できなければ、いよいよ詰みだな。」
「領地を……。それって、つまり農地や鉱山を勝手に管理し始めるということ? そんなことを許せば、公爵家は完全に終わりじゃない!」
アスカが声を荒げると、男は手をひらひらと振る。
「落ち着け。だからこそ、お前に手を打つ時間を与えてやろうと思って来たんだ。もし、お前が“先代公爵の隠し資金”や“密約の弱点”を掴んでいれば、少なくとも商会に揺さぶりをかけられる。奴らが違法スレスレの取引をしている証拠を公にすれば、大きなダメージになるだろう。」
「先代の隠し資金……そんなもの、本当にあるの? 書庫には契約書しか見当たらなかったし……。」
「あるやもしれんし、ないやもしれん。だが、俺の耳には“先代公爵が王宮筋に隠していた宝飾品”や“海外との貿易利益を別口座にプールしていた”などの噂が入ってきている。真偽はわからんが、もし本当に残っているなら、アーヴィング商会への支払いの一部に充てることもできるだろう。……あるいは、その存在をネタに交渉するのも手だな。」
男の言葉に、アスカの心は大きく揺さぶられる。虚言かもしれない。だが、ほんのわずかな希望でもあるなら、掴んでおきたい気持ちが湧き上がる。
レイヴンがどこまで知っているのかはわからないが、彼が必死にアーヴィング商会と渡り合ってきた背景には、何かしらの“切り札”があった可能性も否定できない。
「でも、あなたは何のためにそんな情報を教えてくれるの? 私がそれを使って商会を牽制すれば、あなたにとっても都合がいいの?」
「まあね。俺にも狙いがある。アーヴィング商会やセシリアが好き勝手に権力を握るのは面白くない。もっと言えば、レイヴンがあまりに早く没落してくれても困るんだ。――お前の動き次第では、俺も多少は動きやすくなる。」
打算しか感じられない説明だが、背に腹は代えられないのが現実だ。アスカはしばし逡巡の末、目を伏せて問いかける。
「わかった。もし先代の隠し資金の手掛かりがあるなら、教えて。私も、もう時間がないの。」
「よし。詳しい話は長くなるから、いったん場所を移そう。このまま廊下で話すのはリスキーだ。……案内してくれ。」
彼の言葉にうなずき、アスカは周囲を警戒しながら少し離れた部屋へと男を連れ込む。自分でも危険だと理解しているが、今はもう後戻りはできない。
もし本当に“先代公爵の隠し資金”が存在するなら、それがこの絶体絶命の危機を打開する最後の光になるかもしれない。アスカは疲れた身体に鞭打ち、再び希望を見出そうと必死に足を進める。
---
第四章前編の幕引き:選択のとき
こうして、追い詰められつつある公爵家とアスカの状況は、さらに加速しながら混沌の度合いを深めていく。アーヴィング商会は差し押さえの手を強め、セシリアは新たな契約書でアスカを陥れようと画策し、レイヴン公爵は依然として行方知れず。
そんな中、アスカの前に再び現れた“謎の男”がもたらす『先代公爵の隠し資金』の噂は、一筋の光にも思えるが、同時に新たな火種でもある。もしそれが事実でも、アスカの行動次第ではさらなる混乱を生む危険がある。
彼女は「白い結婚」という檻から抜け出し、周囲を“ざまあ”と言わしめるほどの逆転劇を成し遂げられるのか。それとも、莫大な借金の重みに押し潰され、セシリアとアーヴィング商会に全てを奪われるのか――。
アスカは胸の内で、もう一度決意を固める。たとえ茨の道でも、自分の力で切り拓くしかない。何も知らずに従うだけでは、家族も未来も守れないのだ。
公爵家の運命を左右する“勝負のとき”が近づいている。闇に沈みそうなその道筋に、僅かな光が射しているのかもしれない――アスカはその微かな灯火を頼りに、さらなる行動へ移る覚悟を抱いていた。
