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第四章:自由への解放
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思わぬ助力
昼に差しかかるころ、応接室の中は紙や帳簿が山積みとなり、使用人たちが行き交う混戦状態だった。アーヴィング商会の手代たちは、余裕を装いつつも「まだか」と苛立ちを示している。
そんなとき、ドアが開き、そこから一人の男がゆっくりと入ってきた。朝の出来事を聞きつけてやってきたのか、まるで時機を見計らったかのようだ。
――謎の男ではない。彼は以前、舞踏会のときにアスカとも面識がある伯爵――カルデール伯だった。王都の社交界では情報通として知られ、あちこちの貴族とのパイプを持つ人物だ。アスカにとっては、多少気難しいが、まったく信用できないわけでもない存在である。
「おや、これは騒々しいですな。何やら公爵家が一方的に責め立てられているように見えますが……。」
「カルデール伯……どうしてここに?」
アスカは驚きつつ、彼の来訪を歓迎すべきか迷う。だが、カルデール伯は軽く笑って杖をつきながら応接室を見回した。
「実は、王都の商会筋から“レイヴン公爵家が破綻寸前”だという噂を聞きましてね。もし本当にそうなら、私も困るのですよ。公爵家が消えてしまえば、多くの取引先が連鎖的に困窮しますからな。私自身、いささか商売に手を染めておりますので……」
「……つまり、助けに来てくださったと考えていいのでしょうか?」
すると伯爵は眉を上げてニヤリと笑う。
「“助け”というほど甘いものではありません。私にもメリットがなければ動きませんよ。ただ、公爵家に協力する形で“痛み分け”くらいにはできるかもしれない。少なくとも、アーヴィング商会が無茶をしないよう牽制する手段は持っています。」
たとえ下心があったとしても、現状でアスカが頼れる外部の人間は極めて限られている。こうなれば、多少のリスクを承知でカルデール伯の力を借りるしかない。アスカは深く一礼した。
「わかりました。もし伯爵がアーヴィング商会を牽制できるなら、ぜひご助力をお願いしたい。私たちも全力で返済の道を探りますので……。」
「ふむ、ではひとまず“時間”を稼ぎましょう。アーヴィング商会の連中と話をつけてみます。王都の商会連合を通じて“正式な差し押さえ”にかかるには、まだ手続きが必要なはず。そこを突きましょう。」
そう言うが早いか、カルデール伯は債権者のグループのほうへ足を運び、流麗な口調で話しかけ始めた。さすが社交界きっての外交術師ともいうべき言葉遣いで、男たちの警戒心をときほぐし、手続きの正当性を問いただす。
アスカはそれを見守りつつ、隣に立つオーランドに小声で指示する。
「伯爵が交渉している間に、私たちはさらに書類を洗い直しましょう。もしわずかな金額でも取り繕える方法があるなら、すぐに動かないと……。」
「承知しました、公爵夫人。イーヴァンにも声をかけておきます。何とか、一部だけでも支払いのメドを立てられれば……。」
こうして、カルデール伯の思わぬ登場で最悪の事態は一旦回避される可能性が出てきた。しかし、依然としてレイヴン公爵は戻らないまま。セシリアも姿を見せず、アーヴィング商会が一枚噛んだ債権額が消えるわけでもない。アスカの不安は募るばかりだった。
---
戻らぬ夫、揺れるセシリアの影
日が傾き始めたころ、カルデール伯の交渉により、一時的に商会側が“正式な差し押さえ”を実行するのを先延ばしにする暫定合意が成立した。アスカやオーランド、イーヴァンが必死に契約書類を照合して“一部は不当”と主張したことも大きい。
結果として、商会は今夜いっぱいは引き揚げ、明日の正午までに公爵家が「支払い計画」を提示することを条件に、強制執行を保留すると取り決めたのである。
アスカは応接室を見回し、まるで嵐が過ぎ去った後のように散乱した書類の山を見て、疲労感とともに大きく息をついた。まだ戦いは終わっていないが、少なくとも今夜中に屋敷が差し押さえられる最悪の惨劇は避けられた。
(でも、肝心の“返済計画”なんて、私たちだけで本当に立てられるの……?)
