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「あの、タ……店長さんの、おすすめのお酒はどれですか?」
「種類は何がいいですか? 好みの味は?」
あの騒動以来、倉間酒店にはやはり多くの人々がやって来た。しかし、あの日この場所へ詰めかけたファンたちにタキくんの真意が伝わったからなのか、明らかにタキくんのファンであろう子たちも、大騒ぎすることなくきちんとお酒を買いに来ている。
どうやらあの後に、タキくんの言葉を聞いた子たちがSNSで「今の彼の迷惑にならないように」という呼びかけをしていたみたいだ。
それでもたまに、「一緒に写真を」なんて言い出す子たちもいる。そんなときにはタキくんは、にこりと笑いながら「そういうのなし」と線を引くということを徹底していた。
今日も午前中から、若い女性のお客さんの姿が目立つ。よほどタキくんに会いたかったのだろう。明らかに未成年と思える女の子たちが来たときには、タキくんは「成人したらまたどうぞ」と店内へ入れることをしなかった。
「娘。さっきからそうじの手が止まってるわよ」
「ヒィィッ!」
突然耳元で低音ボイスのささやきが揺れ、わたしはびくりと肩を揺らす。店の前の掃き掃除をしたいたのだが、店内の様子が気になってそちらに意識が行ってしまっていたらしい。
ジョーさんは「ふん」と鼻を鳴らしながら顔を離すと、わたしの視線を追ってにやにやと笑う。
「娘あれでしょ、恋したんでしょ」
「コッ…………!!」
足を組みながら腰に手を当てるジョーさんは、立ち姿だけは立派なモデルみたいに見える。ちなみに本日のスパッツは、レオパード柄だ。
「こないだのファイヤーパフォーマンス、よかったわあ。熱く燃え上がる恋心!ってカンジで!」
茶化すように両手を広げたジョーさんにジョーさんに、わたしの顔は一気に熱を持つ。
「そ! そんなんじゃないですってば!」
「まあ、あんたの想いなんてダダ洩れだけど」
そう言われてしまい、なにも言い返せなかった。自分でも気づいたばかりの気持ちを、ジョーさんに見抜かれていただなんて。
「推しとして、じゃないんでしょ」
少し柔らかさを含んだジョーさんの声に、わたしはゆっくりと頷く。
きっと多分、ジョーさんに隠し事をするのは無理だ。ジョーさんはタキくんのことを本当によく気にかけていて、そしてよく見ている。それだけタキくんの近くにいる彼が、お店に出入りしているわたしの気持ちに気付かないわけがないのだ。
「今のタキくんのことを、好き……になったんです」
好き。その二文字は、自分で口にするとひどく照れくさく恥ずかしい響きをもって鼓膜を揺らす。
彼がアイドルをしていた頃には、散々大きな声で「だいすき~っ!」なんて叫んでいたというのに、その種類が違うだけでこれほどに響きが異なるとは。
最初は純粋に、自分の推しであるタキくんの力になりたいと思った。変わり果ててしまったタキくんに、本来のきらきらした姿を取り戻してほしいと願った。
だけど一緒に時間を重ねていく中で、今の姿こそが、本当のタキくんなのだと知っていったのだ。
アイドルなんかしてなくていい。キラキラとステージの上で輝いていなくていい。いつでも笑顔で優しい、完璧な彼じゃなくていい。
楽しいときに笑って
悲しいときに泣いて
腹が立ったら怒って
嬉しいときにはくしゃくしゃに笑う
──そんな、タキくんがいい。
「ありがとうございましたー」
お客さんを送り出したタキくんは、表にいるわたしたちに笑いかける。
「おなかすかない? アイスでも食おうよ」
◇
恋愛には、ステップというものがある。まずは出会い、恋が芽生え、お付き合いがスタートし、絆を深める。というものだと思うのだけど、この〝お付き合いがスタート〟というところが非常に難しい。
「推しに恋かぁ~。字面だけ見ると、なかなかきついね」
