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第1話 優吾①【鉢植えと背負い投げとあの日の続き】
しおりを挟む「『カランコエ』すかね? 時期が違う気がしますけど」
レジ横の『金のなる木』みたいに肉厚な葉っぱを摘んだ俺が、「多分」と続ける前に、お客さんは「えー、正解」と手を叩く。
「葉っぱだけで当てられる? そこまでメジャーな花じゃなくない?」
「どーすかね? ホームセンターで売ってる気がしますけど」
居酒屋でバイト中の俺、蜂須賀優吾は、常連客のお姉さんから「ちょっとこの花の種類、当ててみてよ」と言われたところだ。
自分から話を振ってきたくせに、当てると怪訝な顔をされるのは何故なのか……。
「大学、植物系なの?」
「教育学部っす」
「えー、意外。スポーツ専攻かと思ってた。二の腕、太いし。なんかやってた?」
「空手、水泳、陸上、少年野球、サッカー……趣味程度に筋トレとか?」
「マジのスポーツ小僧じゃん」
俺……大学生なんだけれど、小僧なの? 確かに童顔だけれどさぁ……やっぱガキっぽいのかな。
ちょっと憮然とする俺をよそに、お姉さんは続ける。
「この前当てた『ラナンキュラス』と言いさ、花好きなの? マッチョなのに?」
「筋肉関係ないでしょ……。いやまぁ……昔、好きな人が花が好きで、いろいろ教えてくれたんスよ」
「10代が昔なんて言うな!」
バシっと軽快に引っ叩かれた俺は、空いたグラスや料理皿を盆に乗せていて、露骨に崩したバランスを整えれば拍手をもらった。心臓に悪いからやめてくれ。
ちなみにこのお姉さん、酔っ払っているわけではない。
元からこう言う人だ。
隣のネイルサロンのネイリストさんで、週三通いのヘビーユーザー。
飲兵衛とも言う。
食べ方も飲み方も、何かと豪胆なお姉さんが、爪一枚の範囲に宇宙みたいなモチーフを作るギャップが凄い。
俺がつい、「爪、すげぇキレイっすね」と口にしたことから、サロンにお勤めのお姉様方に可愛がって貰えるようになったんだけれど、
「どれくらい細かいものを描けるんスか?」
と聞いてみたら
「米に犬を2匹」
と言われて本当にビビった。ネイリストさんって目ん玉顕微鏡みたいになってんの?
カウンターでハイボール片手に馬刺しを摘むお姉さんは「名前、どうしようかなぁ」と上機嫌だ。鉢植えの花に名前をつける人、はじめて見た。
「そもそも、どうしたんスか。この鉢植え」
「デイサービスの出張ボランティアでハンドマッサージをしてきたらさ、おばあちゃんから貰っちゃったのよ。『名前わかんないけれど大きくなったからあげる』って」
店に飾ろうと思って、とのことだが、そのビジュアルは目立つ。居酒屋にハンドバックみたいに植木鉢持ってくる人なんて普通いない。
「ねぇねぇ。ちなみにさ、昔好きだった人っていつの話?」
「8年前っスね」
「うわー、即答できるあたり重い男でしょ、アンタ」
この人は「恋に惑う青少年を酒の肴に呑む酒は美味い」とか言い出すからタチが悪い。
実際、俺は本命にいつまで経っても再会できないままで、人生に惑いに惑いまくっているから、お姉さんにとって絶好の肴なのだ。
でも、童貞をいじるのはやめてほしい。デリケートなのよ、19歳の男子にとって。
とはいえ、『重い男』は否定できないんだよなぁ。
先輩バイトの宮下さんにも、同じことを言われた。
美容師志望の宮下さんはおしゃれ女子なので、ネイリストのお姉さんと仲が良い。……いかにも一軍って感じの女性2人から『重い男』って言われるの、地味にしんどいな。
でもさ……しょうがないじゃん。
蒼乃ちゃん、俺が想い続けている幼馴染の蒼乃ちゃんが教えてくれたことなら、手に取るように思い出せちゃうんだよ。
花の名前も、触っちゃいけない植物も、書道のコツも、靴紐の解けにくい結び方も。
自治会の祭りで、手を繋いで、親に内緒で買ってくれた水風船とか、一生の宝物にするつもりだったし。(3日後に破裂した。俺は泣いた)
そういうこと言うと
「蜂須賀って長女気質のおねえさまに甘えたいタイプ?」
とか揶揄われるんだけれどさ。
うるせー、なんとでも言え。
