白い結婚のはずが、騎士様の独占欲が強すぎます! すれ違いから始まる溺愛逆転劇

鍛高譚

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第2話 父との別れ、そして旅立ち

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第2話 父との別れ、そして旅立ち

 エヴァンス伯爵家の屋敷は、王都の端に位置している。
 城へは馬車で十五分ほどの距離。
 これまでは、王太子妃教育のため、毎日のように通った道だ。

 だが今日は、そこから戻る道が、いつもよりずっと長く感じられた。

 馬車の中で、リオナは膝の上に置いた手を見つめていた。
 指先には、かつてユリウスから贈られた婚約指輪はもうない。
 王城を出る前に、無言で返却したからだ。

(指輪がないと、こんなにも手元が寂しいのですね)

 しかし、胸のあたりは不思議と軽い。
 今も、王城の大広間に満ちていた好奇と嘲笑を思い出す。
 それに怯える自分がいないことに、リオナは内心で小さく驚いていた。

 馬車が止まり、扉が開く。

「お嬢様、お戻りになられましたか」

 出迎えたのは、執事長のダニエルだった。
 年季の入った燕尾服に、白髪混じりの髪。
 主家がどんな状況でも、常に穏やかな笑みを崩さない、信頼できる人物だ。

「ただいま戻りましたわ、ダニエル」

「おかえりなさいませ。旦那様が書斎でお待ちです」

 そう告げる声は、いつもと変わらぬ落ち着きのはずなのに、どこか沈みがあった。
 王城での出来事を、すでに聞き及んでいるのだろう。

 リオナはドレスの裾を整え、伯爵の書斎へ向かった。

 扉をノックし、返事を待ってから入る。

「父上、失礼いたします」

「リオナ……」

 机に広げられた書類を前に、エヴァンス伯爵は険しい顔をしていた。
 だが、娘の姿を見た途端、その表情に深い疲労と、どうしようもない悔しさが混じる。

「話は聞いた。王城から使いが来てな」

「そうでしたか」

 リオナは軽く会釈したが、伯爵は立ち上がると、歩み寄って娘の肩をそっと抱いた。
 幼い頃のように。

「……すまない」

 低く押し殺した声が、部屋の静寂の中に落ちる。

「父上?」

「お前を、あの男の婚約者にしたのは私だ。王家との結びつきが、領地を安定させると信じていた。だが結果として、お前にこんな屈辱を味わわせた」

 伯爵の手が、僅かに震えている。

「屈辱だなんて、とんでもありませんわ」

 リオナは首を振り、穏やかに微笑んだ。

「むしろ、あの場で終わらせていただけて、ほっとしておりますのよ?」

「ほっと、だと?」

「ええ。王妃教育は、正直、少し……いえ、かなり疲れましたから」

 冗談めかした言い方に、伯爵は一瞬きょとんとし、それから苦笑した。

「お前は本当に……強い娘だな」

「強いというより、鈍いのかもしれません。泣き崩れたり、取り乱したりしてみた方が、それらしく見えたのでしょうけれど」

「そんな芝居じみた娘に育てた覚えはない」

 伯爵は椅子に座り直し、リオナに向かい合うように視線を合わせる。

「それで……孤児院の件だが」

「はい。王都の外れにある老朽化した孤児院の運営を、とのことでしたわ。慈善の機会、と殿下は仰っておりました」

「慈善、ね」

 伯爵は鼻で笑った。

「遠回しな追放に決まっている。王家の面子を保ちながら、お前を王都から追い出したいのだろう」

「そうでしょうね」

 リオナもあっさりと頷く。
 そこにショックの色はない。

「だが、だからといって、お前に行かせるわけには――」

「父上」

 リオナは静かに父の言葉を遮った。

「わたくし、そのお話を受けるつもりでおります」

 伯爵の目が大きく見開かれる。

「正気か? 王城を追われ、わざわざボロ屋敷に移り住む必要はない。領地に戻ればいい。お前がいてくれれば、どれだけ助かるか……」

「領地のことは、すでにある程度軌道に乗せてあります。帳簿も、税率も、流通も。あとは、父上と皆さまがきちんと続けてくだされば大丈夫ですわ」

「それはそうだが……」

「それに」

 リオナは少しだけ視線を落とし、微笑みを深めた。

「子どもたちがいる場所、だと言っていました。孤児院には」

 父の瞳が揺れる。

「わたくし、覚えていらっしゃいますか? 領地で孤児たちに読み書きを教えていた頃のこと」

「もちろんだとも。お前が一番生き生きしていたな」

「ええ。あの時間が、とても好きでした。王妃教育を受けている間も、何度も思い出してしまうほどに」

 王妃になるための授業は、確かに重要だった。
 だがそれは、国のためのリオナであり、自分自身のための時間ではなかった。

「孤児院の運営と聞いて……わたくし、正直に申し上げると、胸が少し高鳴りましたの」

「リオナ……」

「もちろん、現実は甘くないでしょう。資金も、人手も、建物の状態も。けれど、だからこそ、わたくしのやりようがあると思うのです」

 リオナは父の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「父上。わたくしに、行かせてはいただけませんか?」