「だから~! 元推し! いまはお手伝い先の店長さん! 一般人だもん!」
今日は、第一志望から内定をもらった芽衣のお祝い会だ。とは言っても、ふたりでわたしのバイト先に来ているだけなんだけど。
ゴーヤーチャンプルーのゴーヤを齧りながら、芽衣はニヤニヤと楽しそうにしている。
「推しに人生をかけてる間は、一生彼氏なんてできないと思ってたけど……いやぁーついにかぁー感慨深い!」
「ついにって! 別に付き合ってるわけじゃないし!」
ちょっと声が大きいよ!とたしなめれば、案の定耳ざとく聞きつけた璃々ちゃんが飛んできた。注文で呼んだわけでもないし、ドリンクを頼んだわけでもないにも関わらず。
「えっ! 一花さんついにゲットしたんですか⁉」
「いやいやまだそうじゃなくって……っていうか、ついにって何⁉」
「一花さんが倉間さんのこと好きだなんて、みんなとっくに気付いてますよ」
ねー?と顔を見合わせてにっこりと笑う、芽衣と璃々ちゃん。
「え……、え……⁉ なんで⁉ いつから⁉」
「なんでって、恋する女の顔してましたもん」
「いつ⁉」
「う~んと、いつも?」
「まさか……みんな気付いてるの? その……タ、タキくん……も?」
璃々ちゃんは人差し指をピンク色の唇の前にぴょんと立て、「んー」と瞳を左右へきょろきょろさせる。これは璃々ちゃんがみんなから「かわいい」と言われるとっておきのポーズなのだが、彼女がこの行動を取るのは男女問わずというのが、璃々ちゃんが誰からも愛される理由のひとつだった。
「倉間さんは、鈍そうなんで気付いてないんじゃないですかねぇ」
鈍そう⁉ あのスーパーイケメンのタキくんが⁉
「璃々ちゃん……。知ってると思うけどタキくんは、とてつもない大人気アイドルだったんだよ? 女の子という女の子たちから愛されてきた経験を持つ男性なんだよ?」
そんなタキくんが〝鈍い〟なんて、ありえないじゃないか。
「もう、一花さんは色眼鏡で倉間さんのこと見過ぎですよ。あの人、ぬぼーっとしてて天然そうじゃないですか。多分、恋愛とかもほとんどしたことないと思いますよ」
大学一年生の璃々ちゃんにそこまで言われてしまうタキくんを不憫に思う一方で、まだ自分の気持ちを彼に知られていないという事実に、わたしは小さく胸を撫でおろした。
それにしても、みんなはどうやって恋愛をやっているのだろう。わたしなんて、こうして自分の恋心を自覚したものの、ここから先どうすればいいのか見当もつかない。
第一、相手はあのタキくんだ。同級生なわけでもないし、バイト仲間なわけでもない。友達なわけでもなければ、もちろんそれ以上な関係でもない。
そんな相手に恋心を抱いたわたしは、どうしたらいいのだろう。
「それにしても、第一志望から内定なんてすごいじゃん。さすが芽衣だね」
璃々ちゃんはドリンクの注文に呼ばれ、奥の席へと向かっていった。しばし静寂を取り戻した席で、わたしは話題をするりと変えた。
芽衣は去年からその会社に、インターンシップをしに行っていた。大きな広告代理店で、インターンに行ったからといって採用に有利になるわけではない。だからこそ、彼女が内定を掴んだのは本当にすごいことだ。
「まあ、ほっとはしてるけどね。これで春からも、やらなきゃいけないことがあるーって」
そんな芽衣の言葉に、わたしは首を傾げた。内定がもらえてほっとするというのは分かる。だけど、後半の意味がよくつかめなかった。
そんな感情を読み取ったのか、芽衣は困ったように笑う。それから白状するように、首をすくめてから言葉を続けた。
「わたしね、自分で決めてなにかをするのがすっごく苦手なの。学校に通っているうちは、やらなきゃいけないことが明確になってるじゃない? だけど、もし大学を卒業するまでに次に行く場所が決まってなかったら、わたしは途方に暮れるだけだったと思うのよ」