冷たい朝の風が、中庭の草木をざわつかせる。公爵家の屋敷は一見すると静寂を保っているが、その内側ではいつ爆発してもおかしくない緊張感が漂っていた。
昨晩、謎の男がアスカにもたらした「先代公爵の隠し資金」の噂は、ほんのわずかな希望を灯している。しかし同時に、セシリアやアーヴィング商会の圧力はますます強まる一方だ。
屋敷が差し押さえられるまで、猶予はほとんど残っていない。レイヴン公爵の長き不在は続き、セシリアは新しい融資契約への署名を迫る姿勢を変えず、かといって今すぐ強制執行をかけるわけでもない。その曖昧な状況に、誰もが息苦しさを感じていた。
隠し財産を追う手がかり
夜明け前、アスカは侍女のリディアと二人、ひそやかに屋敷の外へ足を運んだ。謎の男の情報によれば、「先代公爵の隠し資金」は王都近郊の貸金庫か、あるいは旧離宮の宝物庫など、複数の候補地に分散している可能性があるという。
もちろん、その真偽は定かではない。だが、今のアスカには、どんな危うい希望でもすがらざるを得なかった。もしそれが実在し、融資の一部または債務の担保として差し出せるなら、アーヴィング商会に対して対抗策を講じることができるかもしれない。
「アスカ様、本当にお一人で行かれるのですか? 王都の外れにある“古い貸金庫”だなんて、治安も良くないと聞きますし……。私もご同行いたします!」
「ありがとう、リディア。でもあなたまで危険な目に合わせるわけにはいかない。ここは私が一人で行くわ。もし万一のことがあったら、あなたが屋敷を守って。オーランドやイーヴァンと協力して、“私がやろうとしたこと”を伝えてほしいの。」
リディアは不安そうに俯いたが、アスカの固い決意を感じ取り、言葉を失う。公爵夫人として――いいえ、一人の人間として、自分の意思で動いている彼女を止めることはできない。
アスカは黒いケープを羽織り、裏門から一人で馬車へ乗り込んだ。御者には最低限の説明だけをし、出発を促す。
先代公爵が残したという噂の隠し財産。捏造かもしれない。だが、そこにかけるしかないのだ。そう自らを奮い立たせ、夜明けの淡い闇を抜けるように馬車は王都の街道を走り出す。
---
王都近郊の貸金庫
目的地は王都の外れにある、古い金融業者の倉庫群と聞いている。そもそも公的に“銀行”と呼べるような施設が少ないこの時代、大金や宝飾品を預かる倉庫はほとんどが半闇のビジネスだ。
馬車を降り、ひっそりとした路地を進むと、そこには黒ずんだ煉瓦造りの建物が並んでいた。一見ただの倉庫街に見えるが、奥には一定の警備が敷かれ、許可のない者は近づくことすらできない。
アスカは屋敷で用意した「先代公爵の印章」が付いた古い書簡を握りしめ、警備兵に差し出す。この書簡こそが、唯一の“先代公爵の痕跡”として残っていたものだ。もしも本当に貸金庫を利用していたなら、この書簡にある暗号らしき文字列が鍵になる可能性が高い。
「……公爵家の印章? しかも随分と古いもののようだが、これは……。」
「先代の時代に作成された書簡です。もしここに預けられているものがあるなら、私が引き取りたい。公爵夫人として正式に申し出ます。」
半信半疑の警備兵たちは、やがて奥へと通すように指示を受け、アスカは倉庫の管理人と対峙することになった。
管理人は短く刈った髪と鋭い目つきを持つ中年男。彼もまたいかにも“裏の世界”で名を馳せていそうな雰囲気だが、アスカは怯まずに書簡を示し、先代公爵がどのような契約を交わしていたかを問う。
「……ああ、この印章は確かに昔、預かっていた口座名義のものに似ている。だが、ずいぶん前に失効したと聞いていたがね。まさか今になって、相続人が来るとは思わなかった。」
「相続……そうですね。先代公爵は既に亡くなっていますが、その息子である現公爵が存命です。私も正式な夫人です。正当な相続権があるはずです。」
