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第12話 優吾⑤【ジレンマと同期と不穏な影】
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昨夜の電話の後、『逮捕術訓練』を検索した俺は「あぁあああ……」って変な声が出た。
全国大会? の動画だったんだけれどさ。これ、蒼乃ちゃんがやるの……? 大丈夫かな、マジで……。
想い人が大変な目にあっていても、それが職務である以上、漫画や映画のヒーローみたいに駆けつけることはできない。
でもさ。
「助けてあげられないことだから、聞いたところでどうしようもない」みたな……「それを俺に言ってどうすんの?」っていう顔は絶対にしたくない。解決できないから知りたくないとか、ありえないだろ。
蒼乃ちゃんが何を見ているのか、ちゃんと知りたいじゃん。
好きでも嫌いでも、苦手なことでも、逃げたいことでも、蒼乃ちゃんが向き合っているものに、俺は眼を反らしたくない。
寄り添うことがどういうことなのか正直よくわからんけれど、無関心の対極でいたいといいますか。
……自己満足だってわかってんだよなぁ。俺ってめんどくさい性格してる。
そんなことを考えながら、今日も今日とてバイト中の俺。皿を洗う手は止まらない。単純作業って、心がもやつくときにいいよな。綺麗になると達成感もあるし。
うちの飲み屋が混雑する日は、ノー残業デーの水曜日と花金の金曜日、いわずもがなの土曜日。今日は混み合う水曜日だけれど、水曜日のお客は来るのが早くて帰るのは早い。
そのため、
「今日、早めに締めよっかー」
こんなふうに、閉店1時間前に閑散としちゃったりする。
こういうときは大概、宮下さんとくだらないことを喋りながらバッシングに入って、明日の仕込みをする。
「なんか、意外だなー。蜂須賀くんって、デートの報告とかもっとうっほうっほで話してくれるのかと思ってた」
えぇー……黒澤と同じこと言うじゃん……。
「完全にゴリラの声なんスけれど……俺ってそんなに口軽そうっスか?」
「そういうわけじゃないんだけれどね。幼馴染のお姉さんのエピソードだって根掘り葉掘り苛め抜いて聞き出した自覚はあるし」
あるのね。そういう自覚……。
「意外と秘密主義っぽいところ、あるよね。惚気話でからかってやりたいんだけれどな~」
「この流れで喋ったら、俺ドMじゃないスか」
「えー、えっちなお姉さんによしよしされながらいちゃいちゃしたいタイプでしょ?」
「ちょ、マジで勘弁して……!」
否定できねぇ~!
がんがん責めに責めまくって、どろっどろに蕩けた蒼乃ちゃんに意地悪したいし、その逆もアリ……って、やめろ! 煩悩を呼び覚ますな! えっちな蒼乃ちゃんマジで最高だったから!
「真面目な話さぁ、8年ぶりの再会でしょ? もっと舞い上がるもんじゃいの?」
「……相手は、社会人じゃないスか。なんかこう、仕事の悩みとかも多そうで……そいうとき、俺って頼りにならないんじゃないかなって」
「え、今更なに言ってんの?」
うん、マジで俺もそう思う。
ホントに馬鹿だなって思うんだけれど……。
「……向こうからしてさ。俺と、学生と付き合うメリットってあんのかなって……」
蒼乃ちゃんは少なからず、俺のことを異性として好意的に見てくれるから、前回のデートの後、応じてくれたんだと思うけれど……。
元カ……蒼乃ちゃんのことを何もわかっていないクソ野郎、そいつがたまたま酷かっただけで、蒼乃ちゃんがその気になれば、俺よりも高スペックな男、簡単に捕まえられるはずなんだ。
蒼乃ちゃんは……俺を選ぶことで、本来当たり前に得られたはずのものを失うんじゃないかって。そう思ったら……なんか……。
ぐるぐる考え込む俺とは対照に、宮下さんの返事は早い。
「メリットぉ~? ないよ、そんなもん」
「酷ぇな?!」
即答しやがった。
「歳下、しかも学生と付き合うってさ、女の方に負担は少なからずあると思うよ。特に女性側が働いている立場で、社会的信用が必要な人なら、尚更」
ド正論が全部刺さる。
知ってる。
全部わかってる。
だからこそ、耳も心臓も痛ぇ……!
「でも、それってさ、あんたの大好きなお姉さんにも同じこと言えるからね?」
「は?」
「案外お相手のお姉さんも、『若い男の子、それも大学生のいちばんモテる時期に、アラサーの私と付き合うメリットってあるのかな』とか思ってそう」
目が点になる、という表現が、産まれて初めてしっくりきた。
「いや、ないないない……あ、いや、どうだ? 確かに、そういうこと思ってそ……いや、前に否定したし大丈夫……? いやどうだ?!」
やばい。
今すぐ会いたい。
今すぐ会って確認したい。
メリットとか!
そーいうんじゃないって!
ただ一緒にいて……願わくば好きあっていたいだけなんだって!
年齢も職業も、俺にとっちゃどうでもいい。俺はとにかく、蒼乃ちゃんが好きなのであって、蒼乃ちゃんがどんな仕事をしていようが絶対蒼乃ちゃんだけが好きで……!
