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7章
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しおりを挟む夕刻、橙色に染まる空を背景に、シルフィーネの乗った馬車が王宮の正門をくぐる。王宮の兵士たちは整然と並んで敬礼し、エドワルド王太子の側近が出迎えてくれた。とはいえ、大々的な行事ではないので、多くの人々が詰めかけているわけではなく、むしろ静かなものだ。
「閣下は、庭園の奥に設えたテーブルにお待ちです。令嬢お一人では不安でしょうし、お付きの方がいれば同伴していただいて構いません」
そう案内されて、シルフィーネは侍女の一人と共に庭園へと足を進める。この庭園は大きな噴水や色とりどりの花壇が有名で、夕日の下では金色に輝くように美しい。まるで別世界のような静寂の中、遠くから鳥のさえずりが聞こえてくる。
やがて、樹木の合間に小さなテーブルと椅子が見えてきた。その脇にはエドワルドが立ち、こちらを待ち受けている。気づいた彼は笑みを浮かべて手を振り、周囲の護衛らしき人々を下がらせた。
「来てくださって嬉しい、シルフィーネ令嬢。今日はこちらの都合で急なお誘いになってしまい、申し訳ありません」
「いえ、閣下こそお忙しい中ありがとうございます。私も、もう少しお話したいと思っていましたから」
互いに礼を交わし、椅子に腰掛ける。そばには王太子付の侍女がいて、丁寧に紅茶を注いでくれた。テーブルの上には焼き菓子や果物が並んでおり、軽いティータイムを楽しめるよう準備されている。
エドワルドはシルフィーネの表情を伺い、「体調はいかが?」と真っ先に問いかける。
「ええ、問題ないです。ありがとうございました。こうして王宮へ来るなんて久しぶりなので、少し新鮮ですね」
「そう言っていただけると安心です。無理はしていないでしょうか。もし何かあれば、すぐにでも休んでくださって構いませんからね」
相変わらずの気遣いぶりに、シルフィーネは胸が温かくなる。政略結婚の相手にこんな柔らかな優しさを向けられる日が来るとは思わなかった――ライオネルとの決定的な違いを、また一つ感じる瞬間だ。
そこからしばらくは、雑談のような会話が続いた。エドワルドが昨晩出席した宮廷晩餐会の話や、シルフィーネが最近読んだというノルディア王国の歴史書についての感想など、互いに自然な形で盛り上がる。視線を交わすたび、微妙なときめきがシルフィーネの胸を刺激する。
そんな中、ふとエドワルドが真剣な表情になり、声を少し落として言った。
「シルフィーネ令嬢、あなたのご体調が許す限り、近いうちに正式な形で“婚約”の儀式を執り行うことを、私は強く望んでいます。……もちろん、あなたの意思が最も大切です。嫌であれば、私はどんなに周囲から急かされても、あなたを追い詰めるようなことはしたくありません」
「……え?」
まさかここで“婚約”の話が出るとは思っていなかったシルフィーネは、一瞬声を失う。確かに“政略結婚”がゴールにあるのは分かっているが、あまりにも早すぎないだろうか。
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたね。けれど、私も時期を急いでいるわけではありません。ただ、私ははっきりと“あなたが欲しい”と思っている。国や政治のことを抜きにしても、私はあなたが好きだ――」
息をのむシルフィーネの前で、エドワルドは言葉を切り、少し照れたように苦笑する。
「こんなこと、初対面から二度三度会っただけで言うなんて、軽率かもしれません。でも、あなたとお話ししていると、すごく自然な気持ちになれるんです。私も王太子である前に、一人の男性ですから。あなたを見ていると、胸の奥が熱くなる。これが“恋”というものだと知ったのは、生まれて初めてかもしれません」
“溺愛”とも言えるほどの強烈なアプローチが、シルフィーネの心を大きく揺さぶる。言葉に詰まっている彼女を見て、エドワルドはさらに言い足した。
「急がなくていい。あなたに迷いがあるなら、ゆっくり考えてもらって構わない。――ただ、私はあなたを心から尊敬し、愛おしく思っている。それだけは、どうか覚えていてください」
政略結婚の域をはるかに越えた“愛の告白”とも受け取れる言葉。シルフィーネは顔が熱くなるのを感じ、テーブルに置かれたティーカップを思わず手に取るが、震えて少しこぼれてしまう。
慌てて侍女が拭き取り、エドワルドも「大丈夫か?」と声をかける。その時、シルフィーネはようやく「落ち着かないと」と深呼吸し、目を閉じる。
(本当に……こんな形で。私はまだ、心の準備ができていない。だけど、彼が真摯に想いを向けてくれるのは、すごく……嬉しい)
いつか、ライオネルが当初見せていた優しさとはまったく別の重みを感じる。ライオネルは“子供っぽいお人形”としてしか自分を見なかった。だが、エドワルドは“自分という人間”を見つめ、尊重している。それがわずか数度の対面でそこまで強く芽生えてしまうとは、今でも信じ難いが、彼の瞳は嘘をついていない。
おそるおそる口を開き、シルフィーネは低い声で答える。
「……ありがとうございます。私も、エドワルド閣下と話していると、胸が温かくなるのを感じます。だけど、正直なところ、まだ恐いんです。以前の婚約破棄で傷ついたことや、意識不明だった時のことが、心にしこりのように残っていて……」
言葉が詰まると、エドワルドは静かに手を伸ばし、テーブル越しに彼女の手の甲に触れそうになる。だが、ギリギリで止め、そうっと微笑む。
「分かります。無理はさせません。ですから、「焦らず、私をもっと知ってください。それから、もしあなたの中で“私なら大丈夫”と思ってもらえたら、その時に婚約を受けてくれれば……」
シルフィーネはこくんと頷く。ここで「はい、喜んで」と言えるほど大胆ではないが、拒否する気持ちもなかった。――自分に対してここまで誠実に向き合う王太子がいるという現実に、まだ頭が追いついていないだけだ。
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