婚約継続中なのに逃亡?元悪役令嬢、勘違いで癒しカフェ開店中

しずく葉

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14. 手紙と空席

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──“気づけなかった”が、胸を刺す朝
 
「……お嬢様がいらっしゃらない?」

レイナの声が、かすかに震えていた。

クラリッサの部屋の扉はきちんと閉ざされ、朝の光が静かに差し込んでいる。
カーテンは開けられ、ベッドは綺麗に整えられていた。
鏡台の上には、昨夜使ったままの櫛がそっと置かれている。

まるで、そこには誰もいなかったかのように、整然と静まり返っていた。

机の上に、一通の手紙が置かれていた。

封はされていない。リボンも封蝋もなく、ただシンプルに折られた便箋。

『少しだけ、自分の時間を探しに行ってきます』

それだけだった。

その短い文章を読み終えた母・マティルダは、ゆっくりとその場に膝をついた。

「……リサ……」

かすれた声が、唇からこぼれる。
震える手で手紙の端をそっと握る。インクはわずかににじんでいた。

「なぜ……昨日まで、いつも通りだったじゃない……?」

前の晩、二人で紅茶を飲みながらおしゃべりした。
庭に咲き始めた春の花の話をして、クラリッサは、優しく微笑んでいた。

その笑顔の裏に、どれほどの想いを隠していたのか。
母には、もう分からなかった。

「気づいて……あげられなかったの……?」

マティルダの声がかすれ、涙が頬を伝った。

父・テオドールは、黙ってそっと妻の肩に手を置き、
もう片方の手で、手紙を受け取った。

そして、一言だけ。

「……馬を出せ。セバスチャン、人を集めよ」

その声は静かだったが、鋭く張りつめていた。
執事が無言で走り去ったあと、広間に沈黙が落ちる。

クラリッサの席が、空いていた。
朝の紅茶も、菓子皿もそのまま。

一見すれば、いつもと変わらぬ朝の光景。
けれど──ただ一人分だけ、時間が止まったような。
息苦しいほどの静けさだった。

兄・シリルは黙ったままクラリッサの席に座り、
指先で、誰も口をつけていないティーカップの縁をなぞった。

「……俺、見てたんだ。昨日、庭で一人で笑ってるリサを」

「……あぁ、あいつも、もう大丈夫だなって。そんなふうに思ったんだ」

「安心して、声をかけなかった」

「……それが、間違いだったんだな」

シリルの拳が、そっと震える。
感情の波が押し寄せるたびに、それを押しとどめようとするように。

「……気づけなかった。何も、わかってなかった……っ」

「妹の変化に気づかないなんて……兄として、最低だ……!」

母がゆっくりと立ち上がり、クラリッサの席へ向かう。

そっと、ナプキンを取る。
その動作ひとつひとつが、崩れ落ちそうな感情をかろうじて支えていた。

「この席……まだ、あの子の香りが残ってるわ」

「紅茶の匂いはもうないのに、あの子が座っていた空気だけが、まだここにあるの」

「……早く見つけてあげなきゃ。さみしくて泣いてるかもしれないわ……!」

父はそっと手を妻の背に回し、彼女を支えた。

「……リサを、必ず探し出す」

「それがどんな場所であろうと──あの子が自分の足で歩き出したのなら……」

「今度こそ、無理に連れ戻したりはしない」

「ただ、“いてくれてありがとう”と……そう伝えるために」

兄は深くうなずいた。

「必ず、見つけて……会いに行く」

「そして、もう一度──俺たちの“家族”として、繋がりたいんだ」

ルヴェール家に吹く風は、まだ冷たかった。

けれど、その芯には確かなあたたかさがあった。



* * *



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