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第3章 ――「呪われた公爵の素顔」――
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――そして、三日後。
朝早くから私はキャロルとともに支度を始めた。婚約の儀に出席するため、フェルディナンド公爵の迎えの馬車がやって来るからだ。ドレスを着付け、簡単な化粧を施し、髪をまとめる。
鏡に映る自分の姿は、まだどこかぎこちない。何度やっても落ち着かず、胸の鼓動が早まる。孤児院時代には考えられなかった華やかな衣装――と言っても、よく見るとほつれ痕を繕った痕跡や色褪せは否めないが、それでも私にとっては十分すぎるほどだった。
仕上げに、キャロルがスカーフのようなものを首元に巻いてくれる。これは元々ドレスの一部ではなかったらしいが、襟の破れを隠すためにアレンジしたのだという。
「どうかしら。少しは“貴族の娘”らしく見えるようになったと思うけれど……」
キャロルの声に私はこくんと頷き、恐る恐る「ありがとうございます……」と呟いた。
そのとき、部屋の外から使用人が声を上げる。「公爵家の馬車が到着しました!」
私はぎゅっと拳を握る。これで、本当に行くのだ。フェルディナンド公爵のいる場所へ。
(こわい。でも……やるしかない。)
玄関ホールへ向かうと、エドラー伯爵と夫人、そしてエミリアが待ち構えていた。夫人は私の姿を見て、鼻で笑う。
「ずいぶんと安っぽいドレスね。でもまあ、あの化け物にはお似合いかしら。さあ、行きなさい。恥だけはかかないようにね。」
エミリアもどこか薄ら笑いを浮かべている。伯爵は一言も口を開かず、わずかに眉をひそめているだけだ。私には「もう用は済んだ」という雰囲気がありありと伝わってくる。
私は何も言わず、馬車に乗せられた。従者は一人だけついてくるらしいが、伯爵家の人間ではなく、公爵家から派遣された騎士という話だ。つまり、エドラー家は私を公爵へ丸投げするつもりなのだ。どこまでも冷たい扱いに、内心では涙が出そうになるが、私はぐっと堪えるしかなかった。
馬車が走り出し、見慣れぬ街の景色を通り過ぎながら、一時間ほど経っただろうか。大きな門を抜けると、広大な敷地が目の前に広がる。遠くに見える城館のような荘厳な建物が、フェルディナンド公爵の邸宅なのだろう。周囲には厳重な警戒を窺わせる兵士の姿があり、“化け物公爵”と噂されるだけあって、他の貴族の屋敷とは雰囲気が異なる。
門をくぐった途端、敷地内には庭園が広がっているのが見えた。手入れの行き届いた木々や花壇が整然と並び、正面には噴水が噴き上がっている。ここまで美しく造り込まれた庭を見て、私は少しだけ意外な気がした。
(公爵閣下の屋敷なのに、こんなに綺麗なんだ。化け物だから、もっと荒れ果てているのかと思ってた……)
馬車が石畳の広場で停まると、先導していた騎士が扉を開けてくれる。外へ足を降ろすと、冷んやりとした風が緊張を冷やすように感じられた。
玄関前には、複数の使用人らしき人々が整列していた。その中央に、見覚えのある異様な姿――フェルディナンド公爵が立っている。彼はあの日と同じく、角と鱗を持つ体で、深い色のマントを身につけていた。
私が一礼すると、公爵は小さく顎を引いて応じる。鋭い瞳が私のドレスを一瞥し、ほんのわずかに目尻が動いた気がしたが、その感情を読み取ることはできない。
「……ご足労だったな、ノイン。婚約の儀の準備は、すでに整えてある。これから礼拝堂へ案内しよう。」
低い声でそう言うと、公爵は踵を返す。私も慌てて後を追った。