それは今まで一緒にいて初めて聞く、芽衣の心の奥の部分。
「就職さえすれば、そこで仕事っていう自分の役割が与えられるじゃない。その中でなら、一生懸命考えて、取捨選択して動くことができる。だからあえて、忙しいって言われている広告業界を目指したんだ」
どんなことにも前向きで、すぐに行動できる芽衣を、わたしはすごいと思ってきた。彼女はそういう性格だからできるのだと、思い込んできた。だけど芽衣には芽衣なりの苦悩や不安があって、それと向き合うためにいつも行動に移してきたのだ。
「芽衣、すごい……。自分のこと、ちゃんと理解してるんだね」
そんな親友のことを、さらに好きになる。もっともっと、素敵だなと思う。しかし芽衣は、「すごいのは一花だよ」と笑った。
「自分が本当にやりたいことを見つけられるって、すごいことだよ。確かに一花の作るお菓子、本当においしいもん。きっとさ、そういうのって作った人の心がそのまま表れるんだよ。一花のお菓子は、たくさんの人を笑顔にするんじゃないかなぁ」
親友の心からの言葉に、目頭が熱くなる。
今までもバレンタインや誕生日に、芽衣にお菓子をあげたことがある。あのときは、芽衣のことだけを考えて作った。よく、料理の最大の隠し味は愛情だと聞くけれど、お菓子作りにも同じことが言えるだろう。
「いつか……自分のお店持ちたいなぁ……」
お菓子職人になりたいという夢を見つけたわたしの、もうひとつの大きな夢。まだ学んでもいないくせに大きなことを、と怒られちゃうかもしれないけれど、夢はでっかく、だ。
「小さくていいから、あたたかいお店にしたい。おいしいお菓子を食べて、みんなが笑顔になって。お客さん同士も楽しく会話ができたり、そうやってどんどん人の輪が広がっていくような──」
自分で口にしていて、ふと瞼の裏に倉間酒店が浮かぶ。真っ暗でさびれた路地に、ひとつだけぽつんとあった、おんぼろ酒店。そこから輪が広がり縁が生まれ、今あの路地には朗らかな笑い声がいつも溢れている。
「わたしもいつか、あの路地にお店を出せるかな」
タキくんがいて、ジョーさんがいて、店長や料理長がいて、黒沢たちのいるあの場所に──わたしも自分の居場所を、いつかこの手で作ることができるだろうか。
ゴンゴンッと、閉じられたガラス戸をノックする。時刻は深夜零時。閉店まで沖縄料理屋で飲んだくれたわたしたちは、酔った勢いのまま倉間酒店の扉を叩いたのだ。
「いらっしゃ──って、一花ちゃん」
「と、一花の親友の芽衣でーっす!」
ヒック、とお酒でしゃくりあげた芽衣を見て、わたしが横でケタケタと笑う。芽衣はまだ一度も、このお店に来たことがなかった。いつもわたしの話を聞くばかりで、「タキくんに会わせろ~!」と大騒ぎしたのでこうして連れてきたのである。
「タキくん、すみましぇん。ちょっと親友と、遊びにきちゃいましたぁ~」
えへへっと頭を掻くと、タキくんはぷっと吹き出して笑う。
「ふたりとも、出来あがってるね。さ、上がって」
そこから不思議な組み合わせの飲み会がスタートした。バイト上がりの黒沢もなぜか合流し、それならばとジョーさんまでもが加わった。
意外というかなんというか、ジョーさんと芽衣は初対面で意気投合。そしてジョーさんは、黒沢のことをとてつもなく気に入っていた。
「あーあ、みんな風邪ひかないといいけど」
一番最初に、相当に酔っぱらっていた芽衣が落ちた。床に寝転がって、くうくうと小さな寝息を立て始めたのだ。次に船を漕ぎ始めたのは、バイト上がりで酒を飲んだ黒沢だ。「あたしには娘を見張る義務が」と言いながら必死に眠気と戦っていたジョーさんもつい先ほど、黒沢の上になだれかかるようにして意識を手放していたところだ。
タキくんは自分の布団やタオルを、それぞれの背中へとかけていく。そんな光景をぼんやりと見つめながら、タキくんは本当に優しいなぁなどと顔が緩んでしまった。
