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第9話 蒼乃⑥【合鍵と守れない約束と不穏な彼女】
しおりを挟む例えば、翌日も当たり前のように休日で
「今日は何する?」
「一緒に朝ごはんつくろっか」
「その後は映画でも見る?」
「もうちょっとベットにいようよ」
こんな風に、好きな人と時間を気にせず、ゆっくりと過ごせたなら。
それが、口頭でわざわざ約束するまでもない「恋人なら当たり前のこと」なら。
私はこの先、「当たり前」を裏切り、「普通ではないこと」を失望させ続けることになる。
シフト制とは名ばかりで、融通が利かず、夜勤が続き、休日返上も珍しくない。
休みだけれど『待機』だから『召集』に備えて都内から出られないし、飲酒もできない。
管轄内でデートしようものなら、同僚に職務上の関係者……事件関係者と関わってしまうこともあるだろう。
朝も昼も夜も関係なしに電話一本で招集される私は、叶えてあげられない『普通』が多すぎる。
優吾くんは私と……警察官の私と付き合うメリットって、あるのかな。
★
「……あ、いま、何時……!」
浮上した意識は、刹那に覚める。
咄嗟に時計を見た。時刻は7時15分。よかった、まだ間に合う。
「優吾くん、ごめん、起きて……」
ぎゅう、と私にくっついていたぬくもりは、すごく愛おしく……けれど、あどけない寝顔にほだされてはいけない。
声をかけつつ、着替える。制服は全て本署にあるので、華美でない服装で出勤するのが一般的だ。
チノパンにシャツ、スポーツ用ウィンドブレーカー。支度に時間はほとんどかからない。今更だけれど、通勤時の私はなにを職業にしている人かわからないと思う。
しばらく美容室にかかれていない黒髪を、低い位置で結わえたところで、優吾くんが眼を覚ます。……ポニーテールの方がオシャレだってわかっているけれど、帽子が邪魔になるので結び直さないといけないんだよね。
「おはよ……え、蒼乃ちゃん出勤……?」
むにゃむにゃしてる優吾くん可愛い……え、眼をこすってるところとか、赤ちゃんみたいなんだけど……じゃ、なくて!
「おはよ。うん、仕事じゃないんだけれど、出勤なの」
「どゆこと……?」
うん。ホント、その反応が全てだよ。
意味わからないよね。
「通常点検っていう……なんていえばいいのかな。手錠とか拳銃とか、装備品に不備がないかを点検する儀式みたいな……」
説明するのが難しすぎる。他の業界で言うところのなんなのだろう。朝礼? いや、朝礼のために出勤しないか……。
三日後に本部の方が来訪されるため、今日からみっちり、全員参加で通常点検が行われる。集団行動命なので休日など関係ないのだ。
「勤務はないんだけれど、本署……警察署の方に行かなきゃなんだ。ごめんね、慌ただしくて……あ、そうだ、優吾くん服!」
洗濯物、回してそのまま……。
「それは大丈夫、あの後干しといたから」
「……生乾きじゃない?」
「大丈夫、着られるって。一緒に出たほうがいいよね?」
立ち上がった優吾くん。完全に全裸なの忘れてる……!
ぱっと顔を背けたけれど……明るいところでみると、刻まれた筋肉の凹凸がくっきりと見えて、すごく、男の人なんだなぁって……。
腹筋とか、鼠径部の、なんていうの、あの筋肉……。とにかく、すごくえっちなの……!
……昨日私、あの身体の優吾くんに愛されちゃったんだ……。
「あ、あの、えっと……今日、大学は……?」
「都合の良いことに午後に2枠で、その後バイト」
「じゃあ、服がちゃんと渇くまでうちにいてもいいよ」
「え?! いいの?!」
「だって、あの時間からの夜干しじゃ生乾きでしょ? 私、11時くらいに帰ってくるから、それまで自由にしていて?」
「……どうしよう。昨日から俺にとって都合の良いことしか起きないんだけれど」
お言葉に甘えます! と元気のよい返事。
うん……あのね。元気なのは良いんだけれど……。
「ぱ、ぱんつは、生乾きで履けないかもしれないけれど、その……タオルでもいいから、できれば、隠して……!」
「あ……ご、ごめん!」
すごく、こう、男の子なんだなって……。
慌ててバスタオルで腰巻きを作る優吾くんは「スカートってこんな感じかぁ」としみじみしている。
それだけ聞くと変態っぽいよ、優吾くん……。
「戻ってこられる予定ではあるんだけれど……一応、合鍵渡しておくね」
「帰ってこられない可能性もあるんだ?」
「多いにある。めちゃくちゃある」
思わず食い気味に言ってしまった。優吾くんは「すっげー嫌そうな顔」と笑った。
「蒼乃ちゃんでも、そんな顔するんだなぁ」
「……どんな顔してた?」
「んー、Gが目の前を横切ったみたいな、殺意と嫌悪が混じってる感じ」
「Gはひっぱたけば済ませられるけれど、事案はもっと後を引くから……」
「Gのがマシっていう人初めて見た」
優吾くんは合鍵を見つめながら、嬉しそうにしている。
あぁ……出勤したくない。
家を出るリミットは8時。通勤ラッシュに辟易して、最近はロードバイクで出勤している。
いつもより更に適当に準備を整え、「行ってくるね!」と声をかけた。
「昼飯、つくっとくね」
「え、でも……」
「帰ってこられなかったら夜にでも食ってよ。冷蔵庫に入れとく。ほら、急ぐと危ないから、気を付けてね」
玄関の手前まで見送ってくれた優吾くんは「本当は外まで行きたいけれど、これだからなぁ」と腰巻バスタオルを指さす。……そうね、間違いなく通報されるね。
ふいに、くいっと顎を取られ、上を向かされた。
あ、と。気が付いたときには、唇が重なる。
「……行ってらっしゃい」
優しく、でも、名残惜しむように、離れるキスは……少しだけ、色っぽくて、見送りのキスにしては意地悪だったと思う。
それに、あんなに明るい声なのに、まるで捨てられた犬みたいに耳と尻尾が垂れているみたいな顔なんだもの。
「行ってきます……いい子にしててね」
私からも、優吾くんのほっぺに唇を寄せて、家を出た。
「~~~~ッ!」
どうしよう、めちゃくちゃ照れる……!