「……うわ~……余計もやもやした」
「私のせいみたいな言い方しないでよ。どうせ直面する問題でしょ?」
そうっスね。はい。
なんだったら現在進行形でぶち当たってましたわ。
こんな会話をしながらも、手を休めない俺たちは、もう殆どやることが残っていなかった。
ラストオーダーまで残り30分を切る。
このまま上がりかなぁ、なんて話していた時、入店のチャイムが鳴る。
「あ……いらっしゃいませー!」
まじか、と宮下さんと顔を見合わせた。
閉店ぎりぎり客なんて珍しい。
「あ、お店もう終わるところ?」
ひょこ、と暖簾をくぐって顔を出したのは、蒼乃ちゃんと同じ歳くらいの男性だった。
短髪で目が切れ長……この泣きぼくろ、どこかで見たような……。
「いえ、あと50分ほど。ラストオーダーまで30分なのですが……」
「オッケー、1人でお願い」
「カウンターで宜しいですか?」
「どこでもいいよ。手間をかけさせるね」
物腰が柔らかく、軽い雰囲気なのに、なんだろう。凄く警戒されているような……こちらを見定めるような視線を感じる。
ふと、その横顔に合点がいった。
「あの、もし人違いでしたら申し訳ないのですが、先日、うちに来てくれた警察官の方ですか?」
おしぼりとお通しを提供しながら声をかける。すると
「あ、わかる? 凄いね、顔を覚えられるタイプかぁ。君」
にや、と。
正解~なんて口にするくせに、どことなく意地悪い笑みだった。
「蜂須賀くん、この後すこーしだけ時間もらうとか、アリ? 一杯奢る……つっても19だったな。ダメ?」
「……後じゃなくて、今で大丈夫だと思うんで、店長と相談してきます」
「そう? 悪いね」
……その顔、絶対悪いなんて思っていないだろ。
店長はあっさり早上がりを承諾してくれた。
宮下さんはだいぶ訝しんだ様子だけれど「暇だし問題ないよ」と一言。私服に着替えてフロアに戻ったとき、なにやら楽しそうにしていた。
「え~、お兄さん警察官って感じ全然しない~」
「でしょ~? 休日職質されたことある~」
それは、いいのか……?
宮下さんは俺と行き違いになる形でバックヤードへ。「お手柔らかにしてやってくださいよ~」と笑いながら手を振っている。
……なんか、不穏な空気しかない。
お客さんが「何か頼めば?」と、勧めるので烏龍茶を自分で用意した。
「あー、そんなに警戒すんなよ~。あ、俺の名刺、これね。榊って言うの。浅月と同じ巡査部長で、同じ勤務先。仲良いんでしょ? 浅月と」
ここのお通し美味いね、糠漬け? などと、箸を休めないまま、片手で名刺を渡された。
なんでもないことのように、「浅月」と口にする……背筋にぞわ、と。
表現のしようもない悪寒が走る。
不遜な態度はどうでもい。
ガキだって思われるのは当然だ。
問題はそこじゃない。
こいつ、俺と蒼乃ちゃんの仲を知ってやがる。
瞬間的に眉間に力が籠った。
喉の奥がぐっと鳴るような気がして、歯を食いしばる。
何が目的だ? どう、出るのが正解だ……?
「おー……蜂須賀くんね、君、ちょっと顔に出過ぎ。わかりやすく威嚇しないの。最近の若い子って沸点低いの?」
肩をすくめて呆れるような仕草が癪に触った。わざとだろ、これ。先程からの不遜な態度と嘲る視線は、俺を見定めしていたのか。
「……俺になんの用ですか」
「え、特にないよ?」
「は?」
「強いて言うなら、嫌がらせ?」
「はぁ?」
ぱっと、イタズラを思いついた猫のような、三日月に歪む口元。
「ちょっとねー、大人気ないこと承知で、お灸を据えてやろうかな、とは思ったんだけれど。その気が失せちゃった。宮下ちゃんに感謝しなー?」
「わ、けわかんないんスけど……」
「うーん。俺もさ、自分が何をしたいのかイマイチよくわからなくなっちゃった」
「酔ってます?」
「はは! 心配されちった」
警察官なのに、と。ハイボールを一気飲み。お代わりするのかよ。まさかラリってないよな?
「蜂須賀くんさぁ……俺に早く出ていって欲しいでしょ? そんでもって、二度と来るなって」
「お客さんにそんなこと言っていい立ち場じゃないっス」
「従業員としては100点の解答じゃん。でも、今はプライベートでしょ?」
「俺個人としては、あまり」
「はは! 素直でよろしい。だよなぁ。わかるよ」
俺は、この食えない人のことがとことんよくわからない。
わけのわからない薄気味悪さにずっと警戒していたけれど、今の笑顔だけは本心なんだって、なぜか、すぐにわかったんだ。
そして
「仕事中にプライベートのことを他人に持ち出されるのは嫌だよなァ。どんなに理不尽なことをされたって、勤務中はサンドバックになるしかねぇもん」
合点はすぐにいく。
「蒼乃ちゃ……蒼乃さんに何かあったんスか?!」
身を乗り出した瞬間、口をつけていないグラスが揺れる。危うく割れるところだった。
「あ、ぶね……落ち着け、今じゃねぇから」
「何かあった後じゃねぇか!」
「うん、まぁそうなのよ。それは良いとして、頭の回転が早いのね、蜂須賀くん。察しがいいし、人の顔も覚えられるし、ガタイもいいじゃん。……宮下さんが言うには勤務態度も良いみたいだし。蜂須賀くん、君は警察官にならないか?」
「話の本筋を逸らすなよ!」
「はは! そーね! 悪ぃ悪ぃ」
だから、その言い方、軽すぎて謝っているように見えねぇんだよ……。
あっけらかんとしている榊さんは箸を一切止めようとしない。「美味いなぁ」と食べてくれるのは嬉しいけれどさ……。
「えーと、何から話せばいいんだっけ?」
大切なことは何一つ話せていないよ、榊さん。
★
他の業界のことなんて知らないけれど、『同期』っていう繋がりは、警察官にとってなんとなく特別なものなんだよね、と榊さんは言った。
「浅月は俺と同じ教場でさ、まぁ、ぶっちゃけ世話になりっぱなしだったよね。学科試験の対策とか、面接も小論文も。すげぇ教え方が上手いの。それでいてマウントを取りたがる奴じゃないし」
「……ぶっちゃけモテてました?」
「掃いて捨てるほどモテてたな。男からも女からも」
「だよなぁあああ……!」
モテないわけがないんだよ! 蒼乃ちゃんが!