管理人は細めた目をさらに眇め、書簡に書かれた暗号を判読し始める。暗号自体は古い数字や文字の羅列で、専門家でなければ解読が難しい。
息を殺して待つアスカ。数分後、管理人は低く唸ると、部下を呼び寄せて一言、短く告げる。
「倉庫の奥にある金庫番号……××番を確認しろ。だが、中身があるかどうかは知らんぞ。大昔に契約したまま放置されたと聞いていたからな。」
アスカは胸の奥で小さく期待と緊張が混ざり合うのを感じる。もし本当に残されていれば、ある程度の宝飾品や金貨が見つかるかもしれない。
セシリアの部屋を出たアスカは、廊下を歩きながら息苦しさを覚えた。差し押さえの危機はひとまず先延ばしにできたが、根本的な解決策が見えていない。セシリアの提案を蹴った以上、今後はさらに苛烈な圧力を受けるだろう。
それでも、絶望に屈するわけにはいかない。アスカは再び執務室へ足を運び、机上に並ぶ書類を眺める。
そこには先日の地下書庫で得た契約の写しや、謎の男から提供された紙片がある。中には先代公爵の名で土地を手放した記録や、アーヴィング商会との裏取引の兆候が記されているものもあった。
セシリアやアーヴィング商会が握る“本当の契約書”と矛盾する点がもし見つかれば、それを盾に交渉を有利に進められるかもしれない。先代公爵が本当にどんな条件で闇契約を結んだのか、その整合性を崩せれば、こちらが一方的に負けることはないはず。
(レイヴン様はいつ戻ってくるの……。もし彼がいれば、何か情報を持っているかもしれないのに。)
だが、不在の夫を当てにしても仕方ない。アスカはイーヴァンやオーランドにも協力を仰ぎ、少しでも矛盾点を探そうと決意する。王都の法律や貴族の慣例を熟知した人材を呼び寄せるのも一案だ。
セシリアとの“第二ラウンド”に備え、できる限りの準備をしておく必要がある。
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思わぬ訪問者、そして一筋の光
夕闇が迫るころ、屋敷の裏口からひっそりと入ってきた人影があった。アスカは廊下で侍女のリディアに呼び止められ、その人物と面会することになる。
そこに立っていたのは――またしてもあの“謎の男”だった。少し埃まみれの服装で、疲労の色が濃い。彼は周囲を警戒するように辺りを見回してから、アスカに低く声をかける。
「どうやら随分と騒ぎになっているようだな。アーヴィング商会が強硬手段を取り始めたか。……お前の顔を見れば、結果はだいたい想像がつく。」
「あなた……また勝手に屋敷に入ってきたの? そう何度も無事に済むと思わないで。」
怒りと警戒が入り混じったアスカの言葉に、男は肩をすくめる。
「俺としても危険は承知だ。だが、お前に伝えておきたい情報がある。――どうやらアーヴィング商会は“追加の締め付け”を早めるようだ。近々、公爵家の領地に直接手を突っ込み、収益源を抑えようとしているらしい。そっちが抵抗できなければ、いよいよ詰みだな。」
「領地を……。それって、つまり農地や鉱山を勝手に管理し始めるということ? そんなことを許せば、公爵家は完全に終わりじゃない!」
アスカが声を荒げると、男は手をひらひらと振る。
「落ち着け。だからこそ、お前に手を打つ時間を与えてやろうと思って来たんだ。もし、お前が“先代公爵の隠し資金”や“密約の弱点”を掴んでいれば、少なくとも商会に揺さぶりをかけられる。奴らが違法スレスレの取引をしている証拠を公にすれば、大きなダメージになるだろう。」
「先代の隠し資金……そんなもの、本当にあるの? 書庫には契約書しか見当たらなかったし……。」
