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遊園地にて

〈1〉

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リオンの前を人々が皆一様に浮き足だって歩いて行く。友達とふざけながら歩いている者もいれば、幼い赤ちゃんを抱えておぼつかない足取りの子供と手をつないでいる者もいる。仲の良さそうなカップルが男子大学生の騒がしい集団の横をゆっくり追い越して行く。大勢の人間が皆、カラフルなゲートの方へまっすぐに吸い込まれていくのを見ながら
「どうして人間はこんなに群れたがるのだろう」とリオンは一人考えた。
朝陽曰くゴールデンウィークと呼ばれる現在は、ほとんどの人間が連休になるらしい。久しぶりの休暇を得た人々は、日頃の疲れを家で癒やすことより、どこか遠くへ行きたくなるようだ。そのためどこもかしこも自然に押しくらまんじゅうが出来るほど混んでいる。
「人が多く集まるところに良い思い出がない」と朝陽が顔をしかめて言っていたのはつい先日のことだが、そんな彼も今は『良い思い出がない場所』に自ら身を投じていた。
何故そんなことになったのかというと、昔働いていた職場の先輩に
「せっかくのゴールデンウィークだからどこか遊びに行こうぜ!」と誘われたからである。
今朝、不健康そうな朝陽とは正反対の、小麦色に日焼けした健康そうな男が家にやってきた。彼は朝陽が用件を聞くより先に、半分無理矢理に朝陽を家から引きずり出した。そして、寝ぼけ眼の朝陽に向かって先ほどの言葉を言ったのである。
朝陽に拒否権はなかったようで、二人はリオンに乗り込むと長島スパーランドに向けて出発したのだった。

磯部と呼ばれたその男は朝陽と違ってよく笑う男だった。
朝っぱらから外に連れ出されてムスッとする朝陽を見て、
「相変わらず可愛げがないな、お前は」と言って楽しそうに笑った。朝陽は事あるごとに絡んでくる磯部に迷惑そうな顔こそしていたが、彼のことが嫌いなわけではないようで、朝陽からもよく話しかけていた。
出発前、磯部はリオンの外見を褒めた。
「おう、いい車だな。特にボディカラーがいい」
それを聞いて朝陽も「そうでしょう」と頷く。
「俺もこんな綺麗なボディーカラーの車は今まで一度も見たことがないですよ」
そう言って目を合わせるようにリオンのヘッドライトを覗き込む。
リオンは褒められたことがなんだか照れくさくてそっぽを向いた。
それに気づいた朝陽は
(もっと言って困らせてやろうか)と思ったものの、自分の車を褒めちぎるのもよくないのでこれくらいでやめておくことにした。

長島スパーランドにいく道中、彼等は芸能人の話や最近食べた料理の話などをした。
色々な話題が車内で飛び交ったが、リオンは元来人間の会話に興味がないため、ほとんどの話を右から左に受け流していた。
ただ、二人の会話で一つだけリオンの気をひく話があった。
「相変わらず運転うまいよな、お前」
カップホルダーにおいてあったジュースを飲みながら磯部がそうもらす。
「そうですか?」
「ああ。全く腕が落ちてないよ。あの頃も、『関は口下手だけど運転上手だ』って有名だったもんなあ」
リオンはぴくりと片耳だけそばだてる。朝陽は「ありがとうございます」と磯部の言葉をお世辞として受け取る。
『朝陽の運転はうまい』とあまり運転を知らないリオンでさえも分かる。最初レンタカーとして乗られたときはあまり心地の良い運転ではなかったが、朝陽がリオンと約束をした時から彼はきちんと交通規則を守った安心感のある運転をしていた。そのため、リオンはあのとき以来一度も規則を破る嫌悪感に悩まされていなかった。
ジュースから今度はスナック菓子の袋に手を移した磯部をちらりと見てから朝陽が口を開く。
「そういえば、最近どうです?仕事の方は」
「んー、お前がいた頃と変わりがないよ。平常運転って感じだ、運転だけに」
磯部が(決まった!)とばかりに満足げに笑う。
「……お客の利用状況はどうです?」と朝陽がしゃれを無視して続ける。
「あー、客はちょっと減ったかな」としゃれに反応してもらえなかったからか、客が減ったからか知らないが磯部が寂しそうな顔をした。
「……そうですか。それは残念ですね」
朝陽の言葉を聞きながら磯部が両手を頭の後ろに回して枕のようにする。
「まあしょうがないな。こればっかりは客の気分だし」
ただなあ、と磯部が顔をしかめる。
「最近うちの会社の利用客が減ったのは、うちの会社の社員を装って荒稼ぎしている奴がいるからっていう理由もあると思うんだ」
「荒稼ぎ?」
磯部が頷く。
「ああ。そいつはうちのタクシーに乗って、かつ制服もうちのを着てタクシー営業をしているらしい。金を巻き上げられた客からの苦情が何件も入って発覚したらしいんだが、犯人が未だに分からなくてな。社員の誰かがやってるんじゃないかとも言われてたけど、各車に監視カメラをつけてもそんなことをする奴はいなかったし……」
「妙な話ですね」と磯部の言葉に朝陽が興味を持った顔をする。
磯部が袋を傾けてスナック菓子の残りを口の中に流し込んだ。そしてそれを乱暴にかみ砕く。
「そいつの名前はもちろん分からないし、顔の特徴を聞いても主観的なものだから皆違うし。ただ、頬と首筋に入れ墨みたいなものがあるっていう証言だけは一致してるから、なんとかそれで探してはいるんだが全然見つからないし」
磯部がため息をついて背もたれにもたれかかった。スナック菓子の油がついた手であちこち触られないかとリオンはひやひやする。
「会社は『うちの社員はぼったくりは決していたしません』ってはっきり言ってるんだが、全員のお客がそれを信じるわけじゃないし。このまま犯人が見つからないと、うちの会社の評判がさがってさらに客が来なくなる一方だ。ほんと、早くなんとかして欲しいよな」
「まったくですね」と朝陽が言って停止線で車を停止させた。そしてウェットティッシュを取り出して見向きもせずに磯部に渡す。
「先輩、食べ終わったら手を拭いてください」
磯部は一瞬目を丸くした後、にやりとしてそれを受け取った。
「お前、意外とこういうところは細かいんだな」
リオンは磯部が手を拭くのを見てほっとした。それとともに今聞いた話について考え直した。
どうやら磯部はタクシー業に就いているらしい。そして、朝陽もかつて同じ会社で働いていたようだ。
(初めから『車なんでも相談所』を経営していたわけではないのですね)
リオンは新たな発見を特に驚いた顔もせずに頭に記憶した。
磯部の言葉を最後に車内が静かになった。朝陽がオーディオに触れると、優雅なクラシック音楽が流れ始める。その音に混じってカーナビが何かを言ったのが聞こえた。
磯部がサッシに手をつき窓の外を眺めながら何気なく口を開く。
「お前、うちの会社に戻ってくる気はないのか?」
「……ええ、今のところは」
朝陽はそう言った後、彼をまぶしく照らす太陽光を遮るため日除けを下げた。
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