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スイ

〈12〉

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昼食を食べ終わり、屋内駐車場の方へ歩く。あのバイクにどう被害者が亡くなったことを伝えようかと愛昼は考えていた。言葉を慎重に選んで上手に伝えなければならない。
色々な文章を頭に思い浮かべながら、愛昼はポツンと置いてあるバイクを目指した。

バイクは愛昼が近づいてもなにも言わなかった。愛昼はとんとんと座席を軽く叩く。
するとバイクが小さな声を出した。
「……ん、あれ?ケイカンさん?」
その声を聞いた限りどうやら寝ていたようだ。車も寝るんだ、と内心驚きつつ愛昼は声をかける。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
謝るとバイクが眠そうな声のまま
「んん……。はい、大丈夫です……」と少々舌ったらずに言った。
そんな寝起きの彼女にこれからショックな事実を知らせていいのか愛昼は心配になった。
とりあえず導入部分を言おうと口を開いたとき、バイクがほわほわした声で言った。
「さっき、雅人さんの夢を見ていたんです」
愛昼は目を見開き静止する。開いた口を素早く閉じた。
「雅人さんが私と一緒にお出掛けする夢です」
バイクがそう言って幸せそうに笑う。愛昼はひきつった顔で
「そう、良かったわね」と言った。
「はい!それで、いつもと少し違ったのは、私が雅人さんとお話しできることです。お出かけの間、たくさんお話ししました。とても楽しかったです」
バイクは一通り話し終えたあと、目が覚めたようでいつもの声で
「病院にいる雅人さんがきっと夢の中で私に話しかけてくれたんだと思います。ひとりぼっちでとても寂しいけど、雅人さんが頑張っているから私も頑張ります」と言った。
「……」
すっかり告げる機会を無くした愛昼は、困り果てたようにその場で立っていた。
後ろから足音がした。はっとして振り返ると男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
男はさっき見たときとはうって変わって爽やかな顔をしていた。にこにこ笑いながらバイクに話しかける。
「やあ、なんだか楽しそうだね」
そう言われてバイクが嬉しそうに返す。
「はい!雅人さんと夢の中でお話ししたんです」
それを聞いて男が愛昼をちらりと伺い見た。愛昼は首を振る。
それを見て男は険しい顔をすると黙りこんだ。二人とは反対にバイクは嬉しそうにはしゃいでいる。
(さすがにここで言うのはまずいわね)
どうしようかと愛昼は考える。考えた結果、今は報告をやめて人間の方の取り調べの話をすることに決めた。
「とりあえず、今事故の調査がどこまで進んでいるかを話すわ。二人とも聞いていてちょうだい」
男が顔をあげる。バイクは黙ってから「……はい、お願いします」と言った。
愛昼は二人が聞いているのを確認してから話し出した。
加害者が主張していること、ドライブレコーダーのこと。愛昼は被害者の死を避けて現状で分かっていることを全て話した。
男とバイクは黙って話を聞いていた。しかし、最後まで話し終えるとバイクが動揺したように口を開いた。
「……ケイカンさん」
バイクが戸惑った声で言う。愛昼が首をかしげる。
「どうしたの?」
「そのカガイシャ?という人、なんだか違うことを言ってる、気がします」
自信なさげに言われた言葉に愛昼の眉がぴくりと動く。
「……違うこと?」
思わずいつもの調子で尋ねてしまう。鋭く低い声にバイクがびくりとした。
「ああ、ごめんね。何が違ったの?」と愛昼はつとめて優しい声音で尋ねる。
「えっと……。私は別にふらふらなんてしてませんし、雅人さんも居眠りなんかしてません。私たちは何もしてなかったのに、その、後ろの車が……」
最後の方は涙声だった。愛昼は途切れ途切れに言われた言葉を頭のなかで整理する。
「あなた達は何もしていなかったのに、後ろの車にクラクションを鳴らされたのね?」
バイクが「はい」と頷く。
加害者との証言が食い違っている。
これは恐らく、加害者が嘘をついている。
やはりドライブレコーダーを調査しなければ、と愛昼は思った。そのためにはなんとしてでも自家用車からドライブレコーダーの場所を聞き出さねばならない。
「その時の様子をもう少し教えてくれる?」
しかしバイクはすっかり泣いてしまって答えなかった。どうやら昨日の事故は彼女の中で相当なトラウマになっているらしい。彼女がむせび泣くのを見て、愛昼は胸が締め付けられた。もし彼女が人間だったなら思いきり抱き締めていたことだろう。
困ったように顔をあげると男の顔が目に入った。男は暗い顔をしている。その瞳は暗くよどんでいた。
その顔を見て、車が意外にも繊細な性格をしていることを思い出した。
そうであるなら、なおさら車と人間との間の壁は厚いだろう。特に、既に人間に嘘をつかれたバイクは、今や愛昼のことも信じないかもしれない。
愛昼は男に手伝ってもらうことに決めた。
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