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第2章 ――ぶどう園を見下ろす丘で――
8話
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ぶどう園の頂で――レイラの決意
小屋での休憩を終えたあと、ポーランドに案内されながら畑のさらに奥へ進んでいく。そこは小高い丘になっていて、ぶどう園全体を見渡すことができるビューポイントのような場所だ。何本ものぶどうの樹が生い茂る道を抜け、最後の傾斜を上りきると、目の前に広がるのは壮大な風景だった。
一面に広がる緑のじゅうたん。その向こうには町並みと、さらに遠くには山々が霞んでいる。太陽の光がやわらかく差し込み、ぶどうの葉を透かすと、葉脈が美しく浮かび上がった。微かな風が吹き、枝葉がさやさやと揺れる音が心地よいBGMとなる。
「わぁ……綺麗」
思わず声が漏れた。この丘の上から眺める景色は、まさに大自然の芸術のよう。前世のビル群しか知らなかった私にとっては、まるで絵画の中に迷い込んだような感覚だ。空気も澄んでいて、深呼吸すると、どこか甘い芳香が肺に広がる。
「ここがこのぶどう園でいちばん見晴らしのいい場所でして、私も朝早くから作業を始めるときなど、立ち寄っては今日一日の段取りを考えるんですよ」
ポーランドが目を細めながら、どこか慈しむように景色を見つめる。その横顔に、ぶどう園に懸ける熱い想いがにじみ出ていた。
「こんなに素敵な場所があったなんて、知らなかったわ。……ありがとう、連れてきてくれて」
自然と礼を言っていた。すると、ポーランドは慌てたように手を振って笑う。
「いえいえ、こちらこそ、お嬢様がいらっしゃると聞いたときは、正直最初は身構えていたんですよ。公爵令嬢は、ワインづくりに興味を持たれない方が多いと聞いておりましたし、何より――」
彼は言いかけてから、はっとしたように口を閉じる。おそらく「王太子との婚約破棄」の噂がすでに農民の間にも伝わっているのだろう。どのように言及すべきか悩んでいるのかもしれない。
「……ああ、婚約破棄のことなら大丈夫よ。気にしてないから。むしろ今こうして自由に動けるし、領地のことをいろいろ知るきっかけができて良かったわ」
「そ、そうですか。お嬢様がそう仰ってくださるなら……」
ポーランドは少しホッとしたような表情になる。私は微笑んで続けた。
「私はね、せっかく公爵家の令嬢なんだから、領民たちがどんな暮らしをしているか知りたいの。特に、このぶどう園はアーデルハイド領の誇りでしょう? こうして実際に見て、感じることがたくさんあるわ。私にも何か手伝えることがあればいいなと思っているの」
レイラとしての生き方を受け入れると同時に、前世から引き継いだ私自身の価値観も混ざり合っている。領地経営に深く関わるのは本来なら領主の仕事だろうけれど、こうして関心を持つだけでも、私がこの世界で果たせる役割はあるのではないかと思う。
「お嬢様……。そのお気持ちがあるだけで、私どもは大変心強いです。やはり公爵家の方が関心を寄せてくださるというのは、皆の労働意欲にも影響しますからね。……なんといいますか、もっと早くお嬢様がこの畑を見に来てくだされば良かったとも思いますよ」
「これまでは私も興味がなかったのよ。だけど、気が変わったの。今後は時間を見つけて、もっと頻繁に来ようと思ってるわ。迷惑じゃないかしら?」
「とんでもない。大歓迎ですとも!」
そのとき、風が強めに吹き、ぶどうの葉がさわさわと大きな音を立てる。生い茂る葉の向こうには、陽光を浴びて輝く房が見え隠れしていた。この光景がワインの素晴らしい香りを生むのだと思うと、感慨深いものがある。
私は視線を遠くへとやり、くすりと笑った。
「……婚約破棄されたからって、人生が終わったわけじゃない。むしろ、こんなに素晴らしい場所をまだまだ知らずにいたなんて、これからの楽しみが増えたようなものよ」
これはレイラとしての私だけでなく、前世を知る私としての本音でもある。ブラック企業で自由もなく働いていた頃とは違う。ここには豊かな自然と、人々の温もりがある。自分の意思を通して、いくらでも新しい挑戦ができる可能性を感じる。
(復讐とか見返しとか、そんな無駄なエネルギーは使わないわ。私が楽しく、そして周囲も幸せになれる道を選ぶ。それこそが、私の新しい人生)
ふと、遠くの空に白い鳥が舞っているのが見えた。大きな翼を広げ、気流に乗るようにゆったりと旋回している。その姿はどこか優雅で、まるで今の私の心を体現しているかのよう。
「ポーランドさん、今日はいろいろ教えてくれてありがとう。最後にもう少しだけ、ぶどう園を見て回ってから屋敷に戻るわね」
「はい、もちろんです。では、私もご案内いたしましょう」
ポーランドがにこりと微笑む。私はその笑顔にこたえてうなずき、丘を下りるために足を踏み出した。やや傾斜はあるが、ぶどうの樹や作業用の柵を支えにすれば危険はない。道すがら、農民たちとも軽く挨拶を交わしたり、質問をしてみたりする。彼らは最初は緊張の面持ちだったが、「お嬢様が興味を持ってくれてうれしい」と言わんばかりに目を輝かせて話してくれる人が多かった。
その様子を見ていると、自然と胸が温かくなる。婚約破棄など何のその。私には今、やりがいに満ちた道が開けているのだと感じられた。
小屋での休憩を終えたあと、ポーランドに案内されながら畑のさらに奥へ進んでいく。そこは小高い丘になっていて、ぶどう園全体を見渡すことができるビューポイントのような場所だ。何本ものぶどうの樹が生い茂る道を抜け、最後の傾斜を上りきると、目の前に広がるのは壮大な風景だった。
一面に広がる緑のじゅうたん。その向こうには町並みと、さらに遠くには山々が霞んでいる。太陽の光がやわらかく差し込み、ぶどうの葉を透かすと、葉脈が美しく浮かび上がった。微かな風が吹き、枝葉がさやさやと揺れる音が心地よいBGMとなる。
「わぁ……綺麗」
思わず声が漏れた。この丘の上から眺める景色は、まさに大自然の芸術のよう。前世のビル群しか知らなかった私にとっては、まるで絵画の中に迷い込んだような感覚だ。空気も澄んでいて、深呼吸すると、どこか甘い芳香が肺に広がる。
「ここがこのぶどう園でいちばん見晴らしのいい場所でして、私も朝早くから作業を始めるときなど、立ち寄っては今日一日の段取りを考えるんですよ」
ポーランドが目を細めながら、どこか慈しむように景色を見つめる。その横顔に、ぶどう園に懸ける熱い想いがにじみ出ていた。
「こんなに素敵な場所があったなんて、知らなかったわ。……ありがとう、連れてきてくれて」
自然と礼を言っていた。すると、ポーランドは慌てたように手を振って笑う。
「いえいえ、こちらこそ、お嬢様がいらっしゃると聞いたときは、正直最初は身構えていたんですよ。公爵令嬢は、ワインづくりに興味を持たれない方が多いと聞いておりましたし、何より――」
彼は言いかけてから、はっとしたように口を閉じる。おそらく「王太子との婚約破棄」の噂がすでに農民の間にも伝わっているのだろう。どのように言及すべきか悩んでいるのかもしれない。
「……ああ、婚約破棄のことなら大丈夫よ。気にしてないから。むしろ今こうして自由に動けるし、領地のことをいろいろ知るきっかけができて良かったわ」
「そ、そうですか。お嬢様がそう仰ってくださるなら……」
ポーランドは少しホッとしたような表情になる。私は微笑んで続けた。
「私はね、せっかく公爵家の令嬢なんだから、領民たちがどんな暮らしをしているか知りたいの。特に、このぶどう園はアーデルハイド領の誇りでしょう? こうして実際に見て、感じることがたくさんあるわ。私にも何か手伝えることがあればいいなと思っているの」
レイラとしての生き方を受け入れると同時に、前世から引き継いだ私自身の価値観も混ざり合っている。領地経営に深く関わるのは本来なら領主の仕事だろうけれど、こうして関心を持つだけでも、私がこの世界で果たせる役割はあるのではないかと思う。
「お嬢様……。そのお気持ちがあるだけで、私どもは大変心強いです。やはり公爵家の方が関心を寄せてくださるというのは、皆の労働意欲にも影響しますからね。……なんといいますか、もっと早くお嬢様がこの畑を見に来てくだされば良かったとも思いますよ」
「これまでは私も興味がなかったのよ。だけど、気が変わったの。今後は時間を見つけて、もっと頻繁に来ようと思ってるわ。迷惑じゃないかしら?」
「とんでもない。大歓迎ですとも!」
そのとき、風が強めに吹き、ぶどうの葉がさわさわと大きな音を立てる。生い茂る葉の向こうには、陽光を浴びて輝く房が見え隠れしていた。この光景がワインの素晴らしい香りを生むのだと思うと、感慨深いものがある。
私は視線を遠くへとやり、くすりと笑った。
「……婚約破棄されたからって、人生が終わったわけじゃない。むしろ、こんなに素晴らしい場所をまだまだ知らずにいたなんて、これからの楽しみが増えたようなものよ」
これはレイラとしての私だけでなく、前世を知る私としての本音でもある。ブラック企業で自由もなく働いていた頃とは違う。ここには豊かな自然と、人々の温もりがある。自分の意思を通して、いくらでも新しい挑戦ができる可能性を感じる。
(復讐とか見返しとか、そんな無駄なエネルギーは使わないわ。私が楽しく、そして周囲も幸せになれる道を選ぶ。それこそが、私の新しい人生)
ふと、遠くの空に白い鳥が舞っているのが見えた。大きな翼を広げ、気流に乗るようにゆったりと旋回している。その姿はどこか優雅で、まるで今の私の心を体現しているかのよう。
「ポーランドさん、今日はいろいろ教えてくれてありがとう。最後にもう少しだけ、ぶどう園を見て回ってから屋敷に戻るわね」
「はい、もちろんです。では、私もご案内いたしましょう」
ポーランドがにこりと微笑む。私はその笑顔にこたえてうなずき、丘を下りるために足を踏み出した。やや傾斜はあるが、ぶどうの樹や作業用の柵を支えにすれば危険はない。道すがら、農民たちとも軽く挨拶を交わしたり、質問をしてみたりする。彼らは最初は緊張の面持ちだったが、「お嬢様が興味を持ってくれてうれしい」と言わんばかりに目を輝かせて話してくれる人が多かった。
その様子を見ていると、自然と胸が温かくなる。婚約破棄など何のその。私には今、やりがいに満ちた道が開けているのだと感じられた。
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