8年前の蒼乃ちゃんは女子校だったからよくわかっていなさそうだったけれど、当時からモテてたもん! 俺、小学生ながらめちゃくちゃ眼を光らせていたし!
うわぁ、わかっていた。わかっていたけれどすげぇ、なんか、吐き気する……。
「安心しろ、ハッチ。告った奴はほぼいなかった。そんな根性のある奴はうちの教場にはいなかった」
「……ハッチってなんすか」
「蜂須賀だからハッチ」
「小学生の頃のあだ名なんスけど……じゃなくて、根性ってどういうことスか」
「毎日毎日アホみたいに勉強、訓練、訓練、勉強、の日々よ? しかも規律規則がえっぐいし娯楽なんてほぼなし! ケータイのもちこみもNG! 精神的にも肉体的にもぎりぎりの状況で、『可愛いなぁ』って思った女の子が自分よりタフで頭が良いんだぜ? 『あ、こいつ明らかに俺より優秀で、絶対出世するじゃん』って思ったらさ、折れるだろ、心が」
「それ榊さんの話っスよね?」
「まぁ、そうなんだけれど」
「あんたライバルかよ!」
「安心しろ。俺はとっくに諦めているから」
サムズアップしているけれど、キマってねぇよ?
威張ることじゃねぇんだよなぁ、さっきから。
「俺は学校時代、浅月は近い将来俺の上司になっちゃうかもなぁって思ってたの。……たださ、ホントに嫌な話なんだけど、俺が思うほど、警察っつー組織って、前時代的で理不尽なわけ。いくら世間で男女平等を謳ったところで、それが現実に落とし込まれるのは別の話でさ」
「……はっきり言って欲しいんスけど」
「優秀な女は組織から嫌われるんだよ。仕事に誠実で要領が良くて、勉強ができて真面目でも、あの組織では性別が足を引っ張るんだ」
鉛をぶちこまれたように、酷く、胸が重たくなった。
ずっと、榊さんが嘲るように笑っていた理由が分かった気がする。
榊さんは、蒼乃ちゃんの置かれている状況に納得していないし、それを見て見ぬふりをしている自分自身に思うところがある。でもそれは、自分一人ではどうしようもないことだって、この人はよくわかっているんだ。
「ハッチさぁ『美人すぎる警察官』っていうミーム、見たことない? 3、4年前にちょっと流行ったやつ」
「……ちょうど死ぬほど勉強していた頃なんで、SNS断ちしてました」
「お前……思ったより真面目なのね……」
なんなんだよ、その「ちょっと意外」みたいな眼。
「まぁいいや、それさ、浅月なの。広報が良かれと思って、あいつの顔写真を警察官募集のポスターとかパンフに使っちゃったのね。そしたら一定数のファン層ができちゃったわけ。オフィシャルで『職員のプライバシーを侵害する行為はやめてください』って発表する騒ぎになっちゃってさぁ」
「それ、蒼乃ちゃん何も悪くねぇじゃん!」
「そう。浅月は何も悪くない。むしろ被害者だ。でも、ことあるごとに『アイドル活動したいならば職場を変えれば?』的な、クソみたいなことを言われていたらしいね。……翌月から、浅月は留置に配属になった」
「留置って」
「留置所。警察官の中で、一番外に出ない部署っつーこと。当然留置に配属されるのが悪いことってわけじゃねぇよ? でもさ、騒ぎの後に転属だぜ? 謹慎みたいなことさせられてんなって……少なくとも俺は思っちゃったよね」
「……クソみたいな話っすね」
顔を顰めるしかなかった。
こんな不愉快な話、他にあるかよ。
榊さんも「ほんとにな」と続ける。
「たださ、留置を勤続した翌年ってのは希望の部署に配属されやすいっていうジンクスがあって、浅月は今年やっと地域課になったの。俺と同じところで働きたいって」
「真面目に話してください」
まじでその冗談聞きたくねぇ。「ごめんごめん」じゃねぇのよ。
「浅月は警察学校時代から地域課を希望していてさ。それこそ、今みたいに近所の人と交流のある交番勤務員になりたかったんだって。……ここで話が終われるならよかったんだけれどさぁ」
榊さんは、レジカウンターの横を指す。
丁度、蒼乃ちゃんが眼鏡リーマンを背負い投げしたあたり……。
「この間の事案、この店の客が撮影してて、取り押さえるところをアップロードしやがった」
「は……」
「たまたま発見が早くて、早期対処できたけれど、あんなもん保存されていたら削除したって意味ないからな。その件でまた、頭の固ぇオヤジ共がぴりっとしちゃったわけ」
榊さんは、くだらねぇよな、と鼻で笑う。他にもよ、て続けるから、正直まだあるのかとうんざりした。
「なんとなーく、さ。足を引っ張ろうとしてくる輩って、どこにでも一定数いるの。浅月は目立つ分、そういうクソ野郎の標的にされやすい。本人が美人を鼻にかけて広告塔になるタイプなら話は別だけど。ウチの『美人すぎるゴリラ』はクソ真面目だからそういうの性格的に向いてねぇのよね」
まって、蒼乃ちゃん。
『美人すぎるゴリラ』ってあだ名なん?! どこがゴリラ? 月の女神の間違いでは?! つか、俺と似たようなニックネーム……だめだ、ここでツッコんだらマジで話が進まない。