 伯爵は黙り込んだ。
 やがて、大きく息を吐く。

「お前は一度決めたら聞かない娘だ。誰に似たのやら」

「父上に、ですわ」

「そうかもしれん」

 苦笑しながらも、その目には諦めではなく、娘への信頼が宿っていた。

「よかろう。だが条件がある」

「条件?」

「一つ。危険を感じたら、迷わず戻ってくること。無理はするな」

「はい」

「二つ。資金は私が出す。王家が何を言おうと、エヴァンス家の娘を飢えさせるわけにはいかん」

「ありがたく、甘えさせていただきます」

「そして三つ」

 伯爵は真剣な眼差しで言葉を続けた。

「幸せになれ。王太子妃にならずとも、お前自身の人生を生きてくれ」

 一瞬、リオナの喉がきゅっと締め付けられる。
 涙が滲みそうになって、慌てて瞬きを繰り返した。

「……もちろんですわ。わたくし、存外、欲張りですから」

「欲張り?」

「子どもたちの笑顔も、落ち着いた生活も、おいしい食事も、静かな読書時間も、全部欲しいのです」

 伯爵は思わず吹き出した。

「それは確かに、なかなかの欲張りだ」

「ですから、ちゃんと全部手に入れられるよう、頑張りますわ」

「全力で支援しよう」

 伯爵は立ち上がり、机から一通の封筒を取り出した。

「これは、王都の外れにある邸宅の権利書だ。古いが、手を入れれば住める。孤児院の近くだという話だ」

「そんなものを」

「昔、投資目的で買ってそのままだった。役に立つ日が来るとはな」

「父上、本当に……ありがとうございます」

 リオナは深く頭を下げた。

 その後は、話は早かった。

 リオナが必要なものをリストアップし、伯爵家の使用人たちが総出で荷造りをする。
 書籍、調理器具、衣類、簡単な薬草や包帯、子どもたちに使えそうな玩具や紙、筆記具。

 屋敷中が慌ただしくなっていく。

 リオナの侍女であるメアリが、涙目でドレスの裾を握りしめた。

「お嬢様、本当にお行きになってしまうのですか……?」

「ええ。メアリにも、随分と甘えてしまいましたわね」

「甘えるだなんて……ですが、お嬢様がいないエヴァンス家など、味気なさすぎます」

「そう言っていただけるのは嬉しいですけれど、わたくし、今度は孤児院の子どもたちに甘やかされる予定ですの」

「逆ではないでしょうか?」

 そんな他愛のない会話を交わしながら、準備は着々と進む。

 やがて、出発の日。

 屋敷の前には荷馬車と、リオナが乗るための小型馬車が並んでいた。
 使用人たちが整列し、伯爵は玄関前に立っている。

「……本当に、行くのだな」

「ええ」

 リオナは胸の前で両手を重ねるようにして、父を見上げた。

「父上。わたくし、必ずやり遂げます。孤児院を、子どもたちが笑って暮らせる場所にいたしますわ」

「無理はするな。それだけは約束しろ」

「ほどほどに頑張ります」

 伯爵が苦笑する。

「ほどほど、という言葉をお前が使うと不安になるな」

「大丈夫ですわ。わたくし、怠ける才能もそれなりにございますから」

「それは初耳だ」

 本当は、怠ける余裕がなかっただけだ。
 王妃教育も、領地の帳簿も。
 必要だからやってきただけ。

 孤児院では、今度こそ、自分のペースで働けるだろうか。
 少しだけ昼寝をして、本を読んで、子どもたちとおやつを食べて。
 そんなささやかな日々を思い描くと、胸の内がじんわりと温かくなった。

「父上も、お体にはお気をつけて」

「お前にそう言われる日が来るとはな……。ああ、気をつける。手紙をよこせ」

「はい。孤児院の様子を、たくさんお伝えしますわ」

 伯爵が一歩、リオナに近づいた。

 そして、娘の頭にそっと手を置く。

「いってらっしゃい、リオナ」

「いってまいります」

 馬車に乗り込むと、車輪がゆっくりと動き出した。
 窓から見えるエヴァンス家の屋敷が、少しずつ遠ざかっていく。

 リオナは最後まで、父の姿を目で追った。
 伯爵は微動だにせず、その背中が見えなくなるまで娘を見送っていた。

 やがて屋敷が完全に視界から消え、代わりに王都の街並みが広がる。

「さあ、これからが本番ですわね」

 馬車の揺れに身を任せながら、リオナは静かに目を閉じた。

 向かう先は、王都の外れにある、崩れかけの孤児院。
 どれほど厄介な場所であろうと、子どもたちがいるなら――。

「まずは、挨拶と掃除と、ごはんから、ですわね」

 自分にできることをひとつずつ積み重ねていけばいい。
 そう思うと、不安よりも期待の方が大きくなっていく。

 リオナ・エヴァンスの新しい生活は、こうして静かに、しかし確実に動き出したのだった。

 そして次に彼女が目にする孤児院の姿が、自身の想像を大きく裏切ることになるとは、まだ知る由もない。

 崩れかけた屋根、穴だらけの壁、そして、怯えた目をした子どもたち。

 
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