頭を抱えたい気分になる。レイヴン公爵がいればこそ、どこかから追加の融資を受けるなり、あるいは新たな契約を結ぶなり、何らかの方策を打ち出す道もあったかもしれない。しかし当人不在の今、アスカたちは文字どおり手探り状態だ。カルデール伯が資金援助を申し出るはずもないし、ましてやリュミエール家に金銭的余裕はほとんどない。
そのとき、使用人が慌てたように駆け寄ってきた。
「公爵夫人、大変です。セシリア様が別室でお待ちだと……“すぐに来なさい”と。」
「セシリアが……? こんなときに、何の用かしら。」
アスカは眉をひそめる。自ら姿を見せず、影で何かを操っていたセシリアが、どういう風の吹き回しで呼び出すのか。
一抹の不安を抱えつつ、彼女は重い足取りでセシリアの私室へ向かった。
---
セシリアとの対峙
セシリアの部屋は普段、彼女専用のサロンとして使われている。豪奢な調度品や香り高い花々が飾られ、まるで王宮の一室かと見紛うほど華やかな空間だ。しかし、その空気は薄く冷たい毒のような甘さを孕んでいる。
ドアを開けると、セシリアは窓辺に立っていた。金髪を美しくまとめ、高価そうなドレスに身を包んだ姿は絵になるが、その瞳にはどこか焦燥の色が宿っているようにも見えた。
「お呼びとのことでしたが……何かご用でしょうか、セシリア様。」
アスカが一礼すると、セシリアはくすりと笑みを浮かべながら振り返る。
「ええ、少し話がしたくてね。――あなた、このまま公爵家が没落してもいいの? それとも、どうにかして立て直したいのかしら?」
「……急に何の話ですか。今はまだ、私たちも必死に対策を考えている最中です。」
アスカは警戒を隠せずに答える。セシリアがこんな話題を振るのは、何らかの“取引”を持ちかけてくる前兆に違いない。
案の定、セシリアは窓際に置かれたテーブルから一枚の書類を拾い上げ、アスカの前でひらひらと揺らす。
「これね、アーヴィング商会が独自に用意している“再融資契約書”なの。もしレイヴンがサインしてくれれば、既存の債務をある程度減免して、新たな利子で改めて融資をしてくれるわ。そうすれば公爵家は破産を免れるかもしれない。」
「……そんな話があるなら、なぜ今まで黙っていたの?」
セシリアは目を細め、鼻で笑う。
「あなたたちがバタバタしているのを見物していたのよ。正直言って、公爵夫人のあなたがどこまで役に立つのか興味もあったし。――でも、結論から言えば、あなた一人が頑張っても所詮は時間稼ぎに過ぎないわね。ここで“私の提案”を飲んでくれれば、公爵家は助かる可能性が出てくるわ。」
「“提案”って、一体……。」
その言葉に重々しい響きを感じ、アスカは緊張感を高める。セシリアはゆっくりと歩み寄り、書類をアスカの手元に突きつけた。
「簡単なことよ。レイヴンがサインする前に、あなたがこの新契約に“保証人”として署名するの。そうすれば、公爵家としては“夫人も納得済みの契約”になるでしょう?」
「私が保証人に……!? そんな、利子がさらに膨れ上がる危険な契約に、何のメリットがあるの……?」
アスカの声が震える。セシリアの企みが単純ではないのは承知の上だが、ここまで強引な方法を提示してくるとは予想外だった。
セシリアは冷ややかに笑みを深める。
「メリットは“公爵家が一時的にでも救われる”こと。違えば、今のままでは今夜か明日にでも強制執行が始まるかもしれないのよ? これ以上、あのカルデール伯に頼っても、どうせお金は出してくれないわ。あなたが必死に集められる金額なんて、たかが知れているでしょう?」
「それは……そうかもしれません。でも、私が保証人になったら、リュミエール家まで巻き込まれる可能性が――」
「ええ、そうなるわね。でも、それがお父上イザークの望みでもあるのでしょう? “公爵家”と縁戚を結ぶことで、再びリュミエール家を栄光に導くと豪語していたじゃない。ならば、全力で協力するのが筋というものよ。」