屋敷の中へ踏み入れると、内装は外観に負けず劣らず壮麗だった。大理石の床と漆喰の壁には、神話を描いた絵画や紋章が飾られている。天井は高く、数多くのシャンデリアが光を放っていた。
(こんなに豪華な空間……私なんかがいていいのかな……)
圧倒されそうになるのを必死で堪える。公爵と数人の使用人、そして護衛の騎士たちに囲まれながら廊下を進むうち、やがて重々しい扉の前で立ち止まった。扉には巨大な紋章が刻まれており、二人の兵士が扉を左右に押し開く。中からは神聖な空気が流れ出るように感じた。ここが礼拝堂なのだろう。
礼拝堂の中へ入ると、外の華やかさとは対照的に、厳粛な雰囲気が漂っていた。高い天井にステンドグラスがはめ込まれ、差し込む光が床に色とりどりの模様を描いている。祭壇の前には神官らしき人物が立ち、その隣には控えめな衣服を纏った数人の神職者が並んでいた。
フェルディナンド公爵は祭壇へ進み、私に手で合図する。私は緊張で足元がふらつきそうになりながらも、公爵の隣へと歩み寄った。
神官が無表情のまま私たちを見つめ、静かな声で言葉を告げる。
「フェルディナンド・イシュタール・フェルディナンド公爵殿下。そして、ノイン・エドラー……。汝らは本日、この場において婚約の誓いを結ぶことを望むか?」
公爵が深く頷き、低い声で答える。
「望む。」
私の番だ。声を出さなければ。――恐怖と不安が入り混じる中、勇気を振り絞るようにして答えた。
「……の、望みます……。」
その瞬間、神官が厳かな調子で聖句を唱え始める。声が礼拝堂の天井にこだまし、私は背筋が伸びる思いだった。
そして、儀式の一環として、公爵が左手を差し出した。鱗に覆われた大きな手。私は躊躇いながらも、右手でそっと重ねる。ざらりとした鱗の感触に背筋がぞくりとしたが、同時にどこか体温を感じた。やはり生きている――当たり前だが、彼も人間なのだ。
「……」
公爵は無言のまま、私の手を軽く握り返す。すると、神官がさらに祝福の言葉を述べた。
「これより汝らは、神と皆の前に、真に結ばれる約束を交わす。いずれ正式な婚姻の儀を行うまで、その約束を貫き通すことをここに誓うか?」
公爵が目を閉じ、静かに頷く。私も、それに合わせて頷いた。本当はどうすることもできない立場なのだが、少なくともここで拒否するわけにはいかない。私は自分の運命に身を委ねるしかなかった。
短い沈黙の後、神官が両手を広げて宣言する。
「フェルディナンド公爵閣下とノイン・エドラーの婚約は、神の御前において正式に承認された。……神の祝福を。」
やわらかな拍手が礼拝堂に響く。公爵の使用人や護衛らしき者たち、そして神職者たちが拍手を送っている。それが何の感情からの拍手なのか、私には判断がつかない。ただ、儀式の建前として行っているだけかもしれない。
一方、公爵は相変わらず仏頂面で、感情の波を一切見せなかった。私は不安を抱えながらも、少なくとも儀式は滞りなく終わったのだ、と安堵する。――これで、私の立場は“公爵家の婚約者”として公に認められた。今後はエドラー家ではなく、フェルディナンド公爵の庇護の下で生きることになる……はずだ。
儀式が終わると、神官たちはすぐに退席し、礼拝堂に残ったのは私と公爵、そして彼の護衛や侍女ら数名だけになった。重々しい空気が漂う中、公爵は私の方に向き直る。
「……無事に終わったな。これで、お前は正式に“わたしの婚約者”だ。……ノイン。」
初めて、彼が私の名を呼んだ気がする。私は思わず息を詰まらせたが、なんとか声を出した。
「は、はい……ありがとうございます。」
「礼を言うのは、こちらのほうかもしれんな……。誰も嫁ごうとせん相手に、こうして来てくれたのだから。」
低く落ち着いた声音。どこか自嘲が混じっているようにも聞こえた。
(やっぱり、公爵閣下は、あの外見のせいで誰からも避けられているんだ……。)