絶対顔が赤い……!
多分、ドアの向こうで、優吾くんも、同じ顔をしている気がする。
★
結論からいこう。
私は優吾くんに「ただいま」って言えなかった。
通常点検は滞りなく終了し、さぁ帰ろうと意気込んだのちに、花苑交番管轄内で不審者の目撃情報が。
最近、管内では室外機の窃盗の他、網戸の張替え業者を名乗る人物が事前に網戸を傷つけ「今すぐ張替えしますよ」と自作自演を行う事案が発生していた。
「普段は大人しいうちの犬が隣のお庭に向かってずっと吠えているものだから」
110番してくれたご婦人は、お隣の縁側でカッターナイフを握りしめる男の後姿を見たという。
不審者と直接対面することはなかったようだが、ご婦人は大層おびえていた。近年は、空き巣の警戒のみならず、大胆不敵な強盗が横行している。通報による報復を恐れるのは当然だ。
「巡回を強化します。なにか異変を感じましたら110番でも結構ですが、躊躇うようなことがありましたら、こちらでも対応致します」
私は『警察官が巡回しました』と書いてあるパトロールカードを渡した。そこには花園交番の番号と、もよりの警察署の番号が記載されている。
「えっと、躊躇う、というのは……?」
「不審な電話とか、不審な車を見かけたとか……緊急時ではないけれど、不安になるようなことがありましたらご利用ください。些細なことでも結構です。これが花苑交番の番号です。もちろん、緊急時には110番で」
ご婦人は
「お守り代わりに、目のつくところに保管します」
と、犬にもパトロールカードを見せていた。
「玄関近くにあると訪問詐欺の対策にもなりますよ」
「まぁお札みたい!」
言い得て妙である。
ちなみに、お隣の異変を察知したたいそう優秀なワンちゃんはポメラニアンだった。
私にものすごく懐いてくれるのは嬉しいけれど……きみは番犬として戦わなくていいからね。危ないから。
このように、午前中はまるまる潰れる。
優吾くんにメッセージは送れたが、罪悪感は凄い。
「嘘つきは泥棒のはじまり」って言うけれど、警察官はよっぽど嘘つきだ。
国民を守る職務のために、大切な人との約束を破ることなんてしばしばある。……どこの業界にもありえることなのかもしれないけれど、「時間が合わない」を理由にフラれる警官は少なくない。
結婚後の生活のビジョンだって定まりにくい。土日が休めない職場は多くても、夜勤と休日出勤がプラスαなんて最悪。
昨夜は宿直当番で、本日半日勤の予定だった榊くんもまた、表情は暗い。
「浅月も勤務時間外だよな」
「うん……どこかで振替……」
「無理だろ」
「だよね」
食い気味に会話できちゃうんだな。
通報を受けたら急行、現着、検証、聞き込み……それで終わりなわけじゃない。
詳細を説明したらきりがないけれど、機動捜査隊との連携とか、報告書のまとめとか、近隣に子どもの施設があるときは特別警戒するとか、状況に応じて発生する業務は多岐にわたる。
だから、私達は「今日は長引くぞ」という嗅覚に非常に敏感だ。
そして
「この後、何かある気がする」
「……やめてよ」
ヤマ感、と言っていいのかな。
榊くんの「嫌な予感」は良く当たる。
……鍛えられた能力なのか、引き当てる能力なのかは不明だけれど。
とはいえ、まさか
「30歳に近い警察官が19歳の大学生と付き合うって、職務的にどうなんですか?」
落とし物を探している、と言って訪れた女子大生が、最初から私を攻撃するためだけに訪れるなんてことは、誰も想像できなかったと思う。
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