言葉の端々に嘲笑の色がにじみ、アスカは怒りを覚える。セシリアが何を狙っているのかは明白だ。公爵家とリュミエール家を丸ごと借金の連帯責任に巻き込んで、最終的には自分がアーヴィング商会との取引を主導する立場に立つ――つまり、公爵家とリュミエール家の両方を支配下に収めようとしているのだろう。
一方で、レイヴンの不在を逆手に取ることで、アスカだけを“夫人としての義務”に追い詰め、無理矢理契約へ署名させるつもりに違いない。ここでイエスと言えば、確かに当面の破綻は避けられるかもしれない。だが、後々にはさらに厳しい取り立てが待ち受けるのは火を見るより明らかだ。
「ごめんなさい、セシリア様。その提案、私は受けるわけにはいきません。」
アスカは毅然とした調子で宣言する。どれほど厳しくとも、こんな借金地獄を引き継ぐ再契約に署名すれば、公爵家のみならず自分自身が完全に奴隷化されるも同然だ。
セシリアは目を細め、片眉を上げた。
「……そう。なら、勝手に破滅してちょうだい。私としては、最悪の場合でも“公爵家”がなくなれば、別の形でアーヴィング商会から利益を引き出すだけだけど?」
冷たい声。アスカは一瞬だけ言葉を失うものの、毅然とした態度を崩さない。
「ええ、あなたがどうしようと、それは自由よ。私はこの“白い結婚”を通じて、ただ従うだけの人形ではない。夫婦二人の合意なき契約は意味がないわ。……もし私を脅すなら、公開の場で争う覚悟があるのかしら?」
「貴族同士の恥晒しをするつもり? あなた、本当に覚悟があるの? ……いいわ、やってみなさい。私は楽しみにしているわよ。」
挑発とも取れる言葉を残し、セシリアは書類をテーブルに放り投げると、部屋の奥へ消えていった。背後に残されるのは、戦慄するような静寂だけ。
アスカはこみ上げる恐怖を抑えつつ、硬直した足を引きずるようにして部屋を後にする。
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昼に差しかかるころ、応接室の中は紙や帳簿が山積みとなり、使用人たちが行き交う混戦状態だった。アーヴィング商会の手代たちは、余裕を装いつつも「まだか」と苛立ちを示している。
そんなとき、ドアが開き、そこから一人の男がゆっくりと入ってきた。朝の出来事を聞きつけてやってきたのか、まるで時機を見計らったかのようだ。
――謎の男ではない。彼は以前、舞踏会のときにアスカとも面識がある伯爵――カルデール伯だった。王都の社交界では情報通として知られ、あちこちの貴族とのパイプを持つ人物だ。アスカにとっては、多少気難しいが、まったく信用できないわけでもない存在である。
「おや、これは騒々しいですな。何やら公爵家が一方的に責め立てられているように見えますが……。」
「カルデール伯……どうしてここに?」
アスカは驚きつつ、彼の来訪を歓迎すべきか迷う。だが、カルデール伯は軽く笑って杖をつきながら応接室を見回した。
「実は、王都の商会筋から“レイヴン公爵家が破綻寸前”だという噂を聞きましてね。もし本当にそうなら、私も困るのですよ。公爵家が消えてしまえば、多くの取引先が連鎖的に困窮しますからな。私自身、いささか商売に手を染めておりますので……」
「……つまり、助けに来てくださったと考えていいのでしょうか?」
すると伯爵は眉を上げてニヤリと笑う。
「“助け”というほど甘いものではありません。私にもメリットがなければ動きませんよ。ただ、公爵家に協力する形で“痛み分け”くらいにはできるかもしれない。少なくとも、アーヴィング商会が無茶をしないよう牽制する手段は持っています。」
たとえ下心があったとしても、現状でアスカが頼れる外部の人間は極めて限られている。こうなれば、多少のリスクを承知でカルデール伯の力を借りるしかない。アスカは深く一礼した。
「わかりました。もし伯爵がアーヴィング商会を牽制できるなら、ぜひご助力をお願いしたい。私たちも全力で返済の道を探りますので……。」