「あるやもしれんし、ないやもしれん。だが、俺の耳には“先代公爵が王宮筋に隠していた宝飾品”や“海外との貿易利益を別口座にプールしていた”などの噂が入ってきている。真偽はわからんが、もし本当に残っているなら、アーヴィング商会への支払いの一部に充てることもできるだろう。……あるいは、その存在をネタに交渉するのも手だな。」
男の言葉に、アスカの心は大きく揺さぶられる。虚言かもしれない。だが、ほんのわずかな希望でもあるなら、掴んでおきたい気持ちが湧き上がる。
レイヴンがどこまで知っているのかはわからないが、彼が必死にアーヴィング商会と渡り合ってきた背景には、何かしらの“切り札”があった可能性も否定できない。
「でも、あなたは何のためにそんな情報を教えてくれるの? 私がそれを使って商会を牽制すれば、あなたにとっても都合がいいの?」
「まあね。俺にも狙いがある。アーヴィング商会やセシリアが好き勝手に権力を握るのは面白くない。もっと言えば、レイヴンがあまりに早く没落してくれても困るんだ。――お前の動き次第では、俺も多少は動きやすくなる。」
打算しか感じられない説明だが、背に腹は代えられないのが現実だ。アスカはしばし逡巡の末、目を伏せて問いかける。
「わかった。もし先代の隠し資金の手掛かりがあるなら、教えて。私も、もう時間がないの。」
「よし。詳しい話は長くなるから、いったん場所を移そう。このまま廊下で話すのはリスキーだ。……案内してくれ。」
彼の言葉にうなずき、アスカは周囲を警戒しながら少し離れた部屋へと男を連れ込む。自分でも危険だと理解しているが、今はもう後戻りはできない。
もし本当に“先代公爵の隠し資金”が存在するなら、それがこの絶体絶命の危機を打開する最後の光になるかもしれない。アスカは疲れた身体に鞭打ち、再び希望を見出そうと必死に足を進める。
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第四章前編の幕引き:選択のとき
こうして、追い詰められつつある公爵家とアスカの状況は、さらに加速しながら混沌の度合いを深めていく。アーヴィング商会は差し押さえの手を強め、セシリアは新たな契約書でアスカを陥れようと画策し、レイヴン公爵は依然として行方知れず。
そんな中、アスカの前に再び現れた“謎の男”がもたらす『先代公爵の隠し資金』の噂は、一筋の光にも思えるが、同時に新たな火種でもある。もしそれが事実でも、アスカの行動次第ではさらなる混乱を生む危険がある。
彼女は「白い結婚」という檻から抜け出し、周囲を“ざまあ”と言わしめるほどの逆転劇を成し遂げられるのか。それとも、莫大な借金の重みに押し潰され、セシリアとアーヴィング商会に全てを奪われるのか――。
アスカは胸の内で、もう一度決意を固める。たとえ茨の道でも、自分の力で切り拓くしかない。何も知らずに従うだけでは、家族も未来も守れないのだ。
公爵家の運命を左右する“勝負のとき”が近づいている。闇に沈みそうなその道筋に、僅かな光が射しているのかもしれない――アスカはその微かな灯火を頼りに、さらなる行動へ移る覚悟を抱いていた。
冷たい朝の風が、中庭の草木をざわつかせる。公爵家の屋敷は一見すると静寂を保っているが、その内側ではいつ爆発してもおかしくない緊張感が漂っていた。
昨晩、謎の男がアスカにもたらした「先代公爵の隠し資金」の噂は、ほんのわずかな希望を灯している。しかし同時に、セシリアやアーヴィング商会の圧力はますます強まる一方だ。
屋敷が差し押さえられるまで、猶予はほとんど残っていない。レイヴン公爵の長き不在は続き、セシリアは新しい融資契約への署名を迫る姿勢を変えず、かといって今すぐ強制執行をかけるわけでもない。その曖昧な状況に、誰もが息苦しさを感じていた。
隠し財産を追う手がかり