「一花ちゃんも、今日はずいぶん飲んだね」
小さなちゃぶ台を挟みわたしの正面へと腰を下ろしたタキくんは、グラスに残っていたジンジャーエールを喉に流し込む。タキくんが飲んでいるというだけで、そのジンジャーエールも特別なものに思えてくるから不思議だ。
ふわふわと心地よい感覚が体を包む。タキくんがにこにこしているのが嬉しくて、わたしまでにこにことしてしまう。
いつもなら恥ずかしくてじっと見られないタキくんの顔も、今日はいくらでも見ていられる。
「……あの、そんなに見られると照れるんだけど」
「ふへへっ、タキくんの顔ならずうーっと見てられますよぉ」
タキくんは照れると、耳が赤くなるんだ。今まで気付かなかった。新たなタキくんを発見した気分だ。
目の色もグレーがかっていて、とっても綺麗。アイドルをしていたときは、たくさんの照明でキラキラ輝いてはいたけれど、本当の瞳の色までは見えなかったからなぁ。
あ、首元にほくろがある。なんかかわいい。
「い、一花ちゃん、ちょっとマジで……」
タキくんが横を向き口元を抑え、もう片方の手でわたしの視線を遮る。だからわたしは、目の前に出されたその手を両手でぎゅっと握ってずらした。
ぽわりと感じる、彼のぬくもり。
「タキくん……」
ああ、なんだかわたしも、眠たくなってきちゃった。
もっともっと、タキくんのことを見ていたいのに。
もっともっと、タキくんのことを独り占めしたいのに。
「だ い す き」
ぼわぁんと大きな風船が、わたしを空へと連れていく。青く広がる空の上には、この路地で暮らすみんながそれぞれの風船に揺られながらにこにこ笑う。そんな中で、やっと見つけたタキくんは、なんでか顔まで真っ赤にしてる。
愛おしくて、だいすきで。わたしは彼に両手を伸ばす。
──ねえタキくん、だいすきだよ。
「種類は何がいいですか? 好みの味は?」
あの騒動以来、倉間酒店にはやはり多くの人々がやって来た。しかし、あの日この場所へ詰めかけたファンたちにタキくんの真意が伝わったからなのか、明らかにタキくんのファンであろう子たちも、大騒ぎすることなくきちんとお酒を買いに来ている。
どうやらあの後に、タキくんの言葉を聞いた子たちがSNSで「今の彼の迷惑にならないように」という呼びかけをしていたみたいだ。
それでもたまに、「一緒に写真を」なんて言い出す子たちもいる。そんなときにはタキくんは、にこりと笑いながら「そういうのなし」と線を引くということを徹底していた。
今日も午前中から、若い女性のお客さんの姿が目立つ。よほどタキくんに会いたかったのだろう。明らかに未成年と思える女の子たちが来たときには、タキくんは「成人したらまたどうぞ」と店内へ入れることをしなかった。
「娘。さっきからそうじの手が止まってるわよ」
「ヒィィッ!」
突然耳元で低音ボイスのささやきが揺れ、わたしはびくりと肩を揺らす。店の前の掃き掃除をしたいたのだが、店内の様子が気になってそちらに意識が行ってしまっていたらしい。
ジョーさんは「ふん」と鼻を鳴らしながら顔を離すと、わたしの視線を追ってにやにやと笑う。
「娘あれでしょ、恋したんでしょ」
「コッ…………!!」
足を組みながら腰に手を当てるジョーさんは、立ち姿だけは立派なモデルみたいに見える。ちなみに本日のスパッツは、レオパード柄だ。
「こないだのファイヤーパフォーマンス、よかったわあ。熱く燃え上がる恋心!ってカンジで!」
茶化すように両手を広げたジョーさんにジョーさんに、わたしの顔は一気に熱を持つ。
「そ! そんなんじゃないですってば!」
「まあ、あんたの想いなんてダダ洩れだけど」
そう言われてしまい、なにも言い返せなかった。自分でも気づいたばかりの気持ちを、ジョーさんに見抜かれていただなんて。
「推しとして、じゃないんでしょ」
少し柔らかさを含んだジョーさんの声に、わたしはゆっくりと頷く。