「ふむ、ではひとまず“時間”を稼ぎましょう。アーヴィング商会の連中と話をつけてみます。王都の商会連合を通じて“正式な差し押さえ”にかかるには、まだ手続きが必要なはず。そこを突きましょう。」
そう言うが早いか、カルデール伯は債権者のグループのほうへ足を運び、流麗な口調で話しかけ始めた。さすが社交界きっての外交術師ともいうべき言葉遣いで、男たちの警戒心をときほぐし、手続きの正当性を問いただす。
アスカはそれを見守りつつ、隣に立つオーランドに小声で指示する。
「伯爵が交渉している間に、私たちはさらに書類を洗い直しましょう。もしわずかな金額でも取り繕える方法があるなら、すぐに動かないと……。」
「承知しました、公爵夫人。イーヴァンにも声をかけておきます。何とか、一部だけでも支払いのメドを立てられれば……。」
こうして、カルデール伯の思わぬ登場で最悪の事態は一旦回避される可能性が出てきた。しかし、依然としてレイヴン公爵は戻らないまま。セシリアも姿を見せず、アーヴィング商会が一枚噛んだ債権額が消えるわけでもない。アスカの不安は募るばかりだった。
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戻らぬ夫、揺れるセシリアの影
日が傾き始めたころ、カルデール伯の交渉により、一時的に商会側が“正式な差し押さえ”を実行するのを先延ばしにする暫定合意が成立した。アスカやオーランド、イーヴァンが必死に契約書類を照合して“一部は不当”と主張したことも大きい。
結果として、商会は今夜いっぱいは引き揚げ、明日の正午までに公爵家が「支払い計画」を提示することを条件に、強制執行を保留すると取り決めたのである。
アスカは応接室を見回し、まるで嵐が過ぎ去った後のように散乱した書類の山を見て、疲労感とともに大きく息をついた。まだ戦いは終わっていないが、少なくとも今夜中に屋敷が差し押さえられる最悪の惨劇は避けられた。
(でも、肝心の“返済計画”なんて、私たちだけで本当に立てられるの……?)
頭を抱えたい気分になる。レイヴン公爵がいればこそ、どこかから追加の融資を受けるなり、あるいは新たな契約を結ぶなり、何らかの方策を打ち出す道もあったかもしれない。しかし当人不在の今、アスカたちは文字どおり手探り状態だ。カルデール伯が資金援助を申し出るはずもないし、ましてやリュミエール家に金銭的余裕はほとんどない。
そのとき、使用人が慌てたように駆け寄ってきた。
「公爵夫人、大変です。セシリア様が別室でお待ちだと……“すぐに来なさい”と。」
「セシリアが……? こんなときに、何の用かしら。」
アスカは眉をひそめる。自ら姿を見せず、影で何かを操っていたセシリアが、どういう風の吹き回しで呼び出すのか。
一抹の不安を抱えつつ、彼女は重い足取りでセシリアの私室へ向かった。
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セシリアとの対峙
セシリアの部屋は普段、彼女専用のサロンとして使われている。豪奢な調度品や香り高い花々が飾られ、まるで王宮の一室かと見紛うほど華やかな空間だ。しかし、その空気は薄く冷たい毒のような甘さを孕んでいる。
ドアを開けると、セシリアは窓辺に立っていた。金髪を美しくまとめ、高価そうなドレスに身を包んだ姿は絵になるが、その瞳にはどこか焦燥の色が宿っているようにも見えた。
「お呼びとのことでしたが……何かご用でしょうか、セシリア様。」
アスカが一礼すると、セシリアはくすりと笑みを浮かべながら振り返る。
「ええ、少し話がしたくてね。――あなた、このまま公爵家が没落してもいいの? それとも、どうにかして立て直したいのかしら?」
「……急に何の話ですか。今はまだ、私たちも必死に対策を考えている最中です。」
アスカは警戒を隠せずに答える。セシリアがこんな話題を振るのは、何らかの“取引”を持ちかけてくる前兆に違いない。
案の定、セシリアは窓際に置かれたテーブルから一枚の書類を拾い上げ、アスカの前でひらひらと揺らす。