「長くなったけれど、ここからが本題」
いままで、軽口をたたいていたチャラい兄ちゃんだったのが、ゆっくりと、本性を現すように、声が低くなって
「……一昨日『警察官が19歳の大学生に手を出していいんですか?』っていうクレームをつけてきた女子大生がいる」
俺を射抜く視線は、蛇のようだった。
「最初に対応したのはうちの巡査だった。馬鹿まじめに事件性がないか話を聞いているうちに、浅月と俺が帰ってきて、女子大生は『あなたのことですよ』って、浅月に言ってから立ち去った。当然、浅月は不審な目をむけられることになる。職務中に若い男をナンパしたのかって」
「はぁ?! んなわけ……!」
「どうどう、落ち着け。わかっているよ」
榊さんはとっくに中身のないハイボールを煽って、氷をかみ砕きながら続ける。
「……俺はさ、ハッチがあの夜の一件をきっかけに、一方的に浅月に言い寄って、あの女子大生が暴走したのかと思ったんだよね。だから『てめぇの女だから知らねぇけれど、ケツぐらいふけや』って、ハッチに言うべきかなーと思って……来ちゃったって感じ! てへっ」
いまさらおふざけされても、全然笑えねぇよ……。
「で、一応聞くけど、浅月とはどーいう関係なの」
「……幼馴染です。今は、まだ」
順番すっ飛ばして、えっちしちゃったけれど、俺は蒼乃ちゃんから「好き」って言われていないこと、実は結構気にしている。
「ん、了解」と。榊さんは言った。
中途半端にちょっかいを出しているんじゃないなら、なんだっていいやって。
「とはいえ、今回の一件は浅月にとってまーた足を引っ張ることになるだろうなァ。職場に色恋沙汰を持ち込む女って」
後頭部をバットでぶん殴られた方がまだましだって、そう思えるくらい、視界が赤く染まって、揺れて、冷や汗が噴き出る。
ふざけんな、ふざけんなよ。
ぐるぐる渦巻く怒りが、べたべたと俺を染めていくみたいだった。
「ハッチ。一応慰めてやるけれど、花苑交番内で浅月を嫌う連中に今回の件をリークするゴミはいねぇよ」
「……今は耳に入らないだろう、っていうことですよね」
考えたくない。
考えたくないけれど。
その女子大生が交番じゃなくて、警察署や電話口で、同じことをしたら、蒼乃ちゃんは蒼乃ちゃんを嫌う奴らから恰好の標的にされる。
俺たちに起こりうる問題は、俺が我慢すれば大半のことはどうにかなるって……心のどこかで、たかを括っていた。
こんな形で彼女が苦しめられるなんて想像もできなかった。
視界が眩むほどの焦燥は、更地になっていく蒼乃ちゃんの家を目の当たりにした時以来。
そして、
ふつふつと、ぐらぐら煮えるような怒りに打ち震えたのは、人生で初めてだった。
「……焚き付けるつもりはなかった、って言ったらウソになるんだけれどさ。ハッチ。頼むから、上手く立ち回ってくれよ」
お前、その顔めちゃくちゃ怖いよ、と。
榊さんは肩をすくめた。
「それ、榊さんが言うんですか」
「まーね。同期可愛さのあまり、女子大生と同じことしちゃったけどね」
俺は大人げないのが取り得だから! と、舌をぺろっと出す。
ぜんっぜん可愛くねぇ!
「浅月のことを考えればさ、今から乗り込む! みたいな馬鹿な手段はとらないと思うけれど、まーじで頭を使って対処してくれ。穏便かつ波風を立てないように、な?」
「善処します」
「ちょっと、まじで大丈夫かよ……眼ぇガンギマリじゃん……例の女子大生と話し合う時、第三者を入れたほうがいいんじゃねぇの」
悔しいけれど、説明をしてくれたの、毒牙をかたっぱしから抜いていくスタイルの榊さんじゃなきゃ俺はとっくに店を飛び出していたかもしれない。
緩いっていうか、チャラいっていうか、どうしようもない軽さが重要なことってあるんだな……うん、落ち着け、俺。もしかして榊さん、一周回ってすごい人なのかな。腹立つことを馬鹿馬鹿しくさせる才能っていうか……。
「あのぉ……もう閉店時間なんですけれど……」
おずおずと厨房から顔をだす宮下さん。
「あっ! ごめんね~! 今会計するね~」
「いえ、お話中すみません……そして、めっちゃ聞いちゃってごめん、蜂須賀くん……。あのさ、女子大生って、多分あの子だよね?」
「……宮下さんの想像する相手で間違いないと思うよ」
「お、面識ある感じ?」
「蜂須賀くん目当てでお店に来た子ですね。私バチクソにガン飛ばされているんで。……あのさ、ここで話し合いすれば? 蜂須賀くんが暴走しないように、私が止めますよ」
「ハッチ、宮下さんに借りをつくりすぎじゃねぇ?」
えぇ~、宮下さんイイ女すぎない? と、拍手する榊さん。
当の本人は「もっと言ってくれていいですよ!」と、決め顔だ。
「提案は嬉しいんですが、いったん保留にさせてください。……ちょっと、引っかかることがあって」
榊さんの存在が強烈すぎたけれど、とにかく今は蒼乃ちゃんと話がしたい。
