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第2章 ――「化け物公爵との縁談」――
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伯爵家に引き取られてから、半月ほどが経った。
エドラー家の屋敷での生活に、私はまだまったく慣れたとはいえなかったが、それでも当初に比べると、少しずつ屋敷内の作法や人々の顔を覚え始めていた。何より孤児院のような質素な環境と違い、ここでは毎日三度の食事がきちんと与えられ、寝起きする部屋も整えられている。そういった意味では、生活水準は格段に上がったと言えた。
しかし、快適な生活が手に入ったからといって、私が幸せだと感じているかというと――正直、そうとは言い切れない。
伯爵夫妻やその娘エミリアは、私を「養女」と呼びはするものの、まるで下僕のように扱うことが多かった。命令口調こそ控えているが、その本心が透けて見えるような冷たい視線、時折投げかけられる辛辣な言葉の数々は、孤児院でいじめられていた経験を思い出させる。
とりわけエミリアは、私を疎ましく思っているのが露骨だった。
「みそっかす孤児のくせに、この家で暮らさせてあげてるんだから感謝しなさい」
そんな言葉を私が耳にするのは、一日に一度や二度ではない。
使用人たちの態度も、お世辞にも温かいとは言えなかった。
――もっとも、彼らからすれば、突然どこの馬の骨とも知らない孤児が「伯爵家の養女」としてやってきたのだから、面白くないのは当然だろう。
「あんな子、いったい何の役に立つのかしら」「伯爵様も変わった趣味がおありね」
聞こえよがしにそう囁かれるのには、もう慣れてしまった。むしろ、その程度の陰口なら可愛いものだとすら思えてくる。
そんな中で、唯一まともに口を利いてくれるのは、侍女のキャロルという女性だった。
二十代半ばくらいの、茶色い髪を後ろできっちりまとめた落ち着いた印象の女性で、伯爵夫人に仕えているらしい。夫人が私を呼び出すときは、たいていこのキャロルが使いにやって来る。最初は「あまり近づきたくない」とでも言いたげなよそよそしさを感じたが、私が素直に作法を学ぼうとすると、キャロルは根気強く教えてくれた。
――もっとも、その優しさは無償ではない、とも思っている。
キャロル自身も、伯爵夫人という主に仕えている以上、私をいびるのは本意ではないが、そうしなければ立場が危うくなる……という苦しい事情があるのだろう。私への態度が微妙に揺れるのは、その葛藤ゆえなのかもしれない。
そんな折、ある日の午後。私は伯爵夫人に命じられ、居間の掃除をしていた。
本来なら使用人の仕事だが、私は“養女”という立場にありながら、こうした雑用を押し付けられることが多い。おそらく「貴族の作法を教えるより先に、まずは奉仕の精神を学べ」とでも考えているのだろう。
豪華な装飾の施されたサイドボードや、細工の細かいテーブルを布巾で拭きながら、私は孤児院時代にも増して気を遣うようになった。なぜなら、ほんの少しでも傷をつけたらどんな罰が待っているかわからないからだ。
やがて、一通り掃除を終えたころ、居間の扉が開いてキャロルが顔を出した。
「ノイン。奥様があなたをお呼びよ。急いで応接室に来なさいって。」
相変わらず冷たい響きだが、私は「はい」と素直に答え、用具を片付けてから廊下を小走りに進む。心臓が少しだけ高鳴る。夫人が私を呼び出すときは、たいてい嫌な予感がするからだ。
エドラー家の屋敷での生活に、私はまだまったく慣れたとはいえなかったが、それでも当初に比べると、少しずつ屋敷内の作法や人々の顔を覚え始めていた。何より孤児院のような質素な環境と違い、ここでは毎日三度の食事がきちんと与えられ、寝起きする部屋も整えられている。そういった意味では、生活水準は格段に上がったと言えた。
しかし、快適な生活が手に入ったからといって、私が幸せだと感じているかというと――正直、そうとは言い切れない。
伯爵夫妻やその娘エミリアは、私を「養女」と呼びはするものの、まるで下僕のように扱うことが多かった。命令口調こそ控えているが、その本心が透けて見えるような冷たい視線、時折投げかけられる辛辣な言葉の数々は、孤児院でいじめられていた経験を思い出させる。
とりわけエミリアは、私を疎ましく思っているのが露骨だった。
「みそっかす孤児のくせに、この家で暮らさせてあげてるんだから感謝しなさい」
そんな言葉を私が耳にするのは、一日に一度や二度ではない。
使用人たちの態度も、お世辞にも温かいとは言えなかった。
――もっとも、彼らからすれば、突然どこの馬の骨とも知らない孤児が「伯爵家の養女」としてやってきたのだから、面白くないのは当然だろう。
「あんな子、いったい何の役に立つのかしら」「伯爵様も変わった趣味がおありね」
聞こえよがしにそう囁かれるのには、もう慣れてしまった。むしろ、その程度の陰口なら可愛いものだとすら思えてくる。
そんな中で、唯一まともに口を利いてくれるのは、侍女のキャロルという女性だった。
二十代半ばくらいの、茶色い髪を後ろできっちりまとめた落ち着いた印象の女性で、伯爵夫人に仕えているらしい。夫人が私を呼び出すときは、たいていこのキャロルが使いにやって来る。最初は「あまり近づきたくない」とでも言いたげなよそよそしさを感じたが、私が素直に作法を学ぼうとすると、キャロルは根気強く教えてくれた。
――もっとも、その優しさは無償ではない、とも思っている。
キャロル自身も、伯爵夫人という主に仕えている以上、私をいびるのは本意ではないが、そうしなければ立場が危うくなる……という苦しい事情があるのだろう。私への態度が微妙に揺れるのは、その葛藤ゆえなのかもしれない。
そんな折、ある日の午後。私は伯爵夫人に命じられ、居間の掃除をしていた。
本来なら使用人の仕事だが、私は“養女”という立場にありながら、こうした雑用を押し付けられることが多い。おそらく「貴族の作法を教えるより先に、まずは奉仕の精神を学べ」とでも考えているのだろう。
豪華な装飾の施されたサイドボードや、細工の細かいテーブルを布巾で拭きながら、私は孤児院時代にも増して気を遣うようになった。なぜなら、ほんの少しでも傷をつけたらどんな罰が待っているかわからないからだ。
やがて、一通り掃除を終えたころ、居間の扉が開いてキャロルが顔を出した。
「ノイン。奥様があなたをお呼びよ。急いで応接室に来なさいって。」
相変わらず冷たい響きだが、私は「はい」と素直に答え、用具を片付けてから廊下を小走りに進む。心臓が少しだけ高鳴る。夫人が私を呼び出すときは、たいてい嫌な予感がするからだ。
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