「これね、アーヴィング商会が独自に用意している“再融資契約書”なの。もしレイヴンがサインしてくれれば、既存の債務をある程度減免して、新たな利子で改めて融資をしてくれるわ。そうすれば公爵家は破産を免れるかもしれない。」
「……そんな話があるなら、なぜ今まで黙っていたの?」
セシリアは目を細め、鼻で笑う。
「あなたたちがバタバタしているのを見物していたのよ。正直言って、公爵夫人のあなたがどこまで役に立つのか興味もあったし。――でも、結論から言えば、あなた一人が頑張っても所詮は時間稼ぎに過ぎないわね。ここで“私の提案”を飲んでくれれば、公爵家は助かる可能性が出てくるわ。」
「“提案”って、一体……。」
その言葉に重々しい響きを感じ、アスカは緊張感を高める。セシリアはゆっくりと歩み寄り、書類をアスカの手元に突きつけた。
「簡単なことよ。レイヴンがサインする前に、あなたがこの新契約に“保証人”として署名するの。そうすれば、公爵家としては“夫人も納得済みの契約”になるでしょう?」
「私が保証人に……!? そんな、利子がさらに膨れ上がる危険な契約に、何のメリットがあるの……?」
アスカの声が震える。セシリアの企みが単純ではないのは承知の上だが、ここまで強引な方法を提示してくるとは予想外だった。
セシリアは冷ややかに笑みを深める。
「メリットは“公爵家が一時的にでも救われる”こと。違えば、今のままでは今夜か明日にでも強制執行が始まるかもしれないのよ? これ以上、あのカルデール伯に頼っても、どうせお金は出してくれないわ。あなたが必死に集められる金額なんて、たかが知れているでしょう?」
「それは……そうかもしれません。でも、私が保証人になったら、リュミエール家まで巻き込まれる可能性が――」
「ええ、そうなるわね。でも、それがお父上イザークの望みでもあるのでしょう? “公爵家”と縁戚を結ぶことで、再びリュミエール家を栄光に導くと豪語していたじゃない。ならば、全力で協力するのが筋というものよ。」
言葉の端々に嘲笑の色がにじみ、アスカは怒りを覚える。セシリアが何を狙っているのかは明白だ。公爵家とリュミエール家を丸ごと借金の連帯責任に巻き込んで、最終的には自分がアーヴィング商会との取引を主導する立場に立つ――つまり、公爵家とリュミエール家の両方を支配下に収めようとしているのだろう。
一方で、レイヴンの不在を逆手に取ることで、アスカだけを“夫人としての義務”に追い詰め、無理矢理契約へ署名させるつもりに違いない。ここでイエスと言えば、確かに当面の破綻は避けられるかもしれない。だが、後々にはさらに厳しい取り立てが待ち受けるのは火を見るより明らかだ。
「ごめんなさい、セシリア様。その提案、私は受けるわけにはいきません。」
アスカは毅然とした調子で宣言する。どれほど厳しくとも、こんな借金地獄を引き継ぐ再契約に署名すれば、公爵家のみならず自分自身が完全に奴隷化されるも同然だ。
セシリアは目を細め、片眉を上げた。
「……そう。なら、勝手に破滅してちょうだい。私としては、最悪の場合でも“公爵家”がなくなれば、別の形でアーヴィング商会から利益を引き出すだけだけど?」
冷たい声。アスカは一瞬だけ言葉を失うものの、毅然とした態度を崩さない。
「ええ、あなたがどうしようと、それは自由よ。私はこの“白い結婚”を通じて、ただ従うだけの人形ではない。夫婦二人の合意なき契約は意味がないわ。……もし私を脅すなら、公開の場で争う覚悟があるのかしら?」
「貴族同士の恥晒しをするつもり? あなた、本当に覚悟があるの? ……いいわ、やってみなさい。私は楽しみにしているわよ。」
挑発とも取れる言葉を残し、セシリアは書類をテーブルに放り投げると、部屋の奥へ消えていった。背後に残されるのは、戦慄するような静寂だけ。
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