そんな思いが頭をよぎる。外見だけを理由に拒絶されるのは、孤児院時代に“みそっかす”と呼ばれた私からすれば、人ごとと思えない。どれほど辛い気持ちを抱えているのだろう――と思う反面、まだ彼がどんな人か全く掴めていないのも事実だ。
公爵はわずかに視線を落とし、私のドレスを見下ろした。そして、一瞬だけ眉間に皺を寄せる。
「そのドレス……着古されているな。」
素直な感想だと思うが、言われた私の胸にはちくりと痛みが走る。「みすぼらしい」と言われるのでは、と身構えたが、公爵の口調には非難や侮蔑の色が感じられない。むしろ、少しだけ心配そうだ。
「……お前の身体に合っているようには見えん。伯爵家がお前にふさわしい衣装を用意しなかったのか?」
その問いに、私はどう答えていいかわからず困惑する。正直に言えば、伯爵家は私を“身代わり”としか思っていないから、ちゃんとした衣装など用意してくれなかったのだ。だけど、それを公爵に告げるのも気が引ける。
「えと……あの、いろいろと……急だったので。」
消え入りそうな声で誤魔化すと、公爵は何も言わずに頷く。そして、後ろに控えていた執事らしき老人に目をやった。
「ラドクリフ。至急、この娘に合う衣装と、侍女を用意してやれ。……本来なら、わたしの花嫁として相応しい支度をさせなければならんだろう。」
淡々とした口調だったが、その言葉に私は思わず目を見開く。まさか、“花嫁として相応しい支度”なんて考えてくれるとは思っていなかった。
執事のラドクリフと呼ばれた老人は恭しく一礼する。
「かしこまりました、公爵閣下。ノイン様のご身分にふさわしいお部屋と衣装を手配いたしましょう。」
「頼む。……それと、こいつが慣れるまでの間、余計な口出しは無用だ。お前たちもわかっているな。」
公爵が護衛や侍女たちに目をやると、皆静かに頷き、礼拝堂から退室していく。
私には、何が起こっているのかよく分からない。ただ、公爵は当然のように私を“自分の婚約者”として扱い、必要なものを与えようとしている。それが私には、不思議なくらい新鮮だった。
礼拝堂を出たあと、公爵は私に向き直り、少しだけ遠慮がちに言う。
「……わたしは、領内の巡回や政務が多く、屋敷にいないことが多い。結婚の儀までの間は、この屋敷で自由に過ごしてくれて構わない。もし困ったことがあれば、ラドクリフか侍女たちに言えばいい。」
「は、はい……。ありがとうございます……。」
たどたどしく答える私に、公爵は「そうか」と頷き、遠くを見やるようにして淡々と続ける。
「わたしの姿が怖いか? ……好きでこのようになったわけではないが、慣れぬ者には耐えがたいだろう。」
その声にはどこか諦観が混じっていた。きっと、これまで数多くの“拒絶”を受けてきたのだろう。
私は改めて公爵の姿を見つめる。角や鱗が不気味なのは事実だし、光の加減によってはとても人間に見えない。しかし、不思議と“拒絶”を感じるよりも、“何か秘密があるのでは”という興味を抱いてしまう。
(本当に呪いなのだろうか。それとも先祖に魔物の血が入っているのか……? そんな噂も聞いたけれど、本人に確かめるわけにもいかないし……。)
私は正直な気持ちを口にする。
「……最初は、正直、怖かったです。でも、こうしてお話ししてみると……公爵閣下は、普通の人と変わりません。あ……いえ、その、失礼な言い方かもしれませんが……。」
支離滅裂な物言いだが、公爵は咎めず、どこか複雑な笑みのようなものを浮かべた……気がする。
「そうか。……まあ、ゆっくり慣れるがいい。お前に会うのは、今日が初めてではないが、まともに話をするのはこれが初めてだからな。」
確かに、あの日のパーティではほとんど会話を交わさなかった。こうして面と向かって話すのは、まさしく初めてだ。