俺はたとえ蒼乃ちゃんが妹気質の甘えんぼでも大好きだよ、ちくしょう。
「ゆーごー、2番さん提供!」
「はーい、行きまーす!」
ピーク時を過ぎた厨房はわりと余裕があって、店長と先輩の宮下さんが締め作業を進めている。
店内にいるのはあと4組。
サラリーマンっぽいおじさんの集団と、ネイリストのお姉さん。カップルっぽい男女と、若い男性の2人組。
おじさんの方はちょっとヒートアップしがちな雰囲気が気になる。部下っぽい2人がへこへこしているの、かわいそうだな。
大学の友達からは
「居酒屋のバイトって当たりはずれ激しいから気をつけろよ」
って、脅されていたけれど、俺はこの店でラッキーだった。店長は優しいし、先輩の宮下さんは仕事を丁寧に教えてくれるし、試験前のシフト調整に嫌な顔をされない。
なにより賄いが美味いんだ。
イタリアンで修行していた店長が血迷って(本人が言ってる)始めた店だから、料理がとにかく美味い。
気まぐれに料理を教えてくれるのも嬉しい。おかげで鯵くらいなら余裕で捌けるようになった。
だからさ。時たまに
「赤提灯系の面構えで女ウケするメニュー置いてんじゃねぇ!」
っていうオヤジが……そう、今ちょうど言われたコレね。サラリーマン集団、やっぱそっち系の酔い方だわ……こういうこと言われると、かなり萎えるわけ。
店長がカウンター越しにめちゃくちゃのんびりした様子で
「そーですかぁ。お好きなもの選んでくださーい」
とあしらっている。
おっさん達、悪酔いするタイプかなーって、サラリーマン集団の方を警戒していたんだけれど、俺がバッシングに入った時、見計らったようにネイリストさんに絡み出した。
「お姉さん1人で寂しいねぇ。こっち来なよ」
「結構でーす」
ネイリストのお姉さんは迷惑そうに手を振る。
「つか、その爪すげーなぁ。自分でやるの?」
「本職なので」
「はー、でたでた、ネイリストってやつ?」
「爪をちゃらちゃら飾りつけることに何か意味があるんですかぁ~?」
俺が割って入ったのは、このタイミング。
俺の「他のお客様のご迷惑ですので」よりも早く、ネイリストさんはばっさりと吐き捨てた。
「論外をふるいにかけるためだよ。あなたらみたいな」
にっこりと笑って
「女の装飾品に口を挟む前に鏡を見てで直しな」
とりつく島もねぇ~!
いや、ごもっともなんスけど。
酔っ払いにド正論は火に油なんだって!
そっちのカップルのお姉さん、拍手しないで。奥の2人組のお兄さん達も、肩を振るわせて笑うのマジやめて……案の定、みるみる赤面するおっさん集団。
恰幅の良い一人が立ち上がった。
「おい、馬鹿にしてんじゃねぇぞ!」
4人中、声を荒げたのが1人で、止めに入ろうとする2人、もう1人は……あ、目が据わっている……いちばんめんどくさいタイプかも。
茹でタコみたいに顔を真っ赤にして怒鳴りちらすおっさんは、わかりやすいどうしようもなさだけれど、目が据わっている眼鏡のヒョロ長いリーマンはスマホをこっちに向けてるあたり、絶対動画回してやがる。
くっそ。
これ、俺が少しでも対応ミスったら拡散されるやつじゃねーかよ。にやにやしやがって、ちくしょう。
「落ち着いて、ね? 飲みすぎちゃいました?」
なんとかお姉さんに近づけさせないよう、滑り込んで宥める。
「そうですよ! 課長、今日はもう帰りましょう!」
「会計しときますんで! 水だけ飲んで行きましょう!」
自分たちの状況が少しやばいと感じた2人は、いきり立つ茹でタコ課長を必死に止める。
俺の後ろで、厨房から出てきた店長がネイリストさんを避難させていた。多分、裏口から帰してくれるんだと思う。
さて、俺は茹でタコ課長を宥めるに専念するか。
「結構呑まれました? たくさんご注文頂いてありがとうございます。お仕事、お疲れなんですねぇ」
「タクシーを呼びましょうか? このままだと歩きにくいでしょう」
こんな感じのことを体感10回くらい繰り返して言ったかな。
この間、宮下さんが他のお客さんに火の粉がかからないよう対応してくれている。カップルの会計が済んだとき、茹でタコ課長の赤みがちょっと引いた。
とりあえず座ってくれたので、もう殴りかかってくることはなさそう。