できれば、ちゃんと顔を合わせて。
……わかっている。もう日付が超えるほど遅い時間だ。
でも、でもさ。
蒼乃ちゃんが傷ついているときに、一番傍で慰めたいって思うのは、俺のエゴなのかな。
全国大会? の動画だったんだけれどさ。これ、蒼乃ちゃんがやるの……? 大丈夫かな、マジで……。
想い人が大変な目にあっていても、それが職務である以上、漫画や映画のヒーローみたいに駆けつけることはできない。
でもさ。
「助けてあげられないことだから、聞いたところでどうしようもない」みたな……「それを俺に言ってどうすんの?」っていう顔は絶対にしたくない。解決できないから知りたくないとか、ありえないだろ。
蒼乃ちゃんが何を見ているのか、ちゃんと知りたいじゃん。
好きでも嫌いでも、苦手なことでも、逃げたいことでも、蒼乃ちゃんが向き合っているものに、俺は眼を反らしたくない。
寄り添うことがどういうことなのか正直よくわからんけれど、無関心の対極でいたいといいますか。
……自己満足だってわかってんだよなぁ。俺ってめんどくさい性格してる。
そんなことを考えながら、今日も今日とてバイト中の俺。皿を洗う手は止まらない。単純作業って、心がもやつくときにいいよな。綺麗になると達成感もあるし。
うちの飲み屋が混雑する日は、ノー残業デーの水曜日と花金の金曜日、いわずもがなの土曜日。今日は混み合う水曜日だけれど、水曜日のお客は来るのが早くて帰るのは早い。
そのため、
「今日、早めに締めよっかー」
こんなふうに、閉店1時間前に閑散としちゃったりする。
こういうときは大概、宮下さんとくだらないことを喋りながらバッシングに入って、明日の仕込みをする。
「なんか、意外だなー。蜂須賀くんって、デートの報告とかもっとうっほうっほで話してくれるのかと思ってた」
えぇー……黒澤と同じこと言うじゃん……。
「完全にゴリラの声なんスけれど……俺ってそんなに口軽そうっスか?」
「そういうわけじゃないんだけれどね。幼馴染のお姉さんのエピソードだって根掘り葉掘り苛め抜いて聞き出した自覚はあるし」
あるのね。そういう自覚……。
「意外と秘密主義っぽいところ、あるよね。惚気話でからかってやりたいんだけれどな~」
「この流れで喋ったら、俺ドMじゃないスか」
「えー、えっちなお姉さんによしよしされながらいちゃいちゃしたいタイプでしょ?」
「ちょ、マジで勘弁して……!」
否定できねぇ~!
がんがん責めに責めまくって、どろっどろに蕩けた蒼乃ちゃんに意地悪したいし、その逆もアリ……って、やめろ! 煩悩を呼び覚ますな! えっちな蒼乃ちゃんマジで最高だったから!
「真面目な話さぁ、8年ぶりの再会でしょ? もっと舞い上がるもんじゃいの?」
「……相手は、社会人じゃないスか。なんかこう、仕事の悩みとかも多そうで……そいうとき、俺って頼りにならないんじゃないかなって」
「え、今更なに言ってんの?」
うん、マジで俺もそう思う。
ホントに馬鹿だなって思うんだけれど……。
「……向こうからしてさ。俺と、学生と付き合うメリットってあんのかなって……」
蒼乃ちゃんは少なからず、俺のことを異性として好意的に見てくれるから、前回のデートの後、応じてくれたんだと思うけれど……。
元カ……蒼乃ちゃんのことを何もわかっていないクソ野郎、そいつがたまたま酷かっただけで、蒼乃ちゃんがその気になれば、俺よりも高スペックな男、簡単に捕まえられるはずなんだ。
蒼乃ちゃんは……俺を選ぶことで、本来当たり前に得られたはずのものを失うんじゃないかって。そう思ったら……なんか……。
ぐるぐる考え込む俺とは対照に、宮下さんの返事は早い。
「メリットぉ~? ないよ、そんなもん」
「酷ぇな?!」
即答しやがった。
「歳下、しかも学生と付き合うってさ、女の方に負担は少なからずあると思うよ。特に女性側が働いている立場で、社会的信用が必要な人なら、尚更」
ド正論が全部刺さる。
知ってる。
全部わかってる。
だからこそ、耳も心臓も痛ぇ……!
「でも、それってさ、あんたの大好きなお姉さんにも同じこと言えるからね?」
「は?」
「案外お相手のお姉さんも、『若い男の子、それも大学生のいちばんモテる時期に、アラサーの私と付き合うメリットってあるのかな』とか思ってそう」
目が点になる、という表現が、産まれて初めてしっくりきた。
「いや、ないないない……あ、いや、どうだ? 確かに、そういうこと思ってそ……いや、前に否定したし大丈夫……? いやどうだ?!」
やばい。
今すぐ会いたい。
今すぐ会って確認したい。
メリットとか!
そーいうんじゃないって!
ただ一緒にいて……願わくば好きあっていたいだけなんだって!
年齢も職業も、俺にとっちゃどうでもいい。俺はとにかく、蒼乃ちゃんが好きなのであって、蒼乃ちゃんがどんな仕事をしていようが絶対蒼乃ちゃんだけが好きで……!