公爵は護衛の騎士の一人に向けて「では、わたしは執務へ戻る。ノインを部屋まで案内してやれ」と命じる。騎士が恭しく頭を下げると、公爵は廊下を渡って別の方向へと去って行った。
朝早くから私はキャロルとともに支度を始めた。婚約の儀に出席するため、フェルディナンド公爵の迎えの馬車がやって来るからだ。ドレスを着付け、簡単な化粧を施し、髪をまとめる。
鏡に映る自分の姿は、まだどこかぎこちない。何度やっても落ち着かず、胸の鼓動が早まる。孤児院時代には考えられなかった華やかな衣装――と言っても、よく見るとほつれ痕を繕った痕跡や色褪せは否めないが、それでも私にとっては十分すぎるほどだった。
仕上げに、キャロルがスカーフのようなものを首元に巻いてくれる。これは元々ドレスの一部ではなかったらしいが、襟の破れを隠すためにアレンジしたのだという。
「どうかしら。少しは“貴族の娘”らしく見えるようになったと思うけれど……」
キャロルの声に私はこくんと頷き、恐る恐る「ありがとうございます……」と呟いた。
そのとき、部屋の外から使用人が声を上げる。「公爵家の馬車が到着しました!」
私はぎゅっと拳を握る。これで、本当に行くのだ。フェルディナンド公爵のいる場所へ。
(こわい。でも……やるしかない。)
玄関ホールへ向かうと、エドラー伯爵と夫人、そしてエミリアが待ち構えていた。夫人は私の姿を見て、鼻で笑う。
「ずいぶんと安っぽいドレスね。でもまあ、あの化け物にはお似合いかしら。さあ、行きなさい。恥だけはかかないようにね。」
エミリアもどこか薄ら笑いを浮かべている。伯爵は一言も口を開かず、わずかに眉をひそめているだけだ。私には「もう用は済んだ」という雰囲気がありありと伝わってくる。
私は何も言わず、馬車に乗せられた。従者は一人だけついてくるらしいが、伯爵家の人間ではなく、公爵家から派遣された騎士という話だ。つまり、エドラー家は私を公爵へ丸投げするつもりなのだ。どこまでも冷たい扱いに、内心では涙が出そうになるが、私はぐっと堪えるしかなかった。
馬車が走り出し、見慣れぬ街の景色を通り過ぎながら、一時間ほど経っただろうか。大きな門を抜けると、広大な敷地が目の前に広がる。遠くに見える城館のような荘厳な建物が、フェルディナンド公爵の邸宅なのだろう。周囲には厳重な警戒を窺わせる兵士の姿があり、“化け物公爵”と噂されるだけあって、他の貴族の屋敷とは雰囲気が異なる。
門をくぐった途端、敷地内には庭園が広がっているのが見えた。手入れの行き届いた木々や花壇が整然と並び、正面には噴水が噴き上がっている。ここまで美しく造り込まれた庭を見て、私は少しだけ意外な気がした。
(公爵閣下の屋敷なのに、こんなに綺麗なんだ。化け物だから、もっと荒れ果てているのかと思ってた……)
馬車が石畳の広場で停まると、先導していた騎士が扉を開けてくれる。外へ足を降ろすと、冷んやりとした風が緊張を冷やすように感じられた。
玄関前には、複数の使用人らしき人々が整列していた。その中央に、見覚えのある異様な姿――フェルディナンド公爵が立っている。彼はあの日と同じく、角と鱗を持つ体で、深い色のマントを身につけていた。
私が一礼すると、公爵は小さく顎を引いて応じる。鋭い瞳が私のドレスを一瞥し、ほんのわずかに目尻が動いた気がしたが、その感情を読み取ることはできない。
「……ご足労だったな、ノイン。婚約の儀の準備は、すでに整えてある。これから礼拝堂へ案内しよう。」
低い声でそう言うと、公爵は踵を返す。私も慌てて後を追った。
屋敷の中へ踏み入れると、内装は外観に負けず劣らず壮麗だった。大理石の床と漆喰の壁には、神話を描いた絵画や紋章が飾られている。天井は高く、数多くのシャンデリアが光を放っていた。
