5 / 27
第1章:愛なき政略婚
1-5. 邂逅:冷酷な侯爵の微笑
しおりを挟むそして迎えた、エドワード・クラレンス侯爵の訪問日。当日は朝から屋敷中が落ち着かない雰囲気に包まれていた。使用人たちが早朝から庭の手入れを行い、廊下の絨毯にシミや埃がないか厳重にチェックする。キッチンでは豪華な昼食の支度が進められ、リビングには花が生けられる。父は一階の応接室で落ち着かない様子でうろうろしていた。
私はというと、式服に近い華やかさを持ったドレスを身につけ、リジーとともに二階の自室で待機している。あらかじめ父からは「侯爵が到着して落ち着いたら呼ぶ」と言われており、今はただその時を待つのみだ。
「お嬢様、緊張していらっしゃるご様子ですね……。大丈夫ですよ」
リジーは私の手をそっと握りしめ、励ますように微笑んでくれる。しかし、握られた指先は冷えきっている。自分でも分かるほどに手汗がにじみ、不安で頭がいっぱいだった。
「やっぱり、怖いのかもしれない……。会ったことのない相手と結婚する、という事実が……」
「大丈夫です。お嬢様は聡明で、美しく、思いやりのある方ですもの。どんなお相手だって、きっと一目で分かってくださいます。わたくしはそう信じています」
リジーの言葉が、少しだけ心を軽くする。私は深呼吸し、鏡の中の自分を見つめた。淡い水色のドレスは、私のダークブラウンの髪や瞳の色を引き立てている。メイクも派手ではなく、自然な美しさを意識して施してもらった。見た目だけなら、そこそこ人並み以上には見えるはず……と自分を奮い立たせる。
すると突然、廊下から足音が聞こえ、部屋の扉がノックされた。扉越しに声がする。
「お嬢様、旦那様がお呼びです。クラレンス侯爵がいらっしゃいました」
私は思わず息を飲む。ついに、そのときが来たのだ。リジーが私のスカートの裾を整え、私は背筋を伸ばして立ち上がる。息を落ち着かせるように、何度か深呼吸してから扉を開けた。
使用人に案内されるまま、私は階段を下りる。心臓が高鳴っているのが自分でも分かる。焦る気持ちを抑えながら、父が待つ応接室へ向かった。
扉の前に立つと、使用人が先に入室を告げ、ドアを開く。私は一歩、足を踏み出した。
「失礼いたします……」
そう口にした瞬間、部屋の中にいた一人の男性が目に飛び込んできた。黒髪を短く整え、端整な顔立ちに切れ長の瞳を持つ。まさに「美丈夫」という言葉がしっくりくる容貌だ。おそらく彼がエドワード・クラレンス……私の“婚約者”となる相手。
薄く微笑んでいるように見えたが、その瞳には鋭い光が宿っているようだった。冷徹さと知性を感じさせる眼差し。私はその視線をまともに受け、思わず言葉を失いそうになる。
「こちらこそ、初めまして。私はエドワード・クラレンスです」
穏やかな声で名乗った彼は、私に向けて丁寧に一礼した。意外なほど柔らかな声音だった。そして続けて「アマンダ・ローウェル嬢ですね?」と、私の名を確認する。
「は、はい……わたくしが、アマンダ・ローウェルです。初めまして、クラレンス侯爵」
自分でも驚くほど声が上ずっていたが、何とか返事をする。すると、彼の口元がさらに少しだけ緩んだ。
「噂に違わぬお美しさで、少々緊張してしまいます。お父上から、あなたは気品と知性を兼ね備えた女性だと伺っていましたが……光栄です、お会いできて」
そんな言葉が返ってくるなんて、思いもよらなかった。冷酷な策略家という先入観を抱いていた私は、拍子抜けしてしまうほど穏やかな対応に驚く。どこにも冷徹な雰囲気は見当たらない……いや、表面上だけかもしれないが。
父はそんな私たちのやり取りを見て、低い声で「……座りなさい、アマンダ」と促した。私は軽く会釈し、エドワードの斜め向かいに腰を下ろす。エドワードも再びソファに座ると、足を組みながら視線を私に向けた。
「本日はお忙しい中、お招きいただきありがとうございます。早速ではありますが、私はアマンダ嬢との婚約を心から望んでいることをお伝えしたく、こうして足を運ばせていただきました」
彼の声は静かで落ち着いていて、その中にどこか揺るぎない確信が宿っているように感じる。私は緊張しながらも、失礼のないようにと微笑みを返す。
「そう言っていただけるのは、光栄です。あの……私の方こそ、まだ何のご挨拶もできず申し訳ありません。どうかよろしくお願いいたします」
父は二人のやり取りを少し離れた場所から見守っている。顔は相変わらず厳しい表情を保っているが、エドワードの言葉遣いや態度を見て、少し安心したようにも見える。
エドワードはさらに言葉を続ける。