きっと多分、ジョーさんに隠し事をするのは無理だ。ジョーさんはタキくんのことを本当によく気にかけていて、そしてよく見ている。それだけタキくんの近くにいる彼が、お店に出入りしているわたしの気持ちに気付かないわけがないのだ。
「今のタキくんのことを、好き……になったんです」
好き。その二文字は、自分で口にするとひどく照れくさく恥ずかしい響きをもって鼓膜を揺らす。
彼がアイドルをしていた頃には、散々大きな声で「だいすき~っ!」なんて叫んでいたというのに、その種類が違うだけでこれほどに響きが異なるとは。
最初は純粋に、自分の推しであるタキくんの力になりたいと思った。変わり果ててしまったタキくんに、本来のきらきらした姿を取り戻してほしいと願った。
だけど一緒に時間を重ねていく中で、今の姿こそが、本当のタキくんなのだと知っていったのだ。
アイドルなんかしてなくていい。キラキラとステージの上で輝いていなくていい。いつでも笑顔で優しい、完璧な彼じゃなくていい。
楽しいときに笑って
悲しいときに泣いて
腹が立ったら怒って
嬉しいときにはくしゃくしゃに笑う
──そんな、タキくんがいい。
「ありがとうございましたー」
お客さんを送り出したタキくんは、表にいるわたしたちに笑いかける。
「おなかすかない? アイスでも食おうよ」
◇
恋愛には、ステップというものがある。まずは出会い、恋が芽生え、お付き合いがスタートし、絆を深める。というものだと思うのだけど、この〝お付き合いがスタート〟というところが非常に難しい。
「推しに恋かぁ~。字面だけ見ると、なかなかきついね」
「だから~! 元推し! いまはお手伝い先の店長さん! 一般人だもん!」
今日は、第一志望から内定をもらった芽衣のお祝い会だ。とは言っても、ふたりでわたしのバイト先に来ているだけなんだけど。
ゴーヤーチャンプルーのゴーヤを齧りながら、芽衣はニヤニヤと楽しそうにしている。
「推しに人生をかけてる間は、一生彼氏なんてできないと思ってたけど……いやぁーついにかぁー感慨深い!」
「ついにって! 別に付き合ってるわけじゃないし!」
ちょっと声が大きいよ!とたしなめれば、案の定耳ざとく聞きつけた璃々ちゃんが飛んできた。注文で呼んだわけでもないし、ドリンクを頼んだわけでもないにも関わらず。
「えっ! 一花さんついにゲットしたんですか⁉」
「いやいやまだそうじゃなくって……っていうか、ついにって何⁉」
「一花さんが倉間さんのこと好きだなんて、みんなとっくに気付いてますよ」
ねー?と顔を見合わせてにっこりと笑う、芽衣と璃々ちゃん。
「え……、え……⁉ なんで⁉ いつから⁉」
「なんでって、恋する女の顔してましたもん」
「いつ⁉」
「う~んと、いつも?」
「まさか……みんな気付いてるの? その……タ、タキくん……も?」
璃々ちゃんは人差し指をピンク色の唇の前にぴょんと立て、「んー」と瞳を左右へきょろきょろさせる。これは璃々ちゃんがみんなから「かわいい」と言われるとっておきのポーズなのだが、彼女がこの行動を取るのは男女問わずというのが、璃々ちゃんが誰からも愛される理由のひとつだった。
「倉間さんは、鈍そうなんで気付いてないんじゃないですかねぇ」
鈍そう⁉ あのスーパーイケメンのタキくんが⁉
「璃々ちゃん……。知ってると思うけどタキくんは、とてつもない大人気アイドルだったんだよ? 女の子という女の子たちから愛されてきた経験を持つ男性なんだよ?」
そんなタキくんが〝鈍い〟なんて、ありえないじゃないか。
「もう、一花さんは色眼鏡で倉間さんのこと見過ぎですよ。あの人、ぬぼーっとしてて天然そうじゃないですか。多分、恋愛とかもほとんどしたことないと思いますよ」
大学一年生の璃々ちゃんにそこまで言われてしまうタキくんを不憫に思う一方で、まだ自分の気持ちを彼に知られていないという事実に、わたしは小さく胸を撫でおろした。