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礼拝堂の中へ入ると、外の華やかさとは対照的に、厳粛な雰囲気が漂っていた。高い天井にステンドグラスがはめ込まれ、差し込む光が床に色とりどりの模様を描いている。祭壇の前には神官らしき人物が立ち、その隣には控えめな衣服を纏った数人の神職者が並んでいた。
フェルディナンド公爵は祭壇へ進み、私に手で合図する。私は緊張で足元がふらつきそうになりながらも、公爵の隣へと歩み寄った。
神官が無表情のまま私たちを見つめ、静かな声で言葉を告げる。
「フェルディナンド・イシュタール・フェルディナンド公爵殿下。そして、ノイン・エドラー……。汝らは本日、この場において婚約の誓いを結ぶことを望むか?」
公爵が深く頷き、低い声で答える。
「望む。」
私の番だ。声を出さなければ。――恐怖と不安が入り混じる中、勇気を振り絞るようにして答えた。
「……の、望みます……。」
その瞬間、神官が厳かな調子で聖句を唱え始める。声が礼拝堂の天井にこだまし、私は背筋が伸びる思いだった。
そして、儀式の一環として、公爵が左手を差し出した。鱗に覆われた大きな手。私は躊躇いながらも、右手でそっと重ねる。ざらりとした鱗の感触に背筋がぞくりとしたが、同時にどこか体温を感じた。やはり生きている――当たり前だが、彼も人間なのだ。
「……」
公爵は無言のまま、私の手を軽く握り返す。すると、神官がさらに祝福の言葉を述べた。
「これより汝らは、神と皆の前に、真に結ばれる約束を交わす。いずれ正式な婚姻の儀を行うまで、その約束を貫き通すことをここに誓うか?」
公爵が目を閉じ、静かに頷く。私も、それに合わせて頷いた。本当はどうすることもできない立場なのだが、少なくともここで拒否するわけにはいかない。私は自分の運命に身を委ねるしかなかった。
短い沈黙の後、神官が両手を広げて宣言する。
「フェルディナンド公爵閣下とノイン・エドラーの婚約は、神の御前において正式に承認された。……神の祝福を。」
やわらかな拍手が礼拝堂に響く。公爵の使用人や護衛らしき者たち、そして神職者たちが拍手を送っている。それが何の感情からの拍手なのか、私には判断がつかない。ただ、儀式の建前として行っているだけかもしれない。
一方、公爵は相変わらず仏頂面で、感情の波を一切見せなかった。私は不安を抱えながらも、少なくとも儀式は滞りなく終わったのだ、と安堵する。――これで、私の立場は“公爵家の婚約者”として公に認められた。今後はエドラー家ではなく、フェルディナンド公爵の庇護の下で生きることになる……はずだ。
儀式が終わると、神官たちはすぐに退席し、礼拝堂に残ったのは私と公爵、そして彼の護衛や侍女ら数名だけになった。重々しい空気が漂う中、公爵は私の方に向き直る。
「……無事に終わったな。これで、お前は正式に“わたしの婚約者”だ。……ノイン。」
初めて、彼が私の名を呼んだ気がする。私は思わず息を詰まらせたが、なんとか声を出した。
「は、はい……ありがとうございます。」
「礼を言うのは、こちらのほうかもしれんな……。誰も嫁ごうとせん相手に、こうして来てくれたのだから。」
低く落ち着いた声音。どこか自嘲が混じっているようにも聞こえた。
(やっぱり、公爵閣下は、あの外見のせいで誰からも避けられているんだ……。)
そんな思いが頭をよぎる。外見だけを理由に拒絶されるのは、孤児院時代に“みそっかす”と呼ばれた私からすれば、人ごとと思えない。どれほど辛い気持ちを抱えているのだろう――と思う反面、まだ彼がどんな人か全く掴めていないのも事実だ。
公爵はわずかに視線を落とし、私のドレスを見下ろした。そして、一瞬だけ眉間に皺を寄せる。
