婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ

鍛高譚

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21話

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数刻後。
 書斎に戻ったシャルは、ジャンが用意した仮契約書にサラサラと署名した。
 【互いの生活を尊重し、干渉は最小限】【昼寝・研究時間の確保を最優先】【ティータイムをもって愛情確認とする】——常識外れの条文に、ロベールは頭を抱えながらも「これぞアルベール家」と感嘆するしかない。

 「マルグリット、ハンモックの追加発注を」
 「かしこまりました。耐荷重は?」
 「二人+猫三匹ぶんで」

 窓の外では夕陽が葡萄畑を黄金に染めている。
 シャルは羽根ペンを置き、ふわりと欠伸。
 「やっぱり契約仕事は疲れますわね。——少し昼寝を」
 「もう夕方ですけれど……」
 「昼寝に時間帯は関係ありませんわ♪」

 クッションに埋もれたシャルの頬には、満足そうな赤み。
 理想のパートナーを得ても、彼女の日常は変わらない。
 だが“干渉しない愛”という新しい調味料が加わり、これからのティータイムはきっと、もっと甘く、もっと自由に香るだろう。

 そして温室の外で、ユーリスは自作の手帳にこうメモしていた。
 《毎週土曜——ティータイム。備考:昼寝尊重。菓子レシピ要研究》

 天才研究者と怠惰令嬢。
 この奇妙に噛み合った歯車が、やがて新たな発明と極上スイーツを生み、王国の胃袋を再び震撼させることになる——その事実を、当人たちはまだ知らない。

 アルベール領の北丘陵──ぶどう畑を一望する小高い草原に、白壁と青い尖塔のコテージが完成した。
 看板には金文字でこう刻まれている。
 > “午後の雲” ──昼寝専用別荘

 建設費はワインとジュースの今期利益の一部。設計図はシャル・ド・ネ・アルベール自らが「ふかふかベッド八割、キッチン一割、書斎ゼロ割」で描いたものだ。
 今日はその完成祝い。初秋の陽射しの下、丘の斜面にレースクロスを敷き、即席ピクニックが開かれていた。

 「焼き栗パイ追加でーす!」
 老醸造家ピエールが汗を拭きつつ皿を運べば、領民の子どもたちが歓声を上げる。
 「ジュースおかわりある?」
 「はいはい、泡立てたミルク入りの特別版よ」
 侍女長マルグリットが給仕すれば、紫の液面に真っ白な泡が花咲いた。

 そして、丘の頂上。
 昼寝用ハンモック──耐荷重「大人二名+猫三匹」仕様──に揺られているのは、もちろんシャルである。
 隣では、先日“白い結婚”が成立したユーリス・フォン・ゼルヴァルトが研究ノートを開き、魔導鉱石の最新データを記していた。
 「揺れながら字を書くのは難しいな」
 「昼寝を優先して寝転んで書けばよろしいのに」
 「それでは君のスペースが……」
 「ハンモックはシェアするためにあるのですわ♪」

 ふわりと吹いた風が、二人の髪を揺らす。遠くでぶどうの葉が金緑色に光り、足元の草むらでは子猫が転げ回っている。
 ユーリスがペンを置き、ひとつ欠伸をした。
 「……確かに、研究の合間にこうして空を眺めるのも悪くない」
 「で しょう? 怠惰は発想の母ですもの」
 「それを聞いて安心した。次の実験は“低周波発酵”だが、寝ながら監視できる仕組みを考えよう」
 「それは名案!」

 笑い合う二人の下で、管理官ロベールが決算書を手に右往左往している。
 「お嬢様ー! 今年度の最終利益が確定しましてー!」
 だがハンモックから返ってくるのは、のびやかな返事だけ。
 「聞こえませーん♪ 数字は明日でーす」
 「ま、またですか……」

 肩を落とすロベールの背に、ピエールが焼き栗パイを差し出した。
 「まあまあ、甘い物でも。お嬢様の“頑張らない主義”のおかげで、わしらは飯がうまい」
 「……確かに」

 領民代表の少女ミレイユが花冠を掲げ、シャルのもとへ駆けてきた。
 「シャル様! 新しいシフォン、すっごくふわふわで雲みたい!」
 「ありがとう。じゃあ雲みたいに軽い抱っこ、して差し上げましょうか」
 「きゃー!」

 ハンモックから降りたシャルがミレイユをひょいと抱き上げると、周りの子どもたちも「私も!」「僕も!」と列を作る。
 「体力が尽きる前に並びなさいませよー」
 笑い声が風に乗り、丘の上に弾けた。

 ひとしきり遊んだ後、シャルはコテージのテラスに戻り、ティーポットを傾けた。琥珀の液体がカップに満ちると同時に、猫たちが足元へ集まって喉を鳴らす。
 ユーリスも隣に座り、研究ノートを閉じる。
 「……やっぱり土曜のティータイムはいいものだ」
 「でしょ? では乾杯の音頭をお願いしますわ」
 「え、僕が?」
 「共同オーナーですもの」

 ユーリスは少し照れながらカップを掲げる。
 「それでは——昼寝と研究と、おいしいスコーンに。乾杯」
 「乾杯ですわ♪」

 カップが触れ合い、静かな澄んだ音が秋空へ溶けていく。
 その時、ロベールが「お嬢様、最後に一行だけ!」と駆け寄った。
 「来期の予算枠だけ、ご確認を……」
 「……はいはい。見るだけ見ますわね」

 シャルは決算書を斜め読みし、ペンで「昼寝基金」と書かれた欄に二重丸を付けた。
 「以上。——さて、スコーンが冷めますわ」
 「あ、ありがとうございました……」

 ロベールが涙目で去っていくのを見送り、シャルはふうっと息をつく。
 眼下の草原では、子どもたちが歌い、領民が踊り、ピエールが酔客にワインを振る舞っている。
 夕陽がぶどう畑の彼方に沈む頃、テラスのランプに灯が入り、琥珀色の光が二人と三匹の猫を包んだ。

 シャルは膝上の猫を撫で、そっと微笑む。
 > 世界は今日も勝手に転がる。
 > ならば私は、好きなだけ昼寝して、好きなだけ甘い物を作り、
 > ときどき愛しい人とティーカップを鳴らせばいい。

 カップをソーサーに戻す小さな音。
 その余韻の中で、丘の上の“午後の雲”は静かに揺れ、秋の夜風がカーテンをふわりと膨らませた。

 そして怠惰令嬢シャル・ド・ネ・アルベールは、満ち足りた瞳で星空を見上げ、そっと呟く。
 「おやすみなさい、世界。——明日もおいしい昼寝ができますように」
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