政略結婚の末に愛されたヒロインは、やがて世界を変える

鍛高譚

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第2章 溺愛の兆し

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 その後、侍女長がやってきて、レクシアの髪型やドレスを選びはじめる。伯爵家にいた頃よりもさらに豪奢な衣装や装飾品が取り揃えられており、目移りするほどの豊かさだ。
「公爵家の紋章が入った服飾もご用意できますが、初めての顔合わせですし、あまり威圧感のない装いのほうが好印象かと……いかがでしょうか」
 侍女長は、慎重な態度で相談を持ちかけてくる。レクシアは、これこそが「公爵夫人としての一歩」だと思い、できるだけ上品でありながら自分らしさも感じられるようなドレスを選んだ。色は優しいクリーム色に少しだけ金糸刺繍をあしらったもので、華やかさと落ち着きを兼ね備えている。
「とても素敵です。これなら、私も気負わずに皆さまとお話しできそうです」
 鏡に映る自分の姿にそう呟くと、侍女長は安心したように微笑んだ。

 昼下がり、広々とした応接室に貴婦人方が次々と到着する。華やかな衣装をまとい、上等な香水を纏った彼女たちは、それぞれに洗練された立ち居振る舞いを見せていた。中には年配の夫人もいれば、レクシアと同世代か、あるいはもう少し年上かと思われる女性もいる。
 初めて会う人々ばかりではあるが、皆が公爵家に深い縁を持っているからか、言葉遣いは丁寧で礼儀をわきまえている。しかし――レクシアが視線を向けると、その目は興味深げにこちらを値踏みするように輝いていた。
(公爵家の新しい夫人はどんな人間なのか、確かめたいのね)
 そんな思いがひしひしと伝わってくる。レクシアは微笑を崩さず、淑女の所作でお茶を振る舞い、親愛の言葉を交わしていく。娘時代に習った社交術をここで発揮する時なのだと、自分に言い聞かせた。

 「お初にお目にかかりますわ。わたくし、マリシア・フォンブリーズと申します。伯爵家のご令嬢だとかね、ずいぶんとお美しいと噂に聞いておりましたわ」
 にこやかな表情の中にも、さりげなくこちらを観察している気配がある女性が話しかけてくる。彼女は王都近郊の辺境伯家出身で、公爵家とは古くからの婚姻関係があるらしい。
「マリシア様、はじめまして。レクシア・アングレードと申します。こうしてお会いできて光栄ですわ。まだ至らないところばかりですけれど、どうぞよろしくお願いいたします」
 レクシアが微笑んで言葉を交わすと、マリシアは「まあまあ、謙遜なさらなくても」とやわらかな笑みを返してくる。
「ところで、ダリオン様とは仲睦まじく過ごしていらっしゃるのかしら? ご結婚されてまだ日が浅いとはいえ……噂に違わぬ“公爵夫妻”をみな楽しみにしているんですのよ」
 まるで試すかのような問いかけに、レクシアは内心でたじろぐ。まだろくに話もできていないとは、口が裂けても言えない。できるだけ無難な言葉で切り抜けるしかない。
「主人はお忙しい方ですので、なかなかゆっくり過ごす機会も少ないのです。でも、きっとこれから……ね」
 曖昧に言葉を濁すと、マリシアは少し目を細め、意味深な笑みを浮かべた。
「そうですわよね。ダリオン様は王宮でも大変重要なお役目を担ってらっしゃると伺います。あまり無理をなさらず、奥様もご自愛くださいませ。今後も公爵家の行事などでお目にかかれますよう、楽しみにしていますわ」
 そう言ってマリシアはカップを置き、隣の夫人と談笑を始める。
 (ああ、これが社交界……探り合い、牽制、噂話。私はここで“公爵夫人”として振る舞わなくちゃいけないんだわ)
 改めて、伯爵家の頃とは異なる緊張感を痛感するレクシア。結婚してからまだそれほど日は経っていないのに、すでにこうして周囲から好奇の目で見られている。それでも、自分を取り巻く環境を考えれば、これが当然なのだろう。

 数時間におよんだ貴婦人たちとの歓談は滞りなく進み、最後はレクシアが「本日はありがとうございました。またの機会にお会いできますことを願っております」と述べ、来客を送り出す形となった。
 客が帰り、応接室の扉が閉まると、レクシアはどっと肩の力が抜けるのを感じる。
「お疲れでしょう。奥様、少しお休みになられては?」
 オルディスが声をかけてくれる。確かに気疲れは大きいが、こんなことで参ってしまっては先が思いやられる。レクシアは、なんとか笑みを作って首を横に振った。
「大丈夫です。これも大切なお勤めですものね。今日、わたしはちゃんと皆さまに挨拶できていたでしょうか?」
「はい。完璧でございました。皆さま、奥様の穏やかで優雅な所作に感嘆されている様子でございましたよ」
「そう……そう言っていただけるなら良かった」
 先ほどまで張りつめていた緊張が少しとけ、思わず安堵のため息が出る。もっとも、自分ではまだまだだと感じることが多かったが、これが公爵家の当主夫人としての“始まり”なのだと肝に銘じた。
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