夜明け前、アスカは侍女のリディアと二人、ひそやかに屋敷の外へ足を運んだ。謎の男の情報によれば、「先代公爵の隠し資金」は王都近郊の貸金庫か、あるいは旧離宮の宝物庫など、複数の候補地に分散している可能性があるという。
もちろん、その真偽は定かではない。だが、今のアスカには、どんな危うい希望でもすがらざるを得なかった。もしそれが実在し、融資の一部または債務の担保として差し出せるなら、アーヴィング商会に対して対抗策を講じることができるかもしれない。
「アスカ様、本当にお一人で行かれるのですか? 王都の外れにある“古い貸金庫”だなんて、治安も良くないと聞きますし……。私もご同行いたします!」
「ありがとう、リディア。でもあなたまで危険な目に合わせるわけにはいかない。ここは私が一人で行くわ。もし万一のことがあったら、あなたが屋敷を守って。オーランドやイーヴァンと協力して、“私がやろうとしたこと”を伝えてほしいの。」
リディアは不安そうに俯いたが、アスカの固い決意を感じ取り、言葉を失う。公爵夫人として――いいえ、一人の人間として、自分の意思で動いている彼女を止めることはできない。
アスカは黒いケープを羽織り、裏門から一人で馬車へ乗り込んだ。御者には最低限の説明だけをし、出発を促す。
先代公爵が残したという噂の隠し財産。捏造かもしれない。だが、そこにかけるしかないのだ。そう自らを奮い立たせ、夜明けの淡い闇を抜けるように馬車は王都の街道を走り出す。
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王都近郊の貸金庫
目的地は王都の外れにある、古い金融業者の倉庫群と聞いている。そもそも公的に“銀行”と呼べるような施設が少ないこの時代、大金や宝飾品を預かる倉庫はほとんどが半闇のビジネスだ。
馬車を降り、ひっそりとした路地を進むと、そこには黒ずんだ煉瓦造りの建物が並んでいた。一見ただの倉庫街に見えるが、奥には一定の警備が敷かれ、許可のない者は近づくことすらできない。
アスカは屋敷で用意した「先代公爵の印章」が付いた古い書簡を握りしめ、警備兵に差し出す。この書簡こそが、唯一の“先代公爵の痕跡”として残っていたものだ。もしも本当に貸金庫を利用していたなら、この書簡にある暗号らしき文字列が鍵になる可能性が高い。
「……公爵家の印章? しかも随分と古いもののようだが、これは……。」
「先代の時代に作成された書簡です。もしここに預けられているものがあるなら、私が引き取りたい。公爵夫人として正式に申し出ます。」
半信半疑の警備兵たちは、やがて奥へと通すように指示を受け、アスカは倉庫の管理人と対峙することになった。
管理人は短く刈った髪と鋭い目つきを持つ中年男。彼もまたいかにも“裏の世界”で名を馳せていそうな雰囲気だが、アスカは怯まずに書簡を示し、先代公爵がどのような契約を交わしていたかを問う。
「……ああ、この印章は確かに昔、預かっていた口座名義のものに似ている。だが、ずいぶん前に失効したと聞いていたがね。まさか今になって、相続人が来るとは思わなかった。」
「相続……そうですね。先代公爵は既に亡くなっていますが、その息子である現公爵が存命です。私も正式な夫人です。正当な相続権があるはずです。」
管理人は細めた目をさらに眇め、書簡に書かれた暗号を判読し始める。暗号自体は古い数字や文字の羅列で、専門家でなければ解読が難しい。
息を殺して待つアスカ。数分後、管理人は低く唸ると、部下を呼び寄せて一言、短く告げる。
「倉庫の奥にある金庫番号……××番を確認しろ。だが、中身があるかどうかは知らんぞ。大昔に契約したまま放置されたと聞いていたからな。」
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