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第1章 ――「みそっかす孤児の名」――
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そんな日々だったが、ある日の朝、いつものようにシスターの呼びかけで子供たちがホールに集められたとき、私は少しだけ奇妙な空気を感じた。なにやら大人たちがざわついている。男性の声が聞こえるので、誰か貴族が来ているのだろうというのはすぐにわかった。
孤児院には、たまに寄付をするために貴族や商人が訪れることがある。冬が始まる前に毛布を持ってきてくれたり、年に一度のお祭り前にお菓子を配ってくれたり。そんなときは決まってみんな、玄関ホールに整列して頭を下げるのが習わしだった。だから、私も他の子供たちと同じようにそれをしなければならない。たとえ相手に何かを期待できなくても、礼儀作法の訓練だとシスターは言う。
そこで私は聞いた。
「今日はどんな方が来ているんですか……?」
私の小さな声はシスターに届いたらしく、彼女はちらりと私を見て短く答えた。
「伯爵様です。……失礼のないように、ね。」
伯爵様。孤児院を訪れる方の中でも、伯爵はかなりの高貴な身分だ。大抵は地域の下級貴族や商人だったから、伯爵の来訪は年に一度あるかないかだろう。もしかすると、何か大きな寄付をしてくれるのかもしれない。周囲の子供たちにも期待感が広がる。
――そんな中、私は違和感を覚えた。ホールの入口に立つシスターと、奥の部屋へ案内される伯爵と思しき男性と、その側仕えだろうか、若い女性が見える。その伯爵は初老に近い年齢だが、品のいいスーツを身につけ、貴族らしく姿勢が美しい。貴族様といえば、皆そうした気品を漂わせているものだ。
ただ、伯爵は薄く微笑みながらも、どこか思案げな様子を見せていた。連れの若い女性のほうが、意気揚々と先を歩いているように見える。彼女はおそらくメイドか侍女なのだろうが、その女性がじろりとこちらを見る。そのとき、視線が合った私の胸はぎゅっと締まるような痛みを覚えた。
「……あの子?」
唇の動きだけでそう言っていたように見えた。
私は慌てて目をそらし、他の子供たちの後ろへ回り込む。こんな私に注目されるはずがない。だから、勘違いだろう――そう思いたかった。
やがて伯爵と侍女は院長室へ向かっていき、孤児たちはホールに取り残される。突然の来訪にわずかに混乱していたが、年長の少年たちは「寄付に来たんだろ」「もしかしたら誰かが引き取られるかもな」などとひそひそ話を始めた。私には関係ない話だ。すでに何年も引き取り手がいないのだ。今さら貴族に選ばれるなど、そんなご都合のいい話があるわけもない。
――しかし、その日は違った。
しばらくして、院長の声が孤児院の全体に響く。ホールから続く階段を降りてきた院長は、子供たちを上から見下ろして、息をつくように言った。
「皆、聞いておくれ。……このたび、エドラー伯爵家からお話があって……うちの孤児をひとり、養女として迎えたいとのことだ。伯爵様から選びたいと仰せなので、皆、失礼がないように振る舞うように。」
たちまち孤児たちの間にさざめきが走る。誰が選ばれるのか。どんな基準なのか。もし選ばれれば、こんな孤児院を出られるのだから、夢のような話だ。伯爵家ともなれば、育てられる環境も段違いにいいはずだ。暖かい食事とベッド、綺麗な服、もしかしたら立派な勉強もさせてもらえるかもしれない。そんな甘い期待が子供たちの胸を膨らませる。
だが、私はどうせ自分が選ばれるわけがないとわかっていた。選ばれる子供は美しく、愛嬌があり、そしてある程度の年齢に達していなければならない。私は容姿に自信があるわけでもなく、積極的におしゃべりができるわけでもない。孤児院の中でも“みそっかす”と呼ばれているのだ。伯爵家の目に止まるなんてありえない。私は、胸のうちで「ああ、そっか」と、ほんの少しだけ残念に思いながら、そう諦めた。
孤児院には、たまに寄付をするために貴族や商人が訪れることがある。冬が始まる前に毛布を持ってきてくれたり、年に一度のお祭り前にお菓子を配ってくれたり。そんなときは決まってみんな、玄関ホールに整列して頭を下げるのが習わしだった。だから、私も他の子供たちと同じようにそれをしなければならない。たとえ相手に何かを期待できなくても、礼儀作法の訓練だとシスターは言う。
そこで私は聞いた。
「今日はどんな方が来ているんですか……?」
私の小さな声はシスターに届いたらしく、彼女はちらりと私を見て短く答えた。
「伯爵様です。……失礼のないように、ね。」
伯爵様。孤児院を訪れる方の中でも、伯爵はかなりの高貴な身分だ。大抵は地域の下級貴族や商人だったから、伯爵の来訪は年に一度あるかないかだろう。もしかすると、何か大きな寄付をしてくれるのかもしれない。周囲の子供たちにも期待感が広がる。
――そんな中、私は違和感を覚えた。ホールの入口に立つシスターと、奥の部屋へ案内される伯爵と思しき男性と、その側仕えだろうか、若い女性が見える。その伯爵は初老に近い年齢だが、品のいいスーツを身につけ、貴族らしく姿勢が美しい。貴族様といえば、皆そうした気品を漂わせているものだ。
ただ、伯爵は薄く微笑みながらも、どこか思案げな様子を見せていた。連れの若い女性のほうが、意気揚々と先を歩いているように見える。彼女はおそらくメイドか侍女なのだろうが、その女性がじろりとこちらを見る。そのとき、視線が合った私の胸はぎゅっと締まるような痛みを覚えた。
「……あの子?」
唇の動きだけでそう言っていたように見えた。
私は慌てて目をそらし、他の子供たちの後ろへ回り込む。こんな私に注目されるはずがない。だから、勘違いだろう――そう思いたかった。
やがて伯爵と侍女は院長室へ向かっていき、孤児たちはホールに取り残される。突然の来訪にわずかに混乱していたが、年長の少年たちは「寄付に来たんだろ」「もしかしたら誰かが引き取られるかもな」などとひそひそ話を始めた。私には関係ない話だ。すでに何年も引き取り手がいないのだ。今さら貴族に選ばれるなど、そんなご都合のいい話があるわけもない。
――しかし、その日は違った。
しばらくして、院長の声が孤児院の全体に響く。ホールから続く階段を降りてきた院長は、子供たちを上から見下ろして、息をつくように言った。
「皆、聞いておくれ。……このたび、エドラー伯爵家からお話があって……うちの孤児をひとり、養女として迎えたいとのことだ。伯爵様から選びたいと仰せなので、皆、失礼がないように振る舞うように。」
たちまち孤児たちの間にさざめきが走る。誰が選ばれるのか。どんな基準なのか。もし選ばれれば、こんな孤児院を出られるのだから、夢のような話だ。伯爵家ともなれば、育てられる環境も段違いにいいはずだ。暖かい食事とベッド、綺麗な服、もしかしたら立派な勉強もさせてもらえるかもしれない。そんな甘い期待が子供たちの胸を膨らませる。
だが、私はどうせ自分が選ばれるわけがないとわかっていた。選ばれる子供は美しく、愛嬌があり、そしてある程度の年齢に達していなければならない。私は容姿に自信があるわけでもなく、積極的におしゃべりができるわけでもない。孤児院の中でも“みそっかす”と呼ばれているのだ。伯爵家の目に止まるなんてありえない。私は、胸のうちで「ああ、そっか」と、ほんの少しだけ残念に思いながら、そう諦めた。
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