愛なき政略結婚のはずでしたが、冷酷侯爵が挙式翌日から溺愛してきます

鍛高譚

文字の大きさ
3 / 27
第1章:愛なき政略婚

1-3. 夕食の席で

しおりを挟む
3. 夕食の席で

 夕刻、食堂の扉を開けると、そこには父が一人で席についていた。大きな長テーブルの上には豪華な料理が並べられているが、母や兄弟の姿はない。……もっとも、母は私が幼い頃に病で他界しているし、兄弟もいない私は、基本的にこの屋敷で父と二人で暮らしていた。食事の時間も、最近は父が仕事や外出で不在のことが多く、顔を合わせる機会は限られている。

 私は父の斜め向かいの席に腰を下ろした。ドレスの裾を丁寧に整えながら姿勢を正す。父は私の顔を一瞥すると、いつものように無表情のまま微かに頷いた。

「座ったか。……体調はどうだ?」

「ええ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 一応は父なりに気を遣っているのだろう。その問いに淡々と答えると、父は「そうか」とだけ返す。気まずい沈黙が流れたが、すぐに給仕が料理を運んできた。スープやローストなどの香ばしい匂いが漂うが、不思議と食欲は湧いてこない。

 スプーンを手に取ると、父がスープを口に運ぶタイミングに合わせて、私も静かに手を動かす。いつもならちょっとした世間話をするものだが、今夜は空気が重く、何も言葉が出てこない。しばらくの間、スプーンやフォークの音だけが食堂に響いた。

 しばらくして、父がゆっくりと口を開く。

「……お前に話があると言ったな。クラレンス侯爵との結婚の件だ。実は彼から、早速お前と顔を合わせたいと打診が来ている。ここ数日中にも、一度屋敷に招きたいと思っているが……準備はいいな?」

 この一言を聞くだけで、胸がどきりとする。とはいえ、結婚をするのだから顔を合わせるのは当然のこと。避けようもないが、こんなにも早く話が進んでいるとは思わなかった。

「はい……構いません」

 もう覚悟を決めるしかない。しかし、たった今の返事に自分の声が少し震えていたのを自覚して、思わず唇を引き結ぶ。父はそんな私の表情を気にも留めず、続けて言う。

「エドワード・クラレンスは、政界でも実業界でも頭角を現している男だ。聞いたところによると、長らく後継ぎ問題で周囲が色めき立っていたが、本人は“不要な縁談は受けない”と言い続けていたそうだ。そんな彼が、なぜローウェル家の娘を迎えたいと言ったのか、お前も不思議に思うかもしれないが……」

「……はい」

 父の言葉の先を促すと、彼は苦々しい顔をしながら小さく肩をすくめる。

「私にも正直なところ、あまり分からん。彼が望んでいるのは政治的な安定か、あるいはローウェル家の名誉が欲しいのか。あるいはお前自身の才覚を高く評価しているのか……。ただ、確かなのは、彼はそう簡単に人を認める男ではないということだ」

 それはつまり、エドワードが私を何らかの形で“認めた”からこそ、この縁談が成立したということになるのだろうか。そもそも私は、社交界デビューをしているとはいえ、さほど華々しい活躍をした覚えはない。ただ、求められる礼儀作法や舞踏会での立ち居振る舞いを無難にこなしてきただけ。特に飛び抜けて優れたわけでもなく、むしろ地味な存在だったと思う。

「……お前は聡明な娘だ。確かに人前に出ることはあまり好まないが、裏でしっかり努力を積むタイプだし、言葉遣いにも気品がある。……お前を誇りに思っているよ」

 突然、父がそんなことを口にするものだから、私は目を見開いてしまった。今まで父が私を褒めるなんて滅多になかったのに。だが、それが本心からの言葉だとしたら、少しだけ報われた気持ちになる。とはいえ、このタイミングでは複雑な気持ちの方が大きいけれど……。

「ありがとうございます。でも……私には、父様の期待に見合うだけのことができるのか、正直自信がありません」

「弱気なことを言うな。もう決まったことだ。いくら悩もうが、式は避けられない」

 やはり父の声は厳しい。私はうつむきながら、スプーンを持つ手をぎゅっと握り込む。そう、もう悩んだところで意味がない。婚約はすでに成立し、相手方も早期に会いたいと申し出ている。一週間、もしかしたらそれより早い段階でクラレンス侯爵がやってくるかもしれない……。

「それと、もう一つ伝えておく。式はクラレンス侯爵家の領地で挙げることになるだろう。侯爵家は都から少し離れた場所に大きな領地を持っている。きっとそこへお前も嫁ぐ形になる。……今後、生活の拠点も向こうになるわけだ」

 父が言いにくそうに口を動かすのを見て、私も胸が締めつけられる。つまり私は、この屋敷を出てクラレンス家で暮らすことになるのだ。今まで当たり前のように見てきた庭や廊下、メイドや使用人たちとはお別れになる。

「そう、ですか……。分かりました」

 私の返答はどこか他人事のように聞こえた。けれども、内心は一抹の寂しさが広がっている。父と親子の情が薄いわけではないし、この家にもそれなりの愛着がある。すべて捨てて新たな場所で暮らすことになるなんて、想像しただけで心細い。

 父はまた一口スープを飲み、目を閉じる。彼もまた、私を遠くへ嫁がせることに何か思うところがあるのかもしれない。しかし、それでも父は私よりも家を優先する。私はそれを責めることはできない。なぜなら、それが貴族の“義務”だからだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

処理中です...