それにしても、みんなはどうやって恋愛をやっているのだろう。わたしなんて、こうして自分の恋心を自覚したものの、ここから先どうすればいいのか見当もつかない。
第一、相手はあのタキくんだ。同級生なわけでもないし、バイト仲間なわけでもない。友達なわけでもなければ、もちろんそれ以上な関係でもない。
そんな相手に恋心を抱いたわたしは、どうしたらいいのだろう。
「それにしても、第一志望から内定なんてすごいじゃん。さすが芽衣だね」
璃々ちゃんはドリンクの注文に呼ばれ、奥の席へと向かっていった。しばし静寂を取り戻した席で、わたしは話題をするりと変えた。
芽衣は去年からその会社に、インターンシップをしに行っていた。大きな広告代理店で、インターンに行ったからといって採用に有利になるわけではない。だからこそ、彼女が内定を掴んだのは本当にすごいことだ。
「まあ、ほっとはしてるけどね。これで春からも、やらなきゃいけないことがあるーって」
そんな芽衣の言葉に、わたしは首を傾げた。内定がもらえてほっとするというのは分かる。だけど、後半の意味がよくつかめなかった。
そんな感情を読み取ったのか、芽衣は困ったように笑う。それから白状するように、首をすくめてから言葉を続けた。
「わたしね、自分で決めてなにかをするのがすっごく苦手なの。学校に通っているうちは、やらなきゃいけないことが明確になってるじゃない? だけど、もし大学を卒業するまでに次に行く場所が決まってなかったら、わたしは途方に暮れるだけだったと思うのよ」
それは今まで一緒にいて初めて聞く、芽衣の心の奥の部分。
「就職さえすれば、そこで仕事っていう自分の役割が与えられるじゃない。その中でなら、一生懸命考えて、取捨選択して動くことができる。だからあえて、忙しいって言われている広告業界を目指したんだ」
どんなことにも前向きで、すぐに行動できる芽衣を、わたしはすごいと思ってきた。彼女はそういう性格だからできるのだと、思い込んできた。だけど芽衣には芽衣なりの苦悩や不安があって、それと向き合うためにいつも行動に移してきたのだ。
「芽衣、すごい……。自分のこと、ちゃんと理解してるんだね」
そんな親友のことを、さらに好きになる。もっともっと、素敵だなと思う。しかし芽衣は、「すごいのは一花だよ」と笑った。
「自分が本当にやりたいことを見つけられるって、すごいことだよ。確かに一花の作るお菓子、本当においしいもん。きっとさ、そういうのって作った人の心がそのまま表れるんだよ。一花のお菓子は、たくさんの人を笑顔にするんじゃないかなぁ」
親友の心からの言葉に、目頭が熱くなる。
今までもバレンタインや誕生日に、芽衣にお菓子をあげたことがある。あのときは、芽衣のことだけを考えて作った。よく、料理の最大の隠し味は愛情だと聞くけれど、お菓子作りにも同じことが言えるだろう。
「いつか……自分のお店持ちたいなぁ……」
お菓子職人になりたいという夢を見つけたわたしの、もうひとつの大きな夢。まだ学んでもいないくせに大きなことを、と怒られちゃうかもしれないけれど、夢はでっかく、だ。
「小さくていいから、あたたかいお店にしたい。おいしいお菓子を食べて、みんなが笑顔になって。お客さん同士も楽しく会話ができたり、そうやってどんどん人の輪が広がっていくような──」
自分で口にしていて、ふと瞼の裏に倉間酒店が浮かぶ。真っ暗でさびれた路地に、ひとつだけぽつんとあった、おんぼろ酒店。そこから輪が広がり縁が生まれ、今あの路地には朗らかな笑い声がいつも溢れている。
「わたしもいつか、あの路地にお店を出せるかな」
タキくんがいて、ジョーさんがいて、店長や料理長がいて、黒沢たちのいるあの場所に──わたしも自分の居場所を、いつかこの手で作ることができるだろうか。