「……うわ~……余計もやもやした」
「私のせいみたいな言い方しないでよ。どうせ直面する問題でしょ?」
そうっスね。はい。
なんだったら現在進行形でぶち当たってましたわ。
こんな会話をしながらも、手を休めない俺たちは、もう殆どやることが残っていなかった。
ラストオーダーまで残り30分を切る。
このまま上がりかなぁ、なんて話していた時、入店のチャイムが鳴る。
「あ……いらっしゃいませー!」
まじか、と宮下さんと顔を見合わせた。
閉店ぎりぎり客なんて珍しい。
「あ、お店もう終わるところ?」
ひょこ、と暖簾をくぐって顔を出したのは、蒼乃ちゃんと同じ歳くらいの男性だった。
短髪で目が切れ長……この泣きぼくろ、どこかで見たような……。
「いえ、あと50分ほど。ラストオーダーまで30分なのですが……」
「オッケー、1人でお願い」
「カウンターで宜しいですか?」
「どこでもいいよ。手間をかけさせるね」
物腰が柔らかく、軽い雰囲気なのに、なんだろう。凄く警戒されているような……こちらを見定めるような視線を感じる。
ふと、その横顔に合点がいった。
「あの、もし人違いでしたら申し訳ないのですが、先日、うちに来てくれた警察官の方ですか?」
おしぼりとお通しを提供しながら声をかける。すると
「あ、わかる? 凄いね、顔を覚えられるタイプかぁ。君」
にや、と。
正解~なんて口にするくせに、どことなく意地悪い笑みだった。
「蜂須賀くん、この後すこーしだけ時間もらうとか、アリ? 一杯奢る……つっても19だったな。ダメ?」
「……後じゃなくて、今で大丈夫だと思うんで、店長と相談してきます」
「そう? 悪いね」
……その顔、絶対悪いなんて思っていないだろ。
店長はあっさり早上がりを承諾してくれた。
宮下さんはだいぶ訝しんだ様子だけれど「暇だし問題ないよ」と一言。私服に着替えてフロアに戻ったとき、なにやら楽しそうにしていた。
「え~、お兄さん警察官って感じ全然しない~」
「でしょ~? 休日職質されたことある~」
それは、いいのか……?
宮下さんは俺と行き違いになる形でバックヤードへ。「お手柔らかにしてやってくださいよ~」と笑いながら手を振っている。
……なんか、不穏な空気しかない。
お客さんが「何か頼めば?」と、勧めるので烏龍茶を自分で用意した。
「あー、そんなに警戒すんなよ~。あ、俺の名刺、これね。榊って言うの。浅月と同じ巡査部長で、同じ勤務先。仲良いんでしょ? 浅月と」
ここのお通し美味いね、糠漬け? などと、箸を休めないまま、片手で名刺を渡された。
なんでもないことのように、「浅月」と口にする……背筋にぞわ、と。
表現のしようもない悪寒が走る。
不遜な態度はどうでもい。
ガキだって思われるのは当然だ。
問題はそこじゃない。
こいつ、俺と蒼乃ちゃんの仲を知ってやがる。
瞬間的に眉間に力が籠った。
喉の奥がぐっと鳴るような気がして、歯を食いしばる。
何が目的だ? どう、出るのが正解だ……?
「おー……蜂須賀くんね、君、ちょっと顔に出過ぎ。わかりやすく威嚇しないの。最近の若い子って沸点低いの?」
肩をすくめて呆れるような仕草が癪に触った。わざとだろ、これ。先程からの不遜な態度と嘲る視線は、俺を見定めしていたのか。
「……俺になんの用ですか」
「え、特にないよ?」
「は?」
「強いて言うなら、嫌がらせ?」
「はぁ?」
ぱっと、イタズラを思いついた猫のような、三日月に歪む口元。
「ちょっとねー、大人気ないこと承知で、お灸を据えてやろうかな、とは思ったんだけれど。その気が失せちゃった。宮下ちゃんに感謝しなー?」
「わ、けわかんないんスけど……」
「うーん。俺もさ、自分が何をしたいのかイマイチよくわからなくなっちゃった」
「酔ってます?」
「はは! 心配されちった」
警察官なのに、と。ハイボールを一気飲み。お代わりするのかよ。まさかラリってないよな?
「蜂須賀くんさぁ……俺に早く出ていって欲しいでしょ? そんでもって、二度と来るなって」
「お客さんにそんなこと言っていい立ち場じゃないっス」
「従業員としては100点の解答じゃん。でも、今はプライベートでしょ?」
「俺個人としては、あまり」
「はは! 素直でよろしい。だよなぁ。わかるよ」
俺は、この食えない人のことがとことんよくわからない。
わけのわからない薄気味悪さにずっと警戒していたけれど、今の笑顔だけは本心なんだって、なぜか、すぐにわかったんだ。
そして
「仕事中にプライベートのことを他人に持ち出されるのは嫌だよなァ。どんなに理不尽なことをされたって、勤務中はサンドバックになるしかねぇもん」
合点はすぐにいく。
「蒼乃ちゃ……蒼乃さんに何かあったんスか?!」
身を乗り出した瞬間、口をつけていないグラスが揺れる。危うく割れるところだった。
「あ、ぶね……落ち着け、今じゃねぇから」
「何かあった後じゃねぇか!」
「うん、まぁそうなのよ。それは良いとして、頭の回転が早いのね、蜂須賀くん。察しがいいし、人の顔も覚えられるし、ガタイもいいじゃん。……宮下さんが言うには勤務態度も良いみたいだし。蜂須賀くん、君は警察官にならないか?」
「話の本筋を逸らすなよ!」
「はは! そーね! 悪ぃ悪ぃ」
だから、その言い方、軽すぎて謝っているように見えねぇんだよ……。
あっけらかんとしている榊さんは箸を一切止めようとしない。「美味いなぁ」と食べてくれるのは嬉しいけれどさ……。
「えーと、何から話せばいいんだっけ?」
大切なことは何一つ話せていないよ、榊さん。
★
他の業界のことなんて知らないけれど、『同期』っていう繋がりは、警察官にとってなんとなく特別なものなんだよね、と榊さんは言った。
「浅月は俺と同じ教場でさ、まぁ、ぶっちゃけ世話になりっぱなしだったよね。学科試験の対策とか、面接も小論文も。すげぇ教え方が上手いの。それでいてマウントを取りたがる奴じゃないし」
「……ぶっちゃけモテてました?」
「掃いて捨てるほどモテてたな。男からも女からも」
「だよなぁあああ……!」
モテないわけがないんだよ! 蒼乃ちゃんが!
