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6話
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突然の来訪者
午前中、予定通り北方商人ギルドの代表たちを応接室で迎えたクレオは、契約書類の確認や今後の取引条件のすり合わせを無事に終え、ほっとひと息ついていた。
すでに時刻は昼を回っている。午前の仕事が一区切りついたので、簡単な昼食を取ろうかと考えていると、執事役の男性が少し慌ただしい足取りでやってくる。
「ク、クレオ様、大変です……ブラック公爵家のご子息が、何やらお越しになったようで……」
「……ブラック公爵家? あの名門の?」
クレオは怪訝な表情を浮かべる。そもそも彼女とブラック公爵家との接点は、融資案件の話くらいしかない。
しかも、直々に“嫡男”が訪ねてくるなんて前代未聞だ。取引や融資の相談にしても、通常は秘書や執事が来るのが常識。この突然の来訪はどういうことかと、クレオは一瞬思考を巡らせる。
「まあ、とにかくお通しして。お客様を待たせるわけにはいかないし」
クレオがそう指示を出すと、執事はこくりと頷いて応接室のほうへ急ぐ。
クレオ自身も姿見で自分の身なりをざっとチェックし、足早に応接室へ向かった。気分としては、少しだけ胸がざわついている。何か嫌な予感がして仕方ないのだ。
応接室の扉を開けると、そこには漆黒の髪を肩ほどまで伸ばした青年が立っていた。目鼻立ちが整い、貴族らしい気品を漂わせている。
――カフェ・ブラック。その名を聞けば、王都の大半の人間は「名門ブラック公爵家の嫡男」として知っているだろう。
「あの、初めまして……ではないですね。書簡でやり取りは何度か」
クレオはビジネスライクに微笑み、挨拶を述べる。だが、カフェはどこか落ち着かない様子で、視線を宙に泳がせている。
「こ、こんにちは……いや、初めましてというべきか、どうか……」
その様子がどうにも奇妙だ。クレオとしては、さっさと用件を聞きたいのだが、相手がやけに煮え切らない。
仕方ないので、クレオはいつもの商談と同じようにソファへと促した。
「とりあえず、お座りください。せっかくお越しいただいたのですから、お茶でもいかがです?」
「あ、ああ……ありがとう……」
カフェはぎこちなく席に着き、メイドが紅茶を出してくるのを待つ。クレオも対面のソファに腰掛け、相手の様子を探るように見つめた。
ややあって、メイドが退室すると、クレオは笑みを湛えて口を開く。
「さて、ブラック様が直々にいらっしゃるとは、よほど急ぎのご用件があるのでしょうか? 融資の件で何か進展でも?」
「い、いえ、融資の話もいずれしたいのですが、今日はそれよりもっと大切な用件が……」
「大切、ですか? 具体的には?」
するとカフェは、一瞬躊躇したあと、やや上ずった声で口を開いた。
「実は……その……先日、俺はブレンディ公爵令嬢との婚約を解消したんです」
「……はあ?」
クレオは思わず素っ頓狂な声を漏らす。
ブレンディ公爵令嬢、つまり“ココア・ブレンディ”のことはもちろん知っている。王国屈指の名家だし、容姿端麗で聡明だという噂だ。
だが、その婚約を解消したという事実が、なぜこの場で告白されているのか。クレオとしては、さっぱり意図がわからない。
カフェはさらに言葉を続ける。
「……それで、あの、俺は新たに真実の愛に目覚めたんだ。相手は、その、あなた……クレオ・パステルさん。あなたと婚約したい」
「…………」
応接室の空気が凍りつく。
クレオは瞬きを忘れるほど呆然としていた。頭の中で言葉を反芻してみるが、“婚約したい”というフレーズが何度聞いても意味不明だ。
一方、カフェはどこか陶酔したような表情で続ける。
「俺は、街であなたを一度だけ見かけて……その瞬間、雷に打たれた気がしたんです。初めて会話を交わす前から、あなたこそ運命だ、と。真実の愛だと……!」
「……は、はあ?」
あまりにも唐突すぎて、クレオは言葉を失った。
自分の名前が出た時点で“何か嫌な展開”だと感じてはいたが、まさかこんな非現実的な告白をされるとは予想外だ。
平静を保とうとするクレオとは対照的に、カフェは一人で盛り上がっているように見える。
「クレオさん、あなたは高貴な精神を持つ商人だ。俺はその誇り高さに惹かれた。だからこそ、一方的な申し出かもしれないが、婚約を前向きに考えてほしい」
いや、一方的にもほどがある。
クレオはテーブルに置いた紅茶に目をやる。少しも口にしていないのに、なぜか喉が渇くような感覚を覚える。
「……あの、ブラック様。ちょっと待っていただけますか?」
「な、なんでしょう?」
「私はあなたとそんなに親しくお話ししたことすらありません。むしろ、今日が初めての直接の会話ですわよね?」
「そ、それはそうですが……運命というものは、言葉を超えて感じ合うものだと……」
「は、はあ」
クレオは内心でため息をつく。確かに恋愛には勢いも大事だが、さすがにここまで身勝手な展開は聞いたことがない。
しかも彼が言うには、すでにブレンディ公爵令嬢との婚約を破棄してまで自分を選んだらしい。いきなりそんな話を持ち出されても、クレオとしては困惑するばかりだ。
(この人、もしかして本気で言ってるの? それとも裏になにかある?)