安心したのか、部下っぽい2人のうち、1人が会計を済ませようとレジに向かった時だ。
じっと俺を睨んで、スマホをいじっていた眼鏡のリーマンが「おい」と唸る。
「こっちはそっちの客に不愉快な思いをさせられたんだから、サービスしてくださいよぉ。サービス。ね? 大人なんだから、こういうとき柔軟な対応しましょうや」
レジにいるのは宮下さんだけ。
お姉さんを逃した店長はまだ戻ってきていない。
こいつ、絶対相手を見て詰め寄ってんじゃん。
宮下さんが若い女だから、押せばいけると思ってやがる。
せっかく俺が大人しくさせた茹でタコ課長が「そうだそうだ!」とまた血気を取り戻し「まーけーろ、まーけーろっ!」と手を叩きながらコールを始める。
青褪めた部下が止めようとするが、「いや、課長は間違えてないだろ。なに良い子ぶってんのお前、面白くねーなぁ」と煽る眼鏡。
「さすがにそれはまずいですって! お姉さん、会計! 急いでっ!」
部下、がんばれ。
そして早く帰れ。
「はい、こちら二万と……」
「だからァ! サービスしましょうよぉ? わかんない? 脳みそないの?」
「宮下さん! 俺会計代わるから! バック入って!」
俺の声に眼鏡リーマンも粘着質に詰め寄る。
「お前さぁ、女の前でいい顔してんなよ、ガキのくせによぉ。だいたいあんたも、このガキ盾にして逃げようとすんなよ、これだから女は……」
なんとか眼鏡リーマンと宮下さんの間に割り込んだけれど、バックヤードへ逃げようとした宮下さんが眼鏡リーマンのスマホにぶつかってしまって、ぽろっと手から離れた。
やべ、と思ったのは俺だけじゃなかったと思う。
そこそこ鈍い音がして、フローリングを滑る眼鏡リーマンのスマホ……。
「おい、ふざけんじゃねぇ!」
眼鏡リーマンの激昂は早かった。マジで頭に血が昇ったんだろうな。レジ横の『金のなる木』の鉢植えが薙ぎ払われて、入り口のドアにぶつかる。多分、店の外まで物騒な音を響かせて、思いっきり割れた。
宮下さんが悲鳴をあげて、店長を呼んでる。
「……ちょっと、落ち着きません? 通報しなきゃいけなくなっちゃうんで」
俺は静かに言ったつもりなんだけれど……さすがに頭に来ていたからさ。凄んでいるようにも見えただろうな。
眼鏡リーマンは「やんのかオラぁ!」って、地団駄を踏むみたいにレジカウンターを蹴って、止めようとした俺は結構な勢いで殴られた。
漫画みたいにバキって言う小君いい音じゃなくて、生肉をフォークで下処理しているときみたいな鈍い音。
痛いけれど、不愉快さの方が優った。
2発目の気配がする。
取り押さえなきゃ、って思った瞬間ーーよく、ドラマとか映画でさ、アクションにスローモーションを入れる描写ってあるじゃん。
強調とか衝撃を演出するためのやつ。
アレをさ、産まれてはじめて目の当たりにしたんだ。
「離れてください。大人しくして」
迫りくるはずの、眼鏡リーマンが宙を舞った。
表現じゃなくて、本当に。
体操選手の側転みたいなスピードで、投げ技をキメられて、フローリングに落ちていく。
嘘みたいな光景の後……叩きつけられたような音なんてしなかった。
実際、衝撃もなかったんだと思う。
いちばん驚いた顔だったの、投げられた本人だったし。
「何があっても、暴力では解決しません。まずは落ち着いて。話をしましょう」
突然現れたこの人が、制服を着た警察官で、ちゃんと入り口から入ってきて、髪が長いから女の人であることはわかってる。
どう見ても自分より上背のある男をあっさりと制圧する……一切の無駄を廃した豹のような機敏さが眩しい。
だからこそ、信じられなかった。
「蒼乃、ちゃん?」
眼鏡リーマンを取り押さえたまま、「うん」と頷く彼女。
「怖かったね。もう、大丈夫だよ」
あ、やべ。
泣きそう。
なんでもない日の最後に
クソみたいな事案に遭遇して
嘘みたいな光景の後……俺の運命は、もう一度動き出す。
大好きで大好きで仕方がない、会いたくて会いたくて焦がれまくった初恋の人はーーめちゃくちゃカッコいい警察官になっていた。
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