8年前の蒼乃ちゃんは女子校だったからよくわかっていなさそうだったけれど、当時からモテてたもん! 俺、小学生ながらめちゃくちゃ眼を光らせていたし!
うわぁ、わかっていた。わかっていたけれどすげぇ、なんか、吐き気する……。
「安心しろ、ハッチ。告った奴はほぼいなかった。そんな根性のある奴はうちの教場にはいなかった」
「……ハッチってなんすか」
「蜂須賀だからハッチ」
「小学生の頃のあだ名なんスけど……じゃなくて、根性ってどういうことスか」
「毎日毎日アホみたいに勉強、訓練、訓練、勉強、の日々よ? しかも規律規則がえっぐいし娯楽なんてほぼなし! ケータイのもちこみもNG! 精神的にも肉体的にもぎりぎりの状況で、『可愛いなぁ』って思った女の子が自分よりタフで頭が良いんだぜ? 『あ、こいつ明らかに俺より優秀で、絶対出世するじゃん』って思ったらさ、折れるだろ、心が」
「それ榊さんの話っスよね?」
「まぁ、そうなんだけれど」
「あんたライバルかよ!」
「安心しろ。俺はとっくに諦めているから」
サムズアップしているけれど、キマってねぇよ?
威張ることじゃねぇんだよなぁ、さっきから。
「俺は学校時代、浅月は近い将来俺の上司になっちゃうかもなぁって思ってたの。……たださ、ホントに嫌な話なんだけど、俺が思うほど、警察っつー組織って、前時代的で理不尽なわけ。いくら世間で男女平等を謳ったところで、それが現実に落とし込まれるのは別の話でさ」
「……はっきり言って欲しいんスけど」
「優秀な女は組織から嫌われるんだよ。仕事に誠実で要領が良くて、勉強ができて真面目でも、あの組織では性別が足を引っ張るんだ」
鉛をぶちこまれたように、酷く、胸が重たくなった。
ずっと、榊さんが嘲るように笑っていた理由が分かった気がする。
榊さんは、蒼乃ちゃんの置かれている状況に納得していないし、それを見て見ぬふりをしている自分自身に思うところがある。でもそれは、自分一人ではどうしようもないことだって、この人はよくわかっているんだ。
「ハッチさぁ『美人すぎる警察官』っていうミーム、見たことない? 3、4年前にちょっと流行ったやつ」
「……ちょうど死ぬほど勉強していた頃なんで、SNS断ちしてました」
「お前……思ったより真面目なのね……」
なんなんだよ、その「ちょっと意外」みたいな眼。
「まぁいいや、それさ、浅月なの。広報が良かれと思って、あいつの顔写真を警察官募集のポスターとかパンフに使っちゃったのね。そしたら一定数のファン層ができちゃったわけ。オフィシャルで『職員のプライバシーを侵害する行為はやめてください』って発表する騒ぎになっちゃってさぁ」
「それ、蒼乃ちゃん何も悪くねぇじゃん!」
「そう。浅月は何も悪くない。むしろ被害者だ。でも、ことあるごとに『アイドル活動したいならば職場を変えれば?』的な、クソみたいなことを言われていたらしいね。……翌月から、浅月は留置に配属になった」
「留置って」
「留置所。警察官の中で、一番外に出ない部署っつーこと。当然留置に配属されるのが悪いことってわけじゃねぇよ? でもさ、騒ぎの後に転属だぜ? 謹慎みたいなことさせられてんなって……少なくとも俺は思っちゃったよね」
「……クソみたいな話っすね」
顔を顰めるしかなかった。
こんな不愉快な話、他にあるかよ。
榊さんも「ほんとにな」と続ける。
「たださ、留置を勤続した翌年ってのは希望の部署に配属されやすいっていうジンクスがあって、浅月は今年やっと地域課になったの。俺と同じところで働きたいって」
「真面目に話してください」
まじでその冗談聞きたくねぇ。「ごめんごめん」じゃねぇのよ。
「浅月は警察学校時代から地域課を希望していてさ。それこそ、今みたいに近所の人と交流のある交番勤務員になりたかったんだって。……ここで話が終われるならよかったんだけれどさぁ」
榊さんは、レジカウンターの横を指す。
丁度、蒼乃ちゃんが眼鏡リーマンを背負い投げしたあたり……。
「この間の事案、この店の客が撮影してて、取り押さえるところをアップロードしやがった」
「は……」
「たまたま発見が早くて、早期対処できたけれど、あんなもん保存されていたら削除したって意味ないからな。その件でまた、頭の固ぇオヤジ共がぴりっとしちゃったわけ」
榊さんは、くだらねぇよな、と鼻で笑う。他にもよ、て続けるから、正直まだあるのかとうんざりした。
「なんとなーく、さ。足を引っ張ろうとしてくる輩って、どこにでも一定数いるの。浅月は目立つ分、そういうクソ野郎の標的にされやすい。本人が美人を鼻にかけて広告塔になるタイプなら話は別だけど。ウチの『美人すぎるゴリラ』はクソ真面目だからそういうの性格的に向いてねぇのよね」
まって、蒼乃ちゃん。
『美人すぎるゴリラ』ってあだ名なん?! どこがゴリラ? 月の女神の間違いでは?! つか、俺と似たようなニックネーム……だめだ、ここでツッコんだらマジで話が進まない。
「長くなったけれど、ここからが本題」
いままで、軽口をたたいていたチャラい兄ちゃんだったのが、ゆっくりと、本性を現すように、声が低くなって
