捨てられ令嬢シルフィ、真実の愛を手に入れるまで

鍛高譚

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第1話 崩れ落ちた夢の夜

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第1話 崩れ落ちた夢の夜

 侯爵家の令嬢――シルフィ・アルベールは、昔から誰よりもまっすぐで、努力家で、そして夢見る少女だった。

 その夢とは、公爵家嫡男ラングレー・ヴァンデールの婚約者として、いずれ王国を支える立派な夫人になること。

 幼少期に両家の大人たちが結んだ縁談は、政略でありながら、シルフィにとっては宝物のように尊い未来を約束するものだった。

(ラングレー様の隣に立てるような、恥ずかしくない淑女にならなきゃ……)

 そう思い続けて十年以上。
 礼儀作法、宮廷舞踏、音楽、文学――学べと言われたことはすべて吸収し、シルフィは見事に“理想の淑女”へと成長した。

 家庭教師たちは口を揃えて彼女を褒め、侍女たちも誇らしげに見守ってくれた。
 そして何より、シルフィは自分の努力を胸を張って誇れるようになっていた。

 ――すべては、ラングレーの未来の隣に立つため。

◇◇◇

 ラングレーは端整な顔立ちに冷静な物腰を備え、若くして社交界の注目を集める存在だった。
 シルフィは彼に会うたび、胸がくすぐられるような憧れを抱いてきた。

 軽率な期待だとは分かっている。
 けれど、努力して成長した自分を見て、いつか彼が振り向いてくれるのでは――そんな淡い願いを、少女の心は手放せなかった。

 だからこの日も、胸を高鳴らせていたのだ。

 城館で開かれた夜会の途中、ラングレーが彼女の名を呼んだとき。

「……シルフィ」

 穏やかでよく知る声のはずなのに、このときに限って妙な胸騒ぎがした。

「はい、ラングレー様。お話とは……?」

 期待と緊張を胸に近づいたその瞬間。

 彼の唇が告げたのは、まったく想像しなかった言葉だった。

「我々の婚約は……ここで白紙に戻していただきたい」

 その瞬間、夜会の音楽が遠のき、世界が色を失った。

「…………え?」

 声が震えた。
 ただの悪い冗談ならいい。
 けれど、ラングレーの表情は一片の揺らぎもない。

「新しい婚約者としてふさわしい方が見つかった。伯爵令嬢エリーザだ。彼女は優秀で、家格も申し分ない。――君よりも、だ」

(……君よりも、だ?)

 その言葉だけで胸の奥がズキリと痛む。

「待ってください……私、何か……至らぬところが……?」

 必死に声を絞り出すと、ラングレーは冷たい目で彼女を見下ろした。

「無駄な縁は結ぶべきじゃない。今後は君も侯爵家の令嬢として、新しい道を探すといい」

 “無駄な縁”。
 その言葉だけで、何年も積み上げてきた努力も、夢も、尊厳も、すべて踏み潰された気がした。

 ラングレーはすぐに背を向け、夜会の喧騒に消えていく。
 彼の姿が見えなくなるまで、シルフィはただ立ち尽くすことしかできなかった。

◇◇◇

 侍女に支えられて屋敷へ戻ると、シルフィはさらに深く突き落とされることになる。

「……シルフィ。お前、何をした?」

「もういいのよ。公爵家と事を荒立てるわけにはいかないの」

 父も母も、庇うどころか“お前が悪いのではないか”と疑うような目を向けた。

「そんな……私は……ずっと、ラングレー様のために……」

「声を荒げないの。周りに聞かれたらどうするの」

 家族ですら、心に寄り添ってはくれない。
 むしろ“穏便に終わらせるべき”と口を閉ざすばかりだった。

 ラングレー側から流された噂は、すでに社交界中に広まり始めていた。

「シルフィは婚約者として不適切だった」
「素行に問題があったらしい」

 下女たちの噂話が耳に刺さり、街へ行けば商人に眉をひそめられる。

 シルフィは気づいた。

(私は……一夜にして、全てを失ってしまったんだわ)

◇◇◇

 その日から、涙を枕に落とす夜が続いた。

 昼間は周囲の好奇と疑念の視線。
 夜になれば孤独と絶望が襲ってくる。

 けれど、その暗闇の底で――
 シルフィの胸には、わずかな灯が残っていた。

(……でも、こんな扱い、あんまりだわ)

 ラングレーとの未来は砕かれた。
 家族からも見捨てられた。
 努力は踏みつけられた。

 それでも。

(私は……まだ、終わってなんかない)

 痛みの中で、彼女の奥底に眠っていた“気高きプライド”が、確かに息づいていた。

 シルフィは気づいていない。
 絶望の裏側で、静かに新しい未来の扉が開こうとしていることを。

 これは裏切りの物語であり、始まりの物語でもある。
 砕かれた夢の残骸から、やがて芽吹く光の種――

 その始まりが、今まさに産声を上げていた。


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