「私も結婚には慎重でしたが、ローウェル公爵(※ここでは父の地位を公爵と仮定)からあなたの噂を聞き、ぜひお会いしたいと思ったのです。知性と気品を兼ね備えた方は、なかなかいらっしゃらない。おまけにこれほどの美貌をお持ちとは、噂以上でしたね」
まるで口説き文句のような直接的な賛辞に、私は戸惑いを隠せなかった。普段、男性からこんな風にストレートに褒められることは滅多にない。何か裏があるのではないかと疑ってしまうくらいだ。しかし、エドワードの表情には下心らしきものは感じられない。ただ淡々と、事実を述べているようにも見える。
「もったいないお言葉です。私は……そんなに大した者ではありません」
「謙遜もお上手だ。それだけ自制心があるということならば、ますます興味が湧きますね。……アマンダ嬢、私はあなたとの結婚を真剣に考えております。この婚約を通じて、両家の関係はより良いものになるでしょう。そして、あなた個人の夢や目標があれば、微力ながら全力で支援するつもりです」
意外な言葉だった。「あなた個人の夢や目標を支援する」というのは、ただのリップサービスだろうか。それとも、本当にそう考えているのだろうか。普通の政略結婚であれば、花嫁側に自由や権利はほとんど与えられないのが常だ。夫の家に嫁ぎ、夫の家のために尽くす。それが貴族の女性に課された義務。それを当然と考える男性が多い中、エドワードの言い分は確かに珍しいと感じる。
(この人は本当に冷酷な策略家なのか……?)
頭の中で疑問が渦巻く。しかし、今初対面である以上、彼の真意を見抜くのは難しい。私はただ、「ありがとうございます……」とお礼を述べることしかできなかった。
やがて父が口を開き、正式にこの縁談を進めることを確認すると、エドワードは満足げに頷いた。
「では、挙式の日取りについては改めてご相談させていただきたいと思います。……アマンダ嬢、近いうちに私の領地へお越しになりませんか? 結婚をする以上、あなたの新たな住まいを見ていただいた方が良いでしょう」
そう言ってこちらを見つめる瞳には、どこか優しさのようなものが感じられる。それが本心かどうか分からない。けれど、私は嫌な感情を抱かなかった。むしろ、こうして笑みを向けられると、その人柄に魅了されそうになる自分がいる。
「はい……ぜひ、お伺いしたいです。よろしくお願いいたします」
そう答えながら、私は父の顔色を窺った。父は難しい表情のまま無言でいる。が、反対する様子はない。おそらく父としても、ローウェル家の将来を背負ってくれる強力な後ろ盾が欲しいはずだ。クラレンス侯爵家に嫁ぐことには賛成なのだろう。
こうして、私とエドワード・クラレンスは正式に「婚約者」として顔を合わせることになった。初対面の印象は、噂に聞くような冷酷さが表面には出ていない。それどころか、穏やかで礼儀正しく、私の心を案外すんなりと受け止めてくれるように思えた。
それでも、どこか胸の奥底にうずくのは、この結婚が“家同士の利益”を最大限に考慮した政略結婚であるという冷徹な事実。エドワードがもし、私の前で優しい仮面を被っているだけだとしたら……その真意をまだ知らない私は、今後、どのように彼と接すればいいのだろう。
(愛なき政略婚──。でも、もしかしたら、それも悪くはないのかもしれない。彼が本当に冷たくないのなら……)
そんな一抹の期待が、私の不安をほんの少しだけ和らげる。だが、この決断が私の運命を大きく変えてしまうのは間違いない。
曖昧な微笑みを浮かべるエドワード・クラレンスの横顔を眺めながら、私は心の中で静かに決意する。この人の本当の姿を、この目で確かめてみよう、と。
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。
真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。
親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。
そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。
(しかも私にだけ!!)
社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。
最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。
(((こんな仕打ち、あんまりよーー!!)))
旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる