婚約破棄された幼い公爵令嬢、目覚めたら絶世の美女でした

鍛高譚

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第1章:婚約破棄と幼き公爵令嬢

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王宮の大広間は、豪華なシャンデリアがいくつも連なり、たっぷりとした光の海を作り出していた。白い大理石の床は磨き上げられ、まるで鏡のように人々の姿を映し出している。部屋の中央には、数多くの貴族たちが三々五々に集まり、優雅に談笑を交わし合っていた。その中には、華やかなドレスをまとい、胸を張る淑女たちの姿もあれば、彼女たちをエスコートする騎士や貴族の男性たちもいる。
 だが、その華麗なる世界を象徴するかのような光景をよそに、そこにはどこか張り詰めた空気が漂っていた。今日は、かねてより噂になっていた“公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク”と“グラント侯爵家嫡男ライオネル・グラント”との正式な婚約発表――もしくは、それに関連する重大な発表が行われると噂されていたからである。

 エルフィンベルク公爵家は、王国の中でも屈指の地位と財力を誇る名門だった。歴史ある家柄でありながら、権威に奢ることなく国に仕える一族として、王室からの信頼も厚い。そして、その公爵家の令嬢として生まれたシルフィーネは、外見こそ幼く小柄であるものの、その可憐さと聡明さで多くの貴族から将来を嘱望されていた。
 しかし、彼女はまだ十六の年若い少女。貴族の社交界ではもう少し大人びた装いをする者もいるが、シルフィーネの場合、愛らしさを前面に押し出しているわけでもないのに自然と“あどけない”印象を与えてしまう。そのため、一部の若い男性貴族からは「可愛らしい人だ」と評判を得ていたが、一方では「子供っぽい」「恋愛対象には見えない」と揶揄されることもあった。

 グラント侯爵家の嫡男ライオネルは、まだ二十歳そこそこと若いものの、武勇と知略に優れ、王宮でも評価の高い青年だった。その整った容姿や社交界での巧みな言動、さらには高貴な家柄も相まって、常に女性たちの注目を集めている。
 そんな彼とシルフィーネの婚約は、国中の話題と言っても過言ではなかった。公爵家と侯爵家――どちらも名家であるが、シルフィーネの家は特に王家に近い存在。一方のライオネルも、母方が王族に連なるという立場を持つ。この二人が結びつくことは、家同士の結びつきを強固にし、双方にとって大きな利益をもたらすと見られていた。
 それに、ライオネルはシルフィーネに対して以前から「美しい花が咲くのを待つように、君の成長を見守りたい」と言っていたという噂もあり、“微笑ましい結びつき”として、貴族の間では好感を持って語られていたのだ。

 しかし――その噂話を根こそぎ覆すかのように、今日の王宮では不穏な囁きが飛び交っていた。
 「どうやら、正式な婚約発表ではなく、何か別の発表があるらしい」
 「ライオネル様が、最近新しい愛人と噂されている方を伴ってくるらしい」
 「まさか、婚約破棄などということは――」
 ざわざわと人々の間で交わされる言葉は、まるで嵐の前の静けさを想起させる。誰もが、詳細は分からぬまま、ただ胸騒ぎを感じていた。

シルフィーネ自身も、その胸の奥に言いようのない不安を抱えながら、控室で待機していた。ドレスの裾を持ち上げて立ち上がり、鏡の前で最後の身支度を整える。本人は特に贅沢を好むわけではないが、公爵令嬢としての責務を果たすため、薄い桜色のシルクドレスを纏い、肩には繊細なレースがかかっている。背中から腰のラインにかけては緩やかに絞られ、小柄な身体を一層引き立てるデザインだ。
 鏡に映る自分の姿を見つめながら、彼女は胸の奥で何度か深呼吸を繰り返す。自分はまだ十六歳。今の外見だって、周囲から子供っぽいと思われているのではないか――そんな不安は常にあった。
 だが、今日は特にその思いが強い。最近のライオネルの態度がどこか冷たい。以前は微笑を絶やさず、優しい言葉をかけてくれたのに。昔は一緒にお茶会を開いたり、本を貸し借りしたりと、そこそこ良好な関係だったはず。けれど、ここ数ヶ月、彼はシルフィーネを避けるようになり、会話も素っ気ない。まるで彼女の存在自体がわずらわしいものだとでも言わんばかりだった。
 (私、何か彼に嫌われるようなことをしたかしら……)
 記憶を遡っても、心当たりはない。もちろん、貴族としてのマナーを欠くような失態も犯していないし、ライオネルとの約束を破ったこともない。そもそも彼は、シルフィーネがまだ幼い頃から「将来が楽しみだ」と言ってくれていた相手なのだ。
 ――それなのに、今この胸騒ぎは何なのだろう。
 シルフィーネは、不安をかき消すようにもう一度深呼吸すると、侍女の手を借りてドレスのしわを整え、ヘアアクセサリーを確認した。冠ではなく、花をモチーフにした銀細工の飾りを髪にそっと差している。鏡を見れば、そこには凜と立つ一人の少女が映っていた。
 「大丈夫……。私は私らしく、堂々としていればいい」
 口に出した途端、少しだけ気持ちが落ち着くような気がした。これから何が起こっても、エルフィンベルク公爵家の名に恥じぬよう、矜持をもって振る舞う。それがシルフィーネの生き方だ。

 そうして彼女が大広間へと足を踏み入れた時、そこにいた多くの貴族たちの視線が一斉に注がれた。
 「おや、あれがエルフィンベルク家の令嬢か。小鳥のように可憐だな」
 「ドレスの色合いが愛らしいわ。まるで春の花のよう」
 そんな好意的な囁きもあれば、
 「子供っぽい……もう少し大人っぽく振る舞えないのかしら」
 「年齢を考えれば仕方ないけれど、ライオネル様には少し釣り合わない気もする」
 などという厳しい意見も聞こえてくる。シルフィーネはそれらを耳にしつつも、表情を崩さない。顔に笑みを湛えながら、来客へ礼を示し、丁寧な言葉をかけていく。
 このような社交の場において、表情や態度は自分自身の評価に直結する。ましてや今日のように“婚約”に関わる大事な場では、余計に失態は許されない。
 周囲の貴族たちは、彼女の可憐な立ち居振る舞いに感心する者も多かった。決して怯むことなく、むしろあどけない風貌とは裏腹に、落ち着いた雰囲気を漂わせているからだ。
 一方で、彼女を迎えたはずのライオネルは、なぜかその場におらず、別室で待機しているという。今日の主役が顔を揃えないことに、来客も薄々感じるものがあった。
 (何かがおかしい。正式な婚約発表なら、どうしてライオネル様はここにいないの?)
 シルフィーネはそう思いつつも、表向きは微笑みを絶やさず、談笑する貴族たちに挨拶をして回る。ほどなくして、王宮の侍従が大きく声を張り上げて宣言した。
 「皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。まもなく、グラント侯爵家の嫡男ライオネル・グラント様がいらっしゃいます。どうぞ、中央の方へお集まりくださいませ」
 そして人々は、大広間の中央に作られた小さな壇の前に集まっていく。シルフィーネも侍女を伴いながら壇の正面へと移動し、ライオネルを待ち構える形になった。
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