婚約継続中なのに逃亡?元悪役令嬢、勘違いで癒しカフェ開店中

しずく葉

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13. 森の奥の、変わらぬ朝

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森の奥にある、ささやかなカフェ。
その名は、《cafe fuu》。

開店準備が整った店内には、パンの香ばしい匂いと、ハーブティーのやさしい香りが混ざり合っていた。

小鳥のさえずりが窓の外から聞こえ、空気はまだ少しひんやりしている。
けれど、薪ストーブのぬくもりが、空間をほんのりと包み込んでいた。

「……さて、今日もはじまりますわね」

クラリッサ・フォン・ルヴェールは、白いエプロンの上からリネンのクロスを整え、カウンターのティーカップを並べた。

本来ならば、王宮で政略結婚の相手と並び、完璧な令嬢として振る舞っていたはずの自分が──
いま、森の奥のカフェでパンを焼いている。

(ふふ……人の人生って、ほんとうにわからないものですわね)

笑いながら、クラリッサは窓の外に目をやる。

ふと、店の裏手に置かれた木のベンチに視線が止まった。

そこには、先日見知らぬ誰かがそっと置いていった包みがある。

開けてみれば、それは見事な紅茶のブレンド。
彼女がかつて実家で嗜んでいた、ルヴェール家秘伝の調合に、ほんの少しのミントを添えたような──
“彼女好み”すぎる味だった。

それが届いたのは、ちょうど彼女が「ちょっと風味を変えたい」と思っていた翌日だった。
まるで──彼女の心の中を、誰かが読んでいるように。

(……まさか)

クラリッサは、手を止めてつぶやいた。

「……あしながおじさま、なんて」

かつて読んだ物語の一節を、ふと思い出す。
どこかの誰かが、陰から静かに見守り、
そっと差し伸べる手は、自分が困る寸前に届く。
自分はそんな存在に見守られているのだろうか──と、つい妄想してしまう。

「ふふ……まさか、ですわよね」

小さく微笑みながら、クラリッサは再びカウンターに向かう。
でも──

(それでも、もし本当に誰かが見ていてくれているなら)

(わたくし、もう少し……この場所で、頑張ってみようかしら)

神獣のルアが、ふにゃっとした足音でカウンターに跳び乗り、
クラリッサの腕をちょいちょいとつついた。

「はいはい、おはようの撫でですね?」

彼女がルアの頭をやさしく撫でると、奥からフィロがのっそり現れて、足元に顔をこすりつけてくる。

「朝から甘えん坊ですね……まったく、可愛いですわね」

森の中の、小さな居場所。
誰に見せるでもなく、誰かと比べることもなく、
“自分として”笑える時間が、ここにはある。

「さあ、お客様がいらっしゃる前に、くるみパンの仕上げを」

クラリッサはくるりと回ってオーブンを確認する。

いつも通りの朝。
変わらぬ風景。

でも心のどこかで、彼女は確かに感じていた。

──今日、何かが変わる。

そして、それが何かは、まだ知らなかった。


* * *



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