「……一昨日『警察官が19歳の大学生に手を出していいんですか?』っていうクレームをつけてきた女子大生がいる」
俺を射抜く視線は、蛇のようだった。
「最初に対応したのはうちの巡査だった。馬鹿まじめに事件性がないか話を聞いているうちに、浅月と俺が帰ってきて、女子大生は『あなたのことですよ』って、浅月に言ってから立ち去った。当然、浅月は不審な目をむけられることになる。職務中に若い男をナンパしたのかって」
「はぁ?! んなわけ……!」
「どうどう、落ち着け。わかっているよ」
榊さんはとっくに中身のないハイボールを煽って、氷をかみ砕きながら続ける。
「……俺はさ、ハッチがあの夜の一件をきっかけに、一方的に浅月に言い寄って、あの女子大生が暴走したのかと思ったんだよね。だから『てめぇの女だから知らねぇけれど、ケツぐらいふけや』って、ハッチに言うべきかなーと思って……来ちゃったって感じ! てへっ」
いまさらおふざけされても、全然笑えねぇよ……。
「で、一応聞くけど、浅月とはどーいう関係なの」
「……幼馴染です。今は、まだ」
順番すっ飛ばして、えっちしちゃったけれど、俺は蒼乃ちゃんから「好き」って言われていないこと、実は結構気にしている。
「ん、了解」と。榊さんは言った。
中途半端にちょっかいを出しているんじゃないなら、なんだっていいやって。
「とはいえ、今回の一件は浅月にとってまーた足を引っ張ることになるだろうなァ。職場に色恋沙汰を持ち込む女って」
後頭部をバットでぶん殴られた方がまだましだって、そう思えるくらい、視界が赤く染まって、揺れて、冷や汗が噴き出る。
ふざけんな、ふざけんなよ。
ぐるぐる渦巻く怒りが、べたべたと俺を染めていくみたいだった。
「ハッチ。一応慰めてやるけれど、花苑交番内で浅月を嫌う連中に今回の件をリークするゴミはいねぇよ」
「……今は耳に入らないだろう、っていうことですよね」
考えたくない。
考えたくないけれど。
その女子大生が交番じゃなくて、警察署や電話口で、同じことをしたら、蒼乃ちゃんは蒼乃ちゃんを嫌う奴らから恰好の標的にされる。
俺たちに起こりうる問題は、俺が我慢すれば大半のことはどうにかなるって……心のどこかで、たかを括っていた。
こんな形で彼女が苦しめられるなんて想像もできなかった。
視界が眩むほどの焦燥は、更地になっていく蒼乃ちゃんの家を目の当たりにした時以来。
そして、
ふつふつと、ぐらぐら煮えるような怒りに打ち震えたのは、人生で初めてだった。
「……焚き付けるつもりはなかった、って言ったらウソになるんだけれどさ。ハッチ。頼むから、上手く立ち回ってくれよ」
お前、その顔めちゃくちゃ怖いよ、と。
榊さんは肩をすくめた。
「それ、榊さんが言うんですか」
「まーね。同期可愛さのあまり、女子大生と同じことしちゃったけどね」
俺は大人げないのが取り得だから! と、舌をぺろっと出す。
ぜんっぜん可愛くねぇ!
「浅月のことを考えればさ、今から乗り込む! みたいな馬鹿な手段はとらないと思うけれど、まーじで頭を使って対処してくれ。穏便かつ波風を立てないように、な?」
「善処します」
「ちょっと、まじで大丈夫かよ……眼ぇガンギマリじゃん……例の女子大生と話し合う時、第三者を入れたほうがいいんじゃねぇの」
悔しいけれど、説明をしてくれたの、毒牙をかたっぱしから抜いていくスタイルの榊さんじゃなきゃ俺はとっくに店を飛び出していたかもしれない。
緩いっていうか、チャラいっていうか、どうしようもない軽さが重要なことってあるんだな……うん、落ち着け、俺。もしかして榊さん、一周回ってすごい人なのかな。腹立つことを馬鹿馬鹿しくさせる才能っていうか……。
「あのぉ……もう閉店時間なんですけれど……」
おずおずと厨房から顔をだす宮下さん。
「あっ! ごめんね~! 今会計するね~」
「いえ、お話中すみません……そして、めっちゃ聞いちゃってごめん、蜂須賀くん……。あのさ、女子大生って、多分あの子だよね?」
「……宮下さんの想像する相手で間違いないと思うよ」
「お、面識ある感じ?」
「蜂須賀くん目当てでお店に来た子ですね。私バチクソにガン飛ばされているんで。……あのさ、ここで話し合いすれば? 蜂須賀くんが暴走しないように、私が止めますよ」
「ハッチ、宮下さんに借りをつくりすぎじゃねぇ?」
えぇ~、宮下さんイイ女すぎない? と、拍手する榊さん。
当の本人は「もっと言ってくれていいですよ!」と、決め顔だ。
「提案は嬉しいんですが、いったん保留にさせてください。……ちょっと、引っかかることがあって」
榊さんの存在が強烈すぎたけれど、とにかく今は蒼乃ちゃんと話がしたい。
できれば、ちゃんと顔を合わせて。
……わかっている。もう日付が超えるほど遅い時間だ。
でも、でもさ。
蒼乃ちゃんが傷ついているときに、一番傍で慰めたいって思うのは、俺のエゴなのかな。
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