商売の世界で育ったクレオの嗅覚が、警戒心を強めている。
午前中、予定通り北方商人ギルドの代表たちを応接室で迎えたクレオは、契約書類の確認や今後の取引条件のすり合わせを無事に終え、ほっとひと息ついていた。
すでに時刻は昼を回っている。午前の仕事が一区切りついたので、簡単な昼食を取ろうかと考えていると、執事役の男性が少し慌ただしい足取りでやってくる。
「ク、クレオ様、大変です……ブラック公爵家のご子息が、何やらお越しになったようで……」
「……ブラック公爵家? あの名門の?」
クレオは怪訝な表情を浮かべる。そもそも彼女とブラック公爵家との接点は、融資案件の話くらいしかない。
しかも、直々に“嫡男”が訪ねてくるなんて前代未聞だ。取引や融資の相談にしても、通常は秘書や執事が来るのが常識。この突然の来訪はどういうことかと、クレオは一瞬思考を巡らせる。
「まあ、とにかくお通しして。お客様を待たせるわけにはいかないし」
クレオがそう指示を出すと、執事はこくりと頷いて応接室のほうへ急ぐ。
クレオ自身も姿見で自分の身なりをざっとチェックし、足早に応接室へ向かった。気分としては、少しだけ胸がざわついている。何か嫌な予感がして仕方ないのだ。
応接室の扉を開けると、そこには漆黒の髪を肩ほどまで伸ばした青年が立っていた。目鼻立ちが整い、貴族らしい気品を漂わせている。
――カフェ・ブラック。その名を聞けば、王都の大半の人間は「名門ブラック公爵家の嫡男」として知っているだろう。
「あの、初めまして……ではないですね。書簡でやり取りは何度か」
クレオはビジネスライクに微笑み、挨拶を述べる。だが、カフェはどこか落ち着かない様子で、視線を宙に泳がせている。
「こ、こんにちは……いや、初めましてというべきか、どうか……」
その様子がどうにも奇妙だ。クレオとしては、さっさと用件を聞きたいのだが、相手がやけに煮え切らない。
仕方ないので、クレオはいつもの商談と同じようにソファへと促した。
「とりあえず、お座りください。せっかくお越しいただいたのですから、お茶でもいかがです?」
「あ、ああ……ありがとう……」
カフェはぎこちなく席に着き、メイドが紅茶を出してくるのを待つ。クレオも対面のソファに腰掛け、相手の様子を探るように見つめた。
ややあって、メイドが退室すると、クレオは笑みを湛えて口を開く。
「さて、ブラック様が直々にいらっしゃるとは、よほど急ぎのご用件があるのでしょうか? 融資の件で何か進展でも?」
「い、いえ、融資の話もいずれしたいのですが、今日はそれよりもっと大切な用件が……」
「大切、ですか? 具体的には?」
するとカフェは、一瞬躊躇したあと、やや上ずった声で口を開いた。
「実は……その……先日、俺はブレンディ公爵令嬢との婚約を解消したんです」
「……はあ?」
クレオは思わず素っ頓狂な声を漏らす。
ブレンディ公爵令嬢、つまり“ココア・ブレンディ”のことはもちろん知っている。王国屈指の名家だし、容姿端麗で聡明だという噂だ。
だが、その婚約を解消したという事実が、なぜこの場で告白されているのか。クレオとしては、さっぱり意図がわからない。
カフェはさらに言葉を続ける。
「……それで、あの、俺は新たに真実の愛に目覚めたんだ。相手は、その、あなた……クレオ・パステルさん。あなたと婚約したい」
「…………」
応接室の空気が凍りつく。
クレオは瞬きを忘れるほど呆然としていた。頭の中で言葉を反芻してみるが、“婚約したい”というフレーズが何度聞いても意味不明だ。
一方、カフェはどこか陶酔したような表情で続ける。
「俺は、街であなたを一度だけ見かけて……その瞬間、雷に打たれた気がしたんです。初めて会話を交わす前から、あなたこそ運命だ、と。真実の愛だと……!」
「……は、はあ?」
あまりにも唐突すぎて、クレオは言葉を失った。
自分の名前が出た時点で“何か嫌な展開”だと感じてはいたが、まさかこんな非現実的な告白をされるとは予想外だ。
平静を保とうとするクレオとは対照的に、カフェは一人で盛り上がっているように見える。
「クレオさん、あなたは高貴な精神を持つ商人だ。俺はその誇り高さに惹かれた。だからこそ、一方的な申し出かもしれないが、婚約を前向きに考えてほしい」
いや、一方的にもほどがある。
クレオはテーブルに置いた紅茶に目をやる。少しも口にしていないのに、なぜか喉が渇くような感覚を覚える。
「……あの、ブラック様。ちょっと待っていただけますか?」
「な、なんでしょう?」
「私はあなたとそんなに親しくお話ししたことすらありません。むしろ、今日が初めての直接の会話ですわよね?」
「そ、それはそうですが……運命というものは、言葉を超えて感じ合うものだと……」
「は、はあ」
クレオは内心でため息をつく。確かに恋愛には勢いも大事だが、さすがにここまで身勝手な展開は聞いたことがない。
しかも彼が言うには、すでにブレンディ公爵令嬢との婚約を破棄してまで自分を選んだらしい。いきなりそんな話を持ち出されても、クレオとしては困惑するばかりだ。
(この人、もしかして本気で言ってるの? それとも裏になにかある?)
商売の世界で育ったクレオの嗅覚が、警戒心を強めている。
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