ゴンゴンッと、閉じられたガラス戸をノックする。時刻は深夜零時。閉店まで沖縄料理屋で飲んだくれたわたしたちは、酔った勢いのまま倉間酒店の扉を叩いたのだ。
「いらっしゃ──って、一花ちゃん」
「と、一花の親友の芽衣でーっす!」
ヒック、とお酒でしゃくりあげた芽衣を見て、わたしが横でケタケタと笑う。芽衣はまだ一度も、このお店に来たことがなかった。いつもわたしの話を聞くばかりで、「タキくんに会わせろ~!」と大騒ぎしたのでこうして連れてきたのである。
「タキくん、すみましぇん。ちょっと親友と、遊びにきちゃいましたぁ~」
えへへっと頭を掻くと、タキくんはぷっと吹き出して笑う。
「ふたりとも、出来あがってるね。さ、上がって」
そこから不思議な組み合わせの飲み会がスタートした。バイト上がりの黒沢もなぜか合流し、それならばとジョーさんまでもが加わった。
意外というかなんというか、ジョーさんと芽衣は初対面で意気投合。そしてジョーさんは、黒沢のことをとてつもなく気に入っていた。
「あーあ、みんな風邪ひかないといいけど」
一番最初に、相当に酔っぱらっていた芽衣が落ちた。床に寝転がって、くうくうと小さな寝息を立て始めたのだ。次に船を漕ぎ始めたのは、バイト上がりで酒を飲んだ黒沢だ。「あたしには娘を見張る義務が」と言いながら必死に眠気と戦っていたジョーさんもつい先ほど、黒沢の上になだれかかるようにして意識を手放していたところだ。
タキくんは自分の布団やタオルを、それぞれの背中へとかけていく。そんな光景をぼんやりと見つめながら、タキくんは本当に優しいなぁなどと顔が緩んでしまった。
「一花ちゃんも、今日はずいぶん飲んだね」
小さなちゃぶ台を挟みわたしの正面へと腰を下ろしたタキくんは、グラスに残っていたジンジャーエールを喉に流し込む。タキくんが飲んでいるというだけで、そのジンジャーエールも特別なものに思えてくるから不思議だ。
ふわふわと心地よい感覚が体を包む。タキくんがにこにこしているのが嬉しくて、わたしまでにこにことしてしまう。
いつもなら恥ずかしくてじっと見られないタキくんの顔も、今日はいくらでも見ていられる。
「……あの、そんなに見られると照れるんだけど」
「ふへへっ、タキくんの顔ならずうーっと見てられますよぉ」
タキくんは照れると、耳が赤くなるんだ。今まで気付かなかった。新たなタキくんを発見した気分だ。
目の色もグレーがかっていて、とっても綺麗。アイドルをしていたときは、たくさんの照明でキラキラ輝いてはいたけれど、本当の瞳の色までは見えなかったからなぁ。
あ、首元にほくろがある。なんかかわいい。
「い、一花ちゃん、ちょっとマジで……」
タキくんが横を向き口元を抑え、もう片方の手でわたしの視線を遮る。だからわたしは、目の前に出されたその手を両手でぎゅっと握ってずらした。
ぽわりと感じる、彼のぬくもり。
「タキくん……」
ああ、なんだかわたしも、眠たくなってきちゃった。
もっともっと、タキくんのことを見ていたいのに。
もっともっと、タキくんのことを独り占めしたいのに。
「だ い す き」
ぼわぁんと大きな風船が、わたしを空へと連れていく。青く広がる空の上には、この路地で暮らすみんながそれぞれの風船に揺られながらにこにこ笑う。そんな中で、やっと見つけたタキくんは、なんでか顔まで真っ赤にしてる。
愛おしくて、だいすきで。わたしは彼に両手を伸ばす。
──ねえタキくん、だいすきだよ。
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過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
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