「そのドレス……着古されているな。」
素直な感想だと思うが、言われた私の胸にはちくりと痛みが走る。「みすぼらしい」と言われるのでは、と身構えたが、公爵の口調には非難や侮蔑の色が感じられない。むしろ、少しだけ心配そうだ。
「……お前の身体に合っているようには見えん。伯爵家がお前にふさわしい衣装を用意しなかったのか?」
その問いに、私はどう答えていいかわからず困惑する。正直に言えば、伯爵家は私を“身代わり”としか思っていないから、ちゃんとした衣装など用意してくれなかったのだ。だけど、それを公爵に告げるのも気が引ける。
「えと……あの、いろいろと……急だったので。」
消え入りそうな声で誤魔化すと、公爵は何も言わずに頷く。そして、後ろに控えていた執事らしき老人に目をやった。
「ラドクリフ。至急、この娘に合う衣装と、侍女を用意してやれ。……本来なら、わたしの花嫁として相応しい支度をさせなければならんだろう。」
淡々とした口調だったが、その言葉に私は思わず目を見開く。まさか、“花嫁として相応しい支度”なんて考えてくれるとは思っていなかった。
執事のラドクリフと呼ばれた老人は恭しく一礼する。
「かしこまりました、公爵閣下。ノイン様のご身分にふさわしいお部屋と衣装を手配いたしましょう。」
「頼む。……それと、こいつが慣れるまでの間、余計な口出しは無用だ。お前たちもわかっているな。」
公爵が護衛や侍女たちに目をやると、皆静かに頷き、礼拝堂から退室していく。
私には、何が起こっているのかよく分からない。ただ、公爵は当然のように私を“自分の婚約者”として扱い、必要なものを与えようとしている。それが私には、不思議なくらい新鮮だった。
礼拝堂を出たあと、公爵は私に向き直り、少しだけ遠慮がちに言う。
「……わたしは、領内の巡回や政務が多く、屋敷にいないことが多い。結婚の儀までの間は、この屋敷で自由に過ごしてくれて構わない。もし困ったことがあれば、ラドクリフか侍女たちに言えばいい。」
「は、はい……。ありがとうございます……。」
たどたどしく答える私に、公爵は「そうか」と頷き、遠くを見やるようにして淡々と続ける。
「わたしの姿が怖いか? ……好きでこのようになったわけではないが、慣れぬ者には耐えがたいだろう。」
その声にはどこか諦観が混じっていた。きっと、これまで数多くの“拒絶”を受けてきたのだろう。
私は改めて公爵の姿を見つめる。角や鱗が不気味なのは事実だし、光の加減によってはとても人間に見えない。しかし、不思議と“拒絶”を感じるよりも、“何か秘密があるのでは”という興味を抱いてしまう。
(本当に呪いなのだろうか。それとも先祖に魔物の血が入っているのか……? そんな噂も聞いたけれど、本人に確かめるわけにもいかないし……。)
私は正直な気持ちを口にする。
「……最初は、正直、怖かったです。でも、こうしてお話ししてみると……公爵閣下は、普通の人と変わりません。あ……いえ、その、失礼な言い方かもしれませんが……。」
支離滅裂な物言いだが、公爵は咎めず、どこか複雑な笑みのようなものを浮かべた……気がする。
「そうか。……まあ、ゆっくり慣れるがいい。お前に会うのは、今日が初めてではないが、まともに話をするのはこれが初めてだからな。」
確かに、あの日のパーティではほとんど会話を交わさなかった。こうして面と向かって話すのは、まさしく初めてだ。
公爵は護衛の騎士の一人に向けて「では、わたしは執務へ戻る。ノインを部屋まで案内してやれ」と命じる。騎士が恭しく頭を下げると、公爵は廊下を渡って